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三 封筒の宛名の筆記用具についての原決定の誤り
【目次】 1 齋藤第1鑑定書についての原決定の判断の誤り
1 齋藤第1鑑定書についての原決定の判断の誤り
原決定は,封筒表側の「少時様」の「少時」と「様」とが別種の筆記用具で書かれたとする齋藤第1鑑定書の判定にはにわかに与し難いとし,その理由として,@封筒現物の観察によれば,「中田江さく」の文字は褪色はあるものの,「く」の文字を除いてはっきり読みとれるのに対して,「少時」の文字は完全に消滅していて読みとり不可能であり,「様」の文字も溶解していて,ほとんど読みとり不可能状態にある,A塚本昌三作成の写真撮影報告書添付写真の観察によれば,「少時」と「様」の文字がそれぞれ別異の筆記用具を用いて書かれたとするのはいかにも不自然であると判示している。なお,「少時」の文字の溶解状況と「様」の文字のそれとの差異について原決定は「ニンヒドリンのアセトン溶液のかかり具合によって」溶解の程度に差があったことに基づくものと認定している。
原決定の上記判示のうち,溶液のかかり具合によって溶解の程度が異なった旨の認定については,そもそもニンヒドリンアセトン溶液による浸漬法による指紋検出を行う場合には検体を溶液の中にどっぷり浸し万遍なく試薬を染みわたらせるのであるから(斉藤第2鑑定書2頁「第4 資料所見 1 本事件に用いられた指紋検出法の基本説明について @ニンヒドリンアセトン溶液による液体法」および実験写真7参照),明らかに検査実態を無視した謬論である。
「少時」の文字は「様」の文字と同様,ボールペンで書かれたとみられるとの原決定の認定は,以下に述べるとおり正鵠を失しており,むしろ「少時」の文字は「中田江さく」の文字と同質であり,ひとり「様」が異質なのである。
すなわち,齋藤鑑定が判定の対象とした資料は,「指紋検出作業及び他の鑑定作業後の写真を弁護団側が公判記録からカラー複写したもの」であるが(斉藤第1鑑定書16頁),同複写は10数年前になされたものである。その後の経時的変化により現時点で観察され得る封筒の文字の状況とは異なり,右カラー複写の方がより原形に近いという点が看過されてはならないのである。
万年筆のインクは褪色という経時的変化が著しく,ボールペンのインクの色調はほぼ保存されるものとされている。串部宏之および北田忠義作成の1979年5月15日付意見書は次のとおり述べている。
鉄系ブルーブラック万年筆インキで記載された文字は,記載時から時間が経過すると,タンニン酸及び没食子酸の第二鉄塩の形成にともなって,色調が変化する(黒化する)ことはよく知られている。文字の黒化は,その保存状態によって顕著な影響を受けるが,数週間から数ヶ月にわたって進行する。更に長時間に及ぶ色調の変化については,充分な研究は行われていないが,一般に明度の増加(褪色,色が薄くなっていく)が進行すると考えられる。褪色は光の照射がある場合に進行が早い。
これに対して,ボールペン用ブルーブラックインキについては,記載時後の時間変化が,鉄系ブルーブラックインキに比して乏しく,染料の色調がほぼそのまま保存される。
すなわち,万年筆インクは褪色し,ボールペンインクの色調は保存されるという相違が存するのである。前記添付写真の観察により齋藤鑑定人は,封筒の「少時」および「中田江さく」は溶解していないが,「様」の文字は他の文字と違ってはっきりにじんで溶解しているのが解ると指摘している(齋藤第1鑑定書17頁)。
封筒に記載された文字の現状について原決定は,「中田江さく」の文字のうち「く」の文字ははっきり読み取れないとしている。しかしながら,前記添付写真を見れば,「く」の文字も読み取れるのであり,そこに経時的変化 − 褪色の現象が介在したことが窺われるのである。この点は「少時」の文字についても同様であり,経時的変化以前の「少時」の文字は「中田江さく」の文字と本質的に同質といわなければならない。これに反し現物における「様」の文字は溶解し,現在でもボールペンの色調を留めており,明らかに「少時」の文字および「中田江さく」の文字とは異質である。
原決定は「少時」の文字の「完全消滅」が「ニンヒドリンのアセトン溶液のかかり具合」による溶解に由来するものと考えているが,これは万年筆インクの経時的変化−褪色を看過するものであり,誤って齋藤鑑定書の証拠価値を否定するものである。
なお,原決定は秋谷鑑定の内容を検討すると「封筒に記載された文字の筆跡」とは,「中田江さく」の文字を指していることは明らかであるとしている。
しかしながら,秋谷鑑定の主文は「封筒に記載された文字の筆跡を弱拡大で観察するに万年筆を使用した公算大なり」としており,「中田江さく」の文字を特定してはいない。原決定がこのようにいうのは,同鑑定書に添付された封筒の写真5,6の「中田江さく」の文字に〇印が付せられ「〇印は字を弱拡大で観察すると二條の線が認められる」と説明しているところからと解されるが,上記〇印は「中田江さく」の文字の全部に付されている訳でもなければ,そのうちの1字全体に付されているものでもなく,1文字のうちの1画に付されているに過ぎず,要は2條の線が認められる箇所を強調したものであり,観察の対象が「封筒に記載された文字の筆跡」のうち「中田江さく」に限定されていたことを示す資料とはなり得ない。その他「中田江さく」に限定されていたことを示す資料は何も存しない。
