部落解放同盟東京都連合会

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狭山事件特別抗告申立書補充書 2

                 

第1 脅迫状についての原決定の誤り

1 請求人の脅迫状との無縁性

 確定判決ならびにそれ以後の各判決は、すべて請求人が本事件の加害者本人であるとする論拠の冒頭に、本件脅迫状は請求人が作成したものであるとする事実を掲げてきた。しかしこれまで請求人において繰り返し論述し、またこれを裏づける資料を提出してきたことから明らかであるように、請求人が本件脅迫状を作成した事実は全く存在せず、請求人はこの一点においてだけで完全に無実であり、請求人に対しては無罪の判決が言い渡されるべきであった。よってここに脅迫状にかかる論点を再度要約する。

(1)3鑑定の有罪根拠としての欠陥

 まずここで請求人を有罪とし、もしくは再審請求を棄却するなどしてきた裁判所の判断の代表的なものとして、確定判決と最高裁第2小法廷による特別抗告棄却決定をあげ、その脅迫状にかかる有罪判断がいかなるものかを指摘してみる。

  @ 確定判決の有罪根拠

 関根・吉田、長野、高村の3鑑定はいずれも本件脅迫状の筆跡が請求人の筆跡であるとしている。
 3鑑定を批判する請求人側鑑定人の見解は、不確定な要素を前提として自己の感想ないし意見を記述した点が多くみられ、3鑑定を批判しうる専門的所見とは認められない。請求人は教育程度が低いが、『りぼんちゃん』という漫画の本を見て、当時知らない漢字を振り仮名を頼りに拾い出し、練習して脅迫状を作成したものである。請求人の当時の表記能力、文章構成能力をもってしても、『りぼん』その他の補助手段を借りれば、ごくありふれた構文である本件脅迫状の作成が困難とは認められない。

  A 特別抗告棄却決定の有罪根拠

 被検文書1通の書字・表記のみから、作成者が高度の書字・表記能力を有しているとしたり、対照文書の書字・表記のみから、請求人が小学校1年程度の書字・表記能力しか持たないとしたりすることは、一つの推測の域を出ないばかりでなく、同一人が作成する場合でも参考書物、練習・清書の有無、作成した際の心理状態等により、書字・表記の正誤・巧拙の程度も異なることもありうるのであり、結局、作成者の書字・表記能力の程度・水準という、右資料からだけでは厳密には確定し得ない事項を基本の尺度として判定しているのであって、鑑定としての正確性には限界がある。

