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(自白を離れて客観的に存在する証拠)

 その一 脅迫状及び封筒の筆跡について。

 所論は、原判決は自白の真実性を補強するものの第一に「N・E方にとどけられた封筒入り脅迫状一通は明らかに被告人の筆跡になるものであること」を挙げており、筆跡鑑定にほとんど無条件の信頼性をおいていることが明らかであるが、いわゆる従来の鑑定方法によった原判決の掲げる関根政一・吉田一雄・長野勝弘作成の各鑑定書は、鑑定人の主観と勘とを頼りにした客観性・科学性のないものであり特定の文字について「相同性」のみを強調して「相異性」、「稀少性」、「常同性」を無視してなされた信頼度の低いものであり、また、当審で取り調べた高村巌作成の鑑定書も同様である、しかも、関根・吉田、長野、高村各鑑定(以下三鑑定という。)は、被検文書及び照合文書の各作成者の表記能力(読み書き能力)に質的差異のあることを無視して、各文書の文章構成、文字の表記能力、仮名の使用方法、漢字の表記、当て字、句読点のつけ方、横書きの習熟の程度などについての比較検討を怠っており、そのため極めて信頼度の低いものである、そして、このことは当審で取り調べた戸谷富之、大野普、磨野久一、綾村勝次作成の各鑑定書によっても明らかである、のみならず、大野、麿野、綾村各鑑定によると、被告人には脅迫状及び封筒に記載されたような文章や文字を記載できる能力はないから、本件脅迫状及び封筒の筆跡は第三者の筆跡とみなければならないというのである。
 そこでまず脅迫文の全文を引用すると、これは横罫の大学ノートを破った紙の半面一杯にボールペンを使って横書きされているが、最初は、「子供の命がほ知かたら4月28日の夜12時に、金二十万円女の人がもッて前の門のところにいろ。友だちが車出いくからその人にわたせ、時が一分出もをくれたら子供の命がないとおもい。―刑札には名知たら小供は死、もし車出いッた友だちが時かんどおりぶじにか江て気名かツたら子供わ西武園の池の中に死出いるからそこ江いッてみろ、もし車出いッた友だちが時かんどおりぶじにかえッて気たら子供わ1時かんごに車出ぶじにとどける。くりか江す刑札にはなすな。気んじよの人にもはなすな子供死出死まう。もし金をとりにいッて、ちがう人がいたらそのままかえてきてこどもわころしてヤる。」と書き、その上の欄外に「少時このかみにツツんでこい」と書き抑え、これを封筒に入れ、その封筒の宛名は「少時様」と記載されてあったところ、その後当審における鑑定の結果をも総合すると、万年筆又はペンで、「4目28日」を「五月2日」と、「前の門」を「さのヤの門」と書き直し、右欄外「少時」の記載を塗りつぶし、封筒の宛名「少時様」を斜線で消し、その下方に「中田江さく」と、書き直したものである。
 そこで考えてみると、いわゆる伝統的筆跡鑑定方法に従った三鑑定は、多分に鑑定人の経験と勘に頼るところがあり、その証明力には自ずから限界があることは否定できないが、そのことから直ちに、三鑑定の鑑定方法が非科学的であるということはできない。また伝統的筆跡鑑定方法は、これまでの経験の集積と専門的知識によって裏付けられたものであって、鑑定人の単なる主観に過ぎないものとはいえない。ところで、証人高村巌の当審(第五八・六七回)供述及び同人作成の鑑定書によれば、同人の鑑定でも「相異性」、「稀少性」、「常同性」について表現に差こそあれ十分斟酌し、検討を加えていることが認められる。そして、右関根・吉田鑑定及び長野鑑定と高村鑑定とは照合文書(資料)を異にしているにもかかわらず、三鑑定とも本件の脅迫状及び封筒の筆跡が同一人の筆跡、すなわち被告人の筆跡であるという鑑定結果となっていることは注目すべきである。そのうえ、戸谷鑑定にしてみても、結論として「かなりの類似点は見られ、通常の学歴をもつ人の場合には、同一人の筆跡であると判定するのにあるいは充分であるかも知れないという印象をうけるが、本人が学歴低く日常字を書くことのないグループに属する者であることを考慮するとき、本人の字の稀少性はグループ中では薄れるため、同一人と直ちに判定することには理論的に同意しがたいように思う。」等々と説明しつつも、同鑑定人のいわゆる近代的統計学を応用した科学的方法によっても、脅迫状と封筒の筆跡が被告人の筆跡ではないとは結論していないのである。
