部落解放同盟東京都連合会

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10 半沢鑑定書について

(1)原決定の判示
 原決定は,請求人が本件脅迫状の書き手でないことを客観的に示した「狭山事件脅迫状と石川一雄氏筆跡の異筆性」と題する鑑定書(以下半沢鑑定と簡記する。)を退けるにあたり,「半沢鑑定書は筆跡鑑定の一方法論にとどまり,その結論には直ちに賛同することはできない」と述べる。その理由として,書字・表記,その筆圧,筆勢,文字の巧拙などは,その書く環境,書き手の立場,心理状態などにより多分に影響され得るのであり,また,運筆技術は時日の経過とともに変化(洗練)するのが普通であるにもかかわらず,これらを捨象し,該当文字の出現頻度といった定量分析をし,統計的処理を行って,「希少性のある安定した類似性」「安定した相異性」の判断根拠とするのは疑問である。と述べるのである。
 しかしながら,半沢鑑定は,「人間の書く文字の様態は短期間においてもさまざまな条件によってある程度変動するものであり,文字の特性の出現の『安定性』や『偶発性』は即断を許さないものがある」(同書4頁)と述べているのであり,「書字・表記,その筆勢,文字の巧拙などは,その書く環境,書き手の立場,心理状態などにより多分に影響され得る」ことを捨象しているわけではない。だからこそ,「主観を排した客観的な」方法によって,筆跡の異同を判断する必要があることを実証したのである。
(2)半沢鑑定の前提
 半沢鑑定を作成した金沢大学助教授理学博士半沢英一は,同大学工学部において数学の教鞭をとるかたわら,その専門性を活かして刑事事件における数学上の論点に関する論文を発表し,その解明に寄与している。
 本件脅迫状・封筒の筆跡に関しては,事件発生以来多数の鑑定書が作成されてきたが,それらのなかで今般発見された半沢鑑定はその客観的方法論において著しい特色を有している。すなわち,半沢鑑定人の出発点は経験と勘に依拠する伝統的な筆跡鑑定方法による判定結果の危うさからいかにして解放され得るのかという問題意識にある。いうまでもなくこの点はおよそ筆跡鑑定の可否を論ずるうえで決定的に重要である。現に確定判決が「これまでの経験の集積と専門的知識によって裏付けられたものであって,鑑定人の単なる主観にすぎないものとはいえない」と認定した検察官提出の3鑑定の主軸をなす筆跡鑑定を作成したのは鑑定人高村巌であったが,半沢鑑定にも言及されているように清水郵便局事件にさいして同人が作成した鑑定は後に真犯人が発見されたことにより判定を誤っていたことが客観的に確定されている。半沢鑑定人は,上記のような結果に陥らないことを保障する筆跡鑑定の方法論について先ず原理的に確定し,上記原理を本件に具体的に適用するにあたっては「万人に識別可能な再検証」に耐えうるほど明確な特性を有する筆跡資料(文字ないし文字群)を厳選している。
 本件脅迫状と請求人文書における「た」の第3筆と第4筆における「魯鈍な筆致」をもって高村鑑定は両者の類似点とするのであるが,半沢鑑定は,「何をもって『魯鈍な筆致』で何をもって『魯鈍でない筆致』とするのか,付図を丁寧に見直しても理解し難い。…この『魯鈍な筆致』などという概念は裁判の判断材料としては不適切である。」として明確な特性を欠く資料を対象としたため他者の再検証に耐え得ない主観的判定を排している。
 筆跡鑑定について「主観を排した客観的な議論ができる」ことを実証した点において半沢鑑定は水際立っており,方法論的自覚と論理的厳格さを何よりも重んじる数学者としての知見に基づいて結論が導かれている。
(3)半沢鑑定の要旨
 @鑑定方法の客観性
 半沢鑑定は,「他人の空似」といわれるように全くの別人であっても容貌の酷似した人物が世に存するごとく,筆跡が酷似する場合のあることを前提とする(前記清水郵便局事件の筆跡は上記のようなケースであった。)。したがって,対象資料の筆跡と照合資料のそれとが同一であると判定し得る場合のハ−ドルは極めて高いものとならざるを得ない。すなわち,2資料の間に「『希少性』のある『安定した類似性』が認められ,かつ『安定した相異性』が認められな」いことを要件とする(半沢鑑定書3頁)。上記に反し異筆と判定し得るためには,たとえ部分的であっても『安定した相異性』が認められれば必要十分である(同上)。異筆と認定し得るための上記の基本的原理が正しいことは,半沢鑑定が強調しているとおり人物の同定に関してたとえ,他の要素がすべて酷似していようとも「明確に相異する一要素のみ」が見出されれば,別人とするに十分であることからも明らかである。