 まず理解できることは、有罪判断の基本には、請求人が逮捕された直後の時期に埼玉県警本部刑事部の技師関根政一、吉田一雄、ならびに科学警察研究所技官長野勝弘によってなされた筆跡鑑定と、逮捕より約3年後に東京高裁裁判長によって命じられて作成した高村巖の鑑定、すなわち3鑑定が何れも、本件脅迫状の筆跡が請求人の筆跡と同一であるとの鑑定結果となっていることが裁判所による有罪判断の基本的前提であることを指摘せねばならない。
 裁判所による有罪判断の基本的前提となった3鑑定の結論の一致はともかく、3鑑定自体が脅迫状の筆跡と請求人の筆跡が同一であるとの結論を導く上において、方法論的な誤りをおかしていないことが必要であるので、この点をまず検討してみよう。
 関根・吉田鑑定と長野鑑定の対照資料は、警察官が請求人を逮捕する2日前に請求人の自宅において、5月1日のことについて書かせた上申書と、4〜5年前の請求人が東鳩東京製菓保谷工場に勤務していた当時の4枚の早退届であるが、このうち上申書はともかく、早退届は恐らく100通以上提出していた中から4通を選び出し、これを対照資料としたものであり、請求人の筆跡調査の方法として極めて恣意的である。また請求人はこの当時、警察の取調べの中で数多くの図面を書かされており、その中にひらがな字で説明書きをしているのであるところ、これらの図面などは対照資料に加えられていない。この両鑑定はいずれも、請求人を逮捕するための証拠資料とするために鑑定作業を行ったものであるから、捜査当局において、請求人の作成文書を脅迫状と同筆であるとするために一番簡便な方法として、上申書を書かせたものであることは明らかであるところ、請求人は当時、捜査官の取調べの中で連日、図面や説明書きをさせられていたのであり、それが請求人のもつ文筆能力であったのだから、両鑑定ともこれらを生きた対照資料として鑑定作業を継続することは当然の筈であったが、両鑑定ともこれを全く無視して、したがって、請求人本人から直接に得られるこれら筆跡資料を検討資料とすることなく、鑑定書を作成したのである。
 次に高村鑑定についていえば、同人が鑑定を命じられたのは昭和41年5月31日で、鑑定書が完成したのは同年8月19日であり、請求人逮捕から約3年が経過しているところ、捜査側の手許には対照資料として極めて多くのものが存在していた。しかるに裁判所が同人に鑑定を命じるにあたり、対照資料としたのは、請求人が内田裁判長に提出した昭和38年11月5日付の手紙(上申書)と、請求人が被害者父N・E宛に書いた同年6月27日付手紙の2つであった。しかし裁判所が脅迫状と請求人との関係を追求することを考えていたのであれば、対照資料を上記の2つに絞る必要は全くなく、少なくとも、関根・吉田鑑定、長野鑑定の対照資料とされた請求人の同年5月21日作成の上申書を外す理由がなく、さらに請求人が逮捕後、初期の段階において作成した図面などの説明書きは当然に対照資料に加えられるべきだった。
 本件鑑定申請の内容は、本件脅迫状を請求人が作成したものであったか否かであるから、請求人が作成した、もしくは作成する資料を収集し、これを対照資料として比較検証すべきであるが、久永正勝裁判長による鑑定命令はこうした点を省略し、請求人が作成した2つの文書(1つは、逮捕後約1箇月後に作成した文書であり、1つは逮捕後5箇月後に作成した文書)に絞ってなされたものである。この点からは、請求人の筆跡が逮捕後に急速に変化してきた過程は完全に無視されていることになる。
 確定判決はじめ、有罪裁判の基本的根拠であるのは、3鑑定であるが、3鑑定の根本的欠陥は、脅迫状を作成した嫌疑をもたされている肝心の請求人本人を鑑定対象から除外し、したがって請求人に、色々の字や文を書かせてみるという当たり前の作業を全く行わないで、検証の対象を、請求人が特定の時期に作成した文書に限定していることである。このことは鑑定人らに責任があるとともに、本件脅迫状が請求人作成文書であるか否かについてこれを調査し確定する義務を負っていた当時の捜査当局ならびに裁判所が、請求人が脅迫状を実際に書く能力を有していたかが基本的事実であることを故意に見過ごして、請求人が作成者でありえたとの結論を引き出すために、誤った鑑定指示をなしたことによる。
 こうした結果、3鑑定はいずれも脅迫状と、その対照資料とされた文書から、同じ文字(ひらがな字)を拾い出して個別に分析し、両者の文字の運筆や形容の異同だけを検証する手法をとったのである。しかし両文書の異同を見るときに、文中から同じひらがな字をひっぱり出して比較し、字の構成の特徴の中に共通性があるかどうかだけを検証するというやり方が、どれほど一面的であるかは改めていうまでもない。確定判決が高く評価しているのは、3鑑定が個別文字の比較対照を行なう場合に示している専門家的な緻密さであるが、同一のひらがな字の形状や書き方について共通性があるかどうかをどれだけ綿密に検証してみたとしても、それ以外の点、すなわち両文書に示されている文章、語句、文字の作成能力や性格の異同についての検証を全く行っていないのであるから、ひらがな字の特徴的な共通性についての検証にみられる緻密さが仮に認められるとしても、それをもって両文書の異同判断を求めた3鑑定の認定判断に高い評価を与えることなどできる道理は存在しない。すなわち3鑑定の致命的な欠陥は、「本件脅迫状を請求人が書いたか」が鑑定の目的であったにも拘らず、肝心の請求人を鑑定内容から完全に欠落させている点にある。 
 請求人は昭和38年5月21日、自宅に来た捜査官によって、横書きで上申書を書かされており、また同年6月27日に被害者父N・E宛の手紙を、同年7月2日に脅迫状の写しを書かされているが、このほか、当時の供述調書添付の図面や説明文など多数の字を書いている。末尾に添付する写しは、同年5月24日、5月25日、5月27日の図面の説明書きであるが、これを見るだけで、請求人が逮捕された直後の時期にどのような語句と字を書いていたのかが明らかである。この点については、控訴審の昭和48年12月6日の更新弁論において、筆跡をめぐる諸問題について論じた松本健男弁護人の弁論の中に、当時の請求人が書いた文言の文法上の誤り、稚拙さが著しいとして時系列別にこれを列記しているが、同時にこの文法上の誤り、稚拙さは逮捕時に接近している時期がもっとも著しく、日時の経過とともにかなり急速に是正されてゆくのをみることができると指摘している。ここで筆跡鑑定人としては、脅迫状と与えられた対照資料の文字との異同を個別に検討する前に、またこれと並行して、現に存在している請求人が、逮捕された当時、どんな字をどんなふうに書いていたかを適確に把握して、請求人が脅迫状を書ける状況にあったかを実際に検証すべきであった。もしこうした作業が行われていたとすれば、3鑑定の結論が確定判決がいうようなものであったとは到底考えられない。したがって確定判決の有罪にかかる立脚点は全く存在しなかった筈である。
 またここで確定判決が示している見解、請求人の当時の表記能力などが低かったとしても、『りぼん』その他の補助手段を借りれば、脅迫状の作成が困難だったとは考えられないとする見解の極端な誤りについて指摘しておく。
 確定判決は請求人の、青木一夫や原正に対する供述調書の記載を援用し、請求人が脅迫状を書くに当って、帳面を4枚位破りとり、『りぼんちゃん』という漫画の絵本を見ながら漢字を探して字を書き、3枚ぐらい書きくずして4枚目に書いたと認定しているが、請求人の当時の実際の文字能力を知る者からすれば、極端に低い文書能力しかもたなかった請求人が、漫画本を手本にして知らない漢字を拾い出して練習して、これを用いて脅迫状を書いたなどと本気で考えられる筈がない。『りぼんちゃん』を見て漢字の練習をしたとの請求人の供述は、有罪にかかわる他の論点と全く同様に、青木、原ら捜査官の創作に相づちをうっただけのことであり、実際にはありうる筈がない事柄を供述させられたものに過ぎない。
 筆跡に関する検察側の3鑑定書はいずれも脅迫状と請求人作成の文書を対照して異同を論ずるとして両文書に用いられているひらがな字などについてその類似点をあげるのであるが、相違点をことさら無視するか軽視している点はおくとしても、両文書間に否定しがたく横たわっている筆者の文書能力における著しい相違という誰しも認識せざるをえない相違点を故意に捨象しているのである。木を見て森を見ないとはまさにこのことであり、どれだけ細かい分析をしているようにみえようとも帰するところ全く非科学的な手法に過ぎないのである。問題は被告人の筆跡の断片と脅迫状の文字とに類似する点があるか否かではなく、請求人が脅迫状を書きえたか否かであり、この点は常識をもつ人なら誰しもそれが不可能であったことを認めるであろう。

