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狭山事件特別抗告申立書補充書 3
第2 封筒の宛名の筆記用具にかかわる判断の誤り
1 齋藤保鑑定書(1次)に対する原決定の誤り
原決定が齋藤保鑑定書(1次、以下齋藤1次鑑定またはたんに1次鑑定という。)の中心論点である「封筒の宛名の筆記用具」についての鑑定結果を退けるにあたってその理由としているところは、再審請求棄却決定(原々決定)が理由として述べていることをそのままなぞっているにすぎない。
ここでの問題点は、あたかも齋藤保鑑定書(2次、以下齋藤2次鑑定またはたんに2次鑑定という。)が争点についてさらに掘り下げた論述などしていないかのように扱っていることである。すなわち、
齋藤1次鑑定 → 原々決定 → 齋藤2次鑑定 → と経過してきた争点についての論議の動きのなかでの判断でなければならないところ、原決定は齋藤1次鑑定を評するに原々決定の文言をたんに反復するにとどまっている。実際齋藤鑑定人は、原々決定後はじめて裁判所において保管中の封筒現物を観察し、実験を行い、その写真を添付し、鑑識担当者の問題意識欠落にまで踏み込む論述を加えるなど委曲を尽くした真摯な反論書(2次鑑定)を作成提出しているのである。原決定は、2次鑑定が原々決定の判示を契機として1次鑑定の発展として作成された点を無視する。かくて原決定は齋藤1次鑑定から同2次鑑定への発展的連鎖を断ち、個別的に評価し、極めて安易にそれらの証拠価値を否定するという誤りに陥っている。
以下原決定の個別的判断理由(具体的争点)について検討する。(1)指紋捜査報告書をめぐって
原決定は、本件封筒表側の「少時様」の文字について、埼玉県警察本部刑事部鑑識課員斉藤義見ほか作成の昭和38年5月13日付捜査報告書を援用して以下のとおり判示している。すなわち、同報告書は、
「ニンヒドリンのアセトン溶液による指紋の検査を行ったところ、表面上部中央に書かれた『少時様』様の文字が、液体法と還元法(過酸化水素水による還元)等により消滅した。」と述べているのであり、齋藤鑑定書が、「記載文字の溶解を認める記述はない。」とするのは当たらない。
原決定の上記引用部分は、上記争点に関する原々決定の判示をそのままなぞっている。原決定には齋藤2次鑑定の反論(上記捜査報告書の作成者らには「溶解」についての問題意識がなかったとの重要な指摘を含む)にはまったく触れるところがない。
「消滅」と「溶解」との異同
原決定は、記載文字の「消滅」と「溶解」とを同義に解しているものと思われる。上記捜査報告書が「消滅」と記載しているのは、文字が判読可能か否かという視点からである。他方「溶解」の方は、インクの流れ具合という化学現象に着目しているのである。原決定は、両者の異同についての問題意識がなく、その相違を看過し、双方を混同するという誤りを犯している。
齋藤1次鑑定は、上記捜査報告書の薬品検査・封筒の項には「記載文字の溶解を認める記述はない」と正しく指摘し、重要な現象である「様」の文字の溶解について、その記述を欠落させている同報告書の欠陥に触れているのである。なお、齊藤鑑定人の上記指摘にかかわる封筒の「記載文字」には「中田江さく」の文字も含まれる。
齋藤鑑定人によってなされた「様」文字溶解の指摘は、その筆記用具をボ−ルペンと判定するうえでの決定的に重要な指摘である。しかも、これには本件脅迫状におけるインクの流れ具合(溶解)を基準にしてなされたという客観性が担保されているのである。脅迫状について同じニンヒドリンのアセトン溶液による指紋検査がなされているのであり、上記捜査報告書も「アセトン溶剤により記載文字のインクが溶解し、拡散した」と記述している。(2)「中田江さく」の文字と「少時様」の文字との鮮明度の相違
原決定は、以下のとおり判示している。すなわち、