 もしも2資料の間に部分的であっても「安定した相異性」が認められる場合には,その余の点について判断されるまでもなく,異筆と判定され得る。逆に「安定した相異性」が認められない場合にはさらに進んで「希少性」のある「安定した類似性」の有無が検討されることとなる。
 半沢鑑定が述べているとおり筆跡鑑定の基本的原理は極めて単純である。しかしながら,従来裁判所が依拠してきた諸筆跡鑑定は「安定した相異性」を無視し,同筆と断定し,裁判所もまた上記の基本的原理に対する背反を看過してきたのである。
 次に具体的作業として筆跡資料について「安定した類似性」や「安定した相異性」などの有無を判定するにあたっては,前記のとおり何人も再検証し得るほど明確な特性をもっている文字ないし文字群が選別されなければならないが,半沢鑑定は自ら提唱する上記の必要条件に極めて忠実であり,最も適切な文字群を選びだしている。
 さらに安定性如何を判定するためには,文字ないし文字群について筆致が魯鈍であるか否かといった主観の入る余地のある定性的分析ではなく,該当文字の出現頻度といった定量的分析が施され,統計的処理がなされている。
 上記のとおり半沢鑑定にあっては,基本原理−適用作業−分析−統計的処理を通して筆跡鑑定の客観性が担保されているのであって,原決定が,「半沢鑑定書は筆跡鑑定の一方法論にとどまり,その結論には直ちに賛同することはできない。まず,『希少性のある安定した類似性』『安定した相異性』の判断根拠が十分でないように思われる」と判示するのは,もはや「いいがかり」としかいいようがないのである。
 A本件に対する客観的鑑定方法の適用
 ウ明確な特性をもっている文字ないし文字群の摘出
 半沢鑑定は,本件対照2資料から双方に共通して見られる片仮名による平仮名代用という書き癖および同じく「け」字の第2・3筆,「す」字および「な」字の各第1・2筆が連続する書き癖(半沢鑑定は「右肩環状連筆」と呼んでいる)に着眼し,これらを鑑定対象としている。平仮名に代用された片仮名および右肩環状連筆それぞれの出現頻度を分析の対象としているが,何人もその出現頻度の数を正確に把握することが可能であるので,主観の入る余地はない。上記の2つの書き癖は万人の再検証に耐え得る明確な特性を有しているということができる。半沢鑑定が上記の書き癖を摘出したことは極めてすぐれた着眼といわなければならない。
 エ具体的適用
 具体的な作業手順としては,本件脅迫状および請求人の工場勤務時の早退届から久永裁判長宛上申書にいたる9点すべて(以下請求人筆跡資料という)から対象文字の写真一覧を作成し,文字の出現頻度から,その特性の「安定性」「偶発性」が確率的に確認されていく。
 最後に上記の手順により確認された「安定性」ある特性に関して,本件脅迫状にその特性が現れているか否かを確認する(同5頁)。もしも本件脅迫状と石川氏筆跡資料の間に「安定した相異性」が認められれば,異筆と判定されることとなる。そうなれば請求人は本件脅迫状の筆者ではないということになる。逆に「安定した相異性」が認められなければ,さらに「希少性」ある「安定した類似性」の有無の検討に進むこととなる。  
 B鑑定結果
 上記の手順で鑑定作業が進められたところ以下の結果が得られた。
 片仮名による宛字
 「エ」については,請求人筆跡資料は昭和38年9月6日付関源三宛書簡まで「え」と書くべき67字のうち66字まで「エ」を書くという書き癖(安定した特性)が現れている。これに対し脅迫状の方は「え」と書くべき4字のうち2字は「え」,2字は「江」を宛てており,請求人筆跡資料における上記の安定した特性(「エ」)が全く現れない。両者には「安定した相異性」が認められ,異筆である。
 「ヤ」については,請求人は昭和40年まで「や」と書くべき148字すべてについて正常に「や」と書いている。脅迫状の方は「や」と書くべき2字のいずれにも「ヤ」を宛てている。両者の間には「安定した相異性」が認められる。「や」については「ヤ」の方が書きやすいにもかかわらず,148字にもわたって1字の例外もなく,難しい方の「や」を書いているということは,「や」が請求人の書き癖として固定していたことを示している。
 右肩環状連筆
 「け」の第2・3筆について昭和40年まで請求人は86字のうち少な目に数えて81字に右肩環状連筆が現れていないのに対し,脅迫状の「け」1字は右肩環状連筆で書かれている。
