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狭山事件特別抗告申立書補充書 13
第12 死体埋没現場の玉石に対する原決定の誤りについて
1 確定判決における「玉石」
「玉石」は被害者の死体を掘り出すときに、被害者の右側頭部付近で出現した。請求人の玉石についての主張は、死体発見現場付近の土質からみても、またその存在していた個所の具体的態様からみても、玉石が人為的な力の介在なしに存在する筈がないので、この「玉石」は犯人が何らかの意図をもって他の場所から持ち込んだと考える以外になく、またこのように犯人が何らかの意図や目的で持ち込んだとみるほかない「玉石」について請求人の自白において全く述べられていないことは、請求人が現場の穴に死体を遺棄した真犯人でないことを物語る明白な事実である、というのが請求人らの主張する事実である。
請求人が右の主張の根拠としたのは、
(1)「家の場合には家の専用の農道でしたから紙一つ草一本、5月の事件当時にはおそらくなかったはずです。なでるようにきれいにしておくものですから」との農道の手入れの実状からみて「玉石」の存在はあり得ないことを明言した、土地所有者Ai・Sの証言。
(2)「玉石は、事件に関係あるかないかはわかりませんが、その付近にないものだから、その付近にめずらしいものがあったから特異なものがあったから、これは記録にとどめたほうがいいんじゃないかと、これは私の自主的な考えです。」との捜査官大野喜平の証言。
(3)「風積性火山灰の成層の中に、玉石の語であらわされるような、しかも寸法と重量から考えても密度が3に近いと推定されるような石が自然の生成過程のなかで混入することはあり得ない」との東大教授八幡敏雄作成の鑑定書の記載。
(4)被害者の右側頭部に接してすぐ上に「玉石」が存在し、その「玉石」の上に荒縄が置かれており、これは被害者が穴に埋められるに際して、顔の下にビニ−ル片が敷かれ顔面が直接土に接触しないよう用意されたのち、うつ伏に横たえられ、その頭上に「玉石」が置かれ、更にその上に荒縄がのせられたのち、土がかけられたとみるほかない状況を如実に写した、大野喜平作成の実況見分調査添付現場写真9号、11号等であった。
しかし確定判決は、これらの動かせない証拠に基づく弁護人の「玉石」についての主張を何ら証拠に対する判断を示すことなく、いとも簡単に、
「これ(玉石)は、土木建築の基礎工事に使われる程度の何の変哲もないやや丸味のある児童の頭位の大きさで、重量約4・65瓩(キログラム)のものであるが、土が付着している状態を観察してみても、また、所論指摘の関係証拠によってみても、この石塊が以前から土中にあったものか、それとも茶株の根元辺りにあったものが、死体を埋めるために農道を堀り起こして埋めもどす際転がり込んだものか、何とも判然しない」
と認定してこれを斥けたのである。
しかしながら、判決のいうように石それ自体が外見上、何の変哲もないものであろうとなかろうと、問題は、それが現実に発見された場所及びその存在の具体的態様において自然のままでは到底存在するはずのない場所で、しかも極めて不自然かつ特殊な位置関係で存在したものであれば、これはどうしても犯人が何らかの意図をもって人為的に持ち込んだものと理解するほかないのではないかという点にあり、判決の言う「茶株の根元辺りから転がり込んだ」のかも知れないという推測は、全く請求人のあげた前記各証拠に反する独断であり、判決が「玉石」の持つ重要な問題性に対する何らの解答になっていないことは、右の判示自体から明らかである。
この「玉石」を犯人が何故持ち込んだものかについては、民俗学の観点から東京大学教授和歌森太郎、京都大学教授上田正昭氏らが作成された「玉石、棍棒について」と題する鑑定書の中で、この地方の墓制の拝み石になぞらえたものではないかという解釈を示されている。確定判決はこれに対し、「なにしろ埋没した場所は人が踏み付けて通る農道であるだけに到底賛同することができない。」と述べ、これを斥けた。
しかし、「玉石」の問題は地質学的にも、農地や農道管理の実態からみても、存在する筈のないものが、しかも土を埋め戻す際偶然に転がり込んだものとは到底考えられない位置態様で発見されたという事実そのものが犯人がどうしてそれを持ち込んだのか、その目的意図について何らかの解釈をわれわれに迫っているものである。確定判決のように、証拠も科学も無視した、現実とは全くかけ離れた憶測の上に立って、「玉石」があたかもその辺に自然にごろごろ存在しているかのように述べた上で、これが偶然穴の中に転がり込んだものかもしれないと根拠のない推測をするだけで、弁護人の主張にまともに応答しないという態度は断じて許されるべきではない。2 上告審における請求人の主張とこれに対する判断