同(埼玉)県警本部刑事部鑑識課塚本昌三作成の昭和38年9月27日付け写真撮影報告書添付の写真により認められる、指紋検出のための試薬処理以前の封筒の状態と対照しながら、本件脅迫状の封筒の現物を具に観察すると、その表側の「中田江さく」の文字は、褪色はあるものの、「く」の文字を除いては、はっきり読み取れるのに対し、「少時」の文字は、完全に消滅していて、肉眼で読み取りは不可能であり、「様」の文字も溶解し、ぼやけて、ほとんど読み取り不可能な状態にあることが認められる。
ここで原決定は、読み取り可能か(「中田江さ(く)」)、否か(「少時」「様」)で振り分けている。前者の筆記用具は万年筆等であり、後者のそれはボ−ルペンということになる。
しかしながら、上記諸文字のなかでは、インクが流れている「様」一字のみが特異であって、脅迫状の溶解と同質である。「中田江さ(く)」と「少時」との差異は、筆記用具の差異に基づくものではない。「少時」が消滅したのは,齋藤2次鑑定が明らかにしているとおり「少時」がいわゆる改竄文字であり、改竄前に存したいわゆる抹消文字がインク消しにより抹消されたこと等から影響を被った結果である。
「少時」の文字と「様」の文字とでは消滅した理由がまったく異なるのである。
ここでも原決定の判示は、齋藤2次鑑定等を無視し、たんに原々決定をなぞっているに過ぎない。(3)「少時様」3文字の写真観察から筆記用具を別異とするのは「不自然」
原決定は、以下のとおり判示している。すなわち、
同(塚本昌三作成の昭和38年9月27日付)写真撮影報告書添付の写真で「少時様」の3文字を観察すると、「少時」と「様」の文字がそれぞれ別異の筆記用具を用いて書かれたとするのは、いかにも不自然である。
しかしながら、「少時様」の3文字を観察すると、個々の筆の太さなどが異なり、「少時」と「様」の文字がそれぞれ別異の筆記用具を用いて書かれたものとみるのが自然である。(4)「少時」の文字と「様」の文字とのアセトン溶液のかかり具合の相違
原決定は、以下のとおり判示している。すなわち、
「少時」の文字は、「様」の文字と同様、ボ−ルペンで書かれたと見られるのであり、ニンヒドリンのアセトン溶液のかかり具合によって、「少時」の文字については、溶解が進み色素が流れてしまい(ボ−ルペンのインク様の青い色素が、極薄く、不定形に広がり、用紙の繊維に付着しているのが見て取れる。)、ほとんど完全に消滅して読み取り不可能となり、他方、「様」の文字も溶解したが、色素が流れて拡散してしまうに至らなかったということができる。
しかしながら、「少時」の文字に対する場合と、「様」の文字に対する場合とで「ニンヒドリンのアセトン溶液のかかり具合」が異なることは指紋検査の実務上あり得ないことである。このことは、原々決定の判示を受けて、齋藤鑑定人が第2鑑定において、アセトン溶液法による指紋検査の実験写真を添えて明らかにしていたところである。すなわち、被検体全体を、短時間ながら、一旦溶液に浸すのであるから、「少時」の文字と「様」の文字との間にかかり具合の相違が生じる余地は存しない。このことは子どもにも判る自明の理である。にもかかわらず、原決定が齋藤第2鑑定の関連部分に一言も触れることなく、原々決定の判示を文字どおり反復したことは、極限に至るまでの非科学性を露呈したものと言わなければならない。
原決定は、「少時」の文字と「様」の文字の溶解状況の相違を説明するに際して、齋藤第2鑑定が壊滅的批判を加えている「アセトン溶液のかかり具合」の相違とは別の理由−何人をも納得させるに足る合理的理由を見出すことができなかったのであろう。この最重要な論点(原決定のいう「核心的判定部分」)について、実質的に崩壊している原々決定の説明をそのまま踏襲している。
前記のとおり原決定は、原々決定に反論する齋藤第2鑑定があたかも提出されていなかったかのように齋藤第1鑑定の争点すべてにわたって原々決定をなぞり、敢えて原々決定と異なる理由付けをすることを避けている。その理由は、ほかならない核心的判定部分について原々決定を踏襲するほかなかったからと考えられる。2 齋藤保鑑定書(2次)に対する原決定の誤り
(1)「少時様」の文字の筆記用具の相異について
原決定は、「少時」と「様」の文字がそれぞれ別異の筆記用具を用いて書かれたか否かという争点については、以下のとおり結論を述べるのみで、その理由としては齋藤1次鑑定について述べるところを援用するのみである。
