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第2 異議理由第2、同補充第1、第4ないし第7 脅迫状についての原決定の誤りをいう点について
1 筆跡についての原決定の誤りの主張について
(1) 神戸鑑定書について
所論は、要するに、原決定は、伝統的筆跡鑑定方法による神戸鑑定書の詳細な分析結果、すなわち「鑑定資料@(本件脅迫状)と鑑定資料A(警察署長宛上申書)の筆跡は異筆と判定する。」旨の鑑定結果について、異筆性を裏付けるものとはいえないとして、その明白性を否定したが、神戸鑑定書それ自体において、また他の新証拠とを総合評価することにより、請求人作成の上申書と本件脅迫状の異筆性は明白となる、と主張する。
そこで、検討するのに、神戸鑑定書は、まず、本件脅迫状と請求人作成の昭和38年5月21日付け狭山警察署長宛上申書それぞれの筆勢、筆圧、配字形態、字間形態、字画構成、筆順、誤字、文字の巧拙、書品、文字の大小、書体等を比較照合するとともに運筆を調べた結果、同筆と判定する根拠は薄弱である反面、偶然とはいえない相違点が数多く認められることから、両者は異筆と判断されるというのである。
しかし、原決定が指摘するように、書字・表記、その筆圧、筆勢、文字の巧拙等は、その書く環境、書き手の立場、心理状態により多分に影響され得るのである。本件脅迫状は、書き手自らの自由な意思表示として書かれた身代金の要求文書であるのに対し、対照資料である警察署長宛上申書は、請求人が自宅で書いたものではあるが、被害者失踪当日の行動につき警察から事情聴取を受けた者の弁明文書であり、しかも、わざわざ自筆の上申書の提出を求められたのは、被害者方へ届けられた本件脅迫状との対比に供する筆跡を得たいがためであることが、請求人にとっても容易に推察できたはずであって、このような両文書それぞれの性格、文書作成の経緯、環境、書き手の置かれた心理的立場、状況の違いを考慮すると、神戸鑑定書が両文書の相違点として指摘する諸点が、直ちにその書き手の相違を意味するものとは、必ずしもいい難いというべきである。現に、関根・吉田鑑定書、長野鑑定書、高村鑑定書(以下、これらをあわせて「3鑑定」という。)及び検察官提出の平成4年12月7日付け「再審請求に対する意見書」に参考資料として添付された科学警察研究所警察庁技官高澤則美作成の平成元年1月18日付け鑑定書(以下「高澤鑑定書」という。刑訴法435条6号の再審事由の存否を判断するに当たり、再審請求後の審理において新たに得られた同鑑定書を検討の対象にすることができることについては、最高裁平成10年10月27日第三小法廷決定・刑集52巻7号363頁参照)において、警察署長宛上申書は、筆速度を特に遅くし、文字の形態・構成、筆順等は拙劣であり、筆勢は渋滞し、特に筆圧を強くして書いているため運筆に円滑性を欠き、また線条に震え等が見られるとの指摘がなされている。
原決定が指摘するように、昭和38年5月21日付け警察署長宛上申書、同年6月27日付けのN宛手紙、及び同年7月9日の起訴と同時に川越警察署から浦和刑務所拘置区へ移鑑された後、当時心安くしていた関源三巡査部長に宛てた、同年9月6日付けの近況報告のあいさつと頼みごとの手紙とを取り上げて比較対照すると、これらの文書は、いずれも個々の書字の癖ないし形状の点で、本件脅迫状と共通する多くの類似点が認められる反面、関宛の手紙は、警察署長宛上申書及びN宛手紙に比して、個々の配字、筆勢、運筆等の点で暢達であり、また全体的印象でも、明らかに書字として優っていると認められるところ、請求人が前2者を書いてから関宛の手紙を書くまで僅か2、3ヶ月程の時日を経たに過ぎないのであるから、この間の練習により書字・表記能力が飛躍的に向上して関宛の手紙の域に到達し得たものとは考え難いのであって、警察署長宛上申書、N宛手紙と関宛の手紙との書字の差異は、身分拘束中の練習の影響も幾らかはあるとしても、主として、書き手である請求人の置かれた四囲の状況、精神状態、心理的緊張の度合い、当該文書を書こうとする意欲の度合い、文書の内容・性格等、書字の条件の違いに由来するものと思われる。したがって、警察署長宛上申書、N宛手紙、脅迫状写し、捜査官に対する供述調査作成の際に描いた図面の説明文等、捜査官の目を強く意識しながら、心理的緊張の下で、嫌疑事実に関して記した文書に見られる。書字形態の稚拙さ、交えた漢字の少なさ、配字のおぼつかなさ、筆勢と遅筆の力み、渋滞等を以て、当時の請求人の書字・表記能力の状態をそのまま如実に反映したものと見るのは早計に過ぎ、相当にないことは明らかである。
そして、神戸鑑定書が本件脅迫状と警察署長宛上申書とについて、個々の書字の形態、筆法等の違いを指摘して、異筆であることの根拠とする事柄についても、首肯し難い点がある。3鑑定書及び高澤鑑定書が本件脅迫状を被告人の筆跡とした根拠として挙げる「な」についての分析が不十分のように思われる。高澤鑑定書は、本件脅迫状の「な」について見られる特徴として、@第3筆始筆部が第2筆の下方に位置している、A第3筆と第4筆が一筆で書かれている、Bその部分の写真105、106中Zで示す部分に転折が認められる。C第4筆終筆部は右斜め上方に向かって長く伸びて書かれていることを指摘し、特に、第3筆から第4筆にかけての形態に注目している。これに対し、神戸鑑定書は、第4終筆部が長く跳ねているか、止めているか、連続する第3、4筆のなす角度等の相違を重視しているのであって、前記のとおり、警察署長宛上申書は書字速度が遅く渋滞した筆跡であるから、これの点を重視するのは相当でないというべきである。
さらに、神戸鑑定書は、本件脅迫状の運筆上の特徴点として、「な」の字の第1筆と第2筆の連続を挙げ、請求人自書の警察署長宛上申書との際立った相違として指摘しているが、このような連続の現象は、筆勢伸びやかな関宛昭和38年手紙の「な」の運筆にも時に見られるのであり、また、本件脅迫状の「す」が連続して一筆で書かれていることを相違点として指摘するが、請求人の手になる接見等解除請求書にも、「す」の一筆書きは認められるのである。このように、運筆の連錦は、その時々の書き手気分や、筆圧、筆勢などによっても変化し得るもので、書き癖として固定しているものとも限らないのであるから、本件脅迫状に神戸鑑定書指摘の連錦が存在することが、直ちに本件脅迫状と警察署長宛上申書との書き手の違いを示す特徴点であるとはいい難い。神戸鑑定書が、確定判決が依拠する3鑑定の結論に影響を及ぼすものではないとした原決定の判断は、相当である。
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