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「事件の本質は部落差別」被害者が法廷で意見陳述

「連続・大量差別はがき事件」第7回公判

          

 連続・大量差別はがき事件の第7回公判が、2005年6月6日午後4時30分から東京地方裁判所・第511法廷でおこなわれました。
 この日は事件の被害者の意見陳述がおこなわれました。

「全体で99件の被害。550日間は地獄の日々だった」

 法廷で意見陳述を行ったのは、被害者の一人である浦本誉至史さんです。浦本さんは、自身に関わる事件の実態と、心情を20分にわたって陳述しました。以下は、浦本さんの陳述の要旨です。(以下の文章中で使われる「私」とは、浦本さんのことです)

《事件の被害》

 2003年6月から2004年10月までの間に私が受けた被害は、起訴されていないものも含め、全体で次の99件。
(ア)私個人に送付された差別脅迫はがき・手紙、67件
(イ)私を差別誹謗する内容の部落解放同盟足立支部へのはがき、1件
(ウ)私の名を騙った他の団体や個人への差別はがき・手紙、15件
(エ)私宅周辺への差別扇動はがき・手紙の送付、7件(少なくとも11通が判明)
(オ)私の名を騙った物品の注文と送付、7件
(カ)私の名を騙った特定政党機関誌への投稿と、宗教団体への入信申し込み、2件

《差別手紙ハガキの凄まじい内容》

 私が受け取った差別はがき・手紙の内容は凄まじい物だった。
 「足立区Hのえた、浦本誉至史だな、難しそうな名前をえたのくせしてつけやがって生意気だぞ。(中略)お前なんか綾瀬川に沈めてやる。(中略)バーカか死」(消印03年9月19日東京中央)
 「えたのくそったれ浦本誉至史を征伐して明るい日本をつくらないといけない。お前は特殊部落出身のえたのくせして人間と同じようにずうずうしく生きているうじ虫。どうしてお前みたいな賎しくケガれていて臭くて汚いダニがこの世に生まれてしまったんだろうかと思うと本当にムカついてくる。お前なんて生きている資格も価値も全くない邪魔な生命体である。(中略)浦本誉至史39歳えた非人のくそったれは必ず呪いの力で殺してやる。刃物もライフルもいらない。浦本誉至史征伐同盟は部落解放同盟をぶっつぶして浦本を処刑する。浦本えたお前は死ね。」(消印04年10月10日渋谷)
 「えた非人のくそったれである浦本誉至史、お前は死ね。死ね、死ね、死ね、(中略)人間はお前たち特殊部落出身のえた共とは同じ社会で生活するなんてイヤなんだよ。さっさと死んでくれよ。生きていても迷惑なんだよ。(中略)えた非人は日本のダニ。一匹のこらず身元を公表して人間社会を追放してやる。お前たちは身元を暴くとその地区に住めなくなるため、どんどん暴いてやる。お前の身元ももっと広い地域に公開してやるぞ。(中略)どうしてえたを差別してはいけないんだよ。差別したいのだから差別してもいいだろう。えたのくせしてふざけるな。えた。足立区中にお前のみにくくて、うざったい顔写真入りのチラシをまいてこいつは特殊部落出身のえたですと知らせるぞ。私はやると行ったら必ずやるからな。(中略)近所でももうお前には早く出ていってほしいという考えでみんなまとまって近くU〈浦本の入居するアパートの大家さんの実名〉さんに申し入れるということをお前を調べた興信所の人に聞いているよ。そこに住んでいられるのももう少しだ。住民の方の力でお前のようなうじ虫はH町を追放され、どこへ行っても地域の人に拒否されて住むところもなく、最終的には死ぬことになる(後略)」(消印04年10月12日渋谷)
 こうした文言を読むたびに、私は怒りに手が震え、精神の安定を保っていることすら困難な状態になった。怒りと不安から夜も眠れず、肉体的にもぎりぎりの状態にまで追いつめられた。

