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二、自白の任意性
次に、被告人の捜査段階における自白(事実の承認を含む。以下同じ。)の任意性について考察する。
この点につきまず指摘しておかなければならない点は、一件記録を精査しこれを通観すると、本被告事件の捜査活動はとかく統一性を欠き、被告人の取調べに当たる捜査官に動的証拠その他あらゆる情報を時々刻々に集中させる体制が不十分であったという点である。なるほど、捜査会議なるものは毎日のように開かれて情報の交換が行われていたことは事実であるけれども、被告人の取調べを主として直接担当していた員青木一夫らにおいて、時々刻々に集まってくる物的証拠、鑑定結果、押収捜索・検証・聞き込み等によって獲得された証拠や情報を集約し、これを精密に検討したうえで、被告人の取調べに臨み、被告人に証拠物等の客観性に富む証拠を示してその意見弁解を求めるという方式が採られた形跡を発見することは困難である。被告人の捜査段階における供述調書は、いわゆる「別件」と「本件」とを含め、五月二三日から七月六日までの問に員調書三二通、六月八日から七日八日までの間に検察官に対する供述調書(以下検調書という。)二二通の多きにのぼり、このほかに、当審になってから、捜査の経過を明らかにするという立証趣旨のもとに取り調べられた五月二四日から六月一八日までに作成された員調書一五通及び六月一日から七月八日までに作成された検調書六通とがあって、これらを合計すると実に七五通もの多きに及んでいるのである。しかも、被告人が自白するようになってからも、被告人を事件の関係現場に連れて行って直接指示させること、いわゆる引き当たりという捜査の常道に代え、取調室において関係現場を撮影した写真を被告人に示して供述を求めるという迂遠な方法を採ったことは、その間どのような障害があったにせよ、不十分な捜査といわざるを得ないのであって、このことが後日事件を紛糾させ訴訟遅延の原因となっていることは否定することができない。殊に最も重要と思われる脅迫状・封筒についてさえ、被告人に原物を示したことがあるのかどうか疑わしく、むしろその写真を常用していたことが窺われるのであり、そのため、当審に至って鑑定の結果明らかになった脅迫状等の訂正箇所の筆記用具はペン又は万年筆であって、被告人の自供するボールペンではなかったことにつき捜査官が気付いた形跡がないこと、そのため被告人のボールペンを使って訂正したという供述をうのみにし、このことがひいて犯行の手順に関する原判決の認定の誤りを導いているのである。更に、筆跡鑑定の結果、脅迫状の筆跡が被告人のそれと類似若しくは同一であると判定されていたのであるから、脅迫状に使用されている漢字等についても、被告人に脅迫状を示して逐語的に、この字は前から知っていた字であるかどうか、「りぼん」その他の本から拾い出して書いたものであるかどうか、若しくは被告人がテレビ番組を知るために買っていたという新聞のその欄から知るようになったものであるかどうか(当審における被告人質問の桔果によると、昭和三八年四月当時「ライフルマン」・「アンタッチャブル」・「ララミー牧場」などを見ていたというのであるから、TBS(六チャンネル)の木曜日の午後八時から放映されていた「七人の刑事」なども見る機会があったことが推認され、問題の「刑札」の「刑」はこれで覚えた可能性も十分考えられる。そうでなくても簡単な字画であるから「刑」の字を以前から知っていたとしても別に不思議はない。)など綿密に質問すべきであったと思われるのに、極めて大雑把な質問応答に終始している。はなはだしいのは、同じ取調官が同じ日に二通も三通も調書を作成し、しかもそれらの調書の内容が食い違っていたり、翌日の調書の内容と食い違っている箇所が随所に散見されるのは、弁護人らが詳細に指摘しているところであって、このようなことからすると、取調べに当たった捜査官において事件の大筋についてはともかく、微細な点について果たしてどのような心証をもっていたかすらこれを推測することが困難な状況である。
かように考えてくると、捜査官は、被告人がその場その場の調子で真偽を取り混ぜて供述するところをほとんど吟味しないでそのまま録取していったのではないかとすら推測されるのである。しかしながら、それだけに、その供述に所論のような強制・誘導・約束による影響等が加わった形跡は認められず、その供述の任意性に疑いをさしはさむ余地はむしろかえって存在しないと見ることができる。なるほど、原審においても被告人質問はある程度は行われているが、本件の重大性と捜査段階における供述内容が微細な点で多くの食い違いがあることを考えると、もっと詳細な被告人質問をしておくべきであったと思われる。