部落解放同盟東京都連合会

狭山事件特別抗告申立書-INDEXに戻る 

第十九 指紋に対する原決定の判断の誤りについて

             

 原決定は,本件脅迫状および封筒から請求人の指紋が検出されなかったことにたいして,「一般に,手指で紙などに触れた事実があり,その分泌物の付着も十分であったはずでも,その触れた個所から,異同の対照が可能な程に鮮明な指紋が必ず検出されるとは限らないのであるから,請求人のものと同定できる指紋が必ず検出されるとは限らないのであるから,請求人のものと同定できる指紋がこれらの対象物から検出されなかったことが,即,請求人が本件脅迫状,封筒及び被害者Yの身分証明書などに手を触れた事実がないことを意味するとはいえ(ない)」と判示した。

一 齋藤鑑定は,指紋採取(検出)実験を厳密,精確に実施することにより,正確な結論を導き出した。
 ちなみに弁護人は,原原審において,奥田意見書を提出すると同時に,1998年12月8日付で「指紋検出実験実施に関する要請書」を提出し,「公的機関による請求人の指紋検出結果を得たい」旨申し出たが,裁判所は無視したのである。
 本件脅迫状・封筒に請求人の指紋が遺留されていないという事実は,請求人犯人説に重大なる疑惑をいだかせるものであって,原1,2審を通じて,その旨弁護人らは指摘してきた。
 確定判決は,弁護人の主張を受け,
 一般的にいって犯人と犯行とを結びつける最も有力な証拠の第1は,何といっても指紋であり,(中略)捜査官は,本件においても脅迫状,封筒,身分証明書,万年筆,腕時計,教科書,自転車等について指紋の検出に努めたのであるが,ついに成功するに至らなかったことが認められる。しかし指紋は常に検出が可能であるとはいえないから,指紋が検出されないからといって被告人は犯人でないと一概にはいえないのである第2次再審請求棄却決定も「奥田意見書,齋藤鑑定書の結論には疑問がある。」とし,確定判決の趣旨を敷衍して,一般に,手指で紙などに触れた事実があり,その分泌物の付着が十分であったはずでも,その触れた個所から,異同の対照が可能な程に鮮明な指紋が必ず検出されるとは限らないことは,確定判決が判示するとおりであり,裁判所に顕著な事実である。と判示した。
 これらの判示は,一般論としていえるというだけのことで,現実の刑事裁判の事実認定の場においては常に正しいとはいえない。すなわち自白の内容となっている手口・手段はいかなる事実で構成されているかを考えてみなければならない。
 単に,「検出に努めたが成功しなかった。」とか「異同の対照が可能な程に鮮明な指紋が必ず検出されるとは限らない。」など,当たり障りのない表現でこの重大な問題を片づけようとする姿勢は,真相の解明にあたっては黙過することができない。
 ところで,指紋が刑事裁判で問題となる場合は,検出・採取された指紋が,犯人のそれと一致するのか否かその同一性が問題となる場合,あるいは検出作業後の指紋の保管が問題となっている事案が散見されるものであるところ,むしろ大問題となるのは,『なぜ,自白態様のもとで犯行現場から指紋が検出されないのか。』という問題として提出されている場合である。まさに本件狭山事件が後者の典型というべき事案となっている。
 昭和38年5月13日付埼玉県警察本部刑事部鑑識課斎籐他2名作成の「指紋検出および対照結果について」によれば,封筒・脅迫状から計7個の指紋が検出され,うち,4号,5号のみが対照可能であったとされているが,石川一雄の指紋は1つとして検出されなかったことを上記報告書は示している。

二 指紋の「検出不成功」をなぜ問題としなければならないのか。これは齋藤実験鑑定にいう「間接利益」にもつながる論点である。
 我々は日常生活で意識することはないが,起居活動の場のあちらこちらに無数の指紋を撒き散らしている。そしてこの指紋は「万人不同」,「終生不変」とされ,一卵性双生児といえども同一指紋は存在せず,個人識別の方法としては,指紋に匹敵の決め手はなく,DNA鑑定も100%とはいかず確率の計算結果に従うほかはない。この意義のもとで,指紋はキメ手となりうるとする確定判決の判示は誤っていない。指紋にはそのような証明力があるが故にこそ,確定判決などの一般論で解決されるべきことではないのである。

三 鹿児島夫婦殺し事件についての最高裁判所第1小法廷判決(昭和57年1月28日破棄差戻し判決 判例時報1029号27頁)は狭山事件にとって決定的に有意義なものである。
 上記事件においての指紋問題発生の端緒となっているのも,狭山事件と同様に被告人の自白どおりの犯行手順であれば,現場のあちこちに被告人の指紋が遺留されているはずなのに発見されないのはなぜか,というところにあった。
 「自白どおりであれば」,という関係を対比すると,狭山事件の場合には,大筋としてつぎのようなことであった。
 「脅迫状を4月28日自宅で書きあげた。これには約1時間半かけた。被害者宅N方に届けたものは練習したあと4枚目くらいに書いたものである。28日に書きあげた脅迫状・封筒は5月1日までの間,4つ折にしてスボンの尻のポケットに入れて持ち歩いた。5月1日に被害者宅N方に脅迫状入りの封筒を差し入れるその直前,封を切って,身分証明書が入っているかどうかを確かめた。また雑木林で『五月2日』,『さのヤ』と訂正の文字を書いた」というものである。
 つぎに前記鹿児島事件判決からこれにあたる部分を要約してみる。
 「自白によると被告人は被害者方で1時間以上滞留し同人方の茶わんや包丁にも触れており,したがってもしも自白が真実であるとすれば犯行現場に被告人の指紋が1つも遺留されないというようなことは常識上理解し難いことと思われるのであるところ,記録によればA方からは合計45個の指紋が発見されているのであるが,被告人の指紋は1つも発見されていない。」などの事情があげられる。
 そして未発見につき「いまだ肯定すべき事情もあきらかにされていないのに,これらの点に関する審理を尽くすことなく自白の信用性を肯定している」ことを理由に原判決を破棄したものである。
 上記判決が憲法違反・判例違反ありとして原判決を破棄したものではなく,「原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められる場合」であって,「判決に影響を及ぼすべき重大なる事実の誤認がある」として破棄したという点は重要である。つまり最高裁判所は通常の「論理則・経験則違反」を,あえて「正義に反する重大なる事実誤認」にまで高め,破棄しているということである。すなわち指紋不検出そのことだけで自白が客観的証拠の裏付けをかくことになると判示したわけであって,そのことの事実認定論に及ぼす影響はきわめて大きいといえる。

