2005年5月6日午前10時30分から、連続・大量差別はがき事件の第5回公判が、東京地方裁判所第511法廷でおこなわれました。
この日は注目の本人尋問でした。裁判が始まってから初めて、S被告が自分自身の言葉で、事件について詳細に証言しました。
漠然とした差別心あったが、正しい部落問題の知識はなかった
弁護人、検察官、裁判長からの質問に対して、S被告は次のように応えました。
《事件を起こした根本的原因》
「大学卒業後なかなか就職できず、そのためストレスを抱えていた」
「以前短期間勤めていた職場で、『部落問題は触れてはいけないタブーだよ』というような会話を聞いたことがあり、部落問題について充分な知識がなかったので、単純に部落=タブー=恐いもの」と思ってしまった。
「これまで一度も学校で部落問題について学んだことはなく、具体的な体験として被差別部落のことを知らなかった。だから、正しい知識を身につける機会がなかった」
「事件前にたまたま図書館で読んだ部落問題の図書に強い影響を受けた。特に『同和利権の真相』という本を読んで、その内容を頭から信じ込んでしまった」
「被差別部落は自分より下であるはずなのに、『同和利権の真相』に書いてあるような、ひどいことをしているのは許せない。差別して自分のストレスを解消しようと思った」
《なぜ、部落差別をしようと思ったか》
「いつから、また何か具体的なきっかけがあってということではないが、『被差別部落は自分より下だ』と思っていた」
「今考えれば、よく知らないなりに漠然とした部落問題への関心はあったと思う。『恐いもの見たさ』といった意味でだ」
「自分は被害者とも、また部落解放同盟とも何の関係もない。また何の恨みもない。ただ、そもそも部落差別というものは江戸幕府という体制が、『差別をしてもよい存在』として作ってくれたものである。自分は体制側の人間だと思っているし、体制に反抗する者は嫌いだ。だから、反体制的な部落は差別してやろうという考えもあった。少なくとも自分のストレス解消の対象に選んでも悪くはないと思った」
《被害者の出身を暴露し、周辺住民に差別を扇動したのはなぜか》
「自分は被差別部落に対する漠然とした差別心があった。だから自分の身の回りに部落民がいるのはいやだった。もし隠れて住んでいる部落民がいたら、そのことを教えてほしいと真剣に願っていた。被害者宅周辺の住民も当然同じ気持ちだと思ったので、あくまでも親切心でみんなに教えてあげた」
「今はこんなことは間違いだったと思うが、当時の自分の考えでは決して悪いことだと思わなかった。何の罪の意識もなく、むしろ自分としては親切心で行ったというのが事実だ」
《ハンセン病元患者や、在日外国人まで差別をしたのはなぜか》
「自分は体制にたてつく者は嫌い。それからホテル宿泊拒否問題を知って、ハンセン病元患者に反感持った。ハンセン病元患者に泊まられたらいやにきまっている。なのになぜホテルを責めるんだと思った」
「在日外国人については、日本人の自分が就職できないのに、何で外国人労働者なんか雇うんだと思って。日本は大和民族の国なのに、在日外国人がいたら大和民族が薄まってしまう」
第7回公判は被害者の意見陳述
5月27日(金)11時30分から東京地裁第511号法廷で、第6回公判がおこなわれました。この日は、弁護・検察双方が「採否を保留」していた書面証拠についての審理がおこなわれました。そして同時に、次回公判で被害者の意見陳述を行うことを決めました。
次回公判は下記の日程です。被害者の一人である浦本誉至史さんが意見陳述する予定です。
日程:6月6日16時(開廷)
法廷:東京地方裁判所(第7刑事部)第511号法廷
※傍聴には、傍聴券が必要になります。傍聴券の配布は、傍通常1時間前に並んで受け取ります。