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一 本件について,再審(第1次)を申し立ててから24年を経過した。
請求人は確定前の東京高等裁判所第1回の公判期日(昭和39年9月10日)において自白を撤回してから一貫して無実を叫びつづけ,この間37年を経過して現在に至っている。逮捕当時24才の青年であった請求人も,今,初老の63才に達した。両親を獄中で喪っている。当審におかれてはまずこの現実を直視していただきたいのである。二 本件事件については,実に奇妙なことであるが,確定前の東京高等裁判所においてはもとより,1次,2次の再審を通じて,弁護人らの提出にかかる鑑定書などにつき,その作成人を証人とする事実取調べは,ただの1回も実施されていない。
他の再審先例においては,再審開始決定に至った亊案についてはもとより,あるいは不当な棄却決定のもとでなお闘いつづけている亊案についても,事実取調べが,その都度実施されているケースはすくなくない。
狭山事件についてもこれらの事件におけると同様,証明力ある,専門的知見による鑑定書を新証拠として提出してきた。そして弁護団はその都度鑑定人につき証人訊問を請求してきたが,1次,2次再審を通じてすべてその実施を拒否されてきた。このままで本件再審請求を終結させることは,法の正義において,いや人間の良識,市民の常識からも,耐え難いといわねばならないのである。その理由を1点のべたい。1つの例にすぎないが,殺害方法に関しての科学的論争に関しては,公判廷における事実取調べを実施することにより,その明白性を確認すべきことが,遂に避けられない事態となっているのである。しかるところこの点についての原決定の認定をみよといいたい。そこにおける自白との乖離には目を覆わしめるものがあるところ,ただ「殺したことにはまちがいないのだ。」という独断と専制すなわち確定判決擁護の意思があるだけである。弁護人・請求人はこれに屈服し,泣き寝入りいたさねばならぬのか。原決定の上記認定には自白の虚構性(非体験供述であること)を暴露してあまりあるものがある。三 弁護人らは2次再審を通じて検察官に対して,検察官自ら認めている,『多量』の未開示手持ち証拠の開示を求め,その間,理と情をもって,開示していただきたいと何十回ともいうべき折衝を続けてきた。
そして,証拠の標目だけでも閲覧させてほしいと訴えてきた。検察官はいずれも拒否し,止むを得ず,弁護人らは,原審裁判所に「刑訴法279条による証拠リストの取寄せ照会」を請求したのであった。
原審は取り寄せ請求を無視して原決定を下した。
白鳥決定,財田川決定以後において検察官手持ち証拠の開示が手続上保障されたかのごとくに実現され,これにより再審開始決定が続いた。
しかるところ,1990年にはいっては,「再審法理と実務の取り扱いに逆流がさかまき,白鳥,財田川の本流の埋没」がいわれていることも確かな事実である。四 最高裁判所としての貴庁が,憲法上保障された人権擁護の最後の砦たることの重責に思いを致され,また憲法37条にいう「被告人は,公正な裁判所の迅速な公開裁判をうける権利を有する」との精神のもと,本件再審においても実質上これを保障され,この趣旨において,明確なるご判断のもと,請求人に対し,救済の手を差しのべていただきたいのである。
五 請求人の無実はあらゆる角度からみて十分に立証,主張しつくされている。事実取調べが実施されるならば本件再審につき,無罪をいいわたすべき新規明白なる証拠の提出されていることは必ずやあきらかとなる。
重ねて,請求人に対して再審を開始すべく,ご英断をたまわるよう衷心より懇請に及ぶ次第である。
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