部落解放同盟東京都連合会

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第七 「被害者の死亡時期」に対する原決定の誤りについて

        

一 死体現象からの推定について

 原決定は、「死体現象の変化は様々な条件によって左右され、死後の経過時間を日単位で何日と確定することは困難であり、その推定には相当の幅をもたせることにならざるを得ないのであって、所論にかんがみ検討しても、五十嵐鑑定の死後の推定経過日数の判定が疑わしいとすることはできない。」と判示した。
 しかしながら、もとより請求人の主張は、死亡時刻の確定は、「死体の置かれた環境その他様々の条件の変化で左右される」ものであることを否定して述べているものではない。
 新証拠として提出した多くの法医学書に記載された死後硬直、死斑をはじめとする各死体現象の発現やその後の変化についての記述は、いずれも上記のさまざまな条件を考慮に入れての幅、最低値・最高値・最も多い記録、が分類されているものであり(例えば塩野30頁)、「死後経過時間の推定には相当の幅を持たせることにならざるを得ない」の「相当の幅」は、すでに提出の新証拠の各記述の数値のうちに折り込まれているのである。
 請求人の死後経過時間についての主張は、証拠に記述された条件の変化による最短・最長の数値のうち、いずれも最長のものを基礎として述べられているのである。判示のようにこれらの幅を前提として掲げられている数値の意味を無視して、ただ「相当の幅」という定性的な言葉だけを振りまわして論じても無意味であり、請求人の主張を否定する何らの理由にもならないことは明らかである。この点についての判示の誤りは明白である。
 とりわけ例えば、死体が閉眼状態で経過した場合の角膜の混濁からの死後経過時間による変化は、外界の条件の変化を受けることが少ないので重要視されているが、いずれの証拠における記載も、「閉眼している場合は、死後10〜12時間から微濁し(開眼の場合は死後1〜2時間からはじまる)、24〜28時間で最高に達する」というのである。
 他方、五十嵐鑑定の記述による死体の角膜は、「微溷濁を呈するも…容易に瞳孔を透見せしむる」というのであり、条件の変化による幅を前提とした前記の法医学書の「28時間で最高に達する」という記載から程遠い「微混濁」であるので、この点から死後経過時間は最長2日以内と推論した弁護人の主張は極めて控え目で合理的なものであることは明らかである。

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二 死後経過時間推定のもう一つの柱である、被害者の胃の内容物、その消化の度合いからの推定について