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(2)再審棄却決定の有罪認定方法の偽瞞性

 平成11年7月8日東京高等裁判所第4刑事部(裁判長 高木俊夫)は、請求人の再審請求事件について棄却決定を下したが、脅迫状についての論点において、下記の異常な見解を明らかにした。
 決定は、神戸鑑定書の項において、請求人が書いた警察署長宛上申書(38年5月21日)について、被害者失踪当日の行動につき警察から事情聴取を受けた者の弁明文書であり、また脅迫状との対比に供する筆跡を得たいためであることを容易に推察できたはずであるから、請求人が置かれていた当時の心理的立場、状況の違いからすると、上申書にみられる脅迫状との相違点が直ちに書き手の相違を意味するものとはいえない、また5月21日付上申書、6月27日付被害者父N・E宛手紙、9月6日付関源三宛手紙を比較対照すると、個々の書字の癖ないし形状の点で本件脅迫状と共通する多くの類似点が認められる反面、関宛の手紙は、個々の配字、筆勢、運筆などの点で暢達であり、全体的印象でも明らかに書字として優れていると認められるが、請求人が前2者を書いてから関宛手紙を書くまで僅か2、3か月程の時間を経たにすぎないのであるから、この間の練習によって書字・表記能力が飛躍的に向上して関宛手紙の域に到達したものとは考え難く、両者の書字の違いは、主として書き手である請求人の置かれた四囲の状況、精神状態、心理的緊張の度合いなど書字の条件の違いに由来するとみて誤りないものと認められる、とする。また繰り返しであるが、請求人が書いた昭和33年から34年にかけての早退届T、U、昭和38年8月20日付接見等禁止解除請求書、関宛手紙5通、内田裁判長宛書簡などを書いた事実があることから判断すると、本件当時の請求人がひらがな以外ほとんど字が書けなかったというのはいささか過ぎた表現であって、その書字・表記の能力は、前記上申書、被害者父N・E宛手紙、脅迫状写、供述調書添付図面の説明文句などにみられる程度の低いレベルであったとは到底認め難いといわねばならないと、飛躍的に論及するのである。
 高木決定がここに展開したのと全く同じ論理が、同決定に対する異議申立事件の平成14年1月23日付の東京高裁第5刑事部棄却決定(高橋省吾裁判長)にも完全に継承されている。
 よってここで棄却決定にみられる論理を検討してみよう。棄却決定は、高村鑑定書や長野鑑定書、さらに山下意見書も指摘するとおり、書字・表記、特にその筆圧、筆勢、文字の巧拙などは、書く環境、書き手の立場、心理状態などにより多分に影響されうるとし、脅迫状が書き手の自由な意思表示として書かれた身代金の要求文書であるのに対し、警察署長宛上申書は心理的緊張の中で作成したものだとするが、これがそのためにどの程度の影響を受けたのかについて具体的な検討をなさず、したがって文書の様式ならびに文字の形態などについてどのような相違がみられるかについて全く何の指摘もなされていない。
 確かに、高村鑑定書には、筆跡は記載当時における用筆、および用紙の相違にもとづく物的原因によって支配されること、客観的条件が相違すれば、筆跡には格段の変化を生ずるし、筆記当時における筆者の心理状態によって重大な影響を筆跡に及ぼすとしており、長野鑑定書には、筆勢の優劣は同一人といえども書字時の心理的、生理的条件に特に影響される場合が多いと記載している。しかし両鑑定とも、筆記時における心理状態などによって筆跡が影響されることは指摘するが、筆跡自体が固有の特徴を有していることについて、高村鑑定書は、「しかし各人の筆跡は何れも多年習得の結晶に成るものであって容易に他人の模倣を許さない筆跡特徴を有し、如何に字体を変形記載しても知らざる間に平常習得した潜在的個性が或いは全面的に或いは徴細の点に表現されるものであるからこれを審査攻究すればこれを正確に識別することは不可能ではない。」とし、長野鑑定書は、「一般に各個人の筆跡は永年の反復習練によって、文字の形体構成や筆順は類型的に固定化されて各自の筆跡個性を形成しているものであるが、その類型も記載時の心理上、生理上の諸条件や資材用具などの外部的制約によって若干の変化を生じることはあるが技巧的にその類型上の筆跡個性を完全に変化させることはまず不可能と云っても過言ではない。」としている。高村、長野鑑定の当否は別として、ここに指摘している両鑑定の筆跡の固有性にかかる見解は正当であるところ、棄却決定の前記判断、関宛の手紙は、警察署長宛上申書に比して、個々の配字、筆勢、運筆などの点で暢達であり、全体的印象でも明らかに書字として優れていると認められるとする判断は、高村、長野両鑑定が示している脅迫状と請求人の筆跡の固有性、基本的同一性にかかる判断を実質的に否定し無視するものといわざるをえない。なぜなら、棄却決定は、請求人が書いた上申書、被害者父N・E宛手紙、関宛手紙をとりあげて比較対照してみると、明らかに関宛の手紙は、上申書、被害者父N・E宛手紙に比して暢達であり、書字として優っていると認められると認定しているのであるが、このことは関宛手紙は文書能力の点で格段に優れていること、換言すれば、上申書、被害者父N・E宛手紙の文書能力とは全く異質であることを明確に認めているのである。すなわち、高村、長野の各鑑定時点において、請求人の関宛手紙が対照資料とされていたとすれば、関宛手紙は異筆であり、請求人が作成したものではないとの鑑定結果がなされていた筈であることを棄却決定は当然の前提として論じているのである。