弁護人は上告審において、右に述べた確定判決の誤りを指摘し、2審における主張を敷衍して再び詳細に展開した。そしてそれに加えて、地質学者生越忠和光大学教授に、専門家的観点から、「玉石」(狭山警察署昭和38年領第740号符号22のもの)は、死体埋没場所付近の地方の黒ボク土あるいは、関東ローム層中に自然状態で存在しうるか、について鑑定を依頼し、その結果得られた同人作成の鑑定書によって、専門的見地からも2審以来の「玉石」は真犯人が何らかの意図で持ち込んだものであるとの弁護人の主張が誤りないものであることが明らかになったので、右鑑定書の記載を上告趣意書に援用した。
生越鑑定人の「玉石」についての鑑定結果は、
「いわゆる玉石は、死体埋没場所およびその付近の土壌・地層中には自然状 態では絶対に存在しえないものである。」
と明確に結論している。
前記八幡鑑定書の鑑定理由が、死体埋没現場付近一帯の地質である風積火山灰の成層の形成原因の考察からのものであるうえに、生越鑑定人の鑑定理由はさらに現場での具体的観察をも踏まえたものであるだけに、その正しさは疑いなきものである。
すなわち、
「既述のように、この地域一帯の表面を広くおおうものは、関東ローム層の表層が腐植化して黒褐色に変色した黒ボク土であるが、死体埋没場所の地層は、この黒ボク土であり、腐植化されていない関東ローム層は、黒ボク土の下方に漸移関係をもって存在する。
ところで、本鑑定の参考資料(司法警察員大野喜平作成の実況見分調書)によると、いわゆる玉石は、埋没されていた死体の右側頭上部におかれていたもので、20センチメ−トル×13センチメートル×13センチメ−トルの大きさを有し、重量は4・65キログラムと計算されている。
しかし黒ボク土は、風積火山灰からなる関東ローム層の腐植化したもので、大部分が乾陸上の堆積層の様相を呈し、したがって、狭い地域内では、一般にきわめて均質で、肉眼的には性状の差異を認知できないことが多い。そして、この地域一帯に広く分布する黒ボク土のなかには、風力で運搬されたと考えられる小礫などがところどころに散含されていることがあるが、そのほかの夾雑物は、ほとんど存在していない。いわんや、強い水流によって運搬されなければ混入しえないような、現河床に存在している礫塊のたぐいのものは、まったくふくまれていない。ゆえに、問題の玉石のような大きさの礫塊が、均質な黒ボク土のなかに孤立して存在することは、少なくとも自然状態では絶対にありえない。
もし、このような礫塊が、地質学的な営力によって、問題の位置に自然におかれていたのであるとすれば、このような礫塊を運搬した水流の作用が存在していたことが、その礫塊をふくむ地層の性状のなかに刻み込まれていたはずである。すなわち、礫塊がたった一つだけ水流の作用によって運搬されることはありえないから、問題の礫塊のほかにも、複数の大小の礫塊が存在するとか、あるいは、問題の礫塊の周囲の地層は、他の部位の地層に比べて著しく粗粒であるとかいったことがあってしかるべきである。
しかし、前記参考資料および「当鑑定人がおこなった実験」の結果などをみても、そのようなことは、まったく観察されていない。
ゆえにいわゆる玉石は、この地域一帯に広く分布する黒ボク土のなかはもとより、黒ボク土化していない関東ローム層のなかにも、自然状態では絶対に存在しえないものである。
なお、黒ボク土と関東ローム層とは、元来別個のものではなく、前者は後者の表層部にすぎないものであるから、いわゆる玉石が関東ローム層中に存在することはありえないが、黒ボク土中に存在することはありうるという立論は、地質学的に成立しえない。」
というのであった。
上告審はこのように請求人の無実を証明する極めて重要な意義を持つ生越鑑定書の証拠調べをしないまま上告棄却の決定をした。しかも上告審は「玉石」に関する弁護人の主張を二審のように独立の項目として取り上げて判断を示さず、他のいくつかの弁護人の主張と共に「証拠上なお細部にわたっては解明されない事実」として一括し、それに対する曖昧かつ弁解的な判示をしただけであった。
