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弁護人は原決定審で千葉大学教授木村康作成の平成元年12月7日付「芋穴への逆さ吊り」実験報告書(以下木村実験報告書と簡記する),東京大学教授井野博満の同月6日付「逆さ吊り」における荷重の測定および損傷についての実験報告書(以下井野実験報告書と簡記する),労働科学研究所主任研究員大西徳明作成の同年3月10日付「芋穴への逆さ吊り」実験被験者の筋力検査報告書等の新証拠を提出し,請求人の自白のように,死体を逆さ吊りして芋穴への隠匿を行えば,死体足首に痕跡が残らないことはありえないことを明らかにした。さらに,本件被害者を解剖した警察技師五十嵐勝爾にたいする面会テープならびに反訳を提出し,被害者の死体を芋穴へ逆さ吊りにしたとする請求人の自白が虚偽であることを明らかにしたのである。
しかしながら,原決定は,これらの新証拠の内容を全く検討することなく,「死体の吊り下げ,吊り上げの態様に関する請求人の自白内容は,ありのままを述べた正確なものとは,必ずしもいえないと認められるのであって,自白内容に相応する事態を想定して再現実験を行い,その実験結果から,芋穴へ一時死体を隠匿した旨の自白内容の真偽を論定することは,ほとんど不可能に近いといわなければならない。所論援用の各報告書が実験の基とした自白内容自体,実際の状況を細部にわたるまで如実に述べたものとは必ずしもいえない以上,これらの報告書の実験結果から,発見された死体の足首に吊るした痕跡ないし損傷がないのは不自然であると結論し,そのことから直ちに,本件芋穴に死体を一時隠匿した旨の自白は虚偽の疑いがあり,確定判決の事実認定に合理的な疑問が残るとまでいうことはできない」と判示している。
原決定は「自白内容の真偽を論定することは,ほとんど不可能に近(い)」との不可知論に立っているのであって,このような原決定の姿勢は,無辜の救済と真実の究明という再審裁判所の使命を放棄するものであり,きわめて不当である。請求人の供述を前提としてその信用性を検討するための上記再現実験は,真実究明のためにはきわめて有効な手段であり,それを無意味とする原決定の判断は到底,許されるものではない。
原決定は「死体の吊り下げ,吊り上げの態様に関する請求人の自白内容は,ありのままを述べた正確なものとは,必ずしもいえないと認められるのであ(る)」としているが,それでは,請求人が何故そのような虚偽自白をなしたかが検討されなければならない。そして,虚偽自白の理由が説明されない限り,他の請求人の自白にも疑いが喚起されるはずである。死体の足首の状態に関しては,自白内容の細部までが事実と合致しているかどうかが問題なのではなく,被害者の死体を芋穴へ逆さ吊りにして隠匿した事実が存在するかどうかが問題とされているのである。
請求人は,「私はYさんの足をしばると,足から一米位の長さのところの縄を自分の右手にまきつけて,あなぐらの北側からYちゃんの頭の方から先に穴ぐらの中へ入れましたが,自分の右手へ縄を一巻まいたわけはYちゃんをどすんと落とさないようにその右手でしっかりと押さえておくためでした。そしてYちゃんの重みが右手にかかった時に巻いた縄を手からほどきだんだんに縄をのばして行ってその端を桑の木にしばりつけた…」(6月28日付員青木調書)
「私は縄を両手でしっかりと握り,Yちゃんを藷穴の壁の方をずらす様にして縄を少しずつゆるめて穴の中に降ろしました。その時も雨は降り続いており,吊るした縄は藷穴の口の角の所にくっつけて少しずらしたので割合い楽に降ろす事が出来ました。」(7月1日付検原調書)
「引き上げる時は,縄の端は桑の木にゆわえた儘穴倉の入口の桑の木の方に立って縄をたぐりながら少しずつ引上げました。それで,Yちゃんの体は穴の壁にすれながら引き上げられたわけです」(7月8日付検原調書)と,具体的・詳細に供述しているのである。
これらの請求人供述を前提として,その信用性を検討するための再現実験はきわめて有意義なものであり,その実験結果を全く検討することなく,一切を無視するという原決定の姿勢は決して許されるものではない。
弁護人は,原審で,@死体の背部及び顔面部の死斑の状態A足首部分の状態B後頭部損傷の問題C左側下腹部の多数の擦過傷の存在と状態等死体そのものの客観的状態から,死体を逆さ吊りにしたという請求人の自白が虚偽であることを論証した。
しかし,確定判決は,「被害者の死体は文字どおりの宙吊りではなく,死体はあお向けに芋穴の底に横たわっていたか,少なくとも上半身は芋穴の底につきあお向けの状態であったと推認することができる」としたうえ,被害者の足首に何らの痕跡がないことについて,@被害者がソックスをはいていたことA足首に力が加わるのは短時間であることB死体の出し入れ作業を静かに行えば足首に痕跡が残らないことも十分ありうることとした。
しかしながら,前記木村実験報告書によれば,被験者5人ともソックスをはいた状態でも,足首には強度の圧痕が形成され,表皮剥奪(皮むけ)を伴っており,請求人の自白のように,死体を芋穴に吊り下げ,吊り上げして出し入れすれば,足首には損傷が確実に生じることが明らかになった。また,前記井野実験報告書によれば,「自白にあるような死体のつり下げ,つり上げをおこなった場合の死体足首に加わる荷重の条件は,本実験の人体逆さづりの際の条件より苛酷と考えられる。それゆえ,本件自白のように死体のつり下げ,つり上げが実際におこなわれたとすれば,今回の人体逆さづり実験の際に生じた足首の損傷以上の損傷が生じると推認される」との結論に至っている。また,前記大西筋力検査報告書は,請求人が優れた筋力の持ち主であったとしても,実際に芋穴への死体の吊り下げ,吊り上げを行ったのであれば,被害者足首に痕跡が残らないことはありえないことを明らかにしている。
被害者にたいして解剖を行った五十嵐勝爾医師は,弁護人にたいし「逆さづりにして体重がかかれば,縄のかけたところに皮むけや圧痕ができなければならないが,解剖時に自分が見たときにはぜんぜん見えなかった。そして,死後日数が経っているので,水分が蒸発してくるから,皮がむけて,色の変わったところができなきゃならない。それが手足,全然ない。ということは否定材料だろうと思う。」「本人の供述そのものが,はたしてほんとうのことをいっているのかどうか,それが大きな問題じゃないかと思う」旨述べ,逆さ吊りに関する請求人の供述に信用性がないことを明らかにした。
原決定審で提出した芋穴への死体の逆さ吊りに関する各新証拠は,第1次再審請求審提出の司法警察員大谷木豊次郎作成の昭和38年7月5日付実況見分調書(芋穴のルミノール反応検査),弁護人中山武敏作成の昭和53年12月24日付報告書(中山実験報告書),木村康・弁護人倉田哲治作成の昭和54年5月22日付「芋穴逆さ吊り」実験についての報告書(木村・倉田実験報告書)の各新証拠,死体処理に関する第1審ならびに確定判決審での取調済の旧証拠と相まって,確定判決における事実認定につき合理的な疑いをいだかせ,その認定を覆すに足りる蓋然性ある新規・明白な証拠である。
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