部落解放同盟東京都連合会

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第9 異議理由第9 殺害現場付近で農作業中の者の存在についての原決定の誤りをいう点について

           

《弁護側主張》

 所論は、ようするに、(1)On・Tは、請求人の自供に基づいて確定判決が認定した「犯行時間帯」に「殺害地点」から約30メートルの至近距離で、除草剤散布の農作業を行っていたにもかかわらず、請求人・被害者の姿を見ておらず、請求人の自供にある悲鳴も耳にしていなし、請求人もOnの存在について何も供述していない、これらは動かすことのできない事実であるのに、原決定は、新規明白性を有するOnの弁面調書を正当に評価せず、「Onが除草剤散布中に人の声を聞いたという右の経験は、請求人の自白供述に沿うものと見ることができる。」などと予断と偏見により強引にねじ曲げられた判断をしているのである、(2)内田雄造ほか作成の第1次、第2次識別鑑定書は、「事件当日の犯行時間にあっては、犯人・被害者と桑畑内のOn・Tとは十分な明視環境にあり、犯人・被害者は、特に努力することなく、農作業を行っているOnを当然に認知したはずであり、Onも十分に犯人・被害者を認知し得る状況である。」というものであり、安岡正人ほか作成の悲鳴鑑定書は、「被害者(女性)の悲鳴は、意識がなくても耳に飛び込んで来る大きさであり、その特殊な音色や情報(音声の意味内容)からすれば、本件桑畑のどの位置からでも知覚し得る。」というものであり、請求人は、これらの鑑定書のほかにも弁護人中山・横田現場検証報告書、横田現場調査報告書、中山・横田悲鳴実験報告書、昭和38年5月4日撮影の航空写真等の新証拠を裁判所に提出し、もし本件犯行が確定判決後の時間と場所で行われたりすると、Onは、当然に犯人・被害者に気付いたはずであり、犯人・被害者の方でも農作業中のOnを至近距離で認識したはずであるのに、そのような状況が全くなく、請求人の殺害現場に関する自白は虚偽架空であることを明らかにしたにもかかわらず、原決定がこれらの識別鑑定、悲鳴鑑定等の新証拠の明白性を否定したのは不当であり、到底容認することはできない、というのである。
 そこで、検討する。

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《検討》

(1)司法巡査水村菊二ほか作成の各捜査報告書、On・Tの員面調書及び検面調書は、付近住民に対する聞き込み捜査の過程において、昭和38年5月1日の本件強姦、殺人の犯行当日の午後、確定判決が殺害現場と認定した通称四本杉の雑木林の西側にある約1反歩の桑畑(本件桑畑)で農作業をしていたことが明らかになったOn・T(農業、当時34歳)から、同月末から6月にかけて事情聴取した結果であって、その太要は、原決定が要約しているとおり、「5月1日の午後2時前ころ、死体埋没現場東方約100メートルの地点にある桑畑に着き、除草剤約4斗を積んだ軽三輪自動車を桑畑東側の山林端に停め、午後4時半ころまで、一人で噴霧器(約4升入り)を背負って除草剤を散布し、その間、除草剤補給のため桑畑と車の間を10回位往復した。午後3時半ころから4時ころの間に、声の方向や男女の別は分からないが、誰かが呼ぶような声が聞こえ、直感で親戚に立ち寄っている妻がお茶を持ってくる途中で誰かに襲われたような感じがしたので、思わず親戚の方向を見たが人影はなかった。よほど行ってみようかと思案して仕事の手を休めたが、雨も少し降っていたこともあり、そのまま急いで作業を続けるうちに、用意した除草剤が切れてしまったので、午後4時半ころ作業を打ち切り、妻の立ち寄り先の親戚へ向かった。同作業現場の西側は見通しは良いが、その他の方向の視界は雑木林に遮られて悪く、特に東側の旭住宅団地より南に通ずる道路は低いため、桑畑から通行人の姿を見ることはできない。」というものである。
 これに対して、On・Tの弁面調書2通は、弁護人がOnに、昭和56年10月18日と昭和60年10月18日の2回にわたり、昭和38年5月1日午後の除草剤散布作業中の出来事について供述を求めてその内容を録取したものであるが、同弁面調書2通では、Onは、作業中に聞いた声は、極めて漠然とした、印象の薄いものであったように述べており、同人の前記員面調書、検面調書と比較すると、人の声を聞いたことでは共通するものの、この人声がどのようなものであり、これをどのように受け止めたかという点では大きく相違している。
 そこで、この供述間の食い違いについて検討すると、原決定が指摘するように、昭和38年5月4日に、狭山市入間川2962番地所在の畑の農道に埋められている被害者の死体が発見され、同月23日に請求人が逮捕されて身柄を拘束されたが、殺害場所などについて自白を始めたのは、同年6月20日以降のことであって、それまでは、殺害に至る経緯、殺害場所などについて、捜査官は、全く把握していなかったのであるから、On・Tから事情を聴取するに当たって、殊更な誘導を行って同人に供述歪めたなどということは考えがたく、また、Onの側においても、虚偽を述べ、あるいは誇張して供述したとも考えられない。そして、請求人が自白を始めた後に、更にOnの供述を求めて作成されたOnの検面調書(同年6月27日付け)の記載内容も、自白前に作成された前記の水村巡査ほか報告書やOn員面調書と実質的な違いは認められないのであって、本件桑畑で除草剤散布作業をしてから1、2箇月しか経っていない、記憶の新鮮な時期になされたOnの捜査官に対する前記の供述内容は、十分に信用できるというべきである。これに対して、弁面調書2通は、事件からそれぞれ18年、22年の歳月を経てから、求めにより、当時を思い起こして供述したものであり、前記捜査官に対する供述に比して、より正確であるとは認め難いといわなければならない。したがって、Onが捜査官に対して「桑畑で除草剤を散布中、午後3時半ころから4時ころの間に、声の方向や男女の別などは分からないが、誰かが呼ぶような声が聞こえ、直感で親戚に立ち寄っている妻がお茶を持って来る途中で誰かに襲われたような感じがしたので、思わず親戚の家の方向を見たが人影はなかった。」旨の経験事実の供述は、強姦とそれに引き続く殺害に関する請求人の自白に沿うものと見ることができるのであって、これと相容れないものではないとした原決定の判断に、誤りはない。