 次に、所論は、当審において取り調べた大野普、磨野久一、綾村勝次作成の各鑑定書を援用して、前記三鑑定の鑑定方法は科学性に乏しく、殊に表記能力・文章構成能力の面からする異同識別の方法を採らなかったことは重大であり、これらの鑑定によれば、脅迫状、封筒の筆者は被告人でないことが実証でき、三鑑定の証明力は根底から覆えされる旨主張する。しかし、これらの鑑定書の説くところは、一言にしていえば、不確定な要素を前提として、自己の感想ないし意見を記述した点が多くみられ、到底前記三鑑定を批判し得るような専門的な所見とは認め難い。すなわち、綾村鑑定は、脅迫状に「刑」という教育漢字に含まれていない漢字が使われていること、あて字が多いこと、横書きであることを挙げこれは教育程度の低い被告人の書き得るものではなく、小学校以上の教育を受けた者が、何らかの意識をもって書いたものであるとしているが、被告人が何らかの資料を見て書くこともあり得ることを無視した、納得し難い見解であるといわざるを得ない。
 磨野、大野両鑑定も同様である。たしかに、被告人は教育程度が低く、逮捕された後に作成した図面に記載した説明文をみても誤りが多いうえ漢字も余り知らないことが窮えるのである。しかし、被告人は六・二四員青木調書において、「私は本当に漢字は少ししか書くことができません。私はその手紙を書くために『りぼんちゃん』という漫画の本を見て字を習いました。りぼんちゃんというのは女の子の雑誌で中には二宮金次郎が薪を背負って本を読んでいる絵などが書いてあってその他にいろいろ字が書いてあり漢字にはかながふってありました。」と述べ、六・二五検原調書において、「脅迫状は四月二八日に書いた事を先程言いましたが、それは吉展ちゃん事件をテレビで見てあの様な方法で子供を隠しておいて金を取ろうと思って脅迫状を書いたものです。字を書く時は妹の美智子の帳面を四枚位破り取り美智子が読んでいたりぼんちゃんという漫画の絵本を見ながら漢字を探して字を書き、三枚位書きくずして四枚目位に書いたのがYちゃんの家へ届けた脅迫状です。」と述べ、さらに七・一検原調書において、集英社発行の雑誌「りぼん」昭和三六年一一月号を示されて、「私が手紙の字を拾い出した漫画の雑誌というのはそれと同じ様な本でした。その本の中に二宮金次郎の像の写真がありますがそれを私は覚えております。」と述べている。そして、当審において証拠として取り詞べた雑誌「りぼん」昭和三六年一一月号(昭和四一年押第二〇号の7)には、まさに二宮金次郎の像の写真が載っており、脅迫状に使われた漢字も「刑」及び「西武」の字を除きすべて右雑誌の中で使われており、これには振り仮名が付されているのである。したがって、被告人の前記供述には裏付けがあることになり、被告人は、「りぼん」から当時知らない漢字を振り仮名を頼りに拾い出して練習したうえ脅迫状を作成したものと認められる(「刑」の字についてはテレビその他で覚えていた可能性も考えられることはすでに指摘したとおりであり、「西武」についても、被告人は西武園へしばしば行っていたのであるから、同様に前から知っていたであろうことは容易に推測されるところである。)
