《報告》
ネット上で続発する悪質な差別事件(部落解放同盟東京都連合会)
《NEWS》
2004年10月25日
ネット上の人権侵害情報 新ルール適用、少年の写真削除
http://www.asahi.com/national/update/1025/019.html
2004年7月30日
国と業界団体が、ネット掲示板への人権侵害書き込みへの対処方針を策定
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040730-00000001-zdn_n-sci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040729-00000069-mai-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040729-00000107-kyodo-bus_all
《問題解決のための意見1》
ネット上の部落差別の実態と課題
田畑重志さん
反差別ネットワーク人権研究会代表
人権ネットワーク国民会議実行委員会
1.
ネット上の人権啓発も重要な課題に
2.
部落差別の実態とその特徴
3.
インターネットと規制
4.
今後の課題を考える
《問題解決のための意見2》
ネット上の部落差別の実態と課題
渕本 稔さん
人権ステーション
1.
インターネットの市民運動での役割
2.
差別者の連絡先は通信の秘密として保護する合理性はない
3.
迅速対応の体制と法規制が必要人権活動のネットワークの構築を
《管理者から》
マスコミの報道等を見ると、「人権侵害やりたい放題のネットの現状はよくない」といった考え方が最近多数意見になってきているように思えます。これを背景にしていると思いますが、インターネット上の掲示板への書き込みなどを巡って、警察や法務当局が「介入」する例も多く見られるようになっています。また、ネットがらみの事件に関する裁判所の判例も、現に厳しいものになっています。
問題は、これが「よいこと」かどうかです。
私たちは、ネット上の人権侵害をそのまま放置することには賛成できません。ネット社会も一つの社会である以上、当然そこには人権を守る何らかのルールが必要だと思います。ただ一方で、国家権力による無制限の介入には賛成できません。そんなことになったら、本来自由であるべきネットの社会が窒息してしまうからです。
日本では一般的な考え方ではないかもしれませんが、本来「自由」というものは「方向性」のあるものです。「他人(特に権力者)に傷つけられないため」にこそ、一人一人の「自由」があるのです。ヨーロッパでは「自由」と「人権」はほぼ同義語です。しかし日本では、多くの場合「自由」は「好き放題」と同義語としてしか理解されていません。まったく悲しむべき事です。
自分自身の「自由」を守るためには、最低限のルールとして「他者を傷つけない努力を自身に課す」ことが必要になります。そうしなくては「自分の自由が侵される事を否定する」根拠を失うからです。これは純粋に「自由の自己防衛」と言うべき行為だと思います。今、ネット社会では多くの人がこの「自由の自己防衛」を無視しています。そしてその結果、「表現によって傷つけられる(人権を侵される)人」が無視できないほど出ています。
「表現によって傷つけられる(人権を侵される)人」が無視できないほど出てくれば、当然「世論」や「民意」は、「表現(の自由)」に対して厳しい目を向けまじめます。あたり前ですが、「人を傷つける表現」「匿名で無責任に偏見をばらまく自由」など誰も認められないからです。
一方で現代の民主主義社会では、「世論」や「民意」を無視して自由を抑圧することはできません。だから国家権力も「世論」や「民意」を注視します。そして「世論」や「民意」が「自由」の側から離れると、ただちに権力がおしよせてくることになります。
「表現の自由」を大切に思っている人はどうか考えてください。このままでは「世論」や「民意」の賛同は得られません。ネット上での人権侵害を放置していたら、結局権力の介入は不可避です。これでいいのでしょうか。今や「表現の自由について語る者が人権を語らない」では通りません。ネット上でどうやって「人権」を守るか、皆が真剣に、「自分自身の問題」として考える必要があるのではないでしょうか。
(2004.7/30)
《参考資料・関連リンク》
インターネット事件を追う(毎日新聞)
99'インターネット事件簿(99〜今日までの事件を紹介)
人権擁護法案関連情報(部落解放同盟東京都連合会Website内)
プロバイダ責任法(公布2001.11/30)
首相官邸HP内、個人情報保護法関係情報(法案・経緯等、03.5/25成立)
インターネットを悪用した部落差別宣伝・煽動の根絶を求めた提言
(部落解放同盟中央本部 〈社〉部落解放・人権研究所)
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