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(死体及びこれと前後して発見された証拠物によって推認される犯行の態様について。)
その一三 木綿細引紐・荒縄・ビ二−ル風呂敷について。
所論は、原判決は、判示第二の事実中で「附近の家屋新築現場にあった荒縄・木綿細引紐(昭和三八年押第一一五号の六ないし九=当庁昭和四一年押第一八七号の六ないし九)を使用し、死体の足首を右細引紐で縛り、その一端を右荒縄に連結して同死体を右芋穴に逆吊りにし、荒縄の端を芋穴近くの桑の木に結び付けたあげく、コンクリート製の蓋をして一旦死体を隠し」た旨認定判示しているけれども、被害者の頸に巻き付けられてあった木綿細引紐も足首に掛けられてあった木綿細引紐も、被害者の死体の上に置かれてあった荒縄も、これらが原判示の家屋新築現場にあったのかどうか疑わしく、被告人のこの点に関する員及び検調書は捜査官の誘導によって得られたもので、供述の内容も不合理、不自然なところがあるばかりか、客観的事実とも矛盾していて信用できないというのである。
そこで考えてみるに、原判決の挙示する員大野喜平作成の実況見分調書によると、被害者の死体が発見されたとき、その頸部に木綿細引紐二別掲押第一八七号の六)がひこつくし様に巻き付けられ、足首には木綿細引紐(同押号の七)が掛けられ、荒縄(同押号の八・九)が死体の上に乱雑に置かれていたことが認められる。しかも足首に掛けられた木綿細引紐の一端の固定した蛇口にビニールの切れ端がくっ付いたまま出てきたこと、これと約二〇米の地点にある芋穴からよじれた形で発見されたビニール風呂敷の切断面とが符合するものであるところから、犯人がこれらの物で死体に対して何らかの作業をしたことが窺われる。これらの物証が客観的に示している状態と、被告人の自白その他の証拠とが合理的な疑いを容れる余地なく適合しているかどうかは、被告人の自白の真実性を検証する有力な尺度となることは所論が指摘するとおりである。ところで、首に巻かれていた木綿細引紐については、被告人は捜査段階及び原審の公判並びに当審における事実の取り調べを通じ、終始知らないと答えている。荒縄と足首にかけられていた木綿細引紐については、被告人は捜査段階において、N・Em、S・Mi方から持ってきた旨供述していて、そのうち荒縄については、N・EmもS・Mi方の建築に携わっていたY・Maもともにこれを肯定するところであるが、木綿細引紐については確たる記憶がないと述べ、原審の検証に立ち合ったH・Suの「細引紐は玄関前に置かれていた梯子に巻き付けてあったということでした。」という伝聞供述が存在しないわけではないけれども、結局のところ、木綿細引紐の出所については確たる証拠はないといわざるを得ない。思うに、脅迫文にみられるように、幼児誘拐の機会を窺っている犯人としてみれば、幼児を適当な場所に縛り付けておき、その間にかねて用意した脅迫状を届けようと考えて、あらかじめ木綿細引紐を持ち歩いていたことも考えられないわけではない。殊に、脅迫状、足跡その他これまで述べてきた信憑性に富む客観的証拠によって、被告人と「本件」との結びつきが極めて濃厚となり、被告人が「本件」の犯行を自供するに至った後においても、木綿細引紐をあらかじめ持ち歩いていたというようなことは、そのこと自体明らかに被告人に不利益な情状であり、ひいてそれが死を確実にするためこの木綿細引紐で首を絞めた紛れもない事実に結びつかざるを得ない以上、被告人としてその出所を明らかにしないのはそれなりの理由があるのである。当裁判所としては、この疑念を否定し去るわけにはいかないのであるが、そうかといってそうと断定する確かな証拠は存在しないし、また、被告人が偶然どこかに落ちていたものを拾って使ったと考えても、物の性質上格別不自然ともいえない。被告人の捜査段階における供述の内容には他にも不明な点があり、記録によって窺われるその供述態度を考え合わせると、木綿細引紐の出所が明確でないから被告人は「本件」の犯人ではないと一概にいうことはできない。
次に所論は、本件の荒縄はその長さから見てN方及びS方で紛失した荒縄と同じ物であるとは認め難い、すなわち、六・三〇員神田正雄作成の実況見分調書によると、同人がN・Em、Y・Maの指示によって荒縄が紛失する以前の状態に復元して荒縄の長さを計測した結果、N方の分は上下二段で合計一九・八七米、S方の分は一一・三〇米の合計三一・一七米であるのに対し、本件荒縄の長さは複雑な結び目からくる計測上の誤差を見込んでも二四・五米ないし二五米で、その間の六米前後の違いがあるというのである。
そこで考えるに、当裁判所で計測してみると、押収にかかる荒縄の太くて長い方は二系統になっていて、その一本は約一三・〇五米、他の一本は約一〇・三五米であり、細くて短く結び目の間隔が短い方は約二・一二米で、総計は約二五・五〇米である。そして、大野喜平作成の前記実況見分調書ではこれが二五・七八米となっている。この縄は、太くて長い方は米俵の外し縄で、細くて短い方はもと板などを縛ってあったようにみえ、前者は一本二・七〇米前後のものをつなぎ合わせたもので、なるほど被告人はその点に触れた供述はしていないけれども、自らもつなぎ合わせたと供述しているところからすると、S方から芋穴まで持ってくる途中なり、あるいはつなぎ合わせる間に、一、二本を落とすなり、若しくはつながなかったと考えてもそれほど不自然ではない。そして、田舎の田畑や農道にこのような縄切れが落ちていたとしても、人々の関心を引く事柄でもない。その見落としが本件の山狩りなり実況見分に際してあったとしても、それ程異とするには足りないと考えられる。