しかし、「玉石」は断じて「細部にわたっては解明されない事実」ではない。また請求人は捜査段階においても「玉石」については、何一つ具体的説明をなし得ていないのであり、請求人が真犯人でないことを示す明白な証拠なのである。捜査官でさえ死体埋没現場付近では自然のままには存在しない特異な物証であると考え、真犯人のみがその意味を説明し得ると考えた。「玉石」を「細部」と考える者達に、刑事裁判における事実認定を委ねることは許されない。そして、「玉石」に関する請求人の主張を斥けることができないとなると、これに対する個別的判断を示さずこのような形で闇討ちに葬り去ることの不当さは言うまでもない。3 原決定の悪質な「玉石」認定の欺瞞性
すでに述べたように、死体埋没穴付近の農道に本件の「玉石」は自然に存在する筈がないことは、あらゆる証拠からみて動かすことができない結論である。
原決定はまず、「本件死体埋没現場は、造成された農道であり」という判示を出発点として論旨を展開するのであるが、「造成」という言葉は、あたかも他の場所から造成用の材料(土石など)が運び込まれたような印象を与えようとする努力の一環であると考えられる。こうした判示の裁判所の意図は、もともとこの辺りには「玉石」などは存在する余地はないが、他の場所から造成用の資材が搬入されたものとすれば、「玉石」がその中に含まれていた可能性も排除できないことを言いたいためのものと思われる。
しかし、ローム層土壌はもともと平坦な地形である場合が通常であり、これを平らにして、人や農具等の運搬用の車が通り易くするために農道をつくる作業は土質が柔らかいため、手作業によって容易に可能であり、他所からの資材の搬入を必要としない。このことは常識であり、現場に立ちさえすれば誰でも容易に観察・認識ができることなのである。
「玉石が何らかの原因で、事件以前から同所付近に存在し」などという判示は、全く証拠によらない裁判所の捏造でしかない。「何らかの原因」という不確定な言葉ではなく、本来的にそこに存在する筈のない「玉石」が存在した理由を特定して、証拠を掲げて示すべきである。
裁判所はまた、「玉石」が存在していた理由として、「付近には人家も点在しているのであるから」という記述を付け加えている。「この民家付近にあった石が現場で発見された」と言いたいかのようである。
しかし、これまた無謀な立論である。民家は死体埋没穴から近いものでも約200メ−トルと距離がある。仮に発見された石が民家付近にあったとしても誰かがなんらかの目的を以て、何の変哲もない4・6キロの石を現場に持ち込んだのでなければ、石の移動はあり得ない。それとも裁判所は石がのこのことひとり歩きして現場に行ったとでも言いたいのであろうか。誰が何の目的を以てという理由の説明が重要である。
「犯人が死体を埋没するため、土を堀削し、覆土した過程で、たまたま死体の側に存在するに至った可能性は否定し難い」と判示は論を進めるが、繰り返すまでもなく、何故に玉石がその付近にあったかがもっとも重要な問題点なのであり、それをすっ飛ばしての判断は何の意味もないのである。
「玉石」は、またその位置するところも重要である。
請求人の自供は、「死体は穴に転がし入れた。しかるのち荒縄をその上に抛り入れた」ということであった。しかし現実はこれとは全く異なる。
荒縄は抛り入れた状況とは大いに異なり、死体の上にできるだけ均等に配置され、あたかも、埋没用の土が直接死体にかかるのをできるだけ防ごうとしているようである。また、「玉石」にしても死体の右側頭部にかかった縄の上に存在し、玉石の上にまた荒縄の一部がかかっている。無作為の埋没作業ではこのように「玉石」があることはあり得ない。また、そのうえ、死体の顔が地面に接する場所には、ビニ−ル片が敷かれている。荒縄の分配状況と同様に、顔に対しても地面に直接接触することを防止する工夫がされている。果たして請求人が犯人であったとしたら、ここまでの手間をかける必要と理由があっただろうか。死体についてできるだけの配慮を加えたいという思いがうかがわれ、真実の犯人像に対する想像力がかき立たされる。念の為に死体の置かれた状況や玉石、荒縄等の位置関係を、記録をもとにつぎのとおり図示しておく。
「玉石」はその存在自体の人為性のほかに、右のような死体の具体的な在り方を併せて考えると、益々請求人が犯人でないことを明白に示しているのである。原決定の判示は、確定判決に影響を及ぼす具体的事実に対する判断を誤ったものと断言できる。
貴裁判所が、請求人が述べたように現場状況の写真等を詳細に観察されたうえ、原決定の誤りを是正されるよう強く求める次第である。
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