したがって,秋谷鑑定における同鑑定主文と齋藤第1鑑定書の判定は封筒の「少時」に関して一致しているのであり,齋藤第1鑑定鑑定書に対する原決定の判断は誤っており,この点だけでも原決定は取り消しを免れない。2 斉藤第2鑑定書についての原決定の誤り
@ 齋藤第2鑑定の鑑定結果 − 第1鑑定の補充と新たな発見
T 齋藤第2鑑定の鑑定資料
対象資料として,封筒,脅迫状及び上申書の各ネガフィルム,平成11年12月20日鑑定人が記録閲覧室で撮影した封筒,脅迫状のカラーフィルムなど
U 鑑定事項
鑑定資料についての,指紋鑑定技術者からみた意見報告
V 鑑定結果
封筒について,以下のものが認められる。
@ 表側に,軍手様手袋痕2箇所,裏側に2箇所の合計4箇所
A 表側に,ドライバー用滑り止め手袋痕1箇所
B 表側に,小さな文字で「20日」との記載が1箇所。ペン等によって記載されたもの
C 表側の「少」及び「時」の背景には,ペン等用インク消しによる抹消文字が残存し,同文字群はペン等によって記載されたもの
D 表側の「少時」は,ペン等によって記載された改ざん文字
E 表側の「時」左下にある染み痕先端青色色素は,「様」の浮遊インクによって形成されたもの
F 表側に,セロテープ貼付が1箇所
G 表側に,サビ様の痕跡が1箇所 原因は不明
H 封筒には,用紙の顕著な磨耗度合いが12箇所
I 表側と裏側に記載された「中田江さく」は,犯行前にペン等によって記載されていたもの
J 裏側ふた部分の〆部は,ペン等によって記載されたもの
脅迫状について,以下のものが認められる。
@ 表側に,軍手様手袋痕5箇所
A 表側に,セロテープ貼付が1箇所
A 原決定の判断の誤り
原決定は,本件封筒について第2鑑定指摘の「粗目の安い軍手により印象されたものと認められる布目痕4箇所,滑り止め手袋により印象されたものと認められるブツブツ痕1箇所」については「そこまで判定可能かすこぶる疑問である」と述べ,本件脅迫状について第2鑑定指摘の「粗目の安い軍手により印象されたものと認められる布目痕5箇所」について前記塚本昌三撮影の写真を「具に見てもそのように判定されるか判然としない」と判示したのみで,以下に述べる,第2鑑定で新たに発見された重大な事実については,本件封筒の「中田江さく」部分が「犯行前に既に書いてあった」という鑑定結果について「その結論のみならず,そこに至る事実認識においても,独断に過ぎ,十分な論証に欠ける嫌いがあるといわざるをえない」と述べた以外は,具体的な判断を避けた。
B 齋藤第2鑑定における新たな重大発見
@ 2条線ペン先痕
齋藤第2鑑定においてとくに重要な発見は,封筒表側の2条線ペン先痕である。すなわち,添付写真20は「時」の文字の背景に48本の古い筆圧痕を指示しているが,そのうちA〜Cの符号が付されている3本については2条線痕と指摘している(写真20の拡大写真22参照)。2条線痕が認められることから,その筆記用具は万年筆またはペンと推認される。その余の古い筆圧痕はもちろんのこと,「少」「時」の文字も上記2条線痕と同一の色調を呈していることから,万年筆またはペンで書かれたものと認められる。これはボールペン説が誤りであることを示す点において,決定的に重要である。また「少」「時」の文字の背景に筆記用具まで特定され得る抹消文字痕多数が認められることは,「少時」が改ざん文字であることの前提となる点でも重要である。
さらに,当時の請求人の客観的な生活状況からも,記録上も請求人と結びつかない筆記用具(万年筆かペン)が封筒上に多用されているということ(第2鑑定は表側に小さな文字での「20日」,表側と裏側の「中田江さく」,裏側ふた部分の〆部の各記載は,ペン等によって書かれたものと認めている)は,それ自体端的に請求人が犯人ではあり得ないことを示すものである。
A ペン等用インク消しの使用による文字の改ざん
「少時」の背景には文字の改ざんらしき痕跡が見られると第1鑑定において指摘されていたところであるが,第2鑑定は封筒現物を閲覧・引き延ばした撮影写真についての綿密な観察から,以下のとおり「少」と「時」の文字は,改ざん文字であると結論づけている。
なわち,「様」や「中田江さく」等は滑らかであるのに,「少」及び「時」の文字の背景はガサガサしていること,紙面にいずれも削り取ったような荒々しい痕跡はなく,むしろ一旦水濡れした後乾燥したように,紙面の滑らかさが失われている状態にあるところから,抹消文字はインク消しによって抹消されたものと認められる。なお,ボールペン用インク消しは当時未開発であったので,ペン等用インク消しによって抹消されたものであり,この点からも古い筆圧痕(抹消文字群)はペン等によって書かれたものと認められる。
以上により「少」と「時」の文字は,改ざん文字,すなわち文字を抹消した部分に,別の文字を書き入れたり等する場合に当たるのである。
「改ざん文字」については,警察の犯罪鑑識上の分類では「文字を削除や抹消した部分に別の文字を書き入れた場合や,文字に手を加えて他の文字に改めた場合,新たに書かれた文字を改ざん文字という」と定義されている(鑑定書12頁参照)。
なお,インク消しの使用を裏付ける事実として,「様」の訂正線及び「中」の文字についてはその下地が周辺の下地と全く変わらないため筆圧痕が紙上にそのまま印象されている(写真27,28)のに対し,「時」の訂正線は写真22の青点線D(写真20の青実線左側の一部)に見られるように筆圧痕は下地の紙にかなりめり込んでいることが指摘されている(鑑定書18頁)。