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(2)所論は、その援用の証拠により、もし本件の強姦と殺害が自白通りの時と場所で行われたとすると、当然、On・Tは犯人と被害者に気付いていたはずであり、犯人と被害者の側でもOnの姿を認識したはずであって、このような状況下で強姦、犯人の犯行が行われたことはあり得ず、また、犯行が行われたとすれば、Onが被害者の悲鳴をはっきり聞き取らなかったはずはない、と主張する。
 しかしながら、関係証拠により明らかな、原決定指摘の四本杉のある雑木林の周辺一帯の状況、本件当時の天候等に加えて、Onは、うっとうしい天候の本で約2時間半にわたり、作業を早く済ますことを心掛けながらうつむき加減に桑畑の中で往復を繰り返し、独り噴霧器を用いて除草剤撒布に専念していたのであって、桑畑のすぐ東側の雑木林で凶悪な犯行が行われて悲鳴が上がることなど、夢想だにしなかったのであるから、除草剤撒布の作業の間に、雑木林の中の犯人と被害者の姿に気付かず、また突然に被害者の悲鳴(その音程、音量、長さ、回数などは、証拠上判然としない。)が上がっても、前記Onの員面調書、検面調書にあるとおり、「声の方向や男女の別は分からないが、誰かが呼ぶような声が聞こえた」と感じ、「直感で親戚に立ち寄っている妻がお茶を持ってくる途中で誰かに襲われたような感じがしたので、思わず親戚の家の方向を見たが人影はなかった。よほど行ってみようかと思案して仕事の手を休めたが、雨も少し降っていたことでもあり、そのまま急いで作業を続けた」もので、危難に遭っている者がすぐ近くにいるという切迫感を持たなかったことは、必ずしも不自然なことではないと考えられる。他方、犯人と被害者の側についても、現場の地理的状況、当時の気象条件の下では、桑畑が見通せる客観的状況にあったからといって、桑畑で作業中のOnの姿に当然気付いて、犯人はその場所での犯行を断念し、被害者は救いを求めたはずであるとは、必ずしもいい難いと思われる。
 所論が援用する識別鑑定書、悲鳴鑑定書、報告書等は、いずれも昭和56年から61年にかけての現地調査に基づくものであるが、原決定が指摘するように、事件当時から20年近くを経て、現場とその周辺が大きく変容したことは察するに難くなく、事件当時のままに地形、気象、地上物等の条件を設定し、あるいは推測により近似の条件を設定して、近くで悲鳴が起こることなど全く予期せずに、除草剤撒布の作業に集中していたOnの心理状態を含め、当時の状況を再現することは、非常に困難なことであるといわなければならない。その旨の原決定の判断は、相当である。
 論旨は採用できない。

※《》内の小見出しは、当Site担当者が便宜的につけたものです。決定本文にはありません

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