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狭山事件-最新情報

            

5.石川さんの無実は証拠が証明

        

(2)警察が重要物証をでっちあげた可能性さえある

 狭山事件では、事件後2カ月近くたった1963年6月26日、すでに逮捕されていた石川さんの自宅の「かもい」から、被害者のものとされる万年筆が「発見」され、有罪の有力な証拠とされました。(左写真参照。白い矢印の先が問題の万年筆。万年筆と脚立は、当時の状況を再現したものです)
 しかし、この万年筆が発見されたのは、2度にわたる徹底した家宅捜索の後のことでした。弁護団が当時捜索にあたった複数の元警察官に会って調査したところ、「万年筆が発見されたかもいは、2度の家宅捜索の際にすでに調べられたもの」であるということが明らかになってきました。もちろん、この2度の捜索時には万年筆は発見されませんでした。

★証拠でっち上げ経歴持つ埼玉県警

 狭山事件の捜査は埼玉県警の威信をかけた大捜査でした。このためこの事件の捜査指揮は県警本部の中刑事部長が直接おこない、県警捜査一課を中心に多数の捜査員が投入されていました。こうした捜査の中で、非常に問題の多い行為が平然とおこなわれていました。一つは、再三指摘している被差別部落への見込み捜査です。
 そしてもう一つ、それは重要証拠のでっち上げでした。
 事件当時の報道によれば、狭山事件発生前の1955年に県内で起こった「節子さん事件」という事件で、埼玉県警はとんでもない証拠のでっち上げをしていました。この事件は、無実の人間を殺人犯だとして逮捕し、自白を取って起訴したが、裁判の途中で真犯人が名乗り出て無罪になったという事件です。このときも、無実の人間が自白していただけではなく、なんとその自白にもとづいて「被害者の指輪」が発見されていたのです。
 「節子さん事件」の裁判で検察は、「被害者の指輪がどこにあるかは真犯人しか知り得ない証拠である。それが被告の自白で見つかったのだから、これは秘密の暴露にあたり、被告が真犯人である動かぬ証拠である」と主張していました。もしも真犯人が名乗り出なければ、裁判所はこの主張を鵜のみとしたでしょうから、当然有罪、しかも死刑を含む重刑が適応されるケースでした。しかし裁判では、結局問題の指輪のことはうやむやのまま、「真犯人が分かったから」という理由で無罪となりました。一部では「埼玉県警が指輪をでっちあげなかったとしたら、いったいどういう説明ができるのか?」という報道もありましたが、県警の責任は全く問われませんでした。
 実は埼玉県警は、「節子さん殺し」以前にも、本庄市でおこった事件で無実の人間を逮捕して自白させてしまうというミスを犯していました。(こうした埼玉県警の体質が今日でも何ら改善されていないことは、昨今の埼玉県警の噴出する不祥事でも明らかです)
 そして「節子さん殺し」の捜査にあたった県警捜査一課は、狭山事件の捜査陣のまさに中核だったのです。

 ★現場も見ずに決めつける裁判所

 これまでの裁判では、裁判官は現場も見ないで、「かもいは見えにくいところだろうから、(偶然に)2回とも見落としたのだろう」と決めつけてきました。
 万年筆については、この他にもでっちあげを示すいくつもの疑問がありました。万年筆からは被害者のものはもちろん、石川さんの指紋も発見されませんでしたし、万年筆に入っていたインクは、被害者が使っていたものとは違っていたのです。
 左の写真を見てください。1度目の家宅捜索の時にとられた写真です。問題の鴨居の真下に捜査官が立っていることがはっきりと分かります。他の写真には、この捜査官の真後ろの位置に、高いところを見るための脚立がおかれていることまで写っているのです。
 再審を請求してから万年筆について重大な新証言が加わりました。1度目・2度目の捜索の時現場責任者であった元刑事が、「私が指揮して捜索したとき、問題のかもいも確かに捜した。私自身が自分で手でも触って確認したが、万年筆はなかった」と明言したのです。さらに彼は、「ところが後になって、そのかもいから万年筆が発見されたと聞いて驚いた」「大きな事件だったので、今まで言い出すことができなかった」と続けました。
 この重大証言について東京高裁の高木裁判長は、1999年の棄却決定で「事件発生から20年以上たってからの証言であるから信用性が薄い」と言って全く考慮しませんでした。2002年の高橋裁判長も、この高木決定の文言を全く同様に繰り返しました。しかし、高木裁判長をはじめ歴代の裁判官は、一度としてこの元刑事から直接話を聞こうとしなかったのです。
 狭山事件の確定判決である第2審東京高裁の判決(寺尾判決)はこう言っています。「もしも、物証について弁護側の言うような不審な点が一つでもあれば、(石川さんが犯人であるという認定は)極めてあやしくなる」。元刑事の証言が第2審の審理の中で出ていればどういうことになったでしょうか?
 刑事訴訟法が定める再審を開始すべき「新規・明白な証拠」について、最高裁はつぎのような決定をしています。「かつて裁判にその証拠が提出されていたら同じ判決が下されたかどうか判断し、その判断が確定判決と異なる場合には再審を開始する」ような証拠(最高裁・「白鳥・財田川決定」)であると。今回の東京高裁の棄却決定は、証拠の評価において明らかにこの最高裁判例に違反するものです。
 狭山事件において自白によって発見されたとされるほかの証拠(時計、カバン)についても、明確にそれが被害者のものだと証明できるものはありません。しかも、その発見過程はいずれも疑問に満ちたものばかりです。

          

(5-1)

(5-2)

(5-3)

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