1.発端―1963年5月1日、埼玉県狭山市
1963年5月1日、この日埼玉県狭山市内の女子高1年生Yさんは16回目の誕生日を迎えました。クラスメイトたちの証言によれば、Yさんはこの日、「今日は私の誕生日だから…」という言葉を残し、授業が終わるといつもより少し早い午後3時20分ごろ、一人で学校を出て、自転車で帰宅の途につきました。しかしYさんの家では、その日の夜何か特別の祝い事を計画していたわけではありませんでした。家族の知る限りYさんが特に早く帰る理由はありませんでした。
★女子高校生が行方不明に
この日の狭山は、午後2時ごろから小雨が降ったりやんだりしていましたが、午後4時ごろからは本降りとなりました。激しい雨の中、午後6時を過ぎてもYさんが帰宅しないのを心配したYさんの兄Kさんは、自動車で妹を迎えに出ます。Kさんは、雨具を持っていない妹がまだ学校にいるのかもしれないと考えましたが、既に学校にはYさんはいませんでした。つづいて「電車に乗って帰ったのかもしれない」と考え、自宅の最寄り駅まで出向きましたが、ここにもYさんの姿はありませんでした。結局YさんをみつけることができなかったKさんは、午後7時30分頃むなしく帰宅します。
★脅迫状と自転車を発見
兄Kさんが帰宅して10分ほどたった午後7時40分ごろ、ついさっきKさんが入ってきたばかりの玄関の引き戸の部分に「白い封筒」が発見されます。それは10分前にはそこになかったものでした。玄関の中は土間になっており、そのすぐ隣の上がり座敷でYさんをのぞく家族全員が夕食を取り始めていました。しかし家族の誰も、人の気配を感じませんでした。
封筒の中には「脅迫状」が入っていました。
「脅迫状」には、子どもを誘拐したこと、身代金20万円を女性が5月2日の深夜・「佐野屋」という酒屋のところに持ってくること、また、もし警察に話したら子どもを殺すという意味のことが書かれていました。「脅迫状」の文字はきわめて特徴的な筆跡で、大学ノートを破いた用紙に、横書きで書かれていました。
脅迫状を読んだ家族は、ただちに警察に通報することにします。
警察に向かうために、兄Kさんが納屋の自動車のところまでくると、そこについさっきまではなかった妹Yさんの自転車がおいてあるのを発見しました。それは、Yさんがいつも自転車をおいている場所でした。自転車の様子を見てみると、サドルの部分が雨に濡れていませんでした。
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