 ところで被告人は漢字の正確な意味を知らないため、その使い方を誤り、仮名で書くべきところに漢字を充てるなどして、前記引用した脅迫文のとおり特異な文を作ったものと考えられるのである。それが証拠に、六・二六員青木調書に添付されているとおり、被告人は藁半紙を順次つなぎ合わせて五月一日、二日の行動について一枚の人きな地図(二一〇四丁)を書き、さらにこれを清書した地図(二一〇三丁)を書いているが、これは被告人の当日の行動径路の概略を彷彿させ、他の証拠とも符合する(例えば、「さんりんしゃにをいこされたところ」とか、「じどうしゃのあったところ」とかには、その後の捜査によって、それぞれ裏付けがある。)まことに迫真力に富んだものであるが、そこでは四八個に及ぶ説明文にはほとんど平仮名が使われ、漢字はわずかに、署名の「石川一夫」、作成日の「6月26日」、「中田江さく」、「妹山せエみつ」、「入間川エき」、「松本」、「四丁目」の七個が使われているのに対比し、脅迫文には、捜査段階及び原審公判を通じそれを書くために参考にしたことを認めて争わなかった「りぼん」に出ている漢字例えば「子供」、「命」、「知」、「五月2日」、「夜」、「金」、「万円」、「女」、「人」、「門」、「前」、「友」、「車」、「出」、「時」、「一分」、「札」、「名」、「死」、「少」、「気」、「園」、「池」、「中」、「江」等がその本来の用法には無頓着に多用されているのを見れば明らかにある。そうすると、被告人の教育程度が低く、字を知らないことを根拠に、本件脅迫状は被告人によって書かれたものではないとする前記綾村、磨野、大野各鑑定は、その立論の根拠を失うことになる。結局、被告人の当時の表記能力、文章構成能力をもってしても、「りぼん」その他の補助手段を借りれば、本件の脅迫文自体、ごくありふれた構文のものであるだけに、作成が困難であるとは認められないのである。しかも、脅迫文の内容は、いわゆる吉展ちゃん事件の犯人がしばしば親元にかけてきた脅迫電話の内容と全体的にみて類似性があると認められるのである。殊に例えば、被害者の身分証明書を脅迫状の封筒に人れ、自転車を届け、「このかみにツツんでこい」と書いたのは、吉展ちゃん事件の犯人が「地下鉄入谷駅売場の所に靴下片方を置くから金をボロ紙に包んでおけ。」という脅迫電話をかけた手法に類似しており、また、「上野駅前の住友銀行わきの公衆電話ボックスに金を持って来い。警察に届けるな。つまらない了見を起すな。」という点は、前掲の「刑札には名知たら小供は死、」に通ずるものがあり、そして、……これが最後だ。子どもは一時問後に必ず返す場所を連絡する。」という点は、前掲の「……子供わ1時かんごに車出ぶじにとどける。」に通ずる(この脅迫電話の音声や文句は、当時テレビやラジオでしばしば放送され、新聞にも掲載されたことは、公知の事実といってよい。)。以上のとおりであるから、これらの鑑定書の説くところを前提として所論がいうところの、被告人の当時の表記能力では脅迫文を起草しかつ筆写することは絶対に不可能である、また、人間は自己の労働生活、家庭環境、学歴等の、いわゆる自己を取り巻く社会的制約から超越して自己を語ることはできない。本件の真犯人は脅迫文に椎拙さを工作することによって、自己の出身を隠そうとしたが、その努力をすればするほど、自らがかなり高度の文字能力をもつ人間であることを暴露せぎるを得なかったとする所論も、所詮単なる憶断の域を出ないものといえる。なお、所論は、脅迫状には「氣」の字を「気」という簡略体を使って書いてあり、筆者の文意識が低くないことを物語っているというのであるが、当用漢字字体表によると「気」の字が正しく、現に前記「りぼん」の中に出て来る字も「気」であるから、この点の、主張も理由がない。
 以上の次第であるから、本件脅迫状及び封筒の文字は被告人の筆跡であることには疑いがないと判断される。それゆえ脅迫状及び封筒は、自白を離れて被告人と犯人とを結びつける客観的証拠の一つであるということができる。原判決がこれを被告人の自白を補強する証拠として第一に挙示したのはまことに相当であって、論旨は理由がない。

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