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狭山事件特別抗告申立書補充書 1
2002年10月31日提出
狭山再審弁護団
はじめに
2点を述べる。
その1は、刑事訴訟法第318条の「自由心証主義」の濫用ということについて
その2は、証明規準である、「合理的疑いをこえた証明」ならびに「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判における原理・鉄則の公正なる適用ということについてである。
弁護人らは、当審におかれて、上記原理・鉄則を公正かつ毅然として適用するかぎり原決定・原々決定の取り消しは必定のものと考えている。その1、自由心証主義の濫用は許されないということについて
なお、ここで対象としている「自由心証主義」とは、たとえば「自由心証とはいえ裁判官の判断は論理法則及び経験法則に従った判断でなければならない」(判例コンメンタール刑事訴訟法・252頁)とかの、むずかしい次元の問題ではなく、要するに、1つの事柄についての同一時における供述(自供)を擅に切断し、つまり不可分一体の意味を持つ自供部分を恣意的に分離して有罪認定の方向に利用するという、どなたにも、なるほどこれは糺すべきだとわかる一例をあげ、これが重大な誤りであって本件誤判の大きな原因となっていることを指摘したものである。
本件事案におけるその典型の1つをあげてみよう。
昭和38年6月22日付員面調書(以下年をあげない。)のいわゆる3人共犯自供において、脅迫状の作成日は5月1日であったと自供している。
「私がその手紙を書いた時は、5月1日夕方明るいころでした。」旨。
ついで6月23日付員面調書(1回)においても、同調書は単独犯行を自供したというものであるがそこにおいても、
「2項、5月1日午后4時ころY(被害者)ちゃんを山の中につれ込みました。」
「3項、それから無理におまんこをやりました。その時さわいだので殺しました。」(傍点は弁護人)
「4項、それから手紙を書いて5月1日の夜Y(被害者)ちゃんの家へ自転車といっしょに届けました。」旨
以上の供述では脅迫状は5月1日に作成した(以下「5月1日説」という。)と自供していたのである。
6月23日付員面調書(1回、2回)における単独自供は、「無事に出てきたら御詣りする」という反省悔悟のうえ、遂に真犯人として真相を告白したとされているものであるところ、殺害方法についても、同じ反省悔悟のもとでの同調書(2回)において、「タオルによって絞頸し、気づいたら死んでいました」と自供(以下これを「タオル説」と略称する。)している。つまり「5月1日説」と「タオル説」は同一人の、同一事件での同一犯行時の、連続した犯行の流れとして、しかも、ともに反省悔悟の上告白されたということになっている。
ところが突如として、6月24日付員面調書において、「4月28日自分の家で書いた」と供述を変更したとされ、6月29日付員面調書において「5月1日説」は実は「嘘でした」旨を確認したことになっている。
ちなみに原第1審判決は、脅迫状作成日を「4月28日ころ作成した」と認定、確定判決も同様である。
反省悔悟の上、真犯人として、いわば臓腑をさらけ出しての自供について、それも、それぞれに本件犯行の核心とされる事項について、一方の「5月1日説」は「嘘」であったということとなり、他方「タオル説」は言いっ放し、聞きっ放しのままである。捜査段階の調書において、また確定判決においても「タオル説」は「5月1日説」の扱いのように、「嘘」であったと訂正されるわけでもなく、さりとて真実の殺害方法として取り扱われるわけでもなく、いわば宙ぶらりんの扱いとなる。奇妙なことである。「タオル説」は、単に「タオルで絞めた」という中途半端な自供ではなく、「タオルの両端を右手で絞めていて気付いたら被害者は死んでいた」という間断のないそれだけで完結した殺害方法として自供されているのである。なぜ一方についてだけ「嘘」をついたことになるのか。「それから」というしっかりした記憶による自供となっているにもかかわらずである。この「タオル説」の運命やいかにである。
