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(10) 神戸光郎作成の平成12年2月18日付け鑑定書(以下「神戸第2鑑定書」という。)について
なお、所論は、意義申立補充書(平成12年3月31日付け)において、神戸第2鑑定書を援用し、同鑑定書は、(1)「3鑑定は、請求人のいう『りぼん』を手本にして脅迫状の漢字を書いたという条件(以下『所与条件』という。)を考慮していない筆跡鑑定書であるため、筆跡鑑定書としての適格性(信頼性)を欠くものである。指摘されている誤字、当て字が習慣的、無意識の中に書かれたものであるという前記2者(関根・吉田鑑定書、長野鑑定書をさす。)の考察内容は、所与条件に矛盾する。すなわち、漢字を知らず、書けないからこそ手本をたよりに漢字を模写した場合であるのに、『な』を用いながらこれに『名』を、『と』、『き』を用いながらこれに『時』を、『け』、『い』、『さ』、『つ』を用いながら『刑』、『札』を、『し』を用いながら『死』、『知』を当て字するのは、極めて不自然であって、むしろ手本を見ずに作成したことを強く印象づけている。」、(2)「漢字の書字能力が低いものが手本を模写すると、当然筆速は遅くなり、字画や、線の曲、直の調整に手間取り、運筆を停止することもしばしば起こり得るが、本件脅迫状の文字には、漢字を含め(例えば『死』、『時』などには)流れるような筆勢があり、また、手本の字に相似させるため1画、2画などの長さの調整や、手本に見合う確度や全体の相似性に努めたと判定できる筆跡を指摘することは困難であって、むしろ、全体の結構としては、手本などを無視した筆勢が顕著である。このように『所与条件』と明らかに矛盾する点が見出せる。」、(3)さらに、「高村鑑定書は、『出』、『気』、『名』、『刑』、『札』などに触れて、関根・吉田、長野鑑定書に見られるような、これらの漢字は習慣的、無意識のうちに書かれたものとはいわず、作為性のうかがわれることをほのめかしているところ、高村鑑定書に『質的充全性』は認められるものの、もし高村鑑定書作成時に『所与条件』を知らされていれば、同鑑定結果とは異なる鑑定結果となった蓋然性は極めて高い。」、と指摘しており、神戸第2鑑定書によれば、本件脅迫状を、漢字を知らないものが手本を見て書いた文書と考えることはできず、請求人の自白には合理的疑いがある、と主張する。
そこで、検討する。
3鑑定のうち、関根・吉田鑑定書が「(脅迫状の)文字の形状構成、筆致等について作為性はなく、筆者固有の筆跡が自然の状態で表現されていると認む。かような誤字は、誤字を書きながら正しい文字と思いこみ、これに気付かないのである。これを習癖的に無意識のうちに書くのである。」とし、長野鑑定書が「これ等(誤字、当て字)の文字が計画的に書かれたものであるか、又は習慣的、無意識の中に書かれたものであるかを当字及び当字の前後の文字などから考察してみると、文字の傾斜や筆勢、筆圧、配字の調和性等から考えて特に不自然な点が指摘されないので、これ等の誤字、当て字の一部には計画的に書かれたものも含まれているかも分からないが、大体において習慣的、無意識の中に書かれたものと見るのが妥当のように考えられる。」とし、高村鑑定書が「他人の文字を模造したものに対しては、相当の考慮の下に異同検索を行うことを要する。その文中(脅迫状)において誤字が用いられているのは筆者自身が正しい文字を知らざるためとのみ考えることはできない。欺罔の手段として筆者が書くことを不得手とする文字を故意に当て字で書く場合も考慮に入れなければならない。第187号証の1(本件脅迫状)の中、第3行目の『車出いく』と書かれている『出』の文字は筆者が『で』の文字を知らなかったのではなく、それは、同文中の6行目と7行目に『て』の文字を書いていることによって明らかである。また、『き』を『気』と書き、『な』を『名』と書いている点についても同様である。従って『警察』を『刑札』と書いているが、果たして筆者がその文字を知らなかったか否かは疑問である。」としていることは、所論指摘のとおりである。
しかしながら、3鑑定においては、神戸第2鑑定が指摘する請求人の供述調書は鑑定資料になっていないのであるから、3鑑定が同供述調書を考慮していないのは当然であって、3鑑定が同供述調書を考慮していない点をとらえて鑑定書としての適格性にかけるというのは、相当ではない。
神戸第2鑑定書は、請求人が手本とした「りぼんちゃん」にはこのような当て字は一つとして見当たらないから、そこに浮かび上がってくる作為性に照らして、本件脅迫状の筆者の書字能力は、相当高度であったと鑑別するのであるが、請求人は捜査段階において、「りぼんちゃん」から仮名の付された漢字を拾い出して使用した旨供述しているのであるから、同じまたは近い音のところに漢字の当て字をすることも不自然ではないのであって、同鑑定書の指摘は当を得たものとはいえない。
また、同鑑定書は、本件脅迫状の全体の結構としては、手本等を無視したような筆勢が顕著であると指摘し、所与条件を考慮して本件脅迫状の筆跡を検討した場合、所与条件と明らかに矛盾するというのである。しかし、本件脅迫状自体から手本等を無視したような筆勢が顕著であると判断する根拠が十分説明されていない上、同鑑定書のいう所与条件とは、要するに、脅迫状の漢字は手本(活字体)をまねて書かれたものということに帰するが、請求人は、捜査段階において、「『りぼんちゃん』という漫画の絵本を見ながら漢字を探して字を書き、3枚位書きくずして4枚目にかいたのが善枝ちゃんの家へ届けた脅迫状です。」、「雑誌から書き出した漢字は20字か30字位書き出し、手紙に使わなかった漢字も相当ありました。」と供述しているところ、本件脅迫状を書く時点で「りぼんちゃん」から拾い出した漢字をどの程度スムーズに書けるようになったか、また、同雑誌を見ながらその漢字をまねて本件脅迫状を書いたかどうかは明らかでないから、同鑑定書の指摘がそのまま当てはまるとはいい難い。
なお、本件脅迫状の作為性について、神戸第2鑑定書は、脅迫状にある「『子供』の『供』の6文字のうち一つは『 』様に筆記されており、同字は書字能力の低い者が多少練習しても書字し得るものではないと断じ得る。」と指摘しているところ、他の「供」の5文字と比較検討すると、「 」は、運筆の筆順の誤りが作為的に書かれて生じたものとは考えられるが、同字は書字能力の低い者が多少練習しても書字し得るものではないと断じ得るとした根拠が明確でない。
したがって、神戸第2鑑定書が3鑑定の判定に疑問を生じさせるものとは認め難い。
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