なお、荒縄や木綿細引紐の使用方法については、既にその一二の(二)「死斑について。」の項で触れたとおり、符号八の太い方の荒縄の長さは前記のように合計約二三・四〇米であるからこれを四重にして、これと、木綿細引紐の一方を輪にして被害者の足首を通したものの他の端とを結び合わせて被害者の死体を芋穴に吊り下ろして、少なくとも頭の先から腰の辺まではその背部が穴底に着くようなかっこうで一時隠し置き、荒縄の他の端を桑の木に結び付けておいて引き上げに備えることは、芋穴の深さや桑の木までの距離等を考慮しても十分可能で、あえて宙吊りにしながら桑の木に結び付けるという困難な作業をする必要は更にない。
次に、ビニール風呂敷について考えるため、証拠物(昭和四一年押第一八七号の六)を検すると、木綿細引紐の一端に固定した蛇口が作られ、その蛇口にビニール風呂敷を紐のようにねじってその両端を蛇口に差し込み細引紐を抱くようにして米結びにしたうえ、右木綿細引紐とビニールの輪とを引っ張った結果切れた状態がすなわち証拠物の木綿細引紐にビニール片が付着している状態であると観察される(蛇口ヘの差し込み状態につき、昭和四八年一二日の更新弁論における所論中、図123(三五冊八四八八丁)は一見して証拠物の状態と異なっており、図4が証拠物の状態と合致する。)。そしてこのような状態は、被告人が被害者の自転車前部のかごの中にあったビニール風呂敷を取り出し、被害者の死体を芋穴に隠す前に、これを縄のようによじって被害者の足首を縛り、ビニールの端を木綿細引紐の蛇口に通して結び付け、被害者を芋穴に隠す際に吊り下ろしても切れないかどうかその強度を試したところ、切れてしまった、切れたビニール風呂敷はその後ジャンパーのポケットに入れておいたが、被害者を埋めた後これに気付いて、被害者を隠しておいた芋穴の中へ投げ込んだものであると供述する部分と一致するのである。
この点に関する被告人の捜査段階における供述に微細な点で多くの食い違いがあることは所論が克明に指摘するところであるが、この点は先にも触れたことがあるとおり、被告人の知覚し、表象し、表現する能力が低いうえ、取調官があるがままにこれを受け止め正確に記述する能力に乏しく大雑把で無頓着な録取方法をとる場合や、これも先に一般論として触れたことであるが、殊に本件の被告人のように、意識的、無意識的に虚実を取り混ぜて供述する傾向が特に顕著であるような場合には、往々あり得ることであって、所論の指摘にもかかわらず、当裁判所としてはそれなりに理解可能である。例えば、「強くひっぱった」ら切れたとか「一寸引っぱったら」切れたとかいう文言は、どのようにして引っ張ったかの点が明らかでない限り不正確な表現たるを免れない。被害者の足首をビニール風呂敷で縛りこれを木綿細引紐の固定した蛇口に前記のとおり結び付けて、自分の片足、膝等を被害者の足首に掛けるなど固定させたうえで木綿細引紐を引っ張れば、力は効率よくかかるから、ちょっと引っ張った感じでも切れることは十分考えられよう。また、被告人の「Yちゃんを穴の中へ入れようと思った時切れた。」という供述も、芋穴の中へ入れる直前という意味よりは、それまでの経緯を説明したものと解され、試しに引っ張ったら切れたので、細引紐を被害者の足首に巻くことにしたということを簡略に説明したものと解される。矛盾するかにみえる各供述調書中七・七検原調書は、被害者の死体とともに発見された木綿細引紐やビニール風呂敷の切れ端を被告人に示して記憶を喚起したうえ供述を求めたものと認められ、その他の員調書は取調官が果たして証拠物等を検討したうえで調書をとったかどうかも疑わしく、取調官において死体の発見状況につきどの程度正確な知識をもって被告人の供述を求めたか、実況見分調書添付の写真を示したかさえ疑わしく、不正確な供述を積み重ねてなぞ作りに終始した感さえなきを得ない。
そうかといって、所論が強調するところの、被告人はビニール風呂敷の出所も使途も全く知らなかったなどとは記録に徴して到底いうことはできないのである。
なお、所論は、五・四員大野喜平作成の実況見分調書添付写真35・36号のように結び目近くで両枝とも切れることは力学的に稀有のことであるというが、既に観察したように、木綿細引紐の一端に固定した蛇口を作り、その蛇口にビニール風呂敷を紐のようにねじってその両端を蛇口に差し込み、細引紐を抱くようにして米結びにすれば、引っ張り力は比較的均等にかかると考えられる。そして、力の入り具合いはしかく単純なものとはいえないけれども、両技がほぼ均等に切れる可能性が大きいばかりでなく、たとえ、最初に片方が切れ他方がちぎれかかったとすると、次の作業の邪魔になるので、被告人においてちぎれかかった他方の技を手でちぎり捨ててからビニール風呂敷をポケットに入れたのかもしれないのである。
叙上の説明で明らかなように、押収のビニール風呂敷は、被害者が所持していたのを被告人が奪取したのであり、その使用方法に関する供述も客観的証拠によって裏付けられていて十分信用することができる。すなわち、被告人がこの風呂敷を被害者の自転車前部のかごの中から取り出し、被害者の死体を芋穴に隠す際に、これを使って被害者の足首を縛ったうえ、両端を木綿細引紐の蛇口に通して結び、その強度を試すため引っ張ったときちぎれてしまったものであり、また、その後被告人はこれをジャンパーのポケットに入れていて、被害者の死体を農道に埋めて帰宅する際にポケットに入れていたことに気付いて芋穴に投棄したと認めることができる。それゆえ、この点の論旨はすべて理由がない。
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