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第二 脅迫状についての原決定の誤り

    

一 筆跡についての原決定の誤り

     

1 神戸鑑定書の新規明白性と原決定の誤りについて

 原決定が,弁護人提出の神戸鑑定書につき,「確定判決が依拠する3鑑定の結論に影響を及ぼすものではない」として明白性を否定した判断は誤りである。
 原決定は,元京都府警鑑識課文書鑑定主任である鑑定人・神戸光郎による鑑定書が,本件脅迫状と上申書を鑑定資料として,伝統的な筆跡鑑定方法による長年にわたる鑑定経験と専門知識をふまえて,詳細にわたる分析をおこない,両文書を異筆と判断するとした鑑定結果に対して,「神戸鑑定書が両文書の相違点として指摘する諸点が,直ちにその書き手の相違を意味するものとは,必ずしもいい難い」と判示した。その理由とするところは,つぎのような判断である。
 まず,「書字・表記,その筆圧,筆勢,文字の巧拙等は,その書く環境,書き手の立場,心理状態等により多分に影響され得る」とした上で,鑑定資料とされた両文書につき,「本件脅迫状は,書き手自らの自由な意思表示として書かれた身代金の要求文書である」とし,一方,それに対して,「対照資料である警察署長宛上申書は,請求人が自宅で書いたものではあるが,被害者失踪当日の行動につき警察から事情聴取を受けた者の弁明文書であり,しかも,わざわざ自筆の上申書の提出を求められたのは,被害者方へ届けられた本件脅迫状との対比に供する筆跡を得たいがためであることが,請求人にとっても容易に推察できたはず」である環境のもとに書かれたと認定する。
 原決定のいう「書字・表記,その筆圧,筆勢,文字の巧拙等は,その書く環境,書き手の立場,心理状態等により多分に影響され得る」との前提は,一般論として否定するつもりはない。個々の事案によって,「書く環境」を具体的に検討されるべきであるし,後述するように,神戸鑑定人による第2鑑定も,「あまり漢字を知らない者が手本から漢字を拾い出して書いた」という「書く環境」を考慮すべきだとし,そのような脅迫状作成条件を考慮せずになされた3鑑定の適格性に疑問を投げかけているのである。さらに,弁護人提出の半沢鑑定もまた,請求人の筆跡データ(文字一覧)を作成し,それを統計学的に解析することで,本件脅迫状との間に書字条件では説明できない「安定した相異性」があることを指摘し,異筆性を明らかにしている。弁護人こそが,原決定のいう前記前提を考慮した,より客観性をもつ筆跡鑑定によって請求人が本件脅迫状を書いたとすることに合理的疑いを投げかけているのである。
 問題は,この前提につづく,「本件脅迫状は,書き手自らの自由な意思表示として書かれた身代金の要求文書である」とし,一方,それに対して,「対照資料である警察署長宛上申書は,請求人が自宅で書いたものではあるが,被害者失踪当日の行動につき警察から事情聴取を受けた者の弁明文書であり,しかも,わざわざ自筆の上申書の提出を求められたのは,被害者方へ届けられた本件脅迫状との対比に供する筆跡を得たいがためであることが,請求人にとっても容易に推察できたはず」である環境のもとに書かれたものとの原決定の認定である。この点は,原決定は原原決定を誤りを踏襲しているが,脅迫状を「書き手の自由な意志表示」とし,請求人の上申書を「被害者失踪当日の行動につき警察から事情聴取を受けた者の弁明文書」で「自筆の上申書の提出を求められたのは,被害者方へ届けられた本件脅迫状との対比に供する筆跡を得たいがためであることが,容易に推察できた」中で書いたものであるとして,「自由な意志表示」である本件脅迫状と区別している。そして,「このような両文書それぞれの性格,文書作成の経緯,環境,書き手の置かれた心理的立場,状況の違いを考慮すると,神戸鑑定書が両文書の相違点として指摘する諸点が,直ちにその書き手の相違を意味するものとは,必ずしもいい難い」と結論づけている。
 原決定の論法でいけば,自らの筆跡を残し犯行の表明をするという文書の性格,書くときの心理状態からすれば,脅迫状こそ作為性,偽網を疑うべきものであり,「自由な意志表示」と言えるか疑問であろう。原決定,原原決定が脅迫状を「自由な意志表示」と決めつけたのは,神戸第2鑑定などが指摘するような,脅迫状の作為性を無視していることと表裏一体の誤りである。
 さらに,後段の上申書の評価部分は驚くべき予断というほかない。