B 「中田江」における滲み痕の存在
すでに第1鑑定は,本件封筒について5月2日に撮影された写真から「3日位前に作成されたとは思えない古さが認められる」と指摘していたが,第2鑑定は,現物と写真を子細に観察した所見として,「本鑑定で先ずもって目に付くのが,用紙の古さである。折り目角の著しい損傷,変色したセロテープ,水濡れ等汚染,文字の滲み痕,サビ痕の存在は,どれをとっても古さを窺うものばかりである。」と指摘している。
なかでもとくに重要なのは,「中田江」の文字の滲み痕である。「少時様」及び「〆」については特別な滲み等が認められないのに対して,封筒表裏の「中田江」に合計14箇所の滲みが指摘されている(写真62〜66)。齋藤鑑定人が実施した実験によって,封筒の滲みは,ザラ紙に水を含ませて間接的に濡らした場合の形状に,反面脅迫状の文字等の水濡れ(写真58,60,61,67の各指示部分)は上から直接水を振りかけて濡らした場合の形状に,それぞれよく似ていることが判明した(添付実験写真25〜27参照)。結局「中田江」の文字の滲み痕は,「いずれかの局所に折り畳んで入れている最中に外側から水が滲み込んで濡れたために生じたもの」「脅迫状の文字等は,直接水がかかって濡れたもの」と認められるが,この判断は十分首肯し得るものである。
C 「中田江」の滲み痕の生成時期
封筒上に14箇所も指摘されている「中田江」の滲み痕は,いつ形成されたものであろうか。滲み痕が生じた封筒の濡れ具合及び犯行後指紋検出が可能であったことから,犯行前に形成されたものと判断される。
@ 「中田江」の滲み痕をもたらした封筒の濡れ具合
「中田江」の滲み痕は,直接水が振りかかった場合ではなく,間接的に濡れて生じた場合に似ていると指摘されているが,これは封筒がじわっと濡れたことがあったことを示すものである。封筒がこのような濡れ方をしたため,その時にはすでに書かれていた「中田江さく」の文字に滲み痕が生じたのである。
A 封筒から指紋が検出されたこと
本件では封筒表裏から計3個の対象可能とされた指紋が検出されている。アミノ酸は水に溶解してしまうので,濡れた紙からの指紋検出は不可能である。封筒から指紋が検出されたということ自体が,犯行当日には封筒は濡れていなかったこと,すなわち,間接的にじわっと濡れていた状態から乾いた状態になっていたことを物語るものである。
以上の@とAの結果,滲み痕が認められる「中田江」の文字は,犯行当日よりも前に書かれていたこととなる。
なお,「少時」及び「訂正線」には「中田江」の文字に見られる滲み痕が認められないのであるから,これらの記載は,封筒が乾いてから後になされたものである。「中田江」の文字は,「少時」及び「訂正線」が書かれる前に書かれていたものと認められる。
これは決定的に重要な発見である。被害者殺害後に予め書いていた「少時」という宛名を「中田江さく」に書き替えたという自白の手順と「中田江さく」が犯行当日前に書かれていたという客観的な物証が指し示すところは全く相容れないのである。これだけでも自白の重要部分について信用性がないということになるが,より決定的なのは請求人にとって事件発生前「中田江さく」は未知の人であったのであるから,事件前に「中田江さく」を書いた人物は請求人ではあり得ないということである。
D 2種類の手袋痕の存在
第2鑑定では,ネガフィルムの適切な焼き付けによる鮮明な写真によって,封筒に布目の手袋痕4個,ツブツブの滑り止め付手袋痕1個,脅迫状に布目の手袋痕5個が指摘されているが,綿密な対照実験によって布目の手袋痕は一般的な軍手によって,ツブツブ痕はドライバー用手袋によって,それぞれ印象されていることが確認されている(写真2〜11参照)。原決定のいうような「薄ぼんやり印象されているかに見える」程度の曖昧なものではなく,容易に種類を判別し得る明確な痕跡である。3 小畠意見書についての原決定の判断の誤り
@ 小畠意見書ー齋藤鑑定についての化学的所見
結論部分
@ 「少」,「時」はブルーブラックインキにより書かれた文字である。筆記用具は万年筆である可能性が高い。
A 「様」はボールペンにより書かれた文字である。
B 「中」,「田」,「江」「さ」,「く」はブルーブラックインキにより書かれた文字である。筆記用具は付けペンである可能性が高い。封筒裏面2カ所に書かれている「中」,「田」,「江」「さ」,「く」についても同様である。
C 「少」,「時」,「様」の上から引かれている訂正線は,ブルーブラックインキにより書かれた線である。筆記用具は万年筆もしくは付けペンである。
D 「少」,「時」より以前に何らかの文字が書かれていたと推定される筆圧痕があり,これは万年筆もしくは付けペンによって書かれた後にインキ消し等により消去された可能性が高い。
E 「少」,「時」,「様」は現存する封筒ではいずれも判読不能であるが,いずれも指紋鑑定の際の薬品処理によるものである。ただし,「少」,「時」は封筒に残留していたと推定されるインキ消し等によるものであり,「様」はアセトンによるボールペンインキの流出によるものである。