 脅迫状問題における基本は、請求人が逮捕されるより約3週間ほど前の時点において請求人がこれを書いたか否かであり、これを異なる時期に書いたか否か、また異なる時期に書く能力があったか否かではない。すなわち、請求人が逮捕後数箇月後に、当初の時期と比べてかなり高い文書能力をもち、これを用いて文書を作成した事実があるとしても、この時期における請求人作成文書の能力を、脅迫状作成者の文書能力と大差がないとみて請求人が脅迫状を作成しえたか否かを論ずることは完全な誤りである。脅迫状を作成した可能性の判断は、逮捕直前の時期における請求人の筆跡、文字能力、文書作成能力についてなされるべきであり、数箇月後、請求人が到達しえた一定の文書能力によってこれを作成しえたか否かを論ずることは甚だしい勘違いである。
 棄却決定は、請求人が逮捕された当時、請求人の文書能力レベルが義務教育を受けただけの成人一般の水準からみて相当に低く偏ったものであったことは証拠によって明らかであるが、昭和33年から34年にかけての早退届T、U、昭和38年8月20日付接見等禁止解除請求書などを書いた事実があることから判断して、逮捕当時においても、上申書、被害者父N・E宛手紙、脅迫状写し、供述調書添付図面の説明句などにみられる低いレベルにあったとは到底認められないというが、請求人が逮捕される直前又は直後に、同人が数箇月後に作成した接見等禁止解除請求書に近い文書を書く能力を有していたとするようなかかる判断を裏付ける証拠資料は全く存在しないのであって、この点にかかる棄却決定の推論の虚偽架空性は余りにも顕著である。
 この点について改めて、請求人側鑑定人である埼玉県大宮北高等学校教諭戸谷克己の意見書「再審請求人石川一雄の作文能力に関する意見書」の一節(102頁)を引用してみる。
 「誰でもが気付くように、関宛書簡の時期と関宛書簡以前の時期である上申書、調書添付図面、被害者父N・E宛書簡、脅迫状の写しとでは、その作文能力に雲泥の差があるのである。関宛書簡以前は、作文能力においては低レベルの力しか示していなかったが、関宛書簡の時期においては、日を追うごとに、その作文能力は増大し、かなりな高レベルの力を示している。それは、石川一雄にとって、手紙が拘置所での孤独な生活における唯一の慰めであったのであり、上申書等を書くことを含めて面会や差し入れを要求すること等の拘置所での生活における必要から、自学自習に励むことによって、短期間の内に驚くべき発達を遂げたと思われる。石川一雄にとって幸運だったのは、自分の作文能力を発達させていく勉強の手段と目的が手紙だったということである。」
 棄却決定は、戸谷意見書が、請求人が昭和38年9月6日付以降の関宛手紙類を書いたのは、勾留中の自学自習による「驚くべき発展」であると評価するが、僅か1、2か月間の学習で、書字・配字、筆勢、運筆などの点で格段に優れている昭和38年8月20日付の接見等禁止解除請求書・関宛の同年9月6日付手紙が書ける程に「驚くべき発展」を遂げ得たとは考え難いとし、戸谷意見書の指摘する「格段の差」(同意見書89頁)は、学習の成果というよりも、むしろ請求人の置かれた環境、心理状態などの違いによるところが大であると考えられるとするが(20頁)、棄却決定が戸谷意見書を精読し、そこに記載されている論点を無視することはできないとしたことは評価できるが、ここに示されている見解は到底認められない。
 請求人が逮捕された直後の時期にどの程度の文書能力を有していたかは、当時作成させられた上申書、被害者父N・E宛手紙、脅迫状写し、ならびに供述調書添付図面の説明句などにもとづいて判断する以外にいかなる方法もないのである。本件では、事件犯人が作成したと考えられる脅迫状を請求人が作成したか否かが問われているのであり、脅迫状の対照資料はあくまで逮捕時点当時において請求人が作成した文書、語句に限られることは当然であって、対照資料として、数箇月後に請求人が作成した文書、8月20日付接見等禁止解除請求書や、関源三宛手紙などを用いるなど全く認められない。
 この点について高村鑑定では、事件より約6箇月後の内田裁判長宛の手紙を対照資料としていることについての疑問は前述したところであるが、これは裁判所の鑑定指示に問題があったこととみるべきである。
 いずれにせよ、ここに示されている棄却決定の論理は、請求人の逮捕当時の文書能力は極めて低位にあったことを認めながら、請求人が3〜4箇月後に作成した文書の作成能力が格段に高いことから、請求人は脅迫状を作成しえた筈だというのであるが、この判断は証拠によらずに有罪認定をする露骨に誤った手法であり、確定判決の違法性を改めて証明するものである。