当審になって被告人が自白を翻し無実を主張するに至った現在から見ると、原審における被告人の公判供述が不十分であることは否めないが、当裁判所としてみれば、被告人が無実を主張している以上それらの点を確かめるすべがなく、前述の真偽取りまぜての供述の中から、被告人の供述心理を解明し、客観的証拠によって裏付けられた供述部分を中心に据えて真実の部分と虚偽の部分とを判別していくという困難な作業を行わざるを得ない立場にあるのである。要するに、本件の捜査の全般なかんずく被告人の捜査段階における供述調書からして窺い知ることのできる取り調べは、拙劣かつ冗漫で矛盾に満ち要点の押さえを欠いていることは確かであるけれども、それだけにかえって、供述の任意性に疑いがあるとは認められない。また、所論の作為性があるとも認められない。弁護人は、鞄類・万年筆・腕時計・足跡等の物証の発見経過について、いずれも捜査官の作為があると総花的に主張している。当裁判所は、いやしくも捜査官において所論のうち重要な証拠収集過程においてその一つについてでも、弁護人が主張するような作為ないし証拠の偽造が行われたことが確証されるならば、それだけでこの事件はきわめて疑わしくなってくると考えて、この点については十分な検討を加えた。しかしながら、当裁判所は、事実の取り調べとして、当時直接・間接に証拠の収集に携わった多数の捜査官を証人として取り調べたが、その結果を合わせ考えても、結論として、これらの点に関する弁護人の主張は一つとして成功しなかったと認めざるを得ない。その詳細については別に論点ごとに考察するであろう。ただここでは、被告人の取調べを主として担当し、最も数多くの供述調書を作成している員青木一夫が当審において証人として、自分は、平素から供述調書というものは被疑者の言うとおりをそのまま録取するものだと考えているし、それを実践してきたと証言していることを指摘しておくにとどめる。また、弁護人らは、最終弁論において、被告人の六・二三員青木調書に添付の被告人作成の図面二枚(七冊二〇四九丁・二〇五〇丁)は、あらかじめ付けられた筆庄痕を被告人がなぞって書いたものであると主張し、その根拠として、上野鑑定中「本資料では表面には骨筆(あるいは使い古しのボールペン)による溝があるのに裏面にはこれがうつし出されていない部分が多数カ所でみられる。これは強いて考えれば三度目の複写で片面カーボンを用いたためという考え方も成り立つが、同じ結果はまず被告人以外のものが骨筆の類で筆庄痕をつくり、この後に被告人をして鉛筆でその後をたどらせるというやり方もまた考え得られる。本資料の図は相当精巧であるのに最初から下にカーボン紙を敷き書き損じもなく仕上げていることは後段の疑を濃厚にさせるものである。」とある部分(三〇冊六八三一丁)を採用する。ところで、右上野鑑定は「本資料の裏面をみるに図および字のほとんどすべて(緑色線をのぞく)が黒色カーボンでうつし出されている。これらのうち図の線のはとんど全部、説明字句の半数は二重に画(書)かれてある。これより本資料の下に両面カーボンを置いて調書の上を骨筆の類でなぞって別の紙に写しとったものと考えられるが、二重にカーボンどりされてあるうちの一本は完全に鉛筆跡の線と一致しており、一部としてこれの軌道から外れることはない。……即ち被告人に書(画)かせる段階で既に下に両面カーボン紙が敷かれてあり、そのあと再びカーボン紙の下に新しい紙を入れかえて今度は骨筆の類でその上をなぞったものとみなければならぬ。」としたうえで前記の推論をしているのである。しかしながら、前記二枚の図面を子細に観察すれば、裏面の二重(二〇五〇丁の図面については三重の箇所もある。)のカーボン線のうちの一本が表面の鉛筆の線や字と一致するかに見えながら随所において外れていることが明らかであり、上野鑑定がいっているごとく被告人が書いた段階で既に留面の下に両面カーボン紙が敷かれていたとは到底認めることができない。しかも弁護人も指摘しているように、二〇四九丁の図面の裏面に見られる二重のカーボン線は、同時に付けられたと認められるのである。そうすると、鑑定書の前記推論はその根拠を失うものといわざるを得ず、むしろ鑑定書が立てているもう一つの推論、すなわち被告人作成の図面を複写するに際して片面カーボン紙を用いたため裏面にカーボンで写し出されていない筆庄痕が付いたという見方が正しいと考えられるのである。弁護人らは、また、前記二枚の図面には鉛筆跡より先につけられていた筆庄痕が存在する旨その箇所を指示して主張するのであるが、右各箇所はいずれも宮内鑑定によって鉛筆痕のあとから筆圧痕が加えられたものと判定されたところであって、これに疑いをさしはさむ余地はない。その外の図面について弁護人の指摘する諸点も、宮内、上野両鑑定の結論を左右するものとは認め難い。したがって、筆庄痕を根拠として被告人に対し自白の強制ないし誘導がなされたとする弁護人らの主張は、その論拠を欠き失当であるといわざるを得ない。
以上の次第で、被告人の捜査段階における供述の任意性に疑いがあるとする論旨はすべて理由がない。
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