 「す」の第1・2筆について昭和40年まで請求人は225字のうち少な目に数えて220字に右肩環状連筆が現れていないのに対し,脅迫状は3字の「す」すべてが右肩環状連筆で書かれている。
 「な」の第1・2筆について昭和40年まで請求人は154字のうち少な目に数えて145字に右肩環状連筆が現れていないのに対し,脅迫状は5字の「な」すべてが右肩環状連筆で書かれている。
 上記のとおり「け」「す」「な」について右肩環状連筆で書かないのは昭和40年までの請求人の安定した特性であり,脅迫状は上記文字のすべて(「け」1字,「す」3字,「な」5字)が右肩環状連筆で書かれている。
 請求人が脅迫状の「け」を書く確率は約86分の5にすぎず,「す」を書く確率は約225分の5の3乗すなわちほぼゼロであり,「な」を書く確率は約154分の9の5乗すなわちほぼゼロである(同10〜11頁)。
 上記のとおり「け」「す」「な」の右肩環状連筆についても,対照2資料間に「安定した相異性」すなわち異筆性が認められる。
(4)半沢鑑定の意義
 @異筆性を客観的に明らかにした
 半沢鑑定の有する第一の意義は,冒頭掲記の筆跡鑑定の基本的原理に忠実にしてかつ万人の再検証に耐え得る客観的方法により脅迫状と請求人筆跡資料の間に「安定した相異性」が認められること,両者が異筆であること,すなわち請求人は脅迫状の筆者ではないことを実証したことにある。加えて筆跡鑑定の原理を鮮明にしたことなどにより以下述べるとおり上記原理を踏まえていない判決・決定の誤りにも光を与えることとなった。
 A原決定の誤り
 ウダブルスタンダードの誤り
 半沢鑑定は,原原決定を含め従来の決定が請求人が「つ」と書くべきところに「ツ」を宛てていることなどに着目し,脅迫状との類似性を強調する一方で,脅迫状の「え」「ヤ」使用が請求人筆跡資料に現れていないことなどの相異点を看過しているのであるが,これをダブルスタンダードの誤りを犯すものとして批判している(同2頁,12頁〈注2〉,16頁〈注9〉)。上記のようなダブルスタンダードが非論理的であって許容され得ないことは,たとえ一部にでも「安定した相異性」が認められれば,「希少性」のある「安定した類似性」の有無にかかわらず,異筆と判断されるべき筆跡鑑定の原理に照らして明らかである。半沢鑑定はこのことを指摘していたのであるが,原決定も従来どおりの誤りを踏襲しているのである。
 原決定が「『え』については,同鑑定書添付の資料によっても,昭和38年10月26日付け以降の関源三宛書簡及び内田裁判長宛上申書に見られるのに,これを考慮せずに,昭和38年9月6日付け関源三宛書簡までは,「エ」の平仮名代用が希少性のある安定した類似性というのは,説得的でない」というのであれば,従来の決定が「『ツ』の当て字について,『顕著な特徴』と認められ,『看過できない共通点であると認められる』」などとするのは,同様の論法でいえなくなるはずである。なぜなら,「運筆技術は時日の経過とともに変化(洗練)のが普通」であると原決定は述べているのであり,2時期の資料間に落差があることは,当の裁判所自身が認めているところだからである。
 エ「ツ」使用の希少性に対する過大視
 半沢鑑定は,平仮名に先立って片仮名が教えられた時期に教育を受けた人のなかで,「国語の習得度の低かった人々が,慣れない平仮名の一部を最初に学習した比較的なじみのある片仮名で代用したことは,活字になった資料こそ少ないが,多くの事例があったと思われるからである」として「ト」「ド」を宛てた野口英世の母シカの手紙を引いている(15〜16頁〈注8〉)。
 請求人が義務教育を受けた前後に当たる戦中から戦後にかけてはコミックなど大衆文化や日常生活のなかで片仮名が使用される頻度は今日よりも高かった。なかでも促音の「ツ」はよく用いられていた。「ツ」宛字使用については安易に希少性が強調されるべきではない。
 オ右肩環状連筆に関する原決定の誤り
 原決定は,「運筆の連綿は,その時々の書き手の気分や,筆圧,筆勢などによっても変化し得るもので,書き癖として固定しているとも限らないのであるから,半沢鑑定書が『け』『す』『な』の右肩環状連筆の特徴を強調して,『希少性ある安定した類似性』『安定した相異性』を指摘するのは,その相当性に疑問がある」と判示する。
 しかしながら,上記の判示は出現頻度,蓋然性の問題を全く無視している。請求人筆跡資料における出現が希少であるのに(高めに見ても「け」5/86,「す」5/225,「な」9/154),脅迫状においては一字の例外もなく出現している(「け」1字,「す」3字,「な」5字)。前記のとおり上記の事実は異筆性を客観的に示すものである(同17頁〈注10〉)。