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(3)脅迫状と請求人間の断絶性

 元主任弁護人である中田直人氏は、昭和45年4月23日の公判において、「筆跡鑑定について」の更新弁論を行なっている。その中で筆跡鑑定がなされた経緯について以下のように陳述している。捜査責任者の将田政二は、筆跡対照の資料は当初早退届だけだったが、字数が少なく断定できないので、請求人に上申書を書かせたと述べており、青木一夫は、筆跡鑑定の中間回答によって請求人の同一筆跡との結論を得、5月23日、請求人を逮捕したと述べている。「第1次逮捕の逮捕状は、5月22日請求され、即日発布されている。青木証言の中間回答なるものが、関根・吉田、つまり県警本部鑑識課からなされたか、科学警察研究所の長野からなされたか、あるいはその両者からなされたかは明らかでないが、いずれにしても、鑑定に着手したその日に、脅迫状の筆跡は石川一雄のものであるという結論が出てしまっているのである。中間回答であろうが、最終結果であろうが、ことがらの本質に差異はない。いやむしろ、鑑定着手のその日に結論が出ているのに、鑑定終了が6月1日であるとか、6月10日であるとかとれいれいしく鑑定書に書きとどめているそのことに、これら鑑定の実態が暴露されている。両鑑定がどのようにもっともらしく鑑定経過を説明しようとも、またいかに確信ありげに文字の異同識別や、『精密検査』の結果を語ろうとも、それは、ただただ、あらかじめ与えられている結論(つまり脅迫状は被告人の筆跡であると回答し、その結果として被告人を逮捕してしまったということ)に辻つまを合わせるだけの作業にすぎなかったからである。両鑑定は、このことによって、みずからの非科学性を実証したといってよい。」
 控訴審証人青木一夫、将田政二は、昭和38年5月23日に請求人を逮捕したのは、アリバイがなかったことと筆跡が同一だという中間的な鑑定結果があったからであると証言している。したがって中田氏がいうように、筆跡に関する中間報告がなされていなかったならば、請求人を逮捕することなど全くありえなかったことになるのであるから、請求人を逮捕する唯一の証拠資料とされたと考えられる関根・吉田鑑定ならびに長野鑑定が請求人の有罪立証において果たした決定的役割に改めて注目しない訳にはいかない。
 ここで改めて関根・吉田鑑定、長野鑑定を振り返ってみると、関根・吉田鑑定は、「本件の各対応する筆跡は縦線に対する横線の角度、起筆、結筆、はね、とめ等の固定した筆致が一貫して共通性を示し、その特癖の共通する数においても同一性を証明するに十分である。」長野鑑定は、「筆跡が同一であるか否かは異同識別の項で指摘した如く多数の個性的特徴が検出されて、しかも決定的な相違点が少しも検出されないので偶然の一致または単なる類似と云う疑問の余地は全く考えられないので鑑定人は(筆跡は同一である)との鑑定結果を得た。」との見解を示しているのであるが、両者の方法論はいずれも、脅迫状と上申書などの対照文字を個別に拾い出してそれぞれに刻明な分析をする方法であり、それがすべてである。したがって文書相互間における筆跡鑑定における基本的要請である文字構成の全体的検討が欠落しているのである。この点は弁護人5人連名による「筆跡鑑定に関する調査結果について」の21頁に、大分県警科学捜査研究室長の松川武雄氏の『文書鑑定』(東京法令出版)から下記留意事項を引用している。
 「常に大局から広くかつ綿密に観察を行わなければならない。単に同じような形の文字があるからといって、その部分から鑑定に着手すべきではない。一歩下って配字状態から必ずはいっていくべきである。山にはいって山の形がわからないのと同じで、例えそれが決定的な特徴であっても一度全体的な比較観察を行い、ある特定の文字についての検討はすべて概見的な検討が終ってから取りかからねばならない。」
 しかし脅迫状と上申書の二つの文書の検討において配字の全体的状態の検討など何一つなされておらず、もっぱら個別字の比較に埋没している。仮に両鑑定が両文書の全体的検討を行っていたとすれば、両文書の基本的特徴、文章構成能力、文字配置能力、文字組成能力などの顕著な相違性に嫌でも対面せざるをえなかったであろう。そして各対照文字の異同の検討の前に、上申書の作成者が脅迫状を作成する能力をもつことが到底考えられないことを認識したに違いない。率直にいって現在時点でも、脅迫状と上申書を同時に与えられて、上申書の筆者が脅迫状を書くことができると思うかと質問されて、書けると答えるものがいるだろうか。人間にはそれぞれ直感的な把握力があるが、両文書をみて、流ように一気に書き上げられている横書きの脅迫状を、たどたどしく、やっと書き上げている稚筆の上申書作成者が書くことができると考えるものがいるとしたら、その人の感覚は異常であり、まともではありえない。関根・吉田、長野の両鑑定人は決して異常な人間ではなかった筈であるが、同人らは本件鑑定作業の目的が、脅迫状を請求人が書いたとする根拠を証明するにあることを熟知した上で、これに則した鑑定書を作成することが、捜査機関に位置を占めている自分達の義務であると確信し、かかる結論を導くためには、脅迫状の文字と請求人作成文書の文字の中に類似したものがあることをまず認識した上で、その作業を個別文字の比較対照に限定することによって、両文書を同一人の作成と判断した。しかしそれでは、同人らが行った個別対照文字の分析による同一性判断が正しかったか否かについては、前述した5弁護人連名の論文と、それの添付資料(別表)において、その同一性判断がいかに誤ったものであるかを該当文字の拡大写真によって証明している。したがってよほどの偏見をもつものは別として、両鑑定がなした脅迫状、上申書の同一筆跡の判断は全くの誤りであることが明確にされているのである。
 最後に棄却決定がその立論の基本的前提としている点、すなわち請求人が逮捕後僅か2、3か月、もしくは1、2か月間の練習で、書字・表記能力が飛躍的に向上して関宛手紙の域に達することは考えられないとする考え方について、その誤りを指摘しておくことにする。
 請求人が逮捕当時どの程度の文筆能力を有していたかについては、何回も指摘しているように、請求人が連日の取調べをうける中で、捜査官の指示の下に筆記させられていた供述調書添付の図面の中の語句を調べることによって明らかとなるが、その語句の文法上の誤り、稚拙さが逮捕時点から日を重ねるにつれて次第に改善されてゆく事実に注目しなければならない。
 この点を請求人が逮捕される2日前の5月21日に書かされた上申書と、逮捕後1箇月余り後である6月27日に書かされた被害者父N・E宛手紙を比較してみると、手紙が上申書に比して文全体の構成において落ち着いており、文意の表現の仕方が順序だてられていることが理解できる。この点は被害者父N・E宛手紙の文章は恐らく捜査官の指示によって作成されたことによるものと考えられるのであるが、そうだとしても、請求人による字句の書き方が上申書に比して円滑となっている事実は否定できない。次に、棄却決定が、請求人の書いた上申書、手紙、脅迫状写しなどと比べて、個々の配字、筆勢、運筆などの点で暢達であり、全体的印象でも明らかに書字として優っていると認められるとする昭和38年9月6日付の関源三宛手紙についてみてみると、確かに前段の8行は、文体も整い、適正に漢字も用いられ、以前の文書と比べて大きく改善されていることが分るのであるが、後段の4行は、語句の使い方として、前段8行では「伝へて下さい」と正しく表示しているのに、「つたエてください」「ツたエてください」のように、明らかに逮捕直後の時期の用語のままであることが示されている。このことは、前段では「朝夕は」と正しく表記しているのに、後段では「あとの人わ」と誤った表記のままであることも同様である。
 この事実は、前段8行は、看守が請求人の求めにより手本を書き、それを請求人が練習して書き写したものであることを示しているのに対し、後段4行はこうしたことなく、請求人が自前の考え方にしたがってそのまま書いたものであることは明らかである。したがって昭和38年9月6日の関宛手紙の中にも、請求人の当時の文書能力の程度が明確に刻印されているのであり、請求人の文字能力は逮捕後の時間的経過の中で急速に改善されてきていたことは間違いないが、脅迫状を書ける程度の能力とは、9月6日の関宛手紙の段階においても、まさに雲泥の差があったといわねばならない。
 ここで充分に考えなければならないことは、請求人が逮捕された当時、本当に無学といわねばならない低い文書能力の状態だったことは明らかであったが、取調べを受ける中でいろいろなものを書かされる、手紙を書かされるなどが続き、さらに今度は請求人自身の意欲に基づいて手紙を書く、字の練習をするといった状態が継続し、その中で、文字通り一日一日とこれまでの間違いだらけの極めて低い文筆能力が少しずつ改善されてゆき、やっと関源三宛手紙を書ける状態に至ったということであり、逮捕直後の時期に書かされた文書と関宛の手紙などの文書の間には、配字、筆勢、運筆などにおいてかなり大きい差が生み出されていることは事実であるが、その差はその間における請求人の日夜絶え間のない、書くことへの努力によってやっと築き上げられたものであり、何らかの事情によって阻害されてきていた文書能力が突如として蘇り復元したものではない。
 棄却決定に示されている、請求人の脅迫状作成能力論は、請求人における文筆能力の、最底辺からの辛苦に満ちた立ち上がりの過程を完全に無視しようとするものであって、そもそもまともな立論たりえないものだといわねばならない。
 請求人が脅迫状を作成したとする確定判決を始めとする有罪裁判の虚構性、欺瞞性は明らかであり、これを是正することは司法の義務である。
 
