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(死体及びこれと前後して発見された証拠物によって推認される犯行の態様について。)

 その一二 死体について。

(五)胃内容物と殺害時刻について。

 所論は、死体の胃内容物の消化状態からみると被害者の死亡時刻は、五十嵐鑑定では食後最短三時間、上田鑑定では食後二時間であるといっている、ところで証拠上明らかにされている被害者の最後の食事は、当日午前一一時五〇分ごろから午後零時五分ころまでの間に学校でとった食事であるから、これら両鑑定によると、被害者は五月一日午後一時五〇分ないし三時五分の間に殺害されたことになる、しかし、被害者Yの級友N・Tの原審証言及び同S・Tの五・二九検調書によると、当日の披害者の下校時刻は三時半ころとなり、そうだとすれば、死亡推定時刻に関する両鑑定はいずれも誤りと断ぜぎるを得ない、鑑定人が胃内容物から死亡時刻を推定するには胃内容の消化状態を観察しみずからの経験に基づいて判断するのであるから、それぞれの鑑定人によって若干の差異が生ずることはもとより、鑑定人自身、その推定時刻にいくらかの幅をもたせていることも当然であり、証人K・Y及びW・Yの当審各供述に徴すれば、被害者の下校時刻は前記三時半よりも早く、授業終了直後の二時三五分ころではなかったかとも考えられ、そうだとすれば、五十嵐鑑定のいう「最短三時間」に多少の幅をもたせて考えれば、意外に早く被害者が殺害されたかもしれない、いずれにしても、原判決の認定(原判決は出合い時刻を午後三時五〇分ころとしているので、これからすれば被害者は午後四時ころから午後四時半ころまでの間に殺されたことになる。)と両鑑定のいう死亡推定時刻とが食い違っているというのである。
 (1)まず、披害者Yの下校時刻についてみると、同女が放課後間もなく帰宅したという級友の証人K・Y及び、同W・Yの当審各供述は具体性を欠き正確とはいえないのに比して、級友の原審証人N・Tが、自分が乗る電車の時刻を根拠に被害者が自転車に乗って下校したのは午後三時二三分ころであるという方がより信用性がある。そして、被害者の死体とともに発見され押収された雑部金領収証書乙一枚(昭和四一年押第一八七号の一四)の存在と証人U・Tの原審供述によれば、被害者は右領収書を受領するため下校後狭山郵便局に立ち寄ったことが認められる。また、学校、郵便局、出会い地点までの距離関係に徽すれば、原判示のように被害者が加佐志街道のエックス型十字路に差し掛かったのは午後三時五〇分ころと認めて差支えない。更に、右エックス型十字路と「四本杉」との距離や被告人のいう犯行の手順などからみると、殺害時刻は午後四時ころがら四時半ころまでの間であると認めるのが相当である。他方、所論指摘のとおり、被害者は当日午前一一時五〇分ころから午後零時五分ころまでの間に学校で料理の実習をしてカレーライスを食べたことが明らかである。一般に胃内容物の消化状況から死亡時刻を推定するのは、文字通り推定であって、しかく厳密なものではないと考えられるところ、五十嵐鑑定によると、被害者の死亡時刻は食後最短三時間というのであるから、原判示から推認できる午後四時ないし四時半ころと何ら矛盾するところはない。これとは異なり上田鑑定によると、食後二時間程度であって三時間ではあり得ないというのであるから、明らかに右時刻と矛盾することになる。しかし、上田鑑定は五十嵐鑑定を資料とした再鑑定であることを考慮しなければならない。それゆえ、被害者が原判示から推認できる午後四時ないし四時半ころよりも早い時期に死亡しているという所論は採用できない。
 (2)また所論は、五十嵐鑑定によれば、被害者の胃内容物の中に、五月一日の昼食であるカレーライスの材料には含まれていないトマト片が検出されており、胃内容物がカレーライスであればカレーの黄色色調が残っている筈であるのに、五十嵐鑑定にその色調が検出されたとは記載されていないのは、被害者がカレーライスの昼食のほかに、これとは別の機会に別内容の食事をとった疑いを生じさせるものである、五十嵐鑑定によると被害者の死後の経過日数はほぼ二、三日と推定されているのであるから、被害者は五月一日でなく五月二日に殺害されたと考える余地があるともいうのである。