封筒上の「少時」の文字が、「中田江さく」の文字と同様に、万年筆様のもので書かれ、他方、「様」の文字は、ボールペンで書かれているとの齋藤第2鑑定書の核心的判定部分が採用できないことは既に述べたとおりであるここにおいて、齋藤第2鑑定を知らなかった原々決定の判示をそのまま繰返している原決定は、いうところの「齋藤第2鑑定の核心的判定部分」についての具体的判断を最後まで回避したことになる(これは闘わずしてすでに敗れたに似ているのではなかろうか)。上記に引用の判示はこのことを確認しているのである。
(2)第1鑑定における指摘の欠落
原決定は、@封筒表面の手袋痕、A「20日」、B抹消用具(インク消し)、C脅迫状の手袋痕、D「中田江さく」の書かれた時期についての齋藤第2鑑定の各指摘について、以下のとおり判示している。すなわち、
齋藤第1鑑定書においては全く触れていないものがあるにもかかわらず、第2鑑定書で初めて発見されたという根拠が薄弱である
しかしながら、上記判示は、以下述べるとおり理由のないものである。
@ 封筒表面の手袋痕については、第1鑑定は3ヶ所の「手袋痕と思料される布目痕の一部が認められる」と指摘している。経験則上「軍手様の手袋痕」と判断し、実験を行なってこれを確認している(第4 資料所見と考察7)。
A 滑り止め用の軍手の方は、証明が困難だったことと写真のポジからの判断だったため、言及を控えていたものである。
B 「20日」については、たんに見落としていたに過ぎない。封筒表面におけるその存在については疑う余地はないし、そのインクが万年筆用のものであることは、インクが溶解していないところから、首肯し得るところである。
C 抹消用具(インク消し)の点についても、これと表裏の関係にある「少時」の改竄文字の背景に抹消文字が存することを示唆している。第1鑑定は「また、参考として、封筒表側に『少時』と書かれている背景をみると、文字の改ざんらしきものの痕跡とも見受けられるので、念のため他の機関にて赤外線による確認が考慮される」と述べており、のちの齊藤第2鑑定、齊藤第3・柳田鑑定への発展の端緒となっている。
D 脅迫状表面の手袋痕も、第1鑑定において触れている(第4 資料所見と考察7)。
E 「中田江さく」の書かれた時期
前提となる「中田江さく」の文字に認められる滲み痕については、写真のポジからは、不能であった。検査前の写真と現物との対比によって、可能となったのである。なお、齋藤第1鑑定については、鑑定期間(1ヶ月半),依頼された鑑定事項の内容(指紋の不存在,その他参考事項)から自ずと制約があったことが考慮されるべきであろう。一般に認識ないし真実の解明は、当初の出発点や経過点において獲得しえていた認識の地平に対する外からの批判・反論や自発的内省を糧としつつ、漸進的に進むものであろう。原決定のように当初指摘していなかったということに、ことさら力点を置き、十把一絡げに切って捨て、具体的論点を検討しようとしないのは、認識の漸進的獲得という経験則を無視するに等しいと言わなければならない。
(3)封筒の手袋痕
原決定は、封筒の手袋痕について、以下のとおり判示している。すなわち、
そこまで判定可能かすこぶる疑問である。第1鑑定書においてツブツブ痕について詳細まで言及しなかったのは、提出されたのがポジのみであったため濃淡に限界があったと説明しているが、十分な理由となっていないように思われる。
しかしながら、齋藤鑑定人は経験を重ねた鑑識実務家として、慎重に実験まで施行して判定しているのである。原決定のように、「すこぶる疑問」としながら、疑問を解消するべく必要な相鑑定を徴することもなく、疑問とする理由を述べることもなく、たんなる印象批評で、豊富な実務経験に支えられた鑑定の証拠価値を一蹴することは裁判所に課されている真実の解明を怠るものであって、到底許されるべきことではない。
ツブツブ痕については、第1鑑定作成時には所与の資料に限界があったのである。(4)脅迫状の手袋痕