確定判決、上告審決定(同決定は「タオル説」を引用するが殺害方法としては無視している。)、第1次再審棄却決定及び同異議申立棄却決定はすべて「タオル説」を馬耳東風と聞き流す。いや見て見ぬふりをする。引用さえもしない。理由は彼らのいう「扼殺」=「五十嵐鑑定書」の採用には「タオル説」が目障りとなるからである。だからといって「タオル説」を虚偽の自白と断定すれば反省悔悟のもとでの自白になぜ虚偽が含まれるのか、という、請求人と本件犯行との結びつきにつき、重大なる疑いが生ずることになる。これが宙ぶらりの真因である。ところが様相は変わる。
上田第2次鑑定、上山鑑定などの明白性を前にして第1次再審の特別抗告棄却決定は、遂に「タオル説」を採用する。同決定における「絞扼併用説」の根拠としての「タオル説」の浮揚がそれである。そうなると、お墨つきとばかりに、つづく各棄却決定はあいついで「タオル説」を引用する。原決定も「タオル」という語こそひっこめているが、「頸部に加えられた暴行が絞扼の併用説の可能性」として認められる旨、最高裁=「タオル説」への思いをにじませ、苦しい心のうちを分かってと訴えているかのごとくである。
考えてみなければならないのであるが、客観的事実としては死体は「タオルで目隠しされていた」状況で発掘発見されていたということである。なれば「タオル説」を援用するかぎり、被害者の生前にタオルで目隠ししたという自供との結びつきはどうなるのかという問題が発生する。つまり目隠しのタオルを外して、その「タオルで絞頸し」て殺したあと、また死体に目隠ししたという手順でなければ辻褄が合わない。
原第1審判決は犯行の手順について「被告人は…同女を…立たせたまま…所携の手拭で同女を該立木に後手に縛りつけ、所携のタオルで目隠しを施し、その反抗を抑圧し」と認定しているところ、有罪の各判決・決定はすべて上記認定を正当としている。
結局「タオル説」浮上の理由は、新証拠の明白性を否定しかわすための便宜からこれを蘇らせたわけである。決して客観的証拠との対比や、自供内容についての分析的、理論的な検討の結果としてこれを蘇らせたものではないのである。同決定は自らのこのうしろめたさを次のように弁解している。
特別抗告棄却決定は判示する。
「元来、犯人の供述は、それが任意であり、大筋において真実であっても、犯行が長時間に及んだり、行為態様が種々に変化している場合や激情を伴っている場合などには、自己の行為でありながら、その一部の記憶が欠落したり混乱したりすることもまた少なくないのであって、そのような見地から、申立人の右自白と前記各鑑定とを比較検討すると、犯人が殺害者の頸部に加えた暴行は絞扼の併用である可能性もあるのであるが、申立人の右自白は、必ずしも右各鑑定に反するものとはいえず、記憶の混乱や一部欠落によって、その絞頸、扼頸の一部を断片的に供述したものともいい得るのであって、いわんや、申立人が全く身に覚えのないことを誘導又は強制によって供述させられたものとは到底認められない。」と。
「元来、…」とはいかにも大きく出たものであるが、いかにも、このもってまわったいいまわしがそもそもくさい。要するに、分かりやすくいえば「タオルで首を絞めたという自供は体験した真実をのべたもので嘘ではない。」といいたいわけである。「しかし」と、同決定は困惑する。「『タオルで絞頸し、気づいてみたら死んでいた』という殺害方法と、『首を右手で押さえつけていたら死んでしまっていた。』という殺害方法とをどう結びつけたものであろうか、と。」。誰でもわかるように、この「タオル説」は、「タオルで絞めて、途中から右手で押さえて、またタオルで絞めた」などとはなっていない。自供の殺害方法は、別個独立、無関係の、2つの殺害方法として自供されている。「あれも、これも」ではなく、「あれか、これか」となっている。さりとて、同特別抗告審としては、「口が裂けても」、「自供の変更があった」とはいえない。もしそういうことにでもなれば犯行の核心についての、それも「反省と悔悟」の上での殺害方法の自供変遷となればそれだけで本件自白全体が動揺する、どうしたものかと。
そこで「元来、…」が出ているという仕掛けになっているのである。
窮極の法の番人であり、正義の擁護者であり、人権の最後の砦としての最高裁が、いかなる理由で真相への解明から目をふさごうとなさるのか。逃避しようとされるのか。そこには誤判は避けねばならぬという精神・魂の高貴さを微塵も感得することができない。まことに遺憾のきわみである。「重大なる供述の変更」として、最高裁自ら問題を提起すべきであった。