F 「中」,「田」,「江」「さ」,「く」の文字が書かれた後に,かなりの時間が経過している。この理由について解説を加えると,「中田江さく」と,「少時」とは,筆記用具は異なる可能性は高いが,用いたインキはいずれもブルーブラックインキであると推定され,耐久性に関してはほぼ同じであるものと考えられる。事件当時の封筒では,「中田江さく」についてはすでに文字の滲み・かすれが観察されるが,これは「中田江さく」が書かれた後に,封筒に対し外的要因(携行に伴う,汗による文字の滲み・衣類等との摩擦によるかすれ)が加わったことが原因と考えられる。これに対し,「少時」は鮮明であることから,脅迫状が届けられる直前に書かれたものか,書かれた後の保存状態が良かったことを示唆する。
A 原決定の判断の誤り
原決定は,小畠意見書についてもまた,斉藤第2鑑定書と同様に,「その結論のみならず,その前提をなす事実の認識判断が,独断に過ぎ,にわかに賛同することはでき」ないと述べるのみで,具体的な判断を避けた。
小畠意見書は,有機化学の専門家の立場から封筒の筆記用具等について検討を加えたものであるが,重要な点のすべてにわたって齋藤第1・第2鑑定の見解を支持するものとなっている。すなわち,「ボールペンのインキは,現在でこそ水性などのいろいろな種類のインキが用いられているが,事件当時のボールペンのインキは,色素で着色した高粘度の油脂が主成分である。このため書いた文字は耐水性はきわめて強いが,油脂を溶かすアセトンには溶出しやすい。」との基礎的認識を示し,「少時」の文字はボールペンで書かれたのではなく,万年筆(ブルーブラックインク)で書かれているとする齋藤第1鑑定の判断の基礎を裏付けるとともに第2鑑定添付の写真多数から,「少時」の文字の筆記用具に関する齋藤鑑定人の結論を支持している。また「少時」の背景にある筆圧痕の存在とそれがインキ消しで抹消されたこと,「中田江さく」の文字に「滲み・かすれ」があって,書かれた後相当の時間が経過していることなど重要な点も指摘している。
小畠意見書は,以上のとおり齋藤鑑定人の結論を支持しているのであるが,関連して「中田江さく」の文字が付けペンで書かれた可能性が高い旨も指摘している(上記のとおり同文字群の「かすれ」も観察している。これは外的要因によるという。)。4 齋藤第3・柳田鑑定についての原決定の判断の誤り
@ 齋藤第3・柳田鑑定の結果
@ 封筒「少」の部分には,算用数字の「2」が認められる。
A 封筒「時」の部分には,左側に「女」,右側に「死」の抹消文字が認められ,筆記用具は,万年筆又はインク付けペンによって書かれているものと認められる。
B 脅迫状の掻き消された文字は,「女」,「林」,「供」,「八」,「二」が認められ,筆記用具は,万年筆又はインク付けペンによって書かれているものと認められる。
C 封筒及び脅迫状の「女」は,草書体で書かれているものと認められる。
D 脅迫状の「林」は,行書体で書かれているものと認められる。
A 原決定の判断の誤り
原決定は,齋藤第3・柳田鑑定書について,「齋藤第3・柳田鑑定書の判断は,独断に過ぎるというべきであり,にわかに賛同することはできない」と述べるのみで,齋藤・柳田鑑定書で新たに発見された重大な事実については,一切の具体的な判断を避けた。
B 齋藤第3・柳田鑑定の意義
齋藤第3・柳田鑑定は,冒頭で述べているような従来よりはるかに精度の高い方法(多方向からの写真撮影,コンピュータによる重合・ノイズ除去の処理)により本件封筒表側及び脅迫状上部の筆圧痕を調査した結果として,上記の鑑定結果を導いたのである。この過程を通して新たな筆圧痕,2条線痕および数個の文字が発見されている。
@ 筆圧痕
「少」の背後に総数31本の筆圧痕(写真6のセロハンシートA:齋藤第2鑑定では20本),「時」の背後に総数62本(写真7のセロハンシートA:齋藤第2鑑定では48本)を指摘した。これは次ぎの2条線痕の場合と同様,齋藤第2鑑定の発見のさらなる発展であり,これらを強めるものである。
A 2条線痕
より重要な発見は,「時」の周辺における全部で9本の2条線痕である(写真8:新発見2本,従来の線の延長線7本)。2条線痕が重要なのは,これによって筆記用具が特定されるからである。鑑定書も「この現象が生じる筆記用具は,前鑑定のとおりペン先が割れて2条線痕が現われる万年筆又はインク付けペンである」としている。
B 文字の判読
封筒表側「少時」の背景の筆圧痕及び脅迫状上部の掻き消し痕跡にそれぞれ鑑定結果A及びB記載の文字が具体的に判読されたが,これは従前から指摘されていた筆圧痕が単なる紙のしわなどではなく,筆記用具の使用によって残された文字痕であることを一層確実にするものである。
C 草書体及び行書体の摘出
鑑定書別添2封筒及び脅迫状の「女」書体比較表によって明らかにされているとおり,指摘にかかわる「女」の2文字は草書体で書かれていることが認められ,同書別添3脅迫状の「林」書体比較表によって明らかにされているとおり「林」は行書体で書かれている。この発見によって,それ以外の文字の存在や文字痕の存在が一層確かなものとして認められるにとどまらず,草書体や行書体を正しく書きこなせる人物の手になるものであることを窺わせている。
D まとめ
齋藤第3・柳田鑑定の結果は,「時」の部分の2文字及び脅迫状の掻き消された5文字がいずれも万年筆又はインク付けペンによって書かれているものと認めている。これらの筆記用具は事件当時請求人において所持又は使用していた事実は全くなかったのであるから,これら文字の記載は別人の手になるものということになる。請求人が本件封筒及び脅迫状,ひいては事件そのものと結びつかないことを裏付ける諸事実に,さらに新たな事実を加えるものである。5 原決定の判断に対する批判