《周辺住民に差別扇動された被害について》

 アパート周辺には、私の出身を暴露し差別を扇動するはがきがばらまかれた。
 はがきを受け取った周辺住民の中には、私の大家さんのところに、わざわざそのはがきを持ってきた人がいる。「あなたのところに浦本っていう人本当にいるの?」、そう「不安」を告げて、言外に「退去してもらったほうがいいのでは」と言ってきたのだ。
 さらに犯人は、2004年に入ってから私の大家さんに対して、再三にわたって私をアパートから退去させるように求める手紙を出した。以下は大家さんが受け取った手紙。
 「大家さんこんにちは、ごぶさたしています。アパートU〈アパートの実名が明記されている〉にどうして浦本誉至史のような特殊部落出身のえたをアパートに入居させてしまったのでしょう。きちんと浦本の身元を調査して入居を決めていれば、このような不幸なことにならなくてすんだのです。浦本はえたであって人間にそっくりであっても人間ではないのです。(中略)一日も早く浦本誉至史をアパートUやH町より追放させないといけないです。(後略)」(消印04年10月7日東京中央)
 「大家さんこんにちは、浦本をアパートからいつになったら追放してくれるのですか。奴は特殊部落出身のえた非人身分のとても賎しい男であって人間ではないです。そのようなダニをF〈実在のアパートの住人の名前〉さんたち人間と扱いの同じ状態でアパートに住まわしておくことはFさんやC〈実在のアパートの住人の名前〉さんの人権を著しく侵害しています。(中略)浦本誉至史を一日も早く追放してFさんやCさんにとって安心して住めるアパートにして下さい。(中略)H町の他の方も同じ地区に特殊部落出身のえたの住んでいることに苦痛と感じて、早くこのようなダニを追放してほしいと思っています。浦本一匹のためにH町全体のイメージダウンになってしまいます。決断をして下さい。(後略)」(消印04年10月17日渋谷)
 「大家さんこんにちは。どうして浦本みたいなうじ虫をアパートに入居させてしまったんですか。ちゃんと人間かどうか身元調査をしてから入居させるかどうかを判断すべきでしたよ。(中略)FさんやCさんも「えたと同じアパートに住んでいる」と白い目で見られてしまい、FさんやCさんまでが「えた」ではないかと疑いの目で見られつらい目にあってしまいます。FさんやCさんの人権を人権を侵害してしまうことに大家さんが協力してしまうことになってしまいます。(中略)大家さんのアパート経営を妨害するつもりはないですけれどもこのような奴を住まわしていることは人間として行ってはいけないことだと思って忠告しているのです。浦本誉至史という奴は特殊部落出身のえたなのです。えたという奴らがどれだけケガれていて賎しくて汚い奴らということを大家さんは知らなさすぎるのです。(後略)」(消印04年10月18日渋谷)
 最後の手紙は逮捕前日に投函されたものだ。
 想像してくほしい。こんなことをされて、それでも平穏な市民生活ができるだろうか? この事件の被害者は私だけではない。私の他にも、沢山の人が同じような被害にあった。
 私たちは、犯人によって誇りと人間の尊厳を傷つけられたのは勿論、「居住の自由」「平穏な生活を営む権利」を侵害された。憲法が全ての人に保障しているはずの市民的権利を、ズタズタに踏みにじられた。私たち被害者にとって、この1年半、550日は文字通り「生き地獄の日々」だった。