まじめに、真剣に、良心的に物を考える人(一般市民)であるなら、「元来、…」が、なにを目的としたいいまわしであるかは直ちに読み取ることができる。「激情」、「犯行が長時間にわたる」、「記憶の混乱」、「一部の欠落」、「断片的供述」など一体、自供調書のどこをさしているのか。最高裁の名による「虚仮威し」(見せかけだけは立派だが内実が下らないこと)にしかすぎないものである。まじめな人たちはそれが非良心的な裁判官の手練手管であって、しかも手垢じみたそれであることを見抜くのである。
さて、「タオル説」にたつかぎり、前述のように、犯行の手順にどうしようもない矛盾が生ずる。もし裁判官が「こまかいことは、いちいちはとりあげません。請求人が殺害したことにまちがいありません。自供のどれを援用し、どれを捨てるかはその時々の裁判官の自由心証によるものです。」などということが果たして許されるのであろうか。
こうなっては、証拠に基づいて事実を認定し論理を組み立てるのではなく、いわゆる自由心証という恣意のもと、まず、一定の心証と論理があり、これにそう証拠だけを集めるということにならざるをえない。実に、本狭山事件の有罪判決・認定を支えているのも、この誤った「自由心証主義」なのである。
「自由心証主義」とは「権力者の恣意」を許容するものではないのである。その2、証明規準の公正なる適用を求めることについて
本狭山事件の有罪判決・決定においては、一行一字たりとも、有罪証拠の証明力について「疑い」ということが出ないのである。たとえば他の判決例において、「この点の自白の信用性は疑わしいといえないことはないが、これこれの証拠によってこれを検討するに…その疑いは解消する。」とかのよくみかける文脈は、本件判決・決定には全然出てこない。一切の判示において、請求人と犯行との結びつきにつき、またその自白全部につき、100%疑いをいれないというふうに押し切っている。
先の「自由心証主義」と裏腹の関係にあるともいえるが、これは見事に、不思議な現象である。たしかに一行、一字においても「疑わしさ」を認めれば、認めた途端、「蟻の一穴」よろしく、有罪認定は崩壊する、この恐怖心に各裁判官はおびえていらっしゃるのではないかとさえ思われる。弁護人らは、裁判官が本件各請求審においてただの一度も公判を開かず鑑定人尋問などを拒否し、密室裁判に終始する真因はここに発しているのではと考えざるをえないのである。既に、前記のその1の論点についてさえ、「確定判決に存する疑い」はまことに公然としている。
本件事案においては実は、有罪証拠について疑いのないものはひとつとして存在していないのである。本特別抗告申立や本補充書が一層これを明らかにしている。典型として、分かりやすい一例のみをあげてみよう。
万年筆について(要旨のみである)
(1)「私がY(被害者)ちゃんからとったものに、財布がありました。」〔6月24日付検面調書青木・遠藤(3回)〕
「時計もとってジャンバーのポケットにしまいました。」(同調書)
(2)「財布は時計といっしょにY(被害者)ちゃんを松の木にしばりつける前にとって、ジャンパーの右ポケットにしまいました。」(6月25日付員面調書青木)
(3)「女学生を松の木に縛った時腕時計とポケットに入っていた財布を盗って自分のポケットに入れた」〔6月25日付検面調書原(2回)〕
(4)「山の中につれこみ時計や財布をとった」〔6月27日付員面調書青木(1回)〕
(5)「財布をとった時のことについて松の木へしばりつけましたが私が財布や時計をとったのはしばりつけてからとりました。しばる前といったと思うが、時計もしばってからかもしれません。」〔同調書〕
(6)「松の木に両手をしばりつけてから財布を出してとりました」〔同調書〕
(7)「時計と財布はジャンパーの右ポケットに入れた」〔同調書〕
(8)「私は時計や財布をとってから金をとりに行くつもりでしたが…」〔同調書〕
(9)「私がY(被害者)ちゃんを縛ってから盗った財布というのは…」(6月27日付検面調書原)
(10)「私はY(被害者)ちゃんを松の木にしばりつけてから金色の時計を外してとった。それからポケットを探って財布をとりました。」(6月29日付員面調書青木・遠藤)
(11)「何をやっても大丈夫と思い又金を取るため縛った事でもあるしついでに腕時計を手首から外して盗り、更に女学生の上着のポケットから財布が出て来たので盗りました」〔7月1日付検面調書原(2回)〕