@ 「少時」はボールペンで書かれたとする原決定の理由について
@ 「少時様」の読み取りが不能であること
「少時」の文字がボールペンで書かれたとする原決定の理由の第一は,「少時」の文字が完全に消滅し,「様」の文字も溶解しているのに対し,万年筆様のもので書かれたと認められる「中田江さく」の文字ははっきり読み取れるということにある。
しかしながら,前記のとおり「少時」の背景には多数の文字痕があり,これらがインク消しによって抹消されていて,「少時」の文字はいわゆる改ざん文字であること,「少時」の文字は,2条線を含む文字痕,「時」の訂正線,「中田江さく」とは同一の色調であるが,ボールペンインクの青い色素とは明らかに異なる色調を呈していることから,ブルーブラックインクで書かれたものと認められるのである。
とくに「時」の5本の訂正線(齋藤第2鑑定添付写真27)は,2条線であることが確認されるが(同添付写真30,31,32),これらはペン等で書かれた典型である(同鑑定書19頁)。同添付写真20の黒実線で示された「時」の筆跡部分のうち,右上がりの黒矢印イ,同ロの筆跡は訂正線と同じ色調を示しているので,上記訂正線と同様の色素の現存している「時」もペン等で書かれたものと推認され得るのである(同頁)。
なお,科学警察研究所文書研究室長(当時)吉田公一は,「文書鑑定の基礎と実際」昭和58年立花書房刊15頁において,「抹消文字」の定義及び特徴について以下のとおり述べている。
インキ消しや漂白剤を使って文字を消去したものや,溶剤でインキを溶かし去ったものなどのように,化学的な処理で文字を消去したものをいう。
この種の抹消は支持体を損傷せずに白紙の状態に戻すのが目的であるから,塗抹や削除のような痕跡は残されていないが,インキ中の成分が紙面に残って潜在文字を形成している例はしばしばで,特に鉄系のブルーブラックインキを消したものではこの現象が顕著である。
本件封筒表側における「少時」の背景にある多数の文字痕は,まさに上記の「抹消文字」に当たるものと考えられるのである。
「少時」の文字が消滅した理由は,残存したインク消し薬液その他の影響と考えられるのである。この点については齋藤第2鑑定が以下のとおり四つの事項の相乗作用として説明しているとおりである(鑑定書15,19頁)。すなわち,
● 「少時」を記載する以前に,何度かインク消しの使用による薬液が浸透していたこと。
● 何度かのインク消し溶液使用によって封筒紙面がふやけた状態になっていたことからインクの定着性が劣っていたこと。
● インクがアセトンに強いと言っても定着性に欠けていた文字の場合は,影響を与えてしまうことが推定されること。
● 還元溶液である過酸化水素水が塗布用紙に多く塗布されたため,転写消滅された部分があったと推定されること。これは,実験写真16によって容易に推定できる。
A 「少時」と「様」とで別異の筆記用具使用の不自然性
「少時」の文字がボールペンで書かれたとする原決定の理由の第二は,「少時」と「様」が別の筆記用具で書かれたとするのは不自然であるという点にある。
しかしながら,「少」及び「時」の両文字の背景には多数の抹消された文字痕が存在し,そのなかに判読可能な文字も認められ,両文字が明らかに改ざん文字であるのに対して,「様」の文字の背景にはこれらが一切認められず,前記のとおりインク消しによる紙面の変質も認められないのであるから,「少時」と「様」とが(おそらく別の機会に)別異の筆記用具によって書かれたとすることの方がむしろ現物に即した見方である。
B 「少時」と「様」との間の色素流失が相違した理由
原決定は,「少時」と「様」はいずれもボールペンで書かれていることを前提に,両者の間で溶解による色素流失の程度が相違しているのは,「少時」と「様」とで「アセトン溶液のかかり具合」が違うことによると説明している。
しかしながら,上記説明は全く理由にならない。単にニンヒドリン−アセトン溶液に封筒全体をすっぽり浸して指紋検出を行う手順について原審が無理解であることを示すのみである(齋藤第2鑑定添付実験写真7参照)。小畠意見書も,被検出体である封筒全体をニンヒドリン−アセトン溶液に浸す場合について,以下のとおり述べているところである。
この場合,封筒全体の条件が同じになるのであるからもし「少時」もボールペンによって書かれた文字ならば,「様」と同様にある程度のインキによる痕跡を残すはずである。いくらアセトンの溶解能力が強いといっても文字全体のインキを完全に流出させるためには封筒全体をある程度の時間漬けておかねばならない。しかし,漬けている時間はせいぜい数秒程度であるから,「ニンヒドリンのアセトン溶液のかかり具合」によってインキの流出にこれほどの差が出たとは考えにくい(意見書4〜5頁)。
なお,原決定は,「ボールペンのインク様の青い色素が,極薄く,不定形に広がり,用紙の繊維に付着しているのが見てとれる」とも述べている。