四 再審事件におけるいわゆる免田事件の6次抗告審決定(判例時報939号24頁)も,「犯人の決め手となるべき指紋の有無については,請求人の自白調書によるとタンスの引出しを開けて…,そこにあった刺身包丁を握ったというのであるが,全記録を精査しても請求人において手袋を使用したり指紋を残さないように配慮した形跡は全く窺われないのに拘らず,指紋採取作業の結果はタンスや雨戸からはもとより,現場に遺留されていた刺身包丁からも,重複したり,紋様形式が不鮮明な指紋ばかりで,請求人の指紋を検出することができなかった。」(要約)事実をあげ,これらの事情を自白調書の信用性を疑わしめる理由の1にあげている。

五 上記2つの事例を再審の法理にてらしていい直せば,自白どおりだとすれば,常識上からは犯行現場に犯人の指紋が遺留されて当然と判断される場合において指紋が遺留されず,上記遺留されなかった理由もあきらかにされない以上,この自白は裏付けを欠くことになり,確定判決における合理的疑いにつながる旨明示したもの,と定式化しうるわけである。
 齋藤実験鑑定は,狭山事件の自白問題に則してこれら判例の正当性を,客観的事実をもって,科学的に実証したのであり,総合評価のもとでの新規明白なる証拠として評価されるべきものである。
 なお原審有罪判決を破棄したいわゆる仁保事件の最高裁判所第2小法廷昭和45年7月31日判決も問題点として,
 「右兇器からは指紋が検出されておらず66個の指紋のうち,約30個は家のものであり,かつ,その余の指紋の中に,被告人の指紋に合致するものがあったことを示す証拠はな(い)」旨を判示している(判例時報598号39頁)。

六 上記2つの判例に示される「自白どおりだとすれば」という点に着目すれば,狭山事件の自白内容は2つの判例の事実摘示から推認される以上に請求人の指紋が明瞭にプリントされてしかるべき場合といえ,だとすればいよいよ一層,遺留されなかった点について首肯すべき理由が糺されるべきであるところ,検察官も裁判所もこれが理由を示すことができていない。
 狭山事件の自白においては,引き出しに触れたとか,包丁を握ったなどのなまやさしい事情とは異なり,いわば10の指頭を,あるいは10を超える指頭をそれもプリントの容易な紙に3次元的完璧さで密接しながら,1枚の紙に数百字を記入するという作業を,位置をずらしながら約1時間続けたという場合と解され,かくては自白どおりだとすれば指紋(指痕)だらけとなってしかるべきであろう。だが,請求人の指紋は1つとして発見されていない。対照不可能の指痕をふくめ,全体僅かに7個である。しかも,うち2個は「自白どおりだとすれば」,数分の中に踵を接してこれに触れたことになるN・Kら第3者の指紋は,判然と検出されている。指紋問題の検討にあたって要請される1つの姿勢は,先入観をいれず対照と向きあう素直さである。本件自白に示される活動は広範囲に及び,きわめて活発なものである。しかし,脅迫状,封筒,教科書,自転車,身分証明書,万年筆,祝い用風呂敷のどれひとつとして,犯人識別の決め手である指紋が残されていない。指紋をのこさぬよう手段をつくした事情の認められない本件において,指紋の1個だに残さず本件犯行を完遂することはおよそ不可能と断じてよく,この1点において,請求人と本件犯行を結びつける自白部分は空中楼閣として消え失せているのである。

七 ちなみに,齋藤実験鑑定書別表5によれば,請求人についての指痕は脅迫状・封筒の裏表をあわせ計221個(うち指紋合致数は計18個)に達している。
 これを埼玉県警指紋採取報告書に記載の合致指紋2個を除く指痕数5個と対比するとき,犯人が脅迫状など作成にあたって指紋を遺留せぬよう手段をつくしたことは,まことにあきらかといわねばならない。しかるところこれに見合う自供はみあたらない。要するに,本件犯行当時請求人の指紋が脅迫状などから1個だに検出,採取されなかったということは,請求人の自白が真実であれば得られてしかるべき裏付けを欠くものといわねばならず,脅迫状に文字を記入した旨の自白はこの1点において虚構と判断できる。有罪証拠中決め手と位置づけられる脅迫状・封筒を作成したという自白に符合し,またはこれを裏付ける「物」は『りぼん』の未発見をふくめ1つとして存在していないのである。

このページのtopに戻る

(34)

(35/40)

(36)

 ◆狭山事件特別抗告申立書-INDEXに戻る

部落解放同盟東京都連合会

e-mail : mg5s-hsgw@asahi-net.or.jp 

Site Meter