部落解放同盟東京都連合会

狭山事件第2次再審棄却決定-INDEXに戻る 

第七 犯行に使われた手拭について

一 本件犯行で被害者の両手首を縛るのに使用された手拭一本(浦和地裁前同押号の一一、本件手拭)は、狭山市峯所在のI米店(店主I・T)が昭和三八年正月の年賀用に注文して用意し、得意先に配った手拭(昭和三八年度手拭)一六五本のうちの一本であることが、関係証拠から判明しているが、確定判決は、得意先として昭和三八年度手拭一本を貰った請求人方から同年度手拭一本が捜査当局に任意提出されていることを前提にしつつ、捜査当局が回収に努めても行方が確認できないで終わった昭和三八年度手拭の配布先の中に、請求人の姉婿石川仙吉方(配布された二本のうち任意提出された一本を除く、その余の一本)と請求人方の隣家であるM・S方(一本)が含まれていることを認定して、「(被告人方の)家人が工作した疑いが濃い。被告人がI米屋の手拭を入手し得る立場にあったことを否定する事情は認められない。」「(本件)手拭一枚も五月一日の朝被告人方にあったと認めて差し支えなく、したがってこれも自白を離れた情況証拠の一つとして挙げるのが相当である。」と判示した。

二 これに対して、所論は、I米店から昭和三八年度手拭一本を年賀に貰った請求人方から、同年度手拭一本が捜査当局に任意提出されたことによって、本件手拭が請求人方に配られた手拭ではなく、請求人が本件に関与していないことが明らかであると主張するとともに、(1)I・T作成の手拭配布先に関する便箋メモ四枚(東京高検昭和四一年領第一七号の五六ないし五九、I・Tメモ)とその検証、(2)I米店の得意先から回収され東京高検で保管中の手拭一五四本(東京高検右同領号)とその検証、(3)石川仙吉作成の昭和三八年五月二二日付狭山警察署長宛上申書(石川仙吉上申書)、(4)M・Sの同月二四日付司法警察員に対する供述調書(M員面)、(5)弁護人横田雄一作成の昭和五四年六月三日付手拭一五四本及びIメモに関する調査報告書等により、昭和三八年度手拭一六五本のうち、請求人の姉婿石川仙吉方へ配布されたのは二本ではなくて一本であり、隣家であるM・S方にはまったく配布されなかったことが裏付けられ、石川仙吉方が同年度手拭一本を捜査当局へ任意提出したことで、石川仙吉方及びM・S方いずれにも、提出洩れの昭和三八年度手拭は存在しないことが明らかであり、したがって、右の両家から同年度手拭各一本がそれぞれ未回収のままであるという前提事実は否定されるから、請求人方の家人が、捜査当局に、昭和三八年の年賀に配られた手拭であるとして任意提出した昭和三八年度手拭一本は、石川仙吉方へ配布され未回収の一本、あるいは、隣家M・S方へ配布され未回収の一本のいずれかを調達して、これを請求人方に配られた手拭であるかのように装って提出した疑いがあるとして、この点を、本件犯行と請求人とを結びつける情況証拠の一つとして挙げる確定判決の事実認定には、合理的な疑問があることが明らかになった、と主張する。

