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(五) 宇野鑑定書

 宇野鑑定書は、本件脅迫状と脅迫状写とを、警察署長宛上申書、接見等禁止解除請求書、内田裁判長宛書簡、関宛手紙類などを参考資料にして、文字、語彙、文章の表記の点から比較検討した結果、両者には著しい差異が認められるとし、これを理由に本件脅迫状と脅迫状写とは同一人の筆跡とは認められないと結論する。
 検討するに、脅迫状写は、請求人が被疑者当時、取調べの検察官の求めにより、本件脅迫状と同旨の文章を手書したものであり、このような作成のいきさつを考慮すると、日頃の書字の様子、能力が率直に表現されたと言い難いことは、所論援用の神戸鑑定書の検討の項で、詳しく述べるとおりである。
 また、宇野鑑定書が、本件脅迫状における「江」「ヤ」「ツ」の使用、平仮名の字画の連綿、対照文書の誤字などについて判定するところもにわかに容れ難い。
 右鑑定書は、本件脅迫状には、「え」と表記すべきところを「江」としている個所があるが、「エ」は用いていないのに対し、請求人が書いた警察署長宛上申書、脅迫状写、関宛昭和三八年九月六日付手紙では、いずれも 「江」は用いておらず、「エ」と表記している個所はあるけれども、「エ」と「江」は不注意で書き誤る性質のものではなく、「え」の代りに「江」を用いるのは、極めて特異な例である」(同鑑定書三頁)として、本件脅迫状の表記上の特徴だというのである。そこで検討するに本件脅迫状中には、「え」と表記すべきところに「エ」を用いた個所がないことは、右鑑定書が指摘するとおりである。しかし、動詞「かえる」の活用で「え」を表記するのに、「江」を当てている個所(「ぶじにか江て」)がある一方、他方では、これと使い分ける格別の意味もないところで、通常の用法どおりに「え」を当てている個所(「かえッて」「かえてきて」)もあるのである。したがつて、本件脅迫条の書き手は、「え」と表記すべき場合に、音の共通する「え」「江」「エ」のうちから思いつくまま用いる傾向があるところ、本件脅迫状では、偶々「エ」は用いずに「え」を用いたとも考えられるのである。そして、同鑑定書は参照していないが、右脅迫状写より数日前に請求人が自書したN宛手紙では、「え」と表記すべきところを、「江」(「N江さく」が本文中に三個所、封筒の上書きに一個所の計四個所。なお、名の部分を平仮名で書くのであれば、「Nえいさく」と表記すべきところである。)と書き、あるいはまた、「エ」(「よしエ」が本文に三個所)と書いていることが認められるのであつて、請求人が、確定判決審第二四回公判において、右N宛手紙について、これを書いたいきさつを尋ねられた後、「そのとき上書したのは被告人(請求人)か」と問われて、「そうです。」と答え、「N江さくというのは何か見て書いたのか、(それとも)覚えていて書いたのか」と質問されて、「ただ書いたと思います」と答えている事実(確定判決審記録二一三二丁)にも徴すると、当時、請求人も、N宛手紙を書くにあたり、「エ」とともに「江」を、「え」と表記すべき個所に用いており、しかも、「N・E(被害者の父)」と表記すべき被害者の父親の氏名を、本件封筒(本件脅迫状の封筒)に書かれたとまったく同じ「N江さく」(名の部分を平仮名書きするのであれば、正しくは、「Nえいさく」と表記すべきであることは既に述べたとおりであり、「い」が欠落している点でも特徴ある表記方法と認められる。)と四度まで繰り返し表記していることは、宇野鑑定書のいう本件脅迫状と同じ「極めて特異な」表記を行ったということができる(この点につき、所論援用の戸谷意見書五三頁、五四頁は、請求人が取調官から指導された結果と推測しているが、N宛手紙の作成事情に関する前記請求人の供述に照らして疑問である。そしてまた、捜査官から本件脅迫状らしいものを書写させられた旨の請求人の供述(確定判決審第二四回、第二七回各公判)を考慮に入れても、その影響のためとも断じ難い。)。
 次に、本件脅迫文中の「ヤ」の使用(「さのヤ」「ころしてヤる」)については、右二個の用例だけでは、宇野鑑定書が指摘するように書き手の用字癖であるとか、特殊な効果を狙った用字であるとか、直ちに決めてかかることはできない。請求人自書の脅迫状写、警察署長宛上申書に片仮名の「ヤ」が用いられていないからといって、このことから本件脅迫状の書き手は請求人ではないとするのは、妥当な推論とは言い難い。
 他方、本件脅迫状は、漢字平仮名交じり文であるが、「つ」、促音「っ」と表記すべきところを、すべて片仮名「ツ」 あるいは「ッ」と表記していることが認められ(「ツツんでこい」「女の人がもツて」「車出いツた」「気名かッかたら」「いツてみろ」「車出いツた」「ぶじにかえツて」「とりにいツて」)、これは顕著な特徴と認められるところ、これと同様の「ツ」の用例が、請求人自書の警察署長宛上申書(「五月一日のことにツいて」「いツしよして」「けいさツ」)、同鑑定書は参照していないが、捜査官に対する供述調書添付図面中の請求人自書の説明文(第一審記録二〇一二丁の「あツた」、同二一〇二一丁、二〇二三丁の「まツもと」、同二〇二二丁の「とツた」、同二〇二四丁の「がツこを」、同二〇三五丁の「はいツていたさいふ」、二〇三六丁の「あツたとをもいます」、同二一一三丁の「ツかまエていツたほをこう」など多数)などに存在することは、看過できない共通点であると認められる。ところが、右鑑定書は、漢字平仮名交じり文で、促音だけ「ッ」と書く例は相当数あるとし、古く明治末に発表された小説中の用例を引き合いに出し、「促音に「ッ」の文字を使うことは必ずしも特異であるとは言えないのであって、脅迫状と上申書とでの一致を特に問題とするべきではない。」(同鑑定書六頁)と判定するのである。このような見解には与することはできない。
 さらに、右鑑定書は、脅迫状中の「な」「す」及び「け」についてみられる字画の連続は自然に身につけている運筆・筆勢の習慣であるとした上、このような字画の連綿現象は、請求人の手になる脅迫状写や関宛手紙中には見当たらないというが、平仮名は、その時々の書き手の気分や書字の状況如何によって、字画を連続させたり、させなかったりすることがあり、必ずしも習慣となつて固定している場合ばかりではないことは、神戸鑑定書の検討の際に指摘するとおりである。そして、右宇野鑑定書の認識と相違して、関宛昭和三八年手紙の一一月一二日付(「お世話になった」)、同月三〇日付(「悪くしないで」)、同年一二月一七日付(「お変りなく」「皆んな」「きびしゆうなりました」)の各手紙には、平仮名「な」の字画の連綿が認められ、また、同年八月二〇日付の前掲接見等解除請求書にも、平仮名の字画の連続が見られる(本文二行目、三行目、四行目(二個))事実は、右撃定書が判定の前提にした事実認識が、既に当を得たものとは言い難いことを示している。
 右鑑定書は、漢字の表記に関して、脅迫状では正字が書かれているのに、脅迫状写では同じ漢字が誤つて書かれている個所があることを指摘して、請求人が脅迫状の書き手であるならば、正しく書けないはずがないというが、前述したような脅迫状写の作成のいきさつ、書き手である請求人のおかれた精神状況を考慮すれば、このような判定が相当であるとは言い難い。
 以上の次第で、右鑑定書の鑑定結果は、三鑑定の判定の評価に影響を及ぼすものとは認め難い。

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