原決定は、脅迫状の手袋痕について、塚本昌三撮影の写真を具に見てもそのように判定されるか判然としないと判示している。
しかしながら、前項と同じくここでも相鑑定を求めるでもなく、判然としない理由を述べるでもなく、疑問を解消することを怠っている。脅迫状に請求人の指紋が発見されていないのであるから、脅迫状及び封筒における手袋痕の存否は、重要な問題として浮上してきており、専門家の鑑定がさらに求められるべきである。
(5)「中田江さく」の書かれた時期
原決定は、「中田江さく」の書かれた時期について、「その結論のみならず、そこに至る事実認識においても、独断に過ぎ、十分な論証に欠ける嫌いがあるといわざるを得ない。」と判示している。
しかしながら、原決定は水濡れの現象(にじみ)の存否についての自らの事実認識を示さず、上記現象を事実上無視しているのであるが、齋藤鑑定人の指摘は、第1の事実問題である「中田江さく」の文字に滲みが認められるか否かについては、脅迫状の「さのヤ」の「ヤ」とは異なって、インク自体のにじみではないという客観的な根拠に基づいているのである。独断に過ぎ、十分な論証に欠ける嫌いがあるのはむしろ原決定の方だと言わなければならない。
第2に、齋藤鑑定人がその原因として述べている推論は科学的に十分成り立つのみならず、念のため実験によって、確かめられてもいるのである。
第3には、問題の滲みの生成時期であるが、これは化学的に確定され得る論点である。すなわち、アミノ酸には瞬時に水に溶けるという化学的性質がある(鑑定人はここでも実験を施行している)。ここから、検体が水に濡れれば、その瞬間にアミノ酸は溶けて指紋は検出不能となる。本件封筒から指紋が検出されたということは、事件発生から指紋検出までの間に封筒は一度も濡れなかったということである。この事実から当然のこととして、問題の滲みの形成時期は、事件発生よりも前ということになる。しかも封筒自体の古さからいって、「中田江さく」の文字が書かれ、次いで滲みが生じた時期は、事件発生より相当以前であると推認される。封筒の古さということについては、封筒自体やその写真の観察から一見して明らかである。とくにセロハンテ−プは老化し黒ずんでおり(事件当時の写真)、「少時」の背景に多数の筆圧痕があって文字が抹消されたり改竄されたりしていることもある。
請求人の自白では事件当日被害者から父の氏名として「中田江さく」を聞き出し、殺害後宛名を「少時」から「中田江さく」へと被害者から奪取した万年筆で書き替えたことになっている。ところが、上記のとおり客観的証拠によって導かれるところに従えば、「中田江さく」が書かれた時期は事件発生以前である。これは勿論自白と鋭く矛盾するが、そもそも請求人は「中田江さく」を知らなかったし、これを書くのに使用した筆記用具(万年筆またはペン)とも無縁であった。請求人が犯人ではあり得ないことを証することとなる「滲み」の指摘もまた齋藤第2鑑定の「核心的判定部分」である。
事件発生よりも前に滲みが形成されたという決定的に重要な事実(請求人と犯人との結びつきを切断する事実)が科学的に導き出されている。これを無視することは、科学を否定するものと言わなければならない。(6)小括
原決定は、「要するに、齋藤第2鑑定書の指摘は、一つの推測の域を出ないものというほかはなく、所論のように新規明白性を備えた証拠ということはできない。」と結論している。
しかしながら、原決定が真の意味で(つまり内容的に)齋藤第2鑑定を否定し得たとは到底言えないことは、上述してきたところからすでに明らかであるが、さらに悪いことには原決定は齋藤第2鑑定の他のいくつかの「核心的判定部分」について全く沈黙したままである。すなわち、
第1に、封筒表の「時」の字の背景に認められる二条線痕の存在について原決定は一切言及していない。特別抗告申立書においてすでに詳述しているところであるが、上記線痕の重要性は、その筆記用具がボ−ルペンではなく、穂先が二条に割れる万年筆またはペンであること、外ならぬ「少時」の文字が上記二条線痕と同一の色調を呈していること、これを含めて万年筆またはペンが「少時」の書かれる前に多用されていたことに存する。