 また,原決定は「右肩環状連筆の特徴が指摘されている『け』は1文字,『す』は3文字,『な』は5文字しか存在しないのであり,しかも,『や』と書くべきところを『ヤ』としたのは2文字しか存在しないのであるから,これをもって,『安定した相異性』を判断するのは相当でない」と判示している。
 しかしながら,原決定が,脅迫状の文字数が少ないことを問題にするならば,請求人資料は文字数が多いのだから,そこでの出現頻度,蓋然性について認めなければ自家撞着である。「石川氏が『な』を右肩環状連筆に書かない確率はほぼ145/154なのに,脅迫状では『な』の5文字すべてが右肩環状連筆で書かれている。そのようなことが起こる確率は約9/154の5乗つまりほぼ0である」との半沢鑑定の結果は,「安定した相異性」を示しているのである。
(5)本件発生当時の請求人の筆記能力に関する原決定の判断の誤り
 原決定は,警察署長宛上申書,N宛手紙と関宛の手紙との書字の差異は,書字の条件の違いに由来するとし,「したがって,警察署長宛上申書,N宛手紙,脅迫状写し,捜査官に対する供述調書作成の際に描いた図面の説明文等,捜査官の目を強く意識しながら,心理的緊張の下で,嫌疑事実に関して記した文書に見られる,書字形態の稚拙さ,交えた漢字の少なさ,配字のおぼつかなさ,筆勢と運筆の力み,渋滞等を以て,当時の請求人の書字・表記能力の常態をそのまま如実に反映したものと見るのは早計に過ぎ,相当でないことは明らかである。」と判示している。
 しかしながら,半沢鑑定人の調査によれば,「エ」字については昭和38年9月6日付関宛手紙まで請求人は「え」と書くべき67字のうち66字を「エ」,1字を「え」と書いている。したがって,請求人は同年7月9日の起訴後2か月も「エ」と書いていたこととなる。原決定の強調する「捜査官の目を強く意識しながら」の「心理的緊張」から解放されても「エ」と書く癖に変化は生じなかった。これは当時「エ」と書くのが請求人の固有の書き癖であったことを示すものである。とともに上記事実は捜査中の心理的緊張とは全く無関係であるということでもある。このことを裏から確認させるのは,「ツ」から「つ」への変化である。すなわち,半沢鑑定人の指摘によれば,同年6月23日付員面調書までは「つ」ゼロ,「ツ」37字であったものが同年6月25日付員面調書から急に「つ」が使われ始め,同年9月6日までには「つ」40字,「ツ」44字と相半ばするようになっている(同8頁)。「ツ」から「つ」へと変化する前もその後も捜査中の心理的緊張から免れていなかったであろうから,上記の変化は心理的緊張とは無関係である。
 また「エ」から「え」へ変化し始める時期と「ツ」から「つ」へ変化し始める時期が異なることは上記変化が捜査中の心理的緊張ないしそれからの解放とは無関係であることを確認するいま一つの事実である。
 なお上記の検討は,はからずも「心理的緊張」といったような定性的分析(心理的社会的解釈)の危うさを示唆する。半沢鑑定の客観的方法は,このような認定方法に疑問を投げかけるものともなっている。「エ」は昭和38年9月6日までは安定した書き癖であった事実,「ツ」は同年6月23日までは安定した書き癖であった事実および「や」は一貫して片仮名による代用がない事実などは,捜査中の「心理的緊張」とは無関係であり,主観的解釈を容れる余地はない。こうした万人の再検証に耐え得る特性を摘出したことによって,半沢鑑定はよく客観的な鑑定となり得ている。
 かくして半沢鑑定の方法論的正しさは,当時の請求人の筆記能力に関する原決定の前記判示部分の問題性と対比してさらに確認されるのである。
 むすび
 半沢鑑定は,脅迫状と請求人筆跡資料との間に「安定した相異性」があることを実証した。これにより筆跡鑑定の原理に照らして上記2資料間において筆跡が同一であるとする余地はなくなった。
 確定判決は,同筆と判定した検察官提出の3鑑定について「多分に鑑定人の経験と勘に頼るところがあり,その証明力には自ら限界がある」と述べていた。そのような方法論的に限界のある鑑定は,もともと同一の筆跡であると判定する資格に欠けていたものといわなければならない。
 半沢鑑定は確定判決の事実認定の基礎をゆるがす新規明白な証拠である。

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