しかしながら,齋藤第2鑑定添付写真20によって明らかなとおり「時」の文字痕左下から左上がりへ伸びている染み線1本については,ボールペンの青い色素が流出したものと認められるのであるが,それ以外の文字痕は明らかに色調を異にしており,原決定のように無限定に付着しているとするのは誤りである。むしろ齋藤第2鑑定が以下のとおり説明しているように「様」と「時」とではインクの溶解状況が全く異質である。すなわち,ニンヒドリンアセトン溶液による薬液反応をみると,写真17に示すとおり「時」の部分と「様」の部分ではその反応が著しく異なっている。「様」については,ニンヒドリンアセトン溶液の溶解反応からボールペンによって書かれていると容易に判断できる。これと対比して,「時」の部分は,「様」の流出状況とは全く似ていない。仮に,ボールペンによって書かれているとするならば,写真68のBにも見られるとおり,「。」等どんなわずかな筆跡でも現存しているのであるから,「時」の10画を描くインク量であるならば,残るのが必然である。
C 昭和38年5月13日付の斎藤義見外作成の捜査報告書について
原決定は,「指紋検出及び対照結果について」と題する昭和38年5月13日付の斎藤義見外作成の捜査報告書について,同書面は「少時様」の文字が「消滅した」と述べているのであり,齋藤第1鑑定が封筒について「記載文字の溶解を認める記述はない」とするのは当たらないとこれを論難している。
しかしながら,上記捜査報告書が「消滅した」とする趣旨は,単に判読不可能になっているという観点から述べられたものに過ぎない。これに対し齋藤鑑定人の方は,判読可能か否かという次元を超えて,その原因を究明しようとして,「少時」や「様」からのインクの流出状況に関心を払っており,「現実にはインク色素の消滅具合が『少時』と『様』では全く異なっていること」が明らかであるため,「脅迫状」における記載と対比させつつ,「封筒」のアセトン溶液による検出につき「記載文字の溶解を認める記述はない」としているのである。これは全く正しい指摘であり,原決定の上記批判は失当である。
なお,齋藤鑑定人は本件指紋検出担当者が文字消滅の原因究明に関心がなかった理由を以下のとおり述べている(第2鑑定15頁)。
一般に指紋検出技術者は,「被疑者に直結する指紋検出」を最優先しており,その結果,予期せぬことで他の分野が多少犠牲になってもそれはそれでしかたがない,という基本的な風潮があり,したがってここでは,ただ単に文字の判読ができるかどうかという単純なことからしか見ていないものである。すなわち,消滅の具体的内容というのは,指紋検出という目的に隠れて重要視されていないのが現状であって,それ故に,写真17でも明らかなような「少時」と「様」の流出態様について言及していないのである。
以上の検討の結果,「少時」はボールペンで書かれたとする原決定の理由は,すべて誤解か,牽強付会に基づくものであって,正当ではないことは明らかである。
A 「手袋痕」について
原決定は,封筒・脅迫状に手袋痕が存することを指摘した齋藤第1鑑定を,「一つの推測に過ぎない」として退けた。その理由は指摘にかかわる痕跡について「薄ぼんやりと印象されているかに見える」程度にしかこれらを認めていないことに基づくものと思われる。
しかしながら,齋藤第2鑑定は前記のとおり封筒の手袋痕には布目の痕跡とツブツブの痕跡との2種類があることを指摘し,それぞれに対照実験を実施し,作業用軍手と滑り止め手袋の痕跡であることを確認している。すなわち,脅迫状・封筒の布目痕をセロハン紙に作図し,それを対照実験の軍手痕に重ね合わせてみる実験を施行した結果,走行線,間隔,介在する線の数がほとんど一致し,同種の軍手の痕跡であることが実証されている(添付写真2〜9)。また,封筒のツブツブ痕をセロハン紙に赤点で示したものを,細目の滑り止め手袋痕に重ね合わせてみると,ツブツブの配置や間隔などがほぼ一致し,同種の手袋の痕跡であることが確認されている(同写真10,11)。本件手袋痕は,原決定のいうような曖昧なものではなく,極めて明確な痕跡であることが確認されている。
よって,本件手袋痕に関する原決定の認定が誤っていることは明らかである。
B 請求人の指紋不存在の看過
原決定は,自白の態様で封筒・脅迫状が書かれれば,指紋が検出されてしかるべきであるとした齋藤第1鑑定について,「手指で紙などに触れた事実」があっても,「その触れた個所から,異同の対照が可能な程に鮮明な指紋が必ず検出されるとは限らない」として,これを退けている。
しかしながら,脅迫状の発見・届け出をした被害者の兄やこれを鑑識に回した巡査の指紋が検出されているものの,総体としてみれば,脅迫状・封筒から極めて少数の指紋しか検出されていないのである。これは脅迫状を作成して被害者宅に届けた人物が素手では脅迫状・封筒に触れていないことを意味し,同人は手袋を使用していたとする以外に説明のつかないことである。手袋の使用が証明されていない請求人の指紋が一切検出されなかったことを看過した原決定は経験則に反しており,破棄を免れない。
なお,原決定の非科学性について一言しておきたい。
前記のとおり原決定は本件封筒表側の「少時」と「様」との間の溶解状況が異なっている原因について,これを「ニンヒドリンのアセトン溶液のかかり具合」の相異に帰している。これは原原決定が判示していたことの単純な繰り返しである。ここに重大な問題がある。「少時」はペン等によって記載され,「様」はボールペンによって記載されたとする齋藤第1鑑定書は,原原審の段階で提出されたものであり,これに対し上記のとおり原原決定がアセトン溶液のかかり具合の相異をもって同鑑定書を退ける論拠としたのであった。そこで,齋藤第2鑑定書はアセトン溶液を用いる場合の指紋検出の具体的手順−封筒全体を1回溶液にどっぷりと漬け,直ちにこれを引き上げる−を説明したのみでなく,その状況を撮影した写真も添付したのであった。これによれば,「少時」の文字と「様」の文字との間で溶液のかかり具合に相異が生じる余地はない。これは子どもでも理解できることである。さらにその後提出された小畠意見書においても前記のとおり「ニンヒドリンのアセトン溶液のかかり具合」によってインキの流出にこれほどの差が出たとは考えにくいとしているところである。
