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(死体及びこれと前後して発見された証拠物によって推認される犯行の態様について。)

 その一二 死体について。

(二)死斑について。

 所論は、五十嵐、上田両鑑定によると、死体の背面には明らかに死斑が存在するが、被告人のいう死体処理の方法では、このような死斑は生じない、上田鑑定は一般に死斑が生ずるためには死後三時間ないし四時間死体が一定の姿勢を静穏に保つことが必要であるといい、五十嵐鑑定人は当審(第五四回)において、一たん生じた死斑が、その後の死体の体位転換によって消失せずに残存するためには、四時間ないし六時間以上の時間の経過が必要であるといっており、したがって本件の死体は少なくとも三時間以上は、あお向けの状態に置かれていたものと推認しなければならない、ところが、被告人の自白によると、死体をあお向けにしたのは殺害直後から芋穴に死体を逆さ吊りにするまでであるといっている、そこで、被告人が芋穴に死体を逆さ吊りにしたのは何時ころであるかを考察すると、殺害時刻を午後四時少し過ぎころとし、この時刻を基準にして、その後被告人がとったという行動時間から計算してみると、およそ午後五時半ころとなり、逆にN家に脅迫状が投げ込まれたとされている午後七時半ころを基準にして芋穴からN家までの距離、その間被告人が自転車を使用していること、教科書や鞄などを埋没するに要する時間を考慮して計算すると、被告人が芋穴を出発してN家へ向かった時刻、すなわち死体を芋穴に逆さ吊りにした時刻は遅くとも午後六時半ころとなる、いずれにしても死体があお向けにされていた時間は、一時間半ないし二時間に過ぎず、多目にみてもせいぜい二時間半である。このように被告人の自白による限り、死体をあお向けにした時間は一時間半ないし二時間、あるいは二時間半に過ぎず、死斑が生ずるに必要な三時間ないし四時間、またその後の体位転換によって死斑が消滅せずに残存するに足りる四時間ないし六時間のいずれにも到底及ばないのである。死斑の発現状況と死体処理の状況に関する自白とは明らかに符合しない、ところが検察官は「被告人は原審認定の如く午後三時五〇分頃被害者と出合って山へ連れ込み、殺害後、一旦芋穴に死体を(仰向けに)かくし、午後七時三〇分頃N家へ脅迫状を届けてのかえり、スコップを盗んで午後九時頃農道に穴を掘って、死体を(うつぶせに)埋め直しているのであるから、死体の体位転換を行なった時間に徴して、死斑の状況と死体処理の方法とは一致し被告人の自白に何らの客観的事実との矛盾はない」(昭和四七年五月一〇日付意見書)と主張するが、これは死体のあお向けの時間を、殺害直後から農道に埋没するまでと大幅に延長するごまかしの議論であるばかりでなく、被告人の自白による限り死体は芋穴の中で逆さ吊りになっていたかもしれないが、あお向けの状態でなかったことは明らかなことであるし、死体が芋穴の中であお向けの状態になっていたと認むべき証拠はないのであるから客観的事実を無視した議論である、もっともまれな例として死後一時間ないし二時間程度で死斑が出現することもあり得るとされているが、そのように死後短時間に生じた死斑はその後の体位の転換によって容易に消滅するのであるから、本件の死体のように、あお向けから逆さ吊りされ、更にうつ伏せに埋没されるなど激しく変動を加えられた場合には、たとえ一度現れた死斑もたやすく消滅してしまうに違いない、なお、五十嵐鑑定人も当審(第五四回)において、本件の死体はうつ伏せに埋没される以前、かなり長い間あお向けに置かれていたのではなかろうかとの意見を述べている、以上のとおり、死斑の状況は明らかに被告人の自白と一致せず、ここでもまた被告人の自白が本事件の真相を述べたものでなくその虚偽性は明白であるというのである。
 まず、五十嵐、上田両鑑定によれば、死体の背部に死斑が存することは明らかな事実である。そして被告人は、芋穴に吊るすまで死体をあお向けの状態にして置いたといっていること、死体を芋穴に吊るした時刻は、殺害時刻や脅迫状をN方へ届けた時刻を基準とすればおおよそ午後六時半ころとみるのが相当で、したがってこの間死体をあお向けの状態にして置いた時間はおおよそ一時間半ないし二時間半となり、この時間経過は右の鑑定人らがいう一般に死斑が生ずるために要する三時間ないし四時間や一たん生じた死斑がその後の死体の体位転換によって消失することなく残存するために要する四時間ないし六時間のいずれにも及ばない短い時間であることは、所論のとおりである。しかし、検察官がいうように、芋穴の中で死体があお向けの状態であったとすれば、殺害時刻を午後四時半ころとみて、原判示のように午後九時ころ農道に掘った穴に死体をうつ伏せに埋め直した時まで約四時間半位あお向けの状態であったことになり、死斑の状況と被告人のいう死体処理の方法とは一致することになる。
