弾左衛門の支配下にあった、江戸の被差別民衆
2-4 猿飼(さるかい)
猿飼は中世以来の被差別民であり、関東においては弾左衛門の支配を受けました。江戸の猿飼は、長太夫と門太夫という二人の頭が支配し、二人は配下の猿飼たちと一緒に弾左衛門屋敷の近くに住んでいました。
猿飼が被差別民とされ、しかも長吏の支配を受けるものとされたのは、中世以来、「清め」と「勧進」が一体の関係にあると考えられてきたからでしょう。また猿が厩の守り神であり、長吏が斃牛馬の処理にあたってきたこととも関係があるかもしれません。
武士の町でもある江戸においては、猿飼たちはどうしても必要な存在でした。将軍や大名を含む江戸の上級武士たちは例外なく馬を飼っており、江戸城や武家屋敷には厩があったからです。正月などには、江戸城でも大名や旗本の屋敷でもかならず厩の祭りをおこないましたが、その際猿飼たちの芸はどうしても必要でした。
猿飼たちは、旅興行にも出かけたましたが、そのときの「旅手形」は弾左衛門が発行しました。また、猿飼は旅籠に泊まることが許されず、かならずその土地の長吏や猿飼の家に泊まらなければなりませんでした。長吏と猿飼の関係は深かったのです。