上記のとおり齋藤第2鑑定書および小畠意見書が提出された後にも,原決定が具体的な指紋検出の方法について無理解であった原原審の上記論拠をそのまま反復したことは,原審が科学的思考を欠落させているか,原原審の上記論拠に対する齋藤鑑定人らの反論を事実上見ていないか,あるいは見ていてもこれを真摯に検討する姿勢がないかであろう。いずれにしても,齋藤鑑定人らのごく当然の説明に対して一言も触れることがないのは重大な審理不尽であるが,事実に向かい合おうとしないのは公正な裁判,すなわち憲法から託された職務を裁判所自ら放棄したものと言わなければならない。このような事実上の職務放棄は,手袋痕の存在・成因や「中田江さく」の記載時期その他齋藤鑑定人らが提起した決定的に重要な争点についても見られることであり,由々しき事態である。6 齋藤鑑定等の新規明白性
@ 自白の崩壊
@ 筆記用具にかかわる自白の崩壊
「訂正」のための筆記用具にかかわる虚偽自白
脅迫状・封筒の記載文字のうち以下のものについては,「ボールペン」で訂正・抹消した旨の捜査段階における請求人の供述が虚偽であることがこれまでに判明している。
a 脅迫状 身代金持参の時と場所の訂正
(6月24日付 員青木調書外多数)
b 封 筒 「中田江さく」への訂正
(6月25日付 検原調書外)
c 同 「少時様」の抹消(訂正線)
(6月29日付 員青木調書)
d 脅迫状 上部の「少時」の掻き消し
(7月2日付 検原調書)
以上のうちa,bについては万年筆様のもので訂正されたことに争いはないが,「訂正のため使用したボールペン」について,請求人がその大きさ,形状,仕様,色,所有者,保管場所にいたるまで詳細具体的に供述していた点が留意されるべきである。すなわち,これは私が持って行ったボールペンで書きなおしたのです。この時使ったボールペンも兄ちゃんのものですが,これはボールペンの頭を押すとペンの先が出て来るようになっている仕掛けのもので普通の万年筆位の大きさのものです。(6月24日付 員青木調書)
…その手紙の文をYちゃんを縛ってから月日等書きなおしましたが,その時もボールペンです。そのボールペンは,兄ちゃんのもので手箱に入っていたものですが,万年筆の様な形になっており,上を押すとペン先が出て来る様なボールペンだったと思います。(6月25日付 検原調書)
…封筒や手紙を書きなおしたボールペンは前に云った様に兄ちゃんのもので,上を押すとペンが出て来る式のものです,色は青色だったと思います。(7月1日付 検原調書)
原2審における秋谷鑑定の結果,訂正用具は万年筆またはペンだったことが確認され,上記供述群は非体験者による虚偽供述の疑いが濃厚となったのであるから,この時点で訴追側ないし裁判所は立ち止まるべきであった。事態は逆行し,確定判決は自白にそった万年筆奪取の時期と場所に関する原1審の認定を変更して,自白と矛盾する秋谷鑑定の結果に対応し,請求人の有罪を維持した。認定変えを正当化した根拠は,請求人の虚言癖に求められた。虚言は悪しき人格にその源ありというわけである。しかし,心理学の教えるところによれば,個別の行為にはこれに対応する個別の動機がある。上記の一連の虚偽の供述は,真犯人の意識的虚偽供述であるのか(これにも動機がある),非行為者の迎合的虚偽供述であるのかが判別されるべきであった。とくに確定判決は強姦強盗,殺人,恐喝にかかわる行為から,犯行動機に至るまで自白の大部分ないし根幹部を認めているのであるから,意識的虚偽というのであれば,ボールペンと偽って供述した動機を解明するべきであった。確定判決が,個々の供述の動機にではなく,「人格」に原因を求めたことは,その解明ができなかったことの現われではないのか。そうであれば,脅迫状をめぐるその余の疑い・問題点,自白との矛盾をも総合考慮し,裁判の公正さを担保するために疑わしきは被告人の利益にという刑事裁判の鉄則が適用されるべきであった。
「抹消」のための筆記用具にかかわる虚偽自白
前号cの「少時様」の抹消(訂正線)については,齋藤第2鑑定が明らかにしているとおりである。すなわち,「様」の文字に加えられた5本の訂正線は,いずれも2条痕であって(添付写真27),万年筆様のもので書かれたことが確認されている。「時」の文字に加えられた訂正線(同20)も,万年筆様のもので書かれていることに争いのない「中田江さく」の痕跡と同一色調を呈していることから(同28),これも同種の筆記用具で書かれたものと推認できる。自白では「少時様」の抹消(訂正線)は,ボールペンでなされたことになっているが,現物は万年筆様のもので書かれていることにもはや疑いの余地はないのである。なお,実際に訂正線が施されているのは「少時」ではなく「時様」である。
前号dの脅迫状上部の「少時」の抹消(掻き消し)の筆記用具についても同様である。齋藤第2鑑定添付写真23左,齋藤第3・柳田鑑定添付写真4,5を見れば,一目瞭然である。この個所についても自白は客観的状況と齟齬している。
「少時」の筆記用具にかかわる虚偽自白
「少時」が万年筆又は付けペンで書かれたことは,すでに論証したとおりである。このことは単にボールペンとしている自白と矛盾があるというだけではなく,後記のとおり新証拠の明白性にとって決定的に重要な意義を帯びている。