1963.5.24 図面説明文字
 
1963.5.25 図面説明文字
 
1963.5.27 図面説明文字

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2 筆跡についての原決定、原々決定の誤り 

 前節で、確定判決が依拠した筆跡3鑑定が致命的な欠陥をもち、その誤りを指摘した弁護側鑑定にたいする原決定、原々決定の判断が誤っていることを明らかにし、脅迫状と請求人がまったく無縁であることを指摘した。また、2002年1月29日付特別抗告申立書において、すでに、原決定、原々決定の筆跡各鑑定に対する証拠評価が誤りであることを指摘した。原決定、原々決定が確定判決の認定からずれて、新たな有罪認定を行なうことで、ますます矛盾を深めていることは次のとおり明らかである。もとより、再審制度の理念からすれば、このような新たな有罪認定を重ねることで再審請求を斥けるがごときやり方は許されない。有罪証拠の主軸とされた筆跡につき、確定判決の再評価と新旧証拠の総合評価の上にたって、3鑑定に依拠して本件脅迫状によって請求人と犯行との結びつきが推認できるとした確定判決の認定に合理的疑いが生じていることを認め、直ちに本件再審が開始されるべきである。

(1)神戸第1鑑定にたいする評価の誤り

 @ 筆跡の相異を「書く環境」で説明することの誤りについて

 原決定、原々決定は、神戸鑑定についての判断において、次のように述べる。すなわち、「書字・表記、その筆圧、筆勢、文字の巧拙等は、その書く環境、書き手の立場、心理状態等により多分に影響され得る」から「両文書それぞれの性格、文書作成の経緯、環境、書き手の置かれた心理的立場、状況の違いを考慮すると、神戸鑑定書が両文書の相違点として指摘する諸点が、直ちにその書き手の相違を意味するものとは、必ずしもいい難い」というものである。
 また、原決定、原々決定は、「警察署長宛上申書、被害者父N・E宛手紙、脅迫状写し、捜査官に対する供述調書作成の際に描いた図面の説明文等」に見られる「書字形態の稚拙さ、交えた漢字の少なさ、配字のおぼつかなさ、筆勢と運筆の力み、渋滞等を以て当時の請求人の書字・表記能力の常態をそのまま如実に反映したものと見るのは早計に過ぎ、相当でない」としている。
 原決定、原々決定が、「神戸鑑定書が両文書の相違点として指摘する諸点」自体を否定せず、「警察署長宛上申書、被害者父N・E宛手紙、脅迫状写し、捜査官に対する供述調書作成の際に描いた図面の説明文等」に「書字形態の稚拙さ、交えた漢字の少なさ、配字のおぼつかなさ、筆勢と運筆の力み、渋滞等」が見られることを認めていることに注目しなければならない。にもかかわらず、原決定、原々決定が、脅迫状と請求人文書が異筆であるとする弁護側鑑定を斥ける根拠は次の2点に集約される。
 第1に、「神戸鑑定書が両文書の相違点として指摘する諸点」は「両文書それぞれの性格、文書作成の経緯、環境、書き手の置かれた心理的立場、状況の違い」によるもので「書き手の相違を意味するもの」ではない。
 第2に、「警察署長宛上申書、被害者父N・E宛手紙、脅迫状写し、捜査官に対する供述調書作成の際に描いた図面の説明文等」は「当時の請求人の書字・表記能力の常態をそのまま如実に反映したもの」ではない。
 まず第1の点であるが、そもそも、「書く環境」にしても、「心理状態」にしても具体的に何を指して、それが筆跡の何に影響し、神戸鑑定が指摘する筆跡の相違をどう説明できるのか何ら具体的には説明されていない。神戸鑑定等が指摘する「時」「ま」「を」などの筆跡の形態上の相違が「書く環境」「心理的常態」によってどう説明されるのか原決定、原々決定は何も明らかにしていない。
 原決定、原々決定は、一方で「書き癖」「顕著な特徴」とも言っており、「多数の個性的特徴が検出」されたことをもって同筆と鑑定した3鑑定に依拠し、「書き癖」によって請求人と脅迫状が同筆であると認定している。3鑑定があげる類似点は「書く環境、心理状態等の影響」を受けたものでないとどうしていえるのか。「書き癖」を認め、似ているという根拠にする一方で、「書く環境」、「心理状態」を持ち出すことで、筆跡の違いをごまかすという原決定、原々決定の論旨でいけば、筆跡鑑定結果を裁判所が如何様にも解釈、推測できることになり、公正かつ合理的な評価とは言えない。
 筆跡は書くたびに変わるものであるから筆跡鑑定を有罪証拠の主軸とした確定判決の認定は相当ではないというべきであり、確定判決が依拠した3鑑定にたいしては、筆跡には書き手の置かれた環境の影響があるから「警察の3鑑定が書き癖の類似点として指摘する諸点が書き手の同一を意味するものとはいえない」とは決して言わないのである。
 すなわち、このような主観的要素を筆跡鑑定の評価に持ち込み、それによって、「類似性」は「書き癖」として認め、「相異性」は「書くときの心理的影響」なる主観的なもので認めないという、非常に恣意的で不公平な判断をしている。これは、「疑わしきは被告人の利益に」という証拠評価ではなく、明らかに誤った判断である。

 A 請求人が脅迫状を書いたことを前提にした予断に満ちた認定

 原決定、原々決定は、脅迫状と上申書の「文書作成の環境」「書き手の置かれた心理的立場、状況の違い」を次のように説明する。すなわち、脅迫状は「書き手自らの自由な意思表示」とし、他方、上申書は「被害者失踪の当日の行動につき警察から事情聴取を受けた者の弁明文書」であるというのである。また、脅迫状写しや供述調書添付図面は、「捜査官の目を強く意識しながら、心理的緊張の下で、被疑事実に関して記した文書」であるとして、「心理的状況の違う」文書だというのである。しかし、これほど主観的で、証拠に基づかぬ認定はない。
 脅迫状を「書き手の自由な意思表示」と言うが、原決定、原々決定の論旨からすれば、自らの筆跡を残すという「文書の性格」「書くときの心理状況」からして、むしろ脅迫状こそ筆者の筆跡の「常態」を反映するものではなく筆跡の作為性を疑うべきものということもできる。
 さらに、請求人の書いた上申書、脅迫状写しにつき、「捜査官の目を意識しながら」とか「被害者失踪当日の行動につき警察から事情聴取を受けた者の弁明文書」で「脅迫状との対比に供する筆跡を得たいがためであることが容易に推察できた」中で書いたものであるとして、請求人の筆跡の常態ではないとすることはとうてい容認できない。原審、原々審裁判所のこの判断は、請求人が脅迫状を書いた犯人という前提の上に、「筆跡を取られることがわかっていて書いた」ものだから、いつもと違う筆跡で書こうとしたというに等しい。
 原決定の予断にみちた同様の証拠評価は、次の点にも現われている。
 原決定は、上申書が当時の請求人の書字の「常態」を反映していないとする根拠として、「現に、関根・吉田鑑定書、長野鑑定書、高村鑑定書(以下、これらを併せて「3鑑定」という。)及び検察官提出の平成4年12月7日付「再審請求に対する意見書」に参考資料として添付された科学警察研究所警察庁技官高澤則美作成の平成元年1月18日付鑑定書(以下「高澤鑑定書」という。刑訴法435条6号の再審事由の存否を判断するに当たり、再審請求後の審理において新たに得られた同鑑定書を検討の対象にすることができることについては、最高裁平成10年10月27日第三小法廷決定・刑集52巻7号363頁参照)において、警察署長宛上申書は、筆速度を特に遅くし、文字の形態・構成、筆順等は拙劣であり、筆勢は渋滞し、特に筆圧を強くして書いているため運筆に円滑性を欠き、また線条に震え等が見られるとの指摘がされている。」というのであるが、特別抗告申立書でも指摘したように、「警察署長宛上申書は、筆速度を特に遅くし、文字の形態・構成、筆順等は拙劣であり、筆勢は渋滞し、特に筆圧を強くして書いているため運筆に円滑性を欠き、また線条に震え等が見られる」との指摘は長野鑑定の記載であって、関根・吉田鑑定、高村鑑定、高澤鑑定は、上申書につき、「特に筆圧を強くして書いている」などとは言っていない。
 その点をおくとしても、原決定は、意図的にか、このような言い方をして、請求人が意識的に「筆速度を特に遅くし」「特に筆圧を強くして書いている」と言わんばかりであるが、請求人が意識的にそのように書いたとする何ら根拠のない認定である。請求人は、読み書きが十分にできなかったために、「遅く」「筆圧を強く」書かざるをえなかっただけである。