 そこで、死体が果たして芋穴の中でどのような状態であったかを検討するに、まず、被告人の捜査段階における快述をみると、「女の死体が芋穴の底についていたか、ぶら下がっていたか判然しません…(六二一五検原調書第一回)とか、「Yちゃんの頭が穴ぐらの底の地面についていたかも知れないけれども足は殆んど真上にあって、Yちゃんの身体は逆さになって頭が下に足が天井をむいていたと思います。」(六・二八員青木調書)とか、「吊した縄は芋穴の口の角の所にくっけて少しずらしたので割り合い楽に降すことができました。ゆわえつけた縄の端は少ししか余っていませんでした。結び方は縄を一回桑の木に廻し、一回結んで更にもう一回結びました。そうして、その縄の端が約二十糎位残っていた様でした。桑の木に結んだ縄はたるんでおらず、張っておりましたが、Yちゃんの身体が穴の中に宙に下がっている様な強い力で下から引っ張っている張り方ではなく比較的ゆるやかな引っ張り状況でしたので穴の深さはどの位か判りませんでしたが、Yちゃんの体の頭からお尻位迄は穴の底に着いている状況ではなかったかと思います。吊した縄は四角い穴の桑の木に近い方の角のところから下げておきました。その芋穴にはコンクリで造った二枚の蓋がありましたが…。」(七二検原調書第二回)とか、「芋穴から引きあげるとき、死体が穴の底についていたか、それともぶらさがっていたかどうもはっきりしません。」(七・六検河本調書)とか、「Yちやんを穴倉から引き上げるときは、Yちゃんの体は穴倉の底にある程度ついていたのではないかと思います。」(七・八検原調書)などといい、その供述は一定しておらず、被告人が芋穴の中で死体が果たしてどのような状態になっていたのかはっきり記憶していないものと考えられる。そこで、芋穴の深さ、芋穴の近くの桑の木と芋穴との間の距離、荒縄や足首に巻かれていた木綿細引紐の長さなどから、死体が芋穴の中でどのような状態であったかを推認することとする。原審の検証調書によると芋穴の深さは約二・七米、桑の木の太さは周囲約二八糎、桑の木と芋穴との距離は二・四五米である。したがって被告人のいうように桑の木に二回りさせ、約二〇糎の瑞を残すようにするにはそれだけで絶の長さは約七六糎必要であり、そして芋穴の底に縄が達するには桑の木から五・一五米の長さが更に必要であり、その合計は五・九一米となる。ところで、他方、大野喜平作成の実況見分調書をみると「足を縛った木綿細引紐に接続する前記荒縄は俵の外し縄様のもので二本を二重に折って四本合せとしたもので、…その四本は六・九米のもの一本、六・七五米のもの一本、五・五八米のもの一本、四・八米のもの一本である(この状況は別添現場写真三十三号の通り)。…両足を縛った木綿の細引紐は長さ二・六〇米、太さ〇・八糎、輪の部分は直経二十二糎である。」と記載されており、これによると、荒縄の全長(昭和四一年押第一八七号の八だけ、細い縄の同押号の九は除外)は二四・〇三米、木綿紳引紐の全長は二・六〇米である。そこで、荒縄と細引紐とを結びつけ、これを四重にして使用したと仮定してみると、その長さは約六・六五米となる。そうだとすればこの約六・六五米は前記桑の木に二重に巻き付けて約二〇糎を残し、桑の木から芋穴の底まで達するに要する縄の長さの約五・九一米よりも約〇・七四米長いことになる。したがって、結び目を作るときに要する若干の長さを差し引いても被告人がいうように被害者の死体の足首を縛り、芋穴の中へ頭の方から入れ、縄の一端を桑の木に結び付け、被害者の死体全体を芋穴の底に平らに横たえることは十分可能である。そして、前示の原審検証調書によると芋穴の口は縦六二糎、横七七糎の大きさであるが、その底は三方に奥行三米ないし四米の深い横穴が掘られていて広いから、逆さに吊り下ろす場合に死体全体をあお向けに芋穴の底に横たえることは容易であるし、そうでないとしても、身体が腰の部分で折れ、上半身があお向けの状態になることも考えられる。その状態はいずれとも判然しない。少なくとも死体は宙吊りの状態ではなかったと考えるのが相当である。なぜなら、死体を文字どおり宙吊りにするには相当な労力を要するのであるが、この場合死体を一時隠すのが目的であるとすれば、その必要は更にないからである。
 そうだとすれば、検察官がいうように、被害者の死体は殺害後、農道に掘った穴に埋め直すまでの間のおよそ五時間近く、あお向けの状態であったと認めて差支えない。結局、死斑の状態と被告人の自白との問には矛盾がないといわなければならない(弁護人は、最終弁論において死後硬直の点を云々するが、医学書によれば、死後の硬直は気温の状態に左右されることが多いが、通常、最上高潮に達するのは、死後六時間ないし八時間であるとされていることにかんがみると、死後五時間近く経過した時点では、いまだ死体を芋穴から引き上げて農道に握った穴に埋める作業をするのにさして支障はないと判断される。)。それゆえ、論旨は理由がない。

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