部落解放同盟東京都連合会

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第15 異議理由第15、同補充第1のうち、U・K証言に対する原判決の判断の誤りをいう点について

                     

 所論は、要するに、原判決は、新証拠であるU・Kの昭和38年6月5日付け員面調書は第1審第5回公判でのU・Kの証言と同旨であり、実質的に見て新証拠といえるか疑問であるのみならず、これを確定判決審の関係証拠と併せ検討しても、U証言の信用性に疑問を抱かざる点は見出せず、確定判決の認定を揺るがすものではないとしているが、U員面調書は、事件発生後1箇月以上もたってからの供述であり、人物描写は極めて不十分で、目撃した人物の顔についても、唯一「面長」であることしか印象に残っておらず、具体的なことは何一つ述べていない上、同人が目撃したのは、「2間位」離れた位置から、「40ワットの電球」の下で、「1、2分の短い間」であり、同人の供述に信用性がないことを自ら物語っているのであり、このことを否定しようとする原判決の判断は、経験則を無視した極めて不当なものである、というのである。
 そこで、検討するのに、所論援用のU・Kの昭和38年6月5日付け員面調書の内容は、「昭和38年5月1日午後7時30分ころから40分ころまでの間に、降雨の中、傘もささずに自分方を訪れて、N・E方の所在を尋ねた男がいた。その後、N方のYが殺害されたことを知り、その男が本件と何か関係のある人物ではないかと思ったものの、警察に届けて係わりを持つと多勢で押しかけられたりして怖いと思い、直ぐに届け出なかったが、結局思い直して届け出た。その男は年齢23、4歳、背丈5尺1、2寸、面長、長髪であり、1、2分の短い時間ではあったが、電灯(40ワット)をつけ正対して話したので、今でも覚えている。会えば分かると思う。」というものであるが、第1審でのU・Kの証言(昭和38年11月13日の第5回公判)は、概要、「5月1日の午後7時3、40分ころ、戸口の上にある電灯をつけて、ガラス戸を開け外の9尺から1丈離れたところに立っている年齢22、3歳、身長5尺1、2寸、着衣はよく分からないが、襟の折れたジャンパー様の服を着ていた男に応対した。外は真っ暗であったが、電気をつけたので見えた。当時、雨が降っていたが、男は雨具を持っておらず、中古の自転車を立て、ハンドルを持っていた。N・Eさんのうちはどこかと聞いたので、指さして裏から4軒目だと教えた。男は何とも言わずに自転車のハンドルを持って帰った。石川一雄が逮捕されて後、入間川の警察署で見たが、大体、顔かたちが似ていると思った。(公判廷で請求人を見て)そうです、この人です、この人と思います。」というものであって、員面調書はU・K証言と内容同旨であり、実質的に見て新証拠といえるか疑問であるのみならず、これを確定判決書の関係証拠と併せ検討しても、U証言の信用性に疑問を抱かせる点は見出せず、確定判決の認定を揺るがすものではない。
 論旨は採用できない。

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