 B 関宛手紙を根拠に上申書が当時の常態ではないとする認定の誤り

 さらに、前記第2の点については、原決定、原々決定は、1963年9月6日付関宛手紙を持ち出し、次のように論旨を展開している。すなわち、
 関宛手紙は上申書等と比べて書字として優っている。
 2、3カ月で書字・標記能力が上達したとは考えられない。
 よって、上申書等は当時の請求人の常態でない
 というのである。
 つまり、上申書等が当時の請求人の筆跡の常態ではないという原決定、原々決定の認定は、「2、3カ月で上達したとは考えられない」という何ら証拠に基づかない独断に支えられている。原決定、原々決定が取り上げる「関宛手紙」の作成経緯の問題、脅迫状との間に見られる筆跡の相違自体も問題にしなければならないが、それをおくとしても、請求人が2、3カ月後に書いた文書を根拠に、「2、3カ月で上達するはずはない」から当時もこのように書けたはずだと認定するというのは、何の根拠もない、あまりにお粗末な推測に過ぎない。
 以上のように、「上申書等は当時の請求人の常態ではない」「書く環境、心理状態」の影響を受けた」として、本件脅迫状と上申書等の筆跡に相違が見られることを認めながら書き手が違うとは限らないとする原決定、原々決定の判断は誤りであって、取り消されなければならない。

 C 高澤鑑定の「な」の分析について

 原決定は、検察官が再審請求審で新たに提出した科学警察研究所の高澤鑑定を取り上げ、弁護側の神戸鑑定、木下意見書を批判しているので、この問題点を指摘する。
 原決定は、神戸鑑定と対比させて、「高澤鑑定書は、本件脅迫状の『な』に見られる特徴として、@第3筆始筆部が第2筆の下方に位置している、A第3筆と第4筆が一筆で書かれている、Bその部分の写真105、106中Zで示す部分に転折が認められる、C第4筆終筆部は右斜め上方に向かって長く伸びて書かれていることを指摘し、特に、第3筆から第4筆にかけての形態に注目している。」とする。
 しかし、@など明らかにそうであるが、いずれの「特徴」としてあげられている点にも稀少性があるとはいえない。
 原決定は、高澤鑑定が、特に、「第3筆と第4筆が一筆で書かれている」形態に注目していると評価するが、その直後には、「運筆の連綿は、その時々の書き手の気分や、筆圧、筆勢などによっても変化し得るもので、書き癖として固定しているとも限らない」として、脅迫状の「な」字の第1筆と第2筆の連続を挙げて上申書との相違性を指摘する神戸鑑定を非難している。明らかにダブルスタンダード、不公平極まりない証拠評価というべきである。
 高澤鑑定は、鑑定書中で、前記「な」字の4特徴を本件脅迫状の筆跡の「個性的特徴」とし、「約200字の文章が手書きされた原稿用紙883通」から1通につき1字を選んだ筆跡サンプルを参考資料として稀少性を検討したというものであったが、実際には、高澤鑑定には参考資料は添付されておらず、弁護団の要求によって、東京高検が8ヵ月後に開示した参考資料は高澤鑑定記載のものと食い違っている。弁護人は、鑑定書記載と実際のものとが食い違っているような参考資料は適格性がないこと、高澤鑑定人が参考資料883通の筆者を如何なる方法で選んだか、そこから1通につき1字の筆跡サンプルを如何なる方法で選んだかを説明しておらず、無作為抽出という保証もないこと等を指摘し、高澤鑑定に基本的な欠陥があることを明らかにしているのである。
 そもそも、高澤鑑定が「個性的特徴」としてあげる4特徴が上申書などの照合文書のすべてに見られるわけではない。4特徴の一つである前記特徴Bにしても、請求人の筆跡中に備えていないものがあり、高澤鑑定自身も指摘していないものが存在するのである。
 また、弁護人は開示された高澤鑑定の「参考資料」なる筆跡サンプルについて、独自に内容を調査し、その結果を筆跡調査報告書として提出し、原決定が強調した高澤鑑定のいう4特徴をもった「な」字が高澤鑑定の参考資料中にさえ16人の筆跡の中から見出せることを明らかにし、高澤鑑定が883人の筆跡サンプルに『個性的特徴』が見られなかった」という記載そのものが虚偽であることを指摘しているのである。

 D 事実調べも行なうことなく高澤鑑定鑑定を検討対象とした原決定の誤り

 原決定は、高澤鑑定を援用するにあたって、最高裁決定をひいて、検討の対象とすべきであるというが、前述のごとく、高澤鑑定に対しては、それが提出された原々審において、弁護人らは、木下2次意見書を提出し、詳細に批判し、その誤りを明らかにした。また、高澤鑑定に関する調査報告書を提出し、高澤鑑定の参考資料中にさえ高澤鑑定のいう「個性的特徴」「類似性」を満たす文字が存在し、高澤鑑定指摘の「個性的特徴」「類似性」に稀少性があるとはいえないことを明らかにした。
 しかしながら、原決定は、鑑定人尋問などの事実調べも行なうことなく、弁護側の反論の機会も与えずに、この杜撰で恣意的な警察組織の鑑定を取り上げている。
 しかも、弁護人提出の反対鑑定についてはいっさいふれず、高澤鑑定のみを一方的に検討の対象としているのであり、自由心証の範囲を逸脱した許されないものである。
 高澤鑑定には、次の通りその信用性を疑うべき問題が多数存在する。
 第1に、脅迫状で2回以上書かれている文字で筆者の個性を表すものとして、「子、江、か、な、ら、わ」の6文字を比較に用いたとしているが、これらの文字は上申書にはほとんど出てこない文字であり、むしろ、上申書と脅迫状に2回以上出てくる文字として、もっと文字数の多い「時」「ま」「を」などはとりあげていない。相違の明らかな文字を鑑定対象からはずしているといわねばならず、恣意的な鑑定である。
 第2に、高澤鑑定は、「か」について第2筆終筆部が第1筆終筆部の下方に長く伸びている特徴に同様の傾向が見られるというが、第2筆が短いものもかなり見られ、常同性がないばかりか稀少性の検討もなされていない。
 第3に、高澤鑑定は、「わ」字について、第2筆の第1筆に対する左方への突き出しが小さく書かれている特徴に同様の傾向が見られるというが、上申書の「わ」はいずれも第2筆の第1筆に対する突き出しが大きいのが特徴であり、神戸鑑定はこの相違を鋭く指摘している。
 原決定が援用した高澤鑑定に信用性がないだけでなく、恣意的であることは明らかである。この点でも、原決定は、公正な審理を尽くしたとは言えず、取り消しを免れないものというべきである。

