東京の被差別部落

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弾左衛門の支配下にあった、江戸の被差別民衆

2-2 長吏(ちょうり)

      

 長吏は、弾左衛門自身が属した身分です。西日本などでは「かわた」と呼ばれます。幕府や差別する側が使った名称で言えばいずれも「穢多」ということになりますが、これは江戸時代においても明らかな蔑称でした。長吏や「かわた」たち自身は、基本的にこの呼び名を拒否していました。
 江戸の長吏たちは、弾左衛門屋敷の周辺に集住し、直接弾左衛門の支配を受けました。
 長吏たちの主な仕事は、斃牛馬の処理、その結果手に入る皮などの加工、太鼓や武具など様々な革製品の製造販売、町や村の警備や警察、祭礼などでの「清め」役、各種芸能など勧進ものの支配、山林や狩猟場、そして水番などの番仕事、草履作りとその販売、灯心・筬(おさ)など各種の専売権の管理・行使などです。これらの仕事はいずれも中世以来長吏たちの仕事とされ、江戸時代、他の人たちがこれをおこなうことは基本的にありませんでした。

●長吏たちは、日本で近代医学確立以前に基礎医学の知識を持つ唯一の存在だった

 また、これは長吏の独占的な仕事ではありませんが、かなり有力な仕事として実質的な獣医や医師、薬品の製造販売など医療にかかわる仕事がありました。なぜ長吏たちが獣医や医師を有力な生業としたかというと、明治以前、長吏たちの持つ人体や動物の体に関する知識が、一般の医師や獣医たちが持つものよりも正確で実証的なものだったからです。これは中世以来長吏が刑吏や斃牛馬の処理に携わってきたことと無関係ではありませんでした。
 有名な『蘭学事始』の中に次のようなシーンが出てきます。前野良沢、杉田玄白、中川淳庵らは『ターフェル・アナトミア』の人体解剖図が正しいかどうか確認するために小塚原刑場に刑死者の解剖「腑分け」を見に行くのですが、このとき執刀にあたったのが「穢多の虎松の祖父、90才の高齢だが健やかな老人」でした。彼は、良沢や玄白ら見学者たちに肺、心臓、肝臓、腎臓、胆嚢、胃などを正確に切り分けて名前を述べて示し、さらにその他の血管や筋など複数の器官についても「これらの名前は分からないが、どの人体内部も必ずこのようになっている」と語りました。そして、それらの様子が、いちいち『ターフェル・アナトミア』の解剖図と一致していたのです。
 江戸の長吏であった「虎松の祖父」は、このとき既に系統だった人体解剖技術を持っており、しかも主要な臓器の名前、位置まで知悉していました。そしてこの実証的知識が、良沢や玄白ら一般の医師たちがまだ十分に知らなかった西洋医学の基礎知識と完全に一致していたのです。

        

(2-1)

(2-2)

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