三 検討するに、確定判決審の関係証拠に、上告審において弁護人が提出した昭和五二年四月二六日付上告趣意補充書の添付資料であるI・Tの昭和三八年六月一七日付、同月一九日付、同月二六日付検察官に対する各供述調書写(順に、・T一七日検面、・T一九日検面、・T二六日検面)、I・Kの同月一九日付検察官に対する供述調書写(K検面)、第一次再審議求審査手続において検察官提出の昭和五四年一〇月九日付追加意見書及び同月二二日付「追加意見書添付の疎明資料の一部訂正等について」と題する書面の各添付資料である各任意提出書写、証拠金品総目録写、検察官瀧澤直人作成の昭和三八年六月二七日付捜査報告書写(なお、これは前掲上告趣意補充書の添付資料として弁護人からも提出されている。)を併せ見ると、
(1)I米店が昭和三八年正月に年賀の手拭を配ったのは、いずれも狭山市内の得意先であって、店主の女婿I・Kが予め便箋四枚に地域別に列挙した得意先名を、店主が点検して記載洩れの得意先名を書き加え、手拭を二本配布する得意先六世帯には氏名のうえに「2」と、そのほかにタオルも一緒に配布する得意先の氏名には「〇」と特に記入し(Iメモ)、このメモにしたがって、配布先一六八世帯の大部分を清が、その余の何軒かを店主とその妻が、それぞれ手分けして一月五日から七日までの三日間で年賀の挨拶に回って手拭を配ったこと、
(2)年賀の手拭を配るに当たっては、まず昭和三八年度手拭一六五本全部を充てた後、それで不足の分について、昭和三七年正月の年賀用に作った手拭(昭和三七年度手拭)の配り残りで保存してあった一五、六木のうちから充てたこと(なお、右両年度の手拭は、同じ色柄であるが、昭和三八年度手拭の柄の一部には、染抜きの微細な欠損があるので、両者は識別可能である。)、
(3)捜査当局では、犯行に使われた本件手拭の出処を特定するため、昭和三八年度手拭の回収に努め、結局、全部で一六五木配布されたうちの一五四本を回収保管中であるところ、K・D方及びM・M方に配布の各一本は、いずれも現に着物裏などに使用中であることが確認されているから、この二本を加えて、計一五六本については所在が明らかで、そのうち一本(前掲証拠金品総目録符号三二三。N・N又はW・Sのいずれかに配布されたものと認められるが、特定はできない。)を除いては、配布先も明らかであり、したがって、配布先の明らかでない昭和三八年度手拭は、一〇本であること、
が認められる。
 ところで、確定判決が同題とするM・S方と石川仙吉方に昭和三八年度手拭が配られたか否かについては、右両名とも事実を否定しているのであるが(M員面、石川仙吉上申書)、前記S一七日検面、M員面によれば、M方がI米店の得意先であって、昭和三七年暮にも正月用の餅一斗を購入していること、Iメモ等によれば、右メモに昭和三八年度手拭一本の配布先としてその氏名が記載がなされ、配布済みを示す「∨」印が付されていること、K検面によれば、同人は年賀二日目である昭和三八年一月六日ころ、M方を訪ねて、年賀の手拭一本をM・S本人に手渡したと明言していることなどから判断して、M・S方に年賀の手拭を配り落としたということは、考え難いことのように思われる。また、Iメモ中で、昭和三八年度手拭を二本宛配布すべき得意先の一つとして石川仙吉の氏名の上にペン書きで「2」と記載されており、 Mの場合と同様、その氏名には配布済みを示す「∨」印が付されていること、そして、K検面によれば、Mに配ったと同じ一月六日、年賀の手拭二本を持って石川仙吉方を訪ね、奥さんに渡してきたと述べていることなどからみて、I・Kが石川仙吉方に同年度手続を二本配ったということは、肯定できると考えられる。なお、所論は、Iメモが捜査当局の都合のよいように改竄された疑いをも主張するが、所論指摘の関係資料を検討しても、そのような事跡は認め難い。
 このような次第で、所論指摘の証拠を検討し、確定判決審の関係証拠と併せ見ても、請求人方に配布された昭和三八年度手続一本に見合う手拭が捜査当局へ任意提出されて回収はされているけれども、M・S方へ昭和三八年度手拭一本、石川仙吉方へ同年度手拭二本が配られ、前者及び後者のうちの一本がいずれも未回収のままその所在が明らかではない疑いがあり、この両家と隣人ないし近い親族として日頃から親しかった請求人方では、請求人方に配布された昭和三八年度手拭一本のほかに、右M方あるいは石川仙吉方から同年度の手拭を入手し得る立場にあったと認めた確定判決に、合理的な疑いがあるとはいえず、所論援用の証拠が確定判決の事実認定に影響を及ぼすとは認め難い。

このページのtopに戻る

 ◆狭山事件第2次再審棄却決定-INDEXに戻る

部落解放同盟東京都連合会

e-mail : mg5s-hsgw@asahi-net.or.jp 

Site Meter