東京の被差別部落

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2.新春を祝う芸―大黒舞

     

 女太夫の鳥追とともに新春を祝う芸として、大黒舞(だいこくまい)がありました。これもやはり非人たちがおこなった新春を祝う門付芸でした。
 『守貞漫稿』(もりさだまんこう)には、「新しい広桟木綿島の綿入れに博多の帯を締め緋縮緬の頭巾をかぶり、三弦を弾いて町内の各戸を唄い歩く。その唱える歌を半切紙に印刷してあってこれを投げ入れる。各戸の町人はこれに銭12文あるいは米1盆を渡す。昔は大黒天に扮しておこなったので、その名残で赤いずきんをかぶるらしい」とあります。
 また『守貞漫稿』には、「大黒舞はかつては江戸・京都・大坂の三都ともにあったが、今では大坂だけに残っている。大坂の非人たちが今でも正月にこれを行っている」と書かれています。これと符合する記述が『嬉遊笑覧』(きゆうしょうらん)にもあります。こうした記述から、少なくとも江戸中期以前には、非人たちの行う門付芸の一つとして大黒舞があったこと、そして江戸後期の文政・天保(1817年以降)には江戸や京都では廃れ、大坂だけに残っていたことが分かります。
 一方、『嬉遊笑覧』には、つぎのような興味深い話も書かれています。
 「正月六日からおおよそ二月初めまでの期間、大黒舞ということで非人たちが吉原(江戸吉原)に来て、いろいろの物真似をする。大黒舞というのは形ばかりで、多くは芝居狂言の真似である。これは近世始まったことだ」
 どうやら江戸では、古くからの門付としての大黒舞は文政天保期には廃れてしまい、そのかわり「大黒舞」の名前を引く新しい芸が生まれていたようです。吉原遊郭という場所を限った話ですが、同じ非人たちがこれを担っていたというところは重要です。

(文責:浦本誉至史)

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