2008年10月31日午後1時から一ツ橋の日本教育会館で、「狭山事件の再審を求める市民集会」が開かれることになった。主催は同集会実行委員会。
集会では、「第三次再審における新証拠、寺尾判決は崩れた」と題して狭山弁護団の中山主任弁護人・中北事務局長から報告が行なわれる。また、「こうしてウソの自白は作られる――志布志・氷見・狭山をつなぐ冤罪の構図」と題してシンポジュウムが行なわれる。このシンポジュウムでは、鹿児島の志布志事件と富山の氷見事件の冤罪被害者と、石川一雄さんが発言者となって自身の体験を報告する予定だ。
また当日は、集会終了後に都内四ヶ所のターミナルにおいて、道行く都民に狭山事件の真実と再審開始を訴える街頭宣伝活動もとりくまれる。東京都連は池袋駅が担当だ。
今年10月31日は、狭山事件の「有罪確定判決」である「寺尾判決」から34年を迎える日である。34年前の1974年10月31日、東京高裁の寺尾裁判長は石川さんの無実の訴えと数々の証拠を無視し、第一審の「死刑判決」を破棄したうえで改めて「無期懲役」という有罪判決を言い渡した。この判決が最高裁で確定し、今日もなお石川さんの自由と人権を拘束し続けている。
寺尾裁判長は判決の中で、例えば石川さんの自白と客観的な犯行事実が全く異なることについて、「捜査がずさんで、自白偏重だった」からだと批判した。しかしそうしておきながら、「自白が激しく変動して一貫性がなく犯行事実ともかみ合わないのは、むしろ自白の任意性を証明している」という、常識では考えられない論理を展開して有罪の根拠にしている。「捜査がずさんで自白偏重」なら、その結果出された起訴状は怪しいと考えるのが当然だし、まして「自白に意味不明の変遷があり、犯行事実と矛盾する箇所がある」となれば、それは起訴事実そのものを疑うのが常識であろう。寺尾裁判長は、この市民社会の常識を無視して有罪判決を出した。
石川さんも私たちも、このような判決を認めることは、何年たっても決してできない。狭山事件の確定判決である寺尾判決は、明らかに予断に支配された差別不当判決である。
寺尾判決から34年、「第三次再審請求」という形で、今も私たちはこの不当判決と対峙しているのだということを、その事実と時間の重みを、この際改めて確認したい。
第三次再審請求は、2005年5月23日に申し立ててから、3年が経過している。この間弁護団は数次にわたって新証拠を提出し、「事実調べ」と「全証拠開示」を求めてきた。また市民の会呼びかけの「狭山事件の再審を求める百万人署名」は、既に目標の百万人を突破し、百五万八千人に達している。この勢いをもって、今度こそ再審を勝ち取ろう。