 すなわち,請求人の上申書を「被害者失踪当日の行動につき警察から事情聴取を受けた者の弁明文書」で「自筆の上申書の提出を求められたのは,被害者方へ届けられた本件脅迫状との対比に供する筆跡を得たいがためであることが,容易に推察できた」中で書いたものであるから「自由な意志表示」ではないとする原決定の判示は,両文書の書き手を同一人との前提にたって,上申書を書いたときは脅迫状とは違った筆跡で書こうとしたと言っているとしか読めない。そのような原決定および原原決定を下した裁判所の請求人に対する予断をもった見方は,「捜査官の目を強く意識しながら,心理的緊張の下で,嫌疑事実に関して記した文書に見られる,書字形態の稚拙さ,交えた漢字の少なさ,配字のおぼつかなさ,筆勢と運筆のカみ,渋滞等を以て,当時の請求人の書字・表記能力の常態をそのまま如実に反映したものと見るのは早計に過ぎ,相当でない」とする判示部分とあわせて見れば明らかであって,とうてい許されない。
 原決定は,上記論旨を弁護側鑑定書にだけ適用し,決して,3鑑定には適用しない。つまり,『3鑑定書は,このような両文書の性格・作成経緯の違いを考慮したのか』『3鑑定書は客観性を持つのか』という問いかけは一切しないし,捜査側3鑑定書に対しては『その類似性として指摘するところも被告人の書字,表記能力の常態をそのまま如実に反映したとみるのは早計であって,脅迫状筆跡と上申書などの筆跡の一部が類似するということだけで直ちに書き手の同一性を導くのは早計にすぎる』とは決して言わないのである。
 両文書の「性格,作成経緯の違い」なるものは,神戸鑑定等で指摘された本件脅迫状と上申書の歴然たる差異を否定できなかった原原決定,原決定が持ち出したダブルスタンダード,詭弁であり,原決定,原原決定の判示は,とうてい公正さを欠き,刑事裁判における筆跡鑑定の評価方法としても誤りである。原決定,原原決定はただちに取消されなければならない。
 原決定は,さらに,本件脅迫状と上申書の「性格,作成経緯の違い」なるものを強調するために,つづけて,「現に,関根・吉田鑑定書,長野鑑定書,高村鑑定書(以下,これらを併せて「3鑑定」という。)及び検察官提出の平成4年12月7日付「再審請求に対する意見書」に参考資料として添付された科学警察研究所警察庁技官高澤則美作成の平成元年1月18日付鑑定書(以下「高澤鑑定書」という。…《中略》…)において,警察署長宛上申書は,筆速度を特に遅くし,文字の形態・構成,筆順等は拙劣であり,筆勢は渋滞し,特に筆圧を強くして書いているため運筆に円滑性を欠き,また線条に震え等が見られるとの指摘がされている。」というのであるが,上申書に見られる「筆勢の渋滞」や「運筆に円滑性を欠く」という特徴は,ことさら筆速度を遅くしたり,筆圧を強くしたためであるというのであろうか。しかしながら,「警察署長宛上申書は,筆速度を特に遅くし,文字の形態・構成,筆順等は拙劣であり,筆勢は渋滞し,特に筆圧を強くして書いているため運筆に円滑性を欠き,また線条に震え等が見られるとの指摘」は原決定のあげる4鑑定のうち長野鑑定の記載を引用したものであって,高村鑑定は上申書を鑑定資料としていないし,関根・吉田鑑定は「終始筆勢が弱く,筆つぎ,線条の震え等の点が随所に見受けられ」るとし,高澤鑑定も「筆跡は全体にぎこちなく,書字速度が遅く渋滞した印象を受ける」としているが,「特に遅く」とか「特に筆圧を強く」などとは指摘していない。原決定は,意図的にか,引用の嘘をまぎれこませている。
 そもそも,原決定は何と比較して「特に遅く」「特に強く」と言うのであろうか。同一文書内である箇所がわざと遅く書かれているというならそういう判断も成り立つであろうが,文書全体が筆者のいつもより,わざと遅く,わざと筆圧を強く書かれているなどということが何を根拠に言えるのであろうか。何の科学性ももたない裁判所の主観的判断であり一方的推測であり,とうてい誰もが納得し得る,公正かつ合理的な推測・論旨とは言えないのである。
 原決定の前記援用は,原決定がひきあいに出した3鑑定(上申書を資料としていない高村鑑定を除いて)もすべて認めざるをえなかった上申書全体に見られる「筆跡のぎこちなさ」「筆勢の弱さ」「線条の震え」「筆跡の渋滞」が,弁護側鑑定人が指摘するように,請求人と本件脅迫状筆者との書字・表記能力の明らかな違いを示すものであることを何とか誤魔化さんがための,もっと言えば,請求人を脅迫状の筆者と認定せんがための,下心あってのものと言うほかない。
