3.インターネットと規制 田畑重志さん
反差別ネットワーク人権研究会代表
人権ネットワーク国民会議実行委員会さて、今回はインターネットなどの規制について考えてみましょう。
残念なことに現在まで政府が行おうとしている規制は、ネットという膨大な情報の中から起こる問題を自主的に解決しなさいと突っぱねておきながら、現行法では裁けない課題を国家が掌握して規制しようという性質のもので、人権尊重の理念などの課題は皆無です。
また、救済、規制法を出すための答申をまとめようという人権擁護施策審議会が出した中間まとめでは、インターネットなどの差別に対しては、次のようになっているのみです。「イ その他のメディアによる人権侵害
インターネットは,個人が不特定多数の人に向けて大量の情報を発信することを可能とし,これを悪用した差別表現の流布や少年被疑者等のプライバシー侵害の問題が顕在化している。これらについては,まず一般の差別表現等としての救済の在り方を検討すべきであるが,インターネットに固有のものとして,通信の秘密で守られた発信者情報の開示等の問題があり,これについては,関係省庁による検討状況も踏まえて,実効的な救済の在り方を引き続き検討することとする。 」すぐに検討すべき課題を、他の省庁との関連から見送り、差別についての問題を先送りしているのです。
「人権を擁護するための基本的な法律」とのリンクが必要
しかし、私はインターネットそのものを安易に規制することにはあまり評価しません。むしろ、インターネットなど電子メディアの規制は現政府の政策からいえば、通信傍受法のような人権侵害につながる法となることは多いに考えられるからです。また、今後われわれ社会的弱者の側からのこのメディアを利用した発信というものすら利用が制限される可能性もあるからです。しかし、インターネットというものが特異的な性質をもっているものであれば、その中で「人権を擁護するための基本的な法律」を作り、プライバシー保護、差別の禁止などをまとめるべきなのです。
ですが、そうすることは逆に政府にとってみれば通信傍受法などのプライバシーの侵害につながる法や施策にとって邪魔になるだけであり、そのために我々が差別されていることについて検討課題として見送ってしまっているにすぎません。
今後、私たちはこうした社会的な情勢を見ながら、「差別禁止法」などの部落解放基本法の具体化を目指した法の成立を目指していかねばならないでしょう。と同時に、私たちはこの問題がどうしておこるのか、その原因をきちんと把握し、対処法を考えなければなりません。現在までのインターネットの差別を発見してプロバイダーに報告、そして、削除といった手段では一部団体のいう差別落書きは消せばよい的になり、結局相手の差別心を解き放ち反差別の意識に目覚めさせることもできません。インターネット上での差別事件の形態は
それではどうすればよいのか、その鍵は差別をする側の意識に隠されているかもしれません。そう思い、私は報告された70近い事例を全て分類し、その中身を検討してみました。その結果、さまざまな問題が浮き彫りになりました。
1.個人への誹謗中傷型
被差別部落や在日コリアンに対する差別的言動で注意した人物をも誹謗するケースなどです。現実世界では、「差別落書き」が確認後、一定の検証ののち消され、そのまま変化しないという断片的な終わり方ではなく、差別者と注意する側とのやりとりが行われますが、インターネット上ではそういったやり取りが行われることが困難な状況です。
実社会では何もいえないことをネットでは本音で喋ることで段々とエスカレートしていく形態は、社会における差別事件の進行する形をみるかのようです。2.同和教育不徹底型
この場合は、「映画をみて感想文」といった同和教育からきた「部落は悲惨」というイメージがかかれているケースがあります。
3.家族親族からの偏見移植型
この場合、特に関西圏と見られる人が(断定することは難しいのですが)、「関西では」「大阪では」「京都では」という風に地域や都府県の名前をまずあげたうえで、同和行政に対する「ねたみ差別」を書きこむケースです。
4.解放運動への批判型
この場合は、「解放運動」、特に部落解放同盟に対する一部政党機関紙の受け売りを書きこむケースなどがあります。
5.愉快犯的な差別落書き型
この場合、個人への誹謗はしませんが、「えった撲滅よつ抹殺」といった差別的言動が繰り返し繰り返し書かれたホームページのように、ただ差別語の羅列を行い、削除されると他の掲示板などへ移行し繰り返すといったケースです。これは一の場合より悪質で、注意しても反応がない場合が多く、むしろそうして騒がれることを楽しんでいるかのようです。
6.マスコミ誘発型
この例としては、マスコミにより北朝鮮のミサイル疑惑が取り沙汰されると、在日コリアンの児童がチマチョゴリを引き裂かれたという問題が事件として報道されるように、マスコミが問題として取り上げるたびに在日コリアンそのものも非難されるなど、民族差別的書きこみが増加します。
7.知識のひけらかし型
また、部落問題や人権問題を学習した人物が、差別の痛みをまったく感じることなく、他の教科と同様に知識の詰め込みのような形態であったことからおこるケースがあります。地名リストや芸能人部落、在日リストであるとか、皮革産業、食肉産業のあるところは部落であるといった、職業で断定したことを書きこむといった事例は、先にあげた「同和教育不徹底型がさらに批判から知識のひけらかしという内容に発展したケース」と細かく分類することも可能です。
8.その他の形態
この例としては、新聞雑誌、テレビなどで報道され、世間を騒がせるような人物がでると、こうした人物が即被差別部落出身である、在日コリアンであるといった社会的弱者へ変換され、差別に反映してしまうという事例があげられます。
これらは、先の分類とは多少その問題の傾向が違うようですこれら8項目はそれぞれに内部的にリンクしながら、「同和教育」的課題や「同和行政」的課題などさまざまな実生活での課題と相互に絡み合っています。みておわかりのように、これらの項目は、実社会での差別の形態と同様で、いわば特別の事柄ではないこともわかります。こうした実生活上の差別意識の形態が、いわば匿名性や一人で発言しているという安心感から出されているといえます。