以上引用のように、雑木林の殺害現場で「盗った」物について、少なく見積もっても11回供述し、いずれも、物は2つ、つまり「財布と時計」を盗ったと供述したとされているところ、どの調書にも、「時計、財布とともに万年筆も雑木林で盗った」(傍点は弁護人)という供述は一度も出ない。
被疑者は11回にもわたって、雑木林で盗ったものは「財布と時計」であると明確に、限定して供述しているところ、万年筆だけは、盗った旨供述するのを忘れていた(註・この点は、字を書きなれない被疑者が雑木林で脅迫状を訂正したとして、この関連において、真実万年筆を盗っているのに、その旨供述するのを忘れていたとか、「記憶が欠落」したなどとは、とうてい考えられない。)、あるいは確定判決の弁であるが、「盗ったが嘘をついた」ということがありうるのであろうか。なんのための嘘か。真実、雑木林で万年筆を盗ったとして、なぜこれだけについて嘘をつかねばならないのか。ありそうにもないことではないのか。『刑を軽くしたい情状から』とするにはいかにも具合がわるい。確定判決はどのように説明したか。
確定判決は、
「被告人が犯人だとすると…、そうだとすると、万年筆を奪った時期と場所に関する供述、並びに『万年筆を使ったことがないからインクが入っていたかどうかわかりません。』という捜査段階での供述は、偽りであるといわざるを得ない。」と。
これは以下に示すように、ペテンの論理である。つまりその言い分はつぎのように置き換えることができる。
「被告人は脅迫状の訂正用具が万年筆であることについて嘘をついた。犯人は嘘をつくものである。よって被告人は犯人である。」と。しかし被告人が嘘をついたということは決して証明された事柄ではない。ただ鑑定の結果、自供と客観的事実の符合しないことが判明したというだけのことである。要するに上記判示は、たとえていえば、被告人が果たして犯人であるか否かを今から吟味しようという場において被告人が犯人であることの論拠に、「被告人は犯人である」という事実を前提にしたと同じことをやっているのである。これは定義でもなければ論証でもない。明らかに論理法上の虚偽の一つである。なぜなら、Aという事柄を論証するための根拠たるBについて、Aを根拠にしなければ論証できないこととなっているからである。
人の命がかかっている刑事裁判に、このようは不正義がフリーパスしてよいのであろうか。なんとしても是正されなくてはならない誤りである。常識のある一般市民なら、そして良心的裁判官であるなら、この自白は疑わしいということにならざるをえないのである。「嘘」ということが、そのことで刑が軽くなるという情状に関連するのであれば、あり得ないことではないが、この場合はそうでないことは判然としている。良識ある人々は、「財布と時計をとった」という自供までもあやしいものではというところまで推測し、その疑いは「犯行現場での万年筆による脅迫状の訂正」また「万年筆を盗った」という事実も架空ではないかとの疑いにまで至るのである。
秋谷鑑定が「ペン又は万年筆による訂正」という事実を科学的に明らかにしていなければ、と考えると慄然たる思いがするが、いや、とんでもない、科学的に明らかにされた結果が、上記の悪循環論証を引き出し、「犯人だとすれば…そうだとすると、犯人であらねばならない。」という仕掛けとなっているのである。本来なら上記鑑定結果は、自白の信用性への疑いにつながるのだが、本件の確定判決は科学的鑑定結果を用いて理不尽にも返り討ちに出ている。ただ「権力」という不条理によって。ありそうにもない「偽り」の「自白」について、検察官もまた証明を尽くして上記疑いを拭うべきだが、それも尽されない。当然であろう。法という正義の名において事案を裁く裁判官が、検察官以上に検察官としてふるまってくれているからである。当審におかれては、なにとぞ、「合理的疑いをこえた証明」がなされているかどうか、そして「疑わしきを」、「被告人の不利益に」ではなく、「利益に」という刑事裁判の鉄則のもと本件を審理していただき、速やかに原決定などの誤判をただしていただきたいのである。「はじめに」の項において、上記2点を各決定における重大なる事実誤認の一つの事例として指摘するものである。本件補充書をこの趣旨において提出する。
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