 原決定も,請求人の書いた上申書,脅迫状写し,捜査官に対する供述調書作成の際に描いた図面の説明文等に,「書字形態の稚拙さ,交えた漢字の少なさ,配字のおぼつかなさ,筆勢と運筆の力み,渋滞等」があることを認める。確定判決もまた,請求人が「教育程度が低く」「漢字もあまり知らないことが窺える」とこれを認めたが,そのような請求人が漢字を多用した本件脅迫状を書いたとすることに合理的疑いがあるとする弁護側の指摘に対して,請求人の「私は本当に漢字は少ししか書くことができません。私はその手紙を書くために『りぼんちゃん』という漫画の本を見て字を習いました」という供述を引用して,『りぼん』という補助手段をもって説明せんとした。しかしながら,この確定判決の認定は,そもそも,あまり字を知らない者が脅迫状という手段を採るという自白じたいが不自然であること,手本にしたという『りぼん』が請求人宅から発見されていないことなど,つぎつぎと矛盾と疑問が明らかとなったのである。ところが,それを受けた原決定および原原決定は,先に見たように,「書字形態の稚拙さ,交えた漢字の少なさ,配字のおぼつかなさ,筆勢と運筆の力み,渋滞等」を「当時の請求人の漢字・表記能力の常態をそのまま如実に反映したもの」ではないと判示しているのである。
 そして,その根拠として,浦和拘置所へ移監された後の関源三巡査部長に宛てた,1963年9月6日付けの手紙を取り上げ,「関宛の手紙は,警察署長宛上申書及びN宛手紙に比して,個々の配字,筆勢,運筆等の点で暢達であり,また全体的印象でも,明らかに書き手として優っていると認められるところ,請求人が前2者を書いてから関宛の手紙を書くまで僅か2,3箇月程の時日を経たに過ぎないのであるから,この間の練習により書字・表記能力が飛躍的に向上して関宛の手紙の域に到達し得たものとは考え難い」ので,請求人の書いた上申書,脅迫状写し,捜査官に対する供述調書作成の際に描いた図面の説明文等に見られる「書字形態の稚拙さ,交えた漢字の少なさ,配字のおぼつかなさ,筆勢と運筆の力み,渋滞等」は当時の請求人の書字・表記能力の常態ではなく,「捜査官の目を意識しながら」「心理的緊張下で」書いたためであるとしたのである。「関宛の手紙の域」というのがいったい何なのか,客観的に述べることができるのかの疑問はおくとして,脅迫状作成当時も「関宛の手紙の域」にあったと認定しているのである。
 しかしながら,「僅か2,3箇月程の時日を経たに過ぎないのであるから,この間の練習により書字・表記能力が飛躍的に向上して関宛の手紙の域に到達し得たものとは考え難い」という原決定の判示は専門知識にもとづかぬ単なる推測でしかない。そうまでして,確定判決の認定を変更し,一方的な推測まで持ち出さざるをえなかったのは,神戸鑑定等が指摘する本件脅迫状と上申書の明らかな書字・表記能力,字の形態の相違点も,『りぼん』を補助手段としたという自白に信用性がないこともともに認めざるをえなかったためである。明らかに,白鳥・財田川決定のいう新旧証拠の総合的評価によって確定判決のした認定に合理的疑いが生じているのであるから,原審裁判所は再審を開始すべきだったのである。原決定は判例違反として取消されなければならない。
 当時の請求人が、高澤鑑定自身が、一連の関宛手紙(同鑑定書資料H)について、「日付が新しくなるにつれて次第に書き慣れてきている」と指摘しており、筆跡の変化を無視することはできないのであって、一連の手紙の中から類似する筆跡を指摘することは誤りと言うべきである。さらに、原決定が「暢達」「書字として優っている」として取り上げる昭和38年9月6日付けの関宛手紙について、高澤鑑定は、「封筒裏に書かれた「浦和市高砂町三の三六 石川一雄」の部分の筆跡は、表書きや便箋に書かれている筆跡と文字の形態構成が異なっており、石川一雄本人の筆跡か否かについて疑問を感じる」として鑑定対照から除外しているように写真を見ても、誰かに書いてもらったものと明らかに思われる。浦和拘置所担当職員であった森脇聡明の確定判決審公判における証言もあわせてみれば、当時の請求人がだれかに手紙等の手本を書いてもらったりしていたことが考えられ、書字・表記能力の向上を無視することはできないのであり、一連の関宛手紙から類似性を論じることはやはりできないというべきである。
 さらに,原決定は,神戸鑑定を否定せんとして,検察官提出の科学警察研究所警察庁技官高澤則美作成の平成元年1月18日付け鑑定書(以下「高澤鑑定書」)を援用し,「(神戸鑑定は)3鑑定及び高澤鑑定書が本件脅迫状を被告人の筆跡とした根拠として挙げる「な」についての分析が不十分のように思われる。」とする。
