東京の被差別部落

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【2003年新春特集】

被差別民衆が担った江戸の芸能

      

 近世の江戸の町には、非人や猿飼、そして乞胸など被差別民衆が担った様々な芸能の世界がありました。新春の言祝ぎの芸―女太夫の鳥追、清めの意味を持った門付や猿回し、様々な大道芸がそれでした。
 これからほんの少し、江戸の庶民芸能の世界をのぞいてみようと思います。

1.新春を祝う芸―女太夫の鳥追

 江戸時代後期の庶民生活や風俗を記した史料に、『守貞漫稿』(もりさだまんこう)『嬉遊笑覧』(きゆうしょうらん)という書物があります。これらの書物の中に、「鳥追」(とりおい)芸の話がかなり詳しく出てきます。

 鳥追は今では京阪にはなく、江戸に多い。江戸ではこれを女太夫(おんなだゆう)というものが行っている。毎年正月元日から中旬に至るまで、新しい服を着て編笠をかぶり、また常の歌・浄瑠璃と異なる節を唄い三味線を特に繁絃して町屋に(女太夫が)やって来る。女太夫は非人小屋から来るが、一人に12銭の紙包みをわたす。中旬以降は編笠が菅笠に変わるのだが、編笠の時を鳥追と言うのである。

 『守貞漫稿』に出てくる鳥追に関する記述です。又この記述の少し前に、女太夫についてつぎのように記されています。

 非人小屋の妻娘は女太夫と号し、菅笠をかぶり木綿の服と帯ではあるが新しい着物を着、袖口などには絹の縮緬などを用い、綺麗に化粧し、日和下駄をはいて「なまめきたる」風姿で一人あるいは二三人ずれで三弦を弾きながら市中の店や門口に立って銭を乞う。往々にして女太夫に美人がいる。市中の店などでは1文をわたすが、参勤で江戸にやってきた諸国の下級武士などは長屋の窓下などに呼んで2・30銭をわたし、一曲を語らせたりする。

 同じような記述は、もう一つの書物『嬉遊笑覧』にもあります。それによれば女太夫たちは三弦だけではなく胡弓も弾いたようです。
 このように、江戸の町の正月の風物詩の一つであった「鳥追」は、女性の非人である女太夫がおこなったものでした。また記述の内容から、江戸の町人や武士などが、日頃から女太夫が来ることを楽しみにしていたことが分かります(著者である喜田川守貞や喜多村信節は、儒教道徳を身につけた民間「知識人」として、こういう「身分の垣根を曖昧にするような」風潮には批判的ですが)。
 日頃、非人たちの「物乞い」について規制することが多い幕府も、「鳥追はめでたいことだから」と、あまり規制しませんでした。女太夫の鳥追(そして正月以外の浄瑠璃の門付)は、今日的に言えばまさに江戸の町のアイドルでした。この江戸町人の文化は、やがて北廻船に乗って遠く北陸地方にまで(その風俗が)伝えられます。北陸地方などでは、今でも「江戸の女太夫の鳥追」姿をして夜の町を弾き歩くお盆の祭りが、大切に伝承され続けているのです。

(文責:浦本誉至史)

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