部落解放同盟東京都連合会
資料室 狭山事件の資料室 狭山事件確定判決-INDEX

(自白を離れて客観的に存在する証拠)

 その六 U・K証言について。

 所論は、証人U・Kの原審供述は、同人の当審供述があいまいであること、同人が事件後一箇月以上たってから漸く警察に届け出たこと、届出が遅れた理由について納得できる説明をしていないこと、証言内容にも矛盾があることから信用性に乏しいというのである。
 そこで考えてみると、原審において証人U・Kは、「五月一日午後七時半ころ、『今晩わ』という声がしたので土間に降りて外灯をつけ、戸口を開けて『今晩わ』と言った。すると、九尺か一丈ほど離れた所に、年齢二十二、三、背丈五尺一、二寸の男が雨に濡れて自転車のハンドルを手にして立っていた。その男は『N・Eさんのうちはどこですか。』と尋ねたので、『裏から四軒目のうちがN・Eさんのうちだ。』と指さして教えた。被告人が逮捕された後に警察に行って見たが、大体顔かたちや顔がふくれ、あごがこけた感じや背丈の様子、髪の具合も訪ねて来た男に似ていると思った。」旨述べ、更に、法延の被告人を見て、「そうです、そうです、この人です。」と述べた。ところが、同証人は、当審においては、被告人を見せられて、弁護人の、「証人は、そこにいる人に前に会ったことがあるか。」との問に対して、「ありません。」と、「昭和三八年五月一日の晩に証人のところへ人が訪ねて来たということについて原審で証言しているが、いま弁護人が指示した人はその人ではないのか。」との問に対し、「古いことで、はっきりしたことはわかりません。」などとあいまいな供述をしたことは、所論指摘のとおりである。しかしまた、同証人は当審において、検察官の、「証人は早いころ警察で五月一日の晩証人のところへ訪ねて来た人ではないかということで、ある男の顔を見せてもらったことがあるか。」との問に対して、「あります。」と、「そのとき見せられた男は、証人のところへ訪ねて来た男に似ていたか。」との問に対し、「似ていたところがありましたから、そのときそう言いました。」と、「証人は、原審で証人として取調を受けたとき、被告人の顔を見てこの人だと言っておるが、その原審で見た人と警察で見た人と同じ人であったか。」との問に対し、「やはり似ていました。」とも供述しているのであって、同証人の原審供述が事件発生後間もない昭和三八年一一月一三日であり、当審供述が事件発生後三年を経過した昭和四一年五月三一日であることと、同証人の年齢(当審証言当時六三歳)を考慮すると、当審における証言は記憶の薄れによりはっきりしなくなったものと判断され、これをもって、同証人の原審供述の信用性を否定する理由とはなし難い。また、同証人がN・E方を訪ねて来た不審な男のことを、事件後直ちに警察へ届け出なかった理由について、同証人が原審及び当審で供述しているところは、結局届け出ることによって事件とかかわりを持つことが恐ろしく、わずらわしいということに帰すると解され、そのような考えで届出をためらい、後になって漸く届出をするに至った心情も理解できないことではない。所論は、隣人が被害にかかっているならば、直ちに犯人と思われる訪問者の人相、風体、年齢その他を警察に届けるはずだと主張するが、一般世人の人情を理解しない見解と評せざるを得ない。更に所論は、同証人が自宅の犬について吠えると言ったり、吠えないと言ったり矛盾した供述をしており、信用性に欠けるというのであるが、同人が飼っている犬がよく吠える犬かどうか、当夜吠えたかどうかについての同人の証言がはっきりしないからといって、前記の証言の信憑性を疑う理由とはならない。
 しかも被告人は、六・二一員青木調書(第二回)中で、U・K方に行ったときのことを詳細に供述し、殊にU・Kの年齢について、取調べに立ち合っていた遠藤三警部補(当時六一ないし六二歳)を指して、「この小父さんは自分の父より二つか三つ上の五十七、八歳に見えるが、この人と同じ年齢位の人に見えた。」と供述し、なお同調書に添付された被告人自筆の図面第一及び第三の中で、U・K方を図示し、「きいたんち」及び「なかだエさくさんのいエをきいたいエ」と説明を付している。もっとも右調書は、三人共犯の自白を内容とするものであるが、単独犯行を認めるに至った後の六・二四員青木調書(第一回)及び六・二五員青木調書の中で、脅迫状を届けに行った経路については前の供述をそのまま維持し、次いで六・二五検原調書(第一回)中で再びU・K方に行ったときのことを具体的に供述し、更に、六・二六員青木調書(第二回)でも同調書に添付された被告人自筆の図面の中で、「中田江さくさんのうちをきいたところ」と説明を加え、六・二九員青木調書では、自転車を置いた位置についてそれまでの供述を変えはしたが、U・K方に立ち寄ったときのことを述べ、また七・四検原調書においても、添付図面の中で、「中田江さくさんのうちをきいたいエ」と説明を加えているほか、原審(第七回)において、N・E方へ行く途中、N方の五〇米位手前の家でNの家を尋ねた、相手は前に証人に出たUという人かどうかはっきり覚えていないが年齢はあの位だった旨供述し、U・K方に立ち寄った事実を肯定しているのである。
 そして更に、被告人は前示六・二一員青木調書(第二回)中で、「今この時のことで覚えているのは、Yちゃんの家の東隣りの家の前の道に小型貨物自動車が東向きに停まっていました。」と供述し、前示被告人の各供述調書に添付された被告人自筆の図面にも、N・E方手前の道路わきに駐車中の自動車を図示し、「じどしゃ」とか、「なかださんにじてんしやとてがみをもてゆくときにあツたじどしや」とか、「じどうしゃのあったところ」とか「じどをしゃのとまていたところ」などと説明されているのであるが、証人O・Tの原審(第六回)供述によれば、同人は、五月一日午後七時過ぎころから、四〇分位の間、N・E方の東隣りのM・Sa方を訪れ、その間自動車(ダットサンのライトバン)を同人方前の道路に東方川越方向に向けて駐車しておいたことが認められるのである。そして、原審記録中の検察官請求証拠目録に記載されたO・Tの員調書の日付が六月二五日となっていることから判断すると、被告人が前記のとおり、駐車中の自動車があった旨供述したので捜査したところ、O・Tが当時M・Sa方前道路上に自動車を駐車しておいたことが明らかとなったもので、捜査当局としては、被告人が自供するまで右の事実を知らなかったものと認められる。したがって、右の点に関する被告人の供述は、自発的になされたもので、かつ、他の証拠によって裏付けられた十分信用に値するものと認められ、被告人が当時U・K方ないしはN・E方付近を通りかかったことは証拠上明らかというべきである。そしてこのことは、前記証人U・Kの原審供述の信用性をいよいよ高めるものであるといえる。
 以上のとおりであるから、証人U・Kの原審供述が信用性に乏しい旨の所論は失当であって、同人の証言は十分信用に値するものと認められ、結局、被告人が脅迫状をN・E方へ届けに行く途中U・K方に立ち寄り、同人に・N方の所在を尋ねた事実は疑う余地がない。原判決がこれを被告人の自白を補強するものの一つとして挙示しているのは相当である。それゆえ、論旨は理由がない。

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