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原決定は,「本件鞄は,請求人の供述に基づき捜索の結果,請求人が捨てたと図示した場所から程遠からぬ地点で発見押収されたものと認めることができる」とし,本件鞄の発見場所が「遺体発見以来,捜査当局が,それまでに幾度か証拠物捜索の対象とした地域であった」ことは認めながらも,発見地点が「荷掛け紐発見地点のほぼ西方56メートル,教科書等発見地点のほぼ東方約136メートルに位置するのであって,いずれの場所とも道路を隔てており,5月から6月という時節柄,本件鞄は,草木の繁茂する雑木林の端付近の溝の中で泥に覆われていたのであるから,以前の捜索の際に必ず発見できていたはずであるとはい難い」と判示した。
しかしながら,本件鞄発見地点は,捜査当局が当然捜索する範囲内に位置しており,現実に捜索されたであろうことは,捜査官証言等から十分推認されるところである。すなわち,「教科書類が発見された地点の捜査は,その付近一帯を徹底してやった」(原2審13回公判,将田政二)「本があったんだから鞄もどこか別にあるんだということで,小島警部の班だろうと思うんですが,捜査は一生懸命にやったように私は記憶してるんですがね」(同47回公判,清水利一)などの証言があり,特に,原2審65回公判における高橋乙彦証言によれば,「付近一帯」を捜索したのであり,「藪とかどぶ,山と畑の間」は重点的に捜索したことが明らかである。
山狩りの方法なんですが,今,ほぼ一列に並んだりしてということのお話があったんですが,その他,特徴的な点はどのようなことがありますか。
特徴的な点は一列に並びますが,藪とか,特にここがおかしいというところはそこに行って調べてみました。
藪などは細かに調べると。
はい。
おかしいところというのは,現場に即して思い出していただきたいんですが,例えばどういうところをおかしいとして捜索したんですか。
藪とかどぶ,山と畑の間ですね。
…(略)…
重点をかけたのは山とか,山と畑の間とか,藪とか,雑木林の中とか,こういうところでしょう。特に重点を置いて調べたのはその,発見の付近一帯ということじゃないんですか,4日以後は。
ええ,付近一帯になりますね。
そうでしょう,死体は上がりましたけどもまだそのほかに遺留品があるんじゃないかということで,お調べになったんでしょう。
ええ,そうです。
どんなふうなものがあるだろうという推定でお調べになったんですか。漠然と調べたんですか,あるいはこういうものは必ずあるに違いないということだったんですか。
本人がもっていたカバンあたりが重点だと思います。
…(略)…
最初に山狩りをする時に一列横隊に並んで順次捜して行くというようなことをしたといわれましたね。
はい。
大体,そういう形でやられたと。
原則はそれでやっております。条件によって違いますが。
そうすると麦畑などを捜索される場合に麦の畦のみぞを捜索するという形ですか。
やっております。
機動隊の分隊長として山狩りに従事した上記高橋乙彦証言からも明らかなように,5月25日の教科書類発見後には鞄が埋められた溝も捜索の対象になったであろうことが窺われるのである。本件鞄発見には「捜査機関ないし裁判機関によって容易に発見されえない特殊事情のある内容」(鴨良弼)は含まれておらず,本件鞄埋没場所自体については,特段の秘密性があった訳でないことは明らかである。
新証拠として提出したM・Sの検察官に対する昭和38年7月3日付供述調書には,本件鞄が発見された溝につき次のとおり記載されている。
この溝は強い雨が降ると溝一杯に水があふれて速度は早くありませんが,水は東の方に流れる様になっています。本年6月4日頃,私がその溝の近くの桑畑に桑を刈りに行った時は溝の半分位迄水がたまっていました。…中略…あの溝は,大雨が降ると溝から水があふれ出して,畑に迄水が出る事もあります。
M・Sは,原1審5回公判においても,「鞄が発見される前あのほりには水が相当流れたことあります」と証言している。もしそうだとすれば,自白にあるような「埋没」では,仮に溝に捨てたとして,上記流水時に鞄は流れ出し,自白した投棄地点付近よりも東に移動していたはずである。ところが,現実の発見場所は,逆に自白地点付近の西方100メートル以上の地点であって,客観的状況との間で重要な食い違いを生じることになる。請求人は,鞄発見場所付近については,少年時代の遊びや山学校の手伝いなどを通じてその地形等をよく知っており,もし同所付近で鞄を捨てるとすれば,大雨後に流水することがわかっている本件溝をわざわざ投棄場所に選ぶことはありえないのである。しかも,自白調書上「投棄した」時刻頃には,すでに本格的な降雨が約2時間半も継続していたのである。
もしも請求人が犯人であるならば,雨に打たれながら溝に鞄を棄てたわけであって,当然流水も予想されたであろうのに,請求人は,次のとおりポリグラフ検査において「水」に対して全く得意反応を示していないのである。
6月11日付ポリグラフ検査書においても,「鞄の始末(処分)してあるのは水の中か君は知っていますか」との質問に対する反応は陰性(―)となっていて,特異反応は認められない。一般にポリグラフ検査において特異反応が認められるのは,被験者が犯人である場合のほか,被験者の推測と一致する場合,身体的刺激や検査者の得意な言動などに起因する場合もあるので,特異反応が認められたからといって必ずしも被験者が犯人であるとは限らないとされている。しかし,逆に特異反応が何ら認められない場合には,上述の原因がすべて否定される。本件において,検査結果は請求人が犯人でないことを示しているといわなければならない。これを科学的に論証したのが,新証拠である多田敏行作成の「狭山事件とポリグラフ検査」と題する論文である。
また,6月21日付員面調書(「午後5時頃」との記載がある)添付図面において請求人が支持した鞄埋没場所は,同図面に明記されている溝ではなく,溝の南側にこれと平行して走る線(「山と畑の間の低い所)上の点である。昭和22年2月8日撮影の航空写真は,溝の南側が往時は畑であったことを示している。
また,同員面調書添付図面,昭和36年11月5日撮影の航空写真および弁護人中山武敏作成の現場見取図を総合すれば,鞄が発見されている溝は雑木林と桑畑の境界をなしているのに反して,請求人が指示した地点付近においては,溝は雑木林から離れて桑畑の中を走っており,請求人は明らかに溝とは別の,これと平行に走る線上に鞄埋没地点を図示していることが認められる。すなわち,請求人は6月21日の時点において鞄が溝に埋められていることを知らなかったこと,鞄は自白に基づいて発見されたとはいえないことが明らかである。
前記のとおり旧証拠のみからでも本件鞄に関する確定判決の事実認定は相当動揺しているのであるが,新証拠を加えて総合判断されるならば,確定判決に対する合理的疑いは払拭しがたいものとなり,上記新証拠は刑訴法435条6号にいう「無罪を言渡すべき明らかな証拠」である。本件鞄は,何ら秘密の暴露には該らない。原決定の誤りは明らかである。
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