 原決定は,「(神戸鑑定が)異筆であることの根拠とする事柄についても,首肯し難い点がある」として,「神戸鑑定書は,第4筆終筆部が長く跳ねているか,止めているか,連続する第3,4筆のなす角度等の相違を重視しているのであって,前記のとおり,警察署長宛上申書は書字速度が遅く渋滞した筆跡であるから,これの点を重視するのは相当でない」と非難する。そして,原決定は,神戸鑑定と対比させて,「高澤鑑定書は,本件脅迫状の「な」に見られる特徴として,@第3筆始筆部が第2筆の下方に位置している,A第3筆と第4筆が一筆で書かれている,Bその部分の写真105,106中Zで示す部分に転折が認められる,C第4筆終筆部は右斜め上方に向かって長く伸びて書かれていることを指摘し,特に,第3筆から第4筆にかけての形態に注目している。」というが,@など明らかに稀少性があるとはいえず,これを重視するのは相当ではない。原決定は,高澤鑑定が,特に,「第3筆と第4筆が一筆で書かれている」形態に注目していると評価するが,その直後には,「運筆の連綿は,その時々の書き手の気分や,筆圧,筆勢などによっても変化し得るもので,書き癖として固定しているとも限らない」として,脅迫状の「な」字の第1筆と第2筆の連続を挙げて上申書との相違性を指摘する神戸鑑定を非難し,「3鑑定の結論に影響を及ぼすものではない」としているのである。
 原決定は何としても弁護側鑑定を非難し,3鑑定を擁護しようというのであろうか。まさに不公平極まりない証拠評価と言わねばならない。
 ここでも原決定はダブルスタンダードによって,弁護側鑑定のみを個別撃破するという誤りを犯している。
 原決定は,高澤鑑定を援用するにあたって,最高裁決定をひいて,検討の対象とすべきであるというが,高澤鑑定に対しては,それが提出された原原審において,弁護人らは,木下2次意見書および筆跡調査報告書を提出し,詳細に批判し,その誤りを明らかにした。しかしながら,原決定は,鑑定人尋問などの事実調べもおこなうことなく,それら弁護人提出の反対鑑定についてはいっさい触れず,高澤鑑定のみを一方的に検討の対象としているのであり,自由心証の範囲を逸脱した許されないものである。
 原決定が積極的に援用してやまない高澤鑑定には信用性を疑うべき問題が存在することを弁護人は指摘した。そもそも,高澤鑑定は,鑑定書中で,前記「な」字の4特徴を本件脅迫状の筆跡の「個性的特徴」とし,「約200字の文章が手書きされた原稿用紙883通」から1通につき1字を選んだ筆跡サンプルを参考資料として稀少性を検討したというものであったが,実際には,高澤鑑定には参考資料は添付されておらず,弁護団の要求によって,東京高検が8ヵ月後に開示した参考資料は高澤鑑定記載のものと食い違っていたのである。弁護人が第2次再審請求審において提出した木下2次意見書は,鑑定書記載と実際のものとが食い違っているような参考資料は適格性がないこと,高澤鑑定人が参考資料883通の筆者を如何なる方法で選んだか,そこから1通につき1字の筆跡サンプルを如何なる方法で選んだかを説明しておらず,無作為抽出という保証もないこと等を指摘し,高澤鑑定に基本的な欠陥があることを明らかにしているのである。
 そもそも,高澤鑑定が「個性的特徴」としてあげる4特徴が上申書などの照合文書のすべてに見られるわけではない。4特徴の1つである前記特徴Bにしても,請求人の筆跡中にそなえていないものがあり,高澤鑑定自身も指摘していないものが存在するのである。
 原決定は,「な」の第1,2筆の連続について,「書き癖」として固定しているとは限らないというが,だとすれば,高澤鑑定が「個性的特徴」としてあげる前記Bも「書き癖」と言えないのである。
 また,弁護人は開示された高澤鑑定の「参考資料」なる筆跡サンプルについて,独自に内容を調査し,その結果を筆跡調査報告書として提出し,原決定が強調した高澤鑑定のいう4特徴をもった「な」字が高澤鑑定の参考資料中にさえ16人の筆跡の中から見出せることを明らかにし,高澤鑑定が883人の筆跡サンプルに『個性的特徴』が見られなかった」という記載そのものが虚偽であることを指摘しているのである。
 原決定が援用した高澤鑑定に信用性がないだけでなく,恣意的であることは明らかである。この点でも,原決定は,公正な審理を尽くしたとは言えず,取り消しを免れないものというべきである。

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