A 「中田江さく」の記載時期にかかわる自白の崩壊
自白では「中田江さく」の氏名は犯行当日被害者を雑木林へ連行する途中,その父の氏名として住所とともに聞き出したことになっているが,前記のとおり封筒の「中田江さく」の文字に認められる滲み痕の存在及び指紋検出が可能であったことにより犯行当日以前に万年筆もしくは付けペン記載されたものであることが確認されている。ここにも後記のとおり「少時」の筆記用具にかかわる虚偽自白と同様の自白との重大な矛盾がある。
B 脅迫状・封筒の指紋不存在にかかわる虚偽自白
自白では時間をかけて予め脅迫文と封筒の宛名を書いておき,脅迫状を封筒に入れ,これを折ってズボンのポッケトへ入れて持ち歩き,犯行当日それらの訂正・抹消を施して,被害者方へ赴き,封筒の端を破いて中を確認の上,これを差し入れたということになっている。そうしてみると,少なからぬ文字からなる脅迫文を運筆中ノート用紙を押さえていた片方の手をしばしば移動させていたことを含め,多種多様の手指による触れ方をしていたのであるから,多数の指紋が付着したはずである。ところが,素手だったという請求人の指紋は一切検出されていない。これも自白との重大な矛盾である。脅迫状・封筒の指紋の検出状況及び齋藤第2鑑定指摘の2種類の手袋痕の存在から,脅迫状を作成・所持等した者が手袋を使用していたことは間違いないものと認められるが,請求人が手袋を使用していたことを窺わせる証拠は全くない。
C 脅迫文中の漢字書写にかかわる虚偽自白
請求人は,脅迫文を作成するにあたり少女雑誌『りぼん』から,ふりがなを頼りに漢字を拾って書いた旨繰り返し供述している(6月24日付員青木調書6,9項,6月25日付検原調書10項,6月29日付員青木調書4項,7月1日付検原調書2,3項,同日付同調書1項,7月2日付検原調書2項,7月8日付検河本調書)。ところが,今般齋藤第3・柳田鑑定は前記のとおり脅迫状・封筒から典型的な草書体「女」2文字と行書体「林」1文字を摘出している。これは従来からも指摘されていた雑誌を見て漢字が書けたという自白と実際の書体との矛盾に重要な一例を加えるものである。新たな実例を含む実際の書体は,上記の自白が虚偽であることを示している。
A 新証拠の明白性
以上のとおり齋藤第1鑑定から齋藤第3・柳田鑑定にいたる一連の新鑑定は,自白の根幹的部分が虚偽であることを明らかにした。しかし,新鑑定が投げかけた問題は,以下述べるとおりこれに尽きるものではない。
第一に,「少時」がボールペンではなく万年筆か付けペンで書かれた事実,「少時」は「改ざん文字」であって,それが書かれる前にインク消しで抹消され文字痕を残した文字が同種の筆記用具で書かれていた事実は,請求人と事件との結びつきを断つものである。請求人の自白のストーリーそのものは虚偽架空であるが,それはそれなりに同人の生活実態を反映している部分がある。自宅には兄六造のボールペン数本があった。万年筆やインク消しはなかった。自白の世界に万年筆が登場するのは,被害者の所持品としてである。だからこそ,確定判決は,自白と離れてでも万年筆奪取の時期を早め(これに伴い奪取場所についても認定を動かし),被害者の所持品を本件脅迫状・封筒の文字の訂正用具として結び付けざるを得なかったのである。
被害者の所持万年筆とは,別のそれ(又は付けペン)がすでに使用されていた事実の発見は,優にそれだけで請求人が事件と無縁であることを意味する。
第二に,「中田江さく」が犯行当日以前に書かれていた事実もまた請求人と事件とを切り離すものである。請求人にとって「中田江さく」は未知の人物であったからである。このことも確定判決の基本的な事実認定のなかに深く組み込まれている。確定判決は本件犯行の動機について,当初は昭和38年3月末ころ起こったいわゆる吉展ちゃん事件の影響から幼児誘拐による身の代金喝取を企図していたが,誘拐の対象を偶然出会った被害者に急に転換したと認定しているのである。したがって,犯行当日以前から封筒に「中田江さく」が書かれていたという事実は,請求人は犯人ではあり得ないことを意味する。
第三に,脅迫状・封筒に請求人の指紋がなく,かつ証拠上同人が手袋を所持・使用したことが認められない以上,請求人は脅迫状・封筒の作成・所持等と無縁,すなわち本件そのものと無関係であることを意味する。
以上のとおり自白以前の物証のレベルで,請求人は事件と結び付かないのである。自白レベルの問題ではないので,かつて確定判決が試みたように,自白のうち物証と不一致の部分のみを虚偽供述として,物証と矛盾しないように認定変えをおこなうことによっては,もはや有罪維持の破れ目を繕うことは不可能である。ましてや第1次再審請求の際赤外線写真によって発見された脅迫状日付訂正の誤りに対して裁判所が対応した「記憶違い」なる繕いも論外である。ことは自白の根幹にかかわるだけではなく,物証そのものが請求人の無罪を指し示しているからである。
以上のことを明らかにした齋藤第1鑑定以下齋藤第3・柳田鑑定にいたる一連の鑑定書は,請求人と事件との結び付きを切断することによって,確定判決の事実認定の基礎を揺るがし,請求人に無罪を言い渡すべき新規明白な証拠である。
原決定は取り消され,再審が開始されるべきである。
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