原決定は、「少時」が万年筆またはペンで書かれたことを証する重要な事実に沈黙している。
第2に、改竄文字の存在については、「齋藤第1鑑定書においては全く触れていないものがあるにもかかわらず、第2鑑定書で初めて発見されたという根拠が薄弱である」としか述べていない原決定は結局のところ何も触れなかったことに帰する。前記のとおり第1鑑定の時から指摘されていたからである。封筒表における「少時」なる改竄文字の存在、その前提となる二条線痕を含む抹消文字の存在およびインク消しの使用は、同質のインクで書かれながら、「少時」の文字は消滅し、「中田江さく」の文字は残存したことを合理的に説明する重要な一連の事象である。原決定は、このことに一切触れず、無視している。
第3に、以上の帰結として、原決定は「少時」の文字と「中田江さく」の文字の相違についての齋藤第2鑑定の解明に対して全く沈黙している。
以上の次第で、原決定は判断を示した範囲においては、皮相な印象批評の域を出ていないのみか、核心部分については判断を回避している。新規明白な証拠としての齊藤第1、2鑑定の意義はいささかも失われていない。3 小畠邦規意見書に対する原決定の誤り
原決定は、以下のとおり判示している。
齋藤鑑定書について指摘したと同様に、その結論のみならず、その前提をなす事実の認識判断が、独断に過ぎ、にわかに賛同することはできず、それは一つの推測の域を出ないものというほかはない
しかしながら、齊藤第1、2鑑定に対する原決定の「指摘」なるものの実態は上記のとおりである。原決定は、齊藤鑑定のうちの化学的知見に基づく方法や論述に対して、実効的な批判は何一つ行なっていない。他方小畠意見書の方は、有機化学の専門家の立場から齊藤鑑定を検証したものである。とくにこれに対し原決定が齊藤鑑定に対するのと同じ言辞で結論的に否定するのは科学的な方法に背を向けるものといわなければならない。
小畠意見書が当時のボールペンインクは色素で着色した高粘度の油脂が主成分でアセトンに溶出しやすいこと、インク消しで抹消された文字の存在を認めていること、「中田江さく」の文字に滲み・かすれを認めていることなど重要な点で齊藤鑑定を支持している。4 齋藤第3・柳田鑑定書に対する原決定の誤り
原決定は、以下のとおり判示している。
本件脅迫状及び封筒の実物や同鑑定書添付の写真を具に見ても、上記の鑑定結果を導き出せるか多大の疑問がある上、本件封筒上の「少時」の文字が、「中田江さく」の文字と同様に、万年筆様のもので書かれ、他方、「様」の文字は、ボールペンで書かれているとの齋藤第2鑑定書の核心的判定部分が採用できないことは既に述べたとおりであるから、齋藤第3・柳田鑑定書の判断は、独断に過ぎるというべきであり、にわかに賛同することはできない
しかしながら、原決定は新しい方法論に基づいて作成された齋藤第3・柳田鑑定書に対して、単に「本件脅迫状及び封筒の実物や同鑑定書添付の写真」による観察結果をもって疑問視することは不当である。多方向からの写真撮影やコンピューター処理というより精度の高い方法によって、単なる現物・写真の観察からは得られない結果を導くことに成功しているのである。
齋藤第3・柳田鑑定書の鑑定結果の重要性は以下の点にある。すなわち、あらたに抹消文字のいくつかを判読したことによって、「少時」が改竄文字であることを決定的に補強した点にある。これによって、「少時」の文字の消滅がインク消し溶液の影響によるという齊藤鑑定人の指摘の正しさが証明されたこととなる。
齊藤第1鑑定から齋藤第3・柳田鑑定書にいたる一連の鑑定は、「様」の文字がボールペンで書かれたのとは異なり、「少時」の文字は、「中田江さく」の文字と同じく万年筆またはつけペンによって書かれたものであることを証明した。この事実は請求人が犯人ではありえないことを確証するものである。
上記一連の鑑定は確定判決の事実認定の基礎を揺るがす新規明白な証拠であり、ただちに再審が開始されるべきである。
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