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狭山事件-最新情報

            

7.事件は未解決。多くの謎はそのままであり、被害者や家族の人権も侵されたまま

        

 狭山事件で人権を侵されているのは、もちろん石川さんだけではありません。被害者Yさん、そしてその家族も、かけがえのない命を奪われたうえ、真犯人がいまだに明らかにならないという意味で、今なお人権を侵され続けています。

★事件の謎は何一つ明らかになっていない

 1)被害者の当日の足取りは?

 事件発生当時からある数々の謎は、今でも何一つ明らかになっていません。例えば事件当日被害者Yさんは級友に「今日は私の誕生日だから」と言い残し、一人でいつもより少し早く下校しました。しかし、Yさんの自宅では特にお祝いをする計画はなかったのです。下校後のYさんの足取りは、学校近くの郵便局に立ち寄った(オリンピックの記念切手を予約するため)あと、ようとして分からなくなります。
 時間的には下校直後の3時20分頃、西武線のガード下で、中学時代のYさんをよく知っていたNさんが、「誰かを待っているような様子のYさんを見た」と証言していますが、この場所はYさんの通学路とは全く反対の方向にあたります。Yさんはいったいなぜこのような場所にいたのでしょうか?
 Yさんの死体は、雨の中を雨具も持たずに自転車に乗っていたはずなのに、ほとんど水に濡れていませんでした。また、検死の結果、胃の内容物に学校の昼食には出ていないトマトの残留が認められました。
 Yさんの当日の足取りについては、当時警察も最優先の捜査課題として聞き込みをおこなっていますが、なんとこの記録は裁判にも提出されることなく、今でも検察が持っているのです。もちろん弁護側はこの記録の開示を求めていますが、検察は「プライバシーの保護」を理由として開示を拒否しています。
 しかし、Yさんの当日の足取りは狭山事件の核心と言ってもよい部分です。被害者の人権を言うのなら、事件の真相を明らかにすることこそ、第一としなくてはならないのではないでしょうか。

 2)他に類例を見ない多数の自殺者

 狭山事件の最大のミステリーは、他の事件では類例を見ない多数の自殺者の存在です。被害者N家の関係者の一人であったOさんは、事件の最初の段階で埼玉県警の厳しい取り調べを受けて自殺しました(5月6日)。翌日に結婚式を控えている身であり、自ら死を選んだ場所は新築中の新居でした。この自殺が捜査の方向に与えた影響がいかに甚大だったかはこれまでに述べたとおりです。
 この他にも、市内の林で不審な3人の男を見たとの目撃証言を警察にもたらしたTさんが、5月11日、心臓を刃物で突き刺して自殺しました。また被害者の姉であり、唯一真犯人と言葉を交わした人物であったN・Tさんは、事件の翌年、石川さんに死刑判決が出された時期に農薬を飲んで自殺しました。彼女もまもなく結婚する予定でした。この他にも、被害者Yさんの弟が自殺していますし、いわゆる「変死」とされる人も入れれば、その数はもっと増えます。
 このように多くの悲惨な自殺者を多数出した刑事事件は、他に類例を見ないものです。この方々の死が、狭山事件にどのようにかかわっているのか、その真相は何一つ明らかになっていません。

★真相究明のために、裁判所は勇気ある判断を

 警察で鑑識に携わること24年、この道の第一人者である斎藤保・指紋鑑定士(元栃木県警鑑識技官)は、狭山事件の脅迫状封筒を鑑定して、「科学的に分析する限り、真犯人は事件発生前に脅迫状封筒に万年筆ないしは付けペンで被害者の父親の名前をかけた人物」しかも「真犯人は軍手をはめて脅迫状を扱っている」事実を指摘しています。
 石川さんには事件前に万年筆やつけペンを入手できなかったこと、そして被害者と一面識もなく、その家族構成や名前など知る由もなかったこと、また「自白」によれば終始一貫して素手で脅迫状と封筒を扱っていること、これらのことは裁判所も検察も、ともに認めるところです。
 石川さんは犯人ではないのです。
 被害者の人権を回復するためにも、また石川さんの人権の回復のためにも、今こそ裁判所は勇気を持って事実調べに踏み切るべきです。検察に対して未開示証拠の開示を命令し、再度事件の真相に迫るべきです。

                    

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