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2、被告の意識的な虚偽の供述
以上のような観点に立って、被告人の捜査段階における供述や原審及び当審供述の中から、被告人が明らかに、かつ、意識的に虚偽の供述をしたと認められる部分を拾い出すことは容易である。例えば、(1)被告人は捜査投階では、この事件以前に女性と性的交渉をもった経験はなかったと述べてきたところ、当審(第二六・六六回)供述ではこれを変更して、それまでに複数の女性と肉体関係をもったことがあると表白するに至った(「本件」のような態様の犯罪では、性交の経験者が実行する方が比較的容易であることを考えると、この点はかなり重要である。)。
(2)被告人は、捜査段階で、はじめ狭山署の留置場の便所に詫び文句を書いたと述べたので調べてみたが、そこには見当たらず、川越分室の留置場の自室の壁板に横書きで爪で書いたと認められる六月二〇日付の詫び文句「じょぶでいたら一週間に一どツせんこをあげさせてください六・二十日石川一夫入間川」が発見された(この詫び文句にある六月二〇日といえば、被告人が、「本件」につき裁判官の勾留質問に答えて「事実(Yさんのこと)は知りません。事件をおこしてないと云うことをお話しするという意味のことを話しただけで裁判所へ行ってもYさんのことについては知らないから知りません。」と陳述した当日であり、員関源三に三人犯行を自供した日でもあることを考え合わせると、裁判官には否定的な答えをし、員関源三には三人犯行を自供したものの、内心では良心の呵責に堪えかねて、反省悔悟の情を自室の壁板に爪書きしたものと考えられる。)。(3)被告人が員関源三に、三人犯行を自供したのは六月二〇日であると認められるところ、当審に至ってこれを六月二三日であると主張している。(4)六・二一員関調書で、始め鞄を捨てた場所として嘘の略図を書いて渡しておきながら、「なおよく考えてみたら思い違いであったと思います。」といって、別の略図を書いて渡し、その略図によって捜索したところ、鞄が発見されるに至った。(5)被告人は、捜査段階で「筆入れをうんまけたとき鉛筆やペンが入っていた。」、「今日話したことは本当です。」と供述したけれども、当審において取り調べた東京大学名誉教授秋谷七郎作成の鑑定書(以下秋谷鑑定という。)によると、脅迫状の訂正部分の筆記用具は、ペン又は万年筆であるとされ、この鑑定結果は信用するに足りるものであると認められるから、被告人が犯人だとすると、被告人が万年筆を鞄から取り出したのは、「本件」の兇行が行われた四本杉の所で思案していた間のことで、被告人がその場所で被害者の鞄の中を深って筆入れの中にあった万年筆を取り出し、それを使って杉か桧の下で雨を避けて脅迫文を訂正したと認めざるを得ないことになる。そうだとすると、万年筆を奪った時期と場所に関する供述、並びに「万年筆を使ったことがないからインクが入っていたかどうかわかりません。」という捜査段階での供述は、偽りであるといわざるを得ない。そして、所論の文子を書く生活から程遠い被告人が、なぜ五月一日にボールペンを持って家を出たか、その他ボールペンに関していろいろ不合理な供述をしている点も解明されるというものである(したがって、万年筆の奪取時期に関する原判決の事実の認定には誤りがあることになる。)。なお、被告人は六・二九員青木調書(七冊二一四四丁)で「うんまけるということは容物を逆さにして物をあけることです。」と注釈している。
(6)前掲六・二〇員関調書の三人犯行説は、同一人格内部の精神の葛藤を、入間川の男とか人曽の男とかと擬人化して表現したものと見ることができ、供述内容自体からして極めて不自然な部分が認められる。なかでも、兇行後の火急の際に、字の書けない被告人が字をよく知っている名前も言えない人曽の友達から字を教えてもらって脅迫状を書いたという箇所は、極めて不自然で、供述自体からして偽りであることが明らかで、むしろ、捜査官としてはこれこそ単独犯を自供する前触れとみるのが相当であろう。(なお、関係証拠によると、被告人はその際関源三と手を取り合って涙ながらに三人犯行説を告白したということであるが、そのような状況のもとで初めて犯行を自供するような場合にすら、人間は虚偽と計算と擬態を織り混ぜるものであるということを見せつけられるのは、人生の悲哀であるが、このような人間性を直視することなしには真実に迫ることはできないと考える。)。
(7)脅迫状が特定人を具体的に脳裏に措いて書いたものであることについては、文面の上部欄外に「少時このかみにソツンでこい」と書かれていること、封筒にボールペンで少時様と記載されていること、右各記載もその後万年筆を使用して青インクで脅迫状と封筒とが訂正された部分も、ともに鑑定の結果被告人の筆跡になることが判明したことから判断すると、この点に関する被告人の捜査段階及び原審供述は虚偽であると認められ、このことと、封筒が乱雑に引きさかれていることからして封筒は脅迫状が書かれた段階で一旦封鍼されたものと考えられ、その他記録に現れた関係証拠を総合すると、被告人が極力否定するにもかかわらず、近所の特定人(E・S宅の幼稚園児)を脳裏に措いて脅迫状を書いたとの推論が自然に成り立つわけであるが、捜査官(殊に当審における原検察官の証言一四冊一八四三丁)においても極めて強い疑いを持ちながらこの点の捜査を打ち切ってしまったのは真相の究明にとって惜しまれる。この点に関し、被告人は「S此の紙へ包んで持ってこうって書いたのはいいかげんにSって書いたんだけど四丁目にSって言うのが居たんだな。」(七冊一九九二丁)と、とぼけて答えている。(8)さきに詳述したいわゆる筆圧痕問題は、弁護人がその点に疑問をもって被告人に図面作成の経緯をただしたところ、被告人が虚偽架空のことを述べたことがもとになって当裁判所がこれをとりあげたものであるが、鑑定の結果は結局、事実無根であることが明確となったと認めざるを得ない(そして、これが当審における訴訟遅延の一つの大きな原因となったことは否定できない。)。その他にも随所に指摘することができる。
しかしながら、他面において被告人の自白の真実性が他の証拠によって裏付けられる点も多々存することはいうまでもない。
また、真偽いずれとも決め難い点も多々存在することは後述するとおりである。
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