 原決定は、「五十嵐鑑定書が認めた胃の消化物のうち、小豆は、5月1日の朝食に自宅で摂った赤飯の中の小豆が消化しないで残っていたもの、トマトは昼食時にカレーライスと一緒に摂ったもの、その余は、調理の実習で作った昼食のカレーライスの具と米飯と考えられるのであって、関係証拠により明らかな被害者の朝、昼の食事内容に照らしても、五十嵐鑑定には格別不自然あるいは不審な点は見当たらない。」と判示している。
 しかしながら、事件当時、埼玉県内においてはまだビニールハウス栽培は行われておらず、非常に高価なトマトを「昼食時にカレーライスと一緒に摂った」という証拠は一切示されていない。のみならず、被害者の級友は、誰一人として、トマトをカレーライスの材料として学校に持参したことを認めていない。
 さらに原決定は、「所論は、本件の場合、胃腸の内容物、その消化具合などに照らし、最後の食事から死亡まで、約2時間以内しか経過していないはずであると主張し、五十嵐鑑定を誤りと断定するのであるが、原決定が指摘するように、食物の胃腸内での滞留時間や消化の進行は、食物の量や質、咀嚼の程度などによって一様ではなく、個人差もあり、更には精神的緊張状態の影響もあり得るのであって、胃腸内に残存する食物の種類や量、その消化状態から摂食後の経過時間を推定するには、明確な判断基準が定立されているわけでもなく、種々の条件を考慮しなければならないのであるから、幅を持たせたおそよのことしか判定できないのであって、死体剖検の際に、胃腸の内容物を直接視認して検査した五十嵐鑑定人が、『摂食後3時間以上の経過』と判定したものを、五十嵐鑑定書記載の所見を基に、一般論を適用して、『摂食後2時間以下の経過』と断定し、五十嵐鑑定の誤判定をいうことは相当でないというべきである。」と判示した。
 しかしながら、ここに書かれている食物の量や質、咀嚼の程度などによって消化の進行が一様でないことを何ら弁護人は否定していない。新証拠が示す多年の経験や統計の積み重ねによって、しかも上記に述べられている消化の進行が一様でないことも考慮に入れたうえでの幅の最長時間をもとに、「最後の食事後遅くとも2時間」と主張しているのである。
 判示はさらに、個人差を挙げて請求人の主張を否定しようとしているが、被害者は強壮な高校1年生のスポーツ・ウーマンであり、その個人的特性を考えると、消化時間は促進的に考えられてもその逆でないことは明白である。
 また被害者の「精神的緊張状態」も挙げられているが、請求人の自白や確定判決が認定したカレーライスを食べてから殺害にあうまでの過程のどこを見ても、殺害直前数分間は別として、「精神的緊張状態」が存在したようなことはどこにも窺われない。
 なお念のために付け加えると、判示は「死体現象からみた死後経過時間の推定」の問題について、すでに述べたように、「様々な条件によって左右され、死後の経過時間を日単位で何日間と確定することは困難であり、その推定には相当の幅を持たせることにならざるを得ない」と述べている。しかし、死後数カ月や数年を経過した死体の晩期死体現象からの推定の場合ならいざ知らず、本件は5月1日の午後4時過ぎの殺害とされている死体を5月4日の7時から解剖を開始したという僅か3日間の死亡時刻の推定の問題であり、このような短期間の出来事について(時間単位ではなく)、日単位の推定すらも法医学ができないと判示は主張していることになるが、これは法医学がこれまで蓄積してきたデータや多様な経験に基づく成果を無視していることを公言していることにほかならず、驚くべきことといわなければならない。
 また判示は、五十嵐医師の現場を踏まえた判断を絶対視しようとしているが、同医師としてもこれまでの法医学の成果を考慮に入れずして死後経過時間の判定ができる筈はなく、もしこれらの成果が示す経過時間をあえて否定して別の結論を出そうとするならば、当該死体現象において通常導かれる判断を否定する根拠を示すのでなければ、単なる恣意・独断による根拠のない記載と見做さざるを得ない。判示の五十嵐医師の示した判断の押しつけは、法医学の成果を無視したものであることは疑問の余地はない。
 なお更に付け加えると、五十嵐鑑定書における死後経過時間の推定結果は、「死後2日乃至3日間」というものであり、2日を否定していない。
 2日間というのであれば、5月1日犯行説は完全に否定される。判示はこの点について何らの判断を示さず、沈黙のままであるがゆるされることではない。五十嵐鑑定書は他の多くの疑問があるが、この点に着目するだけでも、鑑定書が請求人の5月1日犯行説を裏付ける証拠とはなっていないことは明白であるが、裁判所はこれを無視しているのである。

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三 死体埋没時刻について

 判示は証人S・YやA・Sの証言を援用して、5月2日の朝には「農道上に大きく土を掘って戻し平にならした跡があった」ことを認定し、それまでに被害者の死体が発見された農道に埋められていたことを認定した。
 同証人の最初の農道上の土の変異について気づいたとする発見時刻が果たしていつであり、また正確な記憶に基づいて述べられたものであるか否かについての疑問は弁護人が具体的に詳しく述べてきたところである。5月2日朝の何時頃に異常に気づいたのかは明確ではないが同人の言うところに従えば、「農協で開かれた総会が9時40分ころ終了したあと現場に行った」とのことである。そもそも繁忙期における農協総会が朝の9時40分に終了するものとして開かれることは常識上あり得ず、同人の証言がまずこの点において措信しがたいものといわなければならない。

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