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(自白に基づいて捜査した結果発見するに至った証拠)
その一一 Y・S証言について
所論は、被告人が脅迫状をN・E方に届けに行くとき鎌倉街道を通った旨の被告人の供述は、取調官の誘導に基づく虚偽の供述であるというのである。
被告人は、当審(第三回)において、被告人の六・二六員青木調書(第二回)添付の図面を示されて質問を受けた際に、取調官から鎌倉街道で被告人を見た人がいると言われ、一たん佐野屋の前を通る別の近い道を図面に書いたのを鎌倉街道を通る道に訂正させられ、右調書添付の図面を作成した旨、更に当審(第二六回)においても右と同様、所論に添う供述をしている。
しかし、被告人は、前記員調書添付の図面を書く以前の六・二一員青木調書(第二回)の中で、脅迫状を届けに行ったときの道筋を述べ、同調者添付の被告人作成の第一図には、鎌倉街道を通った旨の記載があり、しかも右図面中鎌倉街道に当たる部分に赤印がつけられ、「をいこされたところ」と説明文がつけられているのである。もっとも右調書は、三人共犯の自白を内容とするものであるが、単独犯行を認めるに至った後の六・二四員青木調書(第一回)及び六・二五員青木調書中で、脅迫状を届けに行った経路については前の供述をそのまま維持し、次いで前記六・二六員青木調書(第二回)でこれを再確認し、更に七・四検原調書においても添付図面によって前記経路についての供述を維持しているのである。
ところで、証人Y・Sの原審(第六回)供述によれば、同人は、被告人がそこを自転車で通ったという時刻に、友人のO・Yほか一名を同乗させて自動三輪車で鎌倉街道を通ったことが認められるのである。そして原審記録中の検察官請求証拠目録に記載されたY・S及びO・Yの員調書並びに貝野本定雄ほか三名作成の捜査報告書の日付がいずれも六日二七日となっていることから判断すると、被告人が鎌倉街道を通った際に自動三輪車に追い越された旨自ら供述したので捜査したところ、Y・Sが当時自動三輪車を運転して右道路を通ったことが明らかとなったもので、捜査当局は、被告人が右の自供をするまで、被告人が鎌倉術道を通ったことも、その際自動三輪車に追い越されたことも知らなかったものと認められる。したがってこ被告人の鎌倉街道を通った旨の供述が、取調官の誘導によるものでないことは疑いのないところであって、被告人の前示当審供述は、到底信用することができない。なお、被告人は、原審(第七回)においても、N・E方へ行く途中三輪車に追い越されたことがある旨をごく自然に供述しているのである。
以上のとおりであるから、被告人が鎌倉街道を通った旨の被告人の供述は、取調官の誘導に基づく虚偽の供述であるとする所論は、根拠を欠き失当であり、被告人の右供述は、自発的になされたもので、かつ他の証拠によって裏付けられた十分信用に値するものと認められ、結局、被告人が脅迫状をN・E方へ届けに行く途中鎌倉街道を通ったこと、その際自動三輪車に追い越された事実は、被告人の自供によって判明するに至った動かし難い事実であるというべきである。それゆえ、論旨は理由がない。
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