《被告の「反省」について》

 裁判が始まってから、私は一度もかかさず公判を傍聴し、法廷での被告の証言に注目してきた。なぜ自分がこんな凄まじい差別犯罪の被害者になったのか、なぜこんな不条理なことが行われたのか、どうしても知りたかったからだ。
 公判廷で被告は、自分なりの原因分析と「反省」の弁を語った。しかし私は、現段階で被告の原因分析と、反省は全く不十分であると考える。
 裁判でも触れられている通り、2003年12月、犯人は無署名で「犯行停止宣言」を部落解放同盟東京都連合会あてに送付してきた(消印2003年12月8日新宿郵便局)。この手紙はB5レポート用紙5枚にわたる長文で、12月6日と12月7日の二日間に分けて書いた二通の手紙を一つの封筒に入れて送り付けてきた物だ。12月6日の手紙が反省と犯行を一方的に停止する旨の宣言、12月7日の手紙は犯行手口の暴露と前日の「決意」が一日たっても揺るぎのないものであることを述べた追伸だった。
 手紙には様々に言葉を変えた反省の弁と、自身の行為に対する徹底した批判が書き連ねられていた。ところが犯人は、わずか一カ月後2004年1月(消印2004年1月16日渋谷)、「犯行再開宣言」を送り付けてきた。
 こうして、再開された2004年に入ってからの犯行とその被害は、2003年を質量ともに上回る凄まじいものだった。前述した私のアパートの大家さんへの「浦本を追い出せ」という執拗な手紙は、逮捕直前の2004年10月に集中している。また熊本菊池恵楓園への差別手紙も、2004年に入ってから何度も繰り返された。結局犯人が恵楓園に出した許しがたい差別手紙・はがきは計5通にもなる。
 被告は逮捕時に既に書き上げた私宛の差別手紙を所持し、公判廷の証言においても、「いつ止めるということは決めていなかった」と述べている。つまり、引き続き犯行を継続する意志が明確だったのだ。犯行が停止したのは、被告が逮捕されたからにすぎない。
 2003年12月の「犯行停止宣言」に犯人は、次のような文言を記していた。
 「(前略)どうやらまだ自殺者は出ていないようだ。自殺者が出てしまったらもう本当に取り返しがつかないことになってしまう。今ならまだ間に合うから反省して心を入れかえてもう出さないことにしようと考え、決心する一因となりました。(後略)」
 少なくとも犯人は、2003年12月の時点で、これ以上犯行を続けたら死者が出る可能性があることを認識していたのだ。そしてそのことを充分認識したうえで、ものの一カ月もしないで犯行を再開し、逮捕によってようやく停止したものの、逮捕がなければずっと犯行を続ける明確な意志を持っていた。
 このような現実をつきつけられてきた私たちが、どうして被告が反省していると判断できるだろう。私たちだけではなく、客観的に事件を評価する全ての人ができないものと考える。

《事件の本質について》

 被告は、反省の言葉をこの法廷で繰り返し述べた。しかし、その証言の中で明確になったが、被告には未だに重要なことが分かっていない。
 被告は私の出身を暴露して差別扇動を行った件について、これまで公判廷でつぎのような証言している。
 「人に知られたくない個人の秘密をばらしてしまって申し訳ない」。
 私は被差別部落に生まれ育ち、被差別部落と共に40年間生きてきた。しかしこれまでの生涯で唯の一度も、被差別部落のことを恥ずべきことだとか、人に知られたくない自身の秘密だと思ったことはない。私だけではない。今回の被害者の全てが、この点に関しては私と同じ気持ちだと思う。
 今回の事件で私たちが精神的にも肉体的にも追いつめられたのは、そして怒りと苦しみに嘖まれたのは、自分たちの「隠したい秘密」をばらされたからではない。私たちの誇りと、人間の尊厳が差別的に傷つけられたからだ。憲法が全ての人に保障しているはずの基本的人権が、このように無残に踏みにじられたからだ。決して威張ると言う意味ではないが、私たちには人間の誇りがある。被告にはそのことが全く分かっていない。
 この事件の本質は、部落差別だ。人間の誇りと尊厳に対する冒涜であり、基本的人権の否定なのだ。

 浦本さんの意見表明の後、他の被害者の意見書が検察官によって要約朗読されました。いずれも、被害の深刻さと、誇りを傷つけられた悔しさを述べたものでした。

第8回公判は「論告求刑」と「弁護側最終弁論」の予定

 次回公判は下記の日程です。当日は被告人・本人尋問の続きを行った後、「論告求刑」と「弁護側最終弁論」がおこなわれ、いよいよ結審する模様です。

 日程:6月14日15時30分(開廷)
 法廷:東京地方裁判所(第7刑事部)第511号法廷

※傍聴には、傍聴券が必要になります。傍聴券の配布は、傍通常1時間程度前に並んで受け取ります。

        

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部落解放同盟東京都連合会

http://www.asahi-net.or.jp/~mg5s-hsgw/

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