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(2)日比野鑑定にたいする原決定の誤り

 原決定は、弁護側提出の日比野鑑定が、脅迫状に見られる「江」「刑」「札」が教育漢字ではなく、脅迫状の筆者が雑誌『りぼん』から漢字を拾い出して書いたとは考えられないと指摘したことにたいして、「刑」「札」は「字画数も多くなく、ありふれた漢字であるから当時請求人が身近にあった新聞、雑誌等の印刷物で見て、習得する機会は比較的容易にあり得た」とし、さらに「江」も同様に習得していたと認定している。
 そもそも、請求人の自白では「『りぼん』から「刑」や「札」の字をルビを頼りに拾い出した」となっていたところ、『りぼん』には「刑」の字がなかったため、確定判決は、「『刑』の字はテレビで見ておぼえていた」と証拠に基づかず認定した。確定判決自体が、自白と客観的事実との矛盾を推測で補うという強引な認定であった。
 原決定は、さらに、何の根拠もなく「札」も「江」も習得していたと認定しているのである。しかし、原決定が「テレビ」に加えて「新聞、雑誌等」とよりあいまいに見ていたものを広げたとしても同じである。ふだん何気なくテレビ、新聞、雑誌を見ていれば自然に漢字を書く力が身につくなどということは何の国語学上の根拠もないし、実際にはそんなものではない。「書けたに違いない」という裁判官の勝手な推測に過ぎない。
 しかも、この原決定の判断は、寺尾判決が自白を根拠に、「『りぼん』に出ている漢字たとえば『子供』…『札』…『江』等が本来の用法には無頓着に多用されている」「被告人は漢字の正確な意味を知らないため、その使い方を誤り、仮名で書くべきところに漢字を充てるなどして」脅迫状を作ったと認定していたことと明らかに矛盾する。
 日比野鑑定等によって、また、自白そのものの不自然さから、『りぼん』手本という確定判決の認定に合理的疑いが生じていることは明らかである。原決定は、手本を見ながら書いたことはありえないとする日比野鑑定を否定せんとして、「札」「江」も習得していたとして、さらに、矛盾を深めているだけである。
 一方で、日比野鑑定、大野鑑定、神戸第2鑑定がいずれも指摘する脅迫状の当て字の作為性に対しては、「請求人は『りぼんちゃん』から仮名の付された漢字を拾い出して使用した旨供述しているのであるから、同じ又は近い音のところに漢字の当て字をすることも不自然ではない」としてこれら鑑定の指摘を斥けている。
 「ある程度書けた」「刑、札、江も習得していた」という認定と、「『りぼん』から漢字を拾い出して当てた」という矛盾する認定をご都合主義的に使い分けて弁護側の主張を斥けるという誤りをおかしているのである。
 脅迫状の当て字は作為的に書かれたものであり、請求人ではありえないと認定することが合理的な判断なのである。
 もっとも、原決定も、脅迫状の「供」字に筆順が間違って書かれたものがあり、この誤りが作為的に書かれたこのとする神戸第2鑑定の指摘に対して、「他の『供』の5文字と比較検討すると、「※」(「供」字に筆順が間違って書かれたもの)は、運筆の筆順の誤りが作為的に書かれて生じたものとは考えられるが、同字は書字能力の低い者が多少練習しても書字し得るものではないと断じ得るとした根拠が明確でない。」とまわりくどい言い訳をしている。
 確定判決が、あまり読み書きのできなかった請求人は『りぼん』を見ながら漢字を拾い出して漢字を書いたとする中に『供』字もふくまれているのであり、脅迫状の『供』字の作為性を認め、そのような『供』を書いた者が請求人であることには合理的疑いがあるとするべきなのである。

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(3)脅迫状と請求人との結びつきに存する合理的疑い

 いったい何人の市民が脅迫状と上申書、脅迫状写し等の見て、市民常識として、両者が同一人が書いたとは思えないと考えたであろうか。あるいは、市民の一体誰が、これら似ていない筆跡を見て、「これは書く環境による違いだ」と判断するだろうか。あるいは、請求人が後に書いた文字のなかから一部でも似ている文字を探し出して、「同筆の疑いは残る」などと判断する市民がいるだろうか。証拠に基づかず、無理な認定を繰り返し、矛盾を深めているのは裁判所だけではないのか。最高裁判所においては、ここで、今一度、市民の常識的感覚で筆跡写真を見ていただきたい。
 さらに、次のような脅迫状作成に関わる疑問点を弁護側筆跡鑑定指摘の事実と総合的に見るとき、誰もが脅迫状を請求人が書いたとは思えないと常識的、合理的に判断するであろう。
 脅迫状の作成と請求人との結びつきには、客観的証拠が全く存在していない。存在しないだけでなく、自白との間に重大な齟齬がある。
 @ 脅迫状・封筒からは請求人の指紋が発見されていない。右事実は、請求人の自白の真実性に抜きがたい不信を投げかけている。この点は、原審で提出した齋藤実験鑑定書が、自白の態様による脅迫状作成実験に基づいて、指紋の不存在が脅迫状作成自白に合理的疑いを生ぜしめていることを具体的に明らかにしている。
 A 脅迫状用紙の出所が明らかにされていない。自白は妹の大学ノートのうちの1枚を使用したとされるが、綴り目が、妹のノートは11個で脅迫状用紙は13個であった。
 B 脅迫状作成に使用したボールペンは特定されていない。
 C 脅迫状に使用の封筒と同一性のものは請求人方から発見されていない。
 しかも、原審提出の齋藤鑑定も指摘するとおり、本件脅迫状封筒は、汚染、損傷が激しく、自宅の仏壇の引き出しにあったものを使用し、4日前に作成したとの自白では考えられない状態を示している。
 D 自白では、訂正前の日付は「4月28日」であったが、実際は「4月29日」であった。
 E 脅迫状訂正筆記用具は、鑑定の結果、自白にいうボールペンでなく、「ペンまたは万年筆」によることが明らかになった。
 F 昭和36年11月号の『りぼん』は請求人宅から発見されなかった。
 G 請求人の妹美智子の友人の供述調書によって、同『りぼん』が本件当時請求人宅になかったことが合理的に推認される。
 H 脅迫状の「少時」「女の人」「前の門」「友だちが車で行く」の記載があるが、請求人の自白はこの意味をまったく説明できていない。
 これらの事情は相互に関連しあって、筆跡の異筆性をさらに明確にしていると言わねばならない。これら新旧証拠を総合的に評価すれば、確定判決が主軸とした本件脅迫状についての認定に合理的疑いを生じていることは明らかである。確定判決の認定を次つぎと変更しながら有罪を維持するがごとき判断はこれ以上許されない。最高裁が、無辜の救済という再審の理念にたちかえり、白鳥・財田川決定に従って、確定判決の再評価、新旧証拠の総合評価をされんことを切に望むものである。
 原々決定、原決定が、弁護側鑑定人の尋問さえ行なわずに、これを斥けたことは著しく正義に反するものと言わねばならず、直ちに、これを取り消すべきである。

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