 たしかに、原審証人N・Tは、五月一日に学校で料理の実習があって、カレーライスを作って試食したといい、その材料として重ねぎ・にんじん・肉・じやがいも・福神漬を挙げていて、トマトを昼食に食べたとはいっていないけれども、五十嵐鑑定によれば、胃内容をみるとトマト片がカレーライスの材料の中に混在しているというのであるから、被害者は昼食時にトマトを食べたと考えて間違いない。
 それは、被害者自身又は学友のだれかがカレーライスの材料として玉ねぎ・にんじん・肉・じやがいもなどを購入する際にトマトも買ってきてカレーライスの添えものとしたということも十分考えられる。
 ただ現在となっては、この点を確かめるすべがないだけのことである。
また、胃内容のカレーの色調についても、五十嵐鑑定に色調についての記載がないからといって、色調がなかったことにはならないから、このことを理由に黄色色調が既に消失していたと断言するのは相当でない。
そして、このように胃内容から昼食のカレーライスの材料が検出されているほか被害者が朝食にとった赤飯の小豆が残っていることを考え合わせると、その後別の機会に食事をとったとすれば、別の内容物が発見されるはずであり、別の機会にトマトだけをとった可能性はほとんどないといってよい。
 一方、原審証人S・Yoは、五月二日農作業(ごぼうまき)に出掛けたが、そのときA・S所有の農道に土を掘って犬か描でも埋めたような痕跡があるのに気付いたというのであるから、死体は五月一日の夜のうちに農道に埋没されたことを疑う余地はない。
 してみれば、五月二日になって被害者が殺害されたかのようにいう所論も根拠がないことになる。
(3)次に所論は、殺害時刻を午後四時二〇分ころとし、N家へ脅迫状を届けた時刻を午後七時三〇分ころとし、その間被告人が自白どおりの手順で事を運んだとしても、一時問ないし一時問半の空白時間が出てくる、もともと殺害後は後始末に寸刻を争うのが人情であるが、五月一日の午後四時とか五時といえばまだ白昼時で、芋穴のあたりは周囲から見通しのきく場所でもあるから、そこでのろのろと芋穴に死体を逆さ吊りにするなどという芸当はまず考えられない、しかも、午後四時二〇分以降は雨は太降りとなっている、一体被告人はこの空白時間を野外でどうしていたというのであろうか、この間の事情について説明がないこと自体、供述の真実性を否定することであるというのである。
 いかにも一件記録によれば、殺害時刻は午後四時二〇分ころ、N家へ脅迫状を届けた時刻は午後七時半ころとみて差支えない。そして、先にみたように被告人が「四本杉」を離れてN家へ向かった時刻は午後六時半ころとみるのが相当である。そうだとすれば、午後四時二〇分ころから六時半ころにかけての約二時間の間、被告人のいうところに従えば被告人はあれこれと考えた末(三〇分間程桧の下であれこれ手順を考えたという供述は、犯人の心理からみてごく自然であり、取調官が空白時間を埋めるために誘導して獲得した供述であるとは考えられない。)、脅迫状を書き直したり、暗くなるのを待って荒縄探しに行ったり、死体を芋穴に運んだり、芋穴に死体を隠したりして犯行現場付近にいたことになる。
 思うに、被告人は文章を書くことに慣れていないのであるから、脅迫状の訂正作業にも相当の時間がかかったことが推認され、所論が「死斑について」の項で推定しているように五分や一〇分で脅迫状を訂正することができたとは到底考えられない。その他の手順についても、所論がいうように三〇分間(ただし、脅迫状の訂正時間を含めていう。なお、所論は「死斑について」の項では一時間とみている。)では到底なし遂げることはできまい。そればかりか被告人はその問の行動について必ずしも真相を詳述しているとは考えられないし、また犯人の心理状態からいって時間関係やことの手順についてしかく正確に記憶しているとも考えられない。
 してみれば、この点に関する所論は、憶測の域にとどまり、合理的な疑いがあるとまではいえない。それゆえ、論旨は理由がない。

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