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第一三 車両との出会いについて

 所論は、新証拠として、(1)O・Tの昭和三八年六月二五日付司法警察員に対する供述調書、(2)M・Sの同日付司法警察員に対する供述調書、(3)Y・Mの同日付司法警察員に対する供述調書、(4)I・Yの同月二四日付司法警察員に対する供述調書、(5)弁護人中山武敏作成のO・T移動図、(6)同年五月六日付毎日新聞夕刊記事、(7)司法巡査ないし司法警察員作成の同年六月二四日付(四通)、同月二五日付(二通)、同月二六日付(五通)、同月二七日付(三通)各捜査報告書等を援用して、これらを確定判決審の証拠と併せ判断すると、捜査当局は、昭和三八年五月一日夜に本件脅迫状がN・E(被害者の父)方へ届けられた直後から、当日の同人方付近における人や車の動きについて聞き込み捜査を実施して、本件脅迫状がN・E方へ届けられた時刻の前後ころに、Y・Sの自動三輪車が鎌倉街道を通行し、また、O・Tの自動車が右N方付近路上に駐車していた事実を、早い時期に把握していたことが裏付けられるから、その後、自白の中で、本件脅迫状をN方へ届ける途中、鎌倉街道で追い越していった自動三輪車があったことやN方付近路上に停まっていた車両のことが述べられているのは、捜査官が、既に聞き込み捜査で把握していた事実に合致するように暗示を与え、誘導して請求人に供述させたものであり、犯人でなければ知りえない事実を請求人が自ら進んで捜査官に暴露したものとはいえないから、右の点について、いわゆる秘密の暴露があったとして、自白の信用性を肯認した確定判決の認定には合理的な疑問のあることが明らかになった、というのである。
 所論援用の証拠と確定判決審の関係証拠を総合すると、
(1)捜査官の取調べを受けていた請求人は、昭和三八年六月二一日に至り、本件脅迫状をN・E方へ届けに行ったときの状況について供述し、途中、川越街道に出る五〇〇メートルくらい手前で自動三輪車が追い越して行ったこと、N方隣家前付近の路上に小型貨物自動車が停まっていたことなどについて供述するとともに、司法警察員に対する同日付供述調書(第一審記録二〇〇四丁)添付第一図のとおり、通った経路を赤線で図示し、鎌倉街道の途中に赤丸印を付けて「をいこされたところ」と説明文を記載したこと、
(2)他方、捜査当局は、多数の捜査員を動員して聞き込み捜査を行ったところ、請求人がN方へ赴く途中、鎌倉街道を通行した時間帯に、N方の近隣に住むY・Sが、友人方へ選挙の当選祝いに行くため、自分の運転する自動三輪車(ダイハツ五九年型)に友人を同乗させて鎌倉街道を南進した事実が明らかになり、また、肥料商店員O・Tが、車で得意先回りをして、N方へ本件脅迫状が届けられた前後の時間帯(午後七時二〇分ころから七時四〇分ころまでの間)に、N方の一軒おいた隣家に立ち寄り、家人と肥料の話などをする間、付近路上に小型貨物自動車(ダツトサンのライトバン)を停めていた事実も確認されたこと、
が認められる。
 したがって、右各時間帯に、鎌倉街道を南進した自動三輪車があった事実及びN方付近に小型貨物自動車が駐車していた事実がそれぞれ確認されていることは、自白の信用性を裏付ける根拠の一つになり得るのであって、確定判決の認定に誤りは認め難い。
 所論援用の証拠を確定判決審の関係証拠と併せ検討しても、捜査官が暗示や誘導によって、鎌倉街道で自動三輪車に追い越されたことや被害者方付近に小型貨物自動車が駐車していたことを、請求人に供述させて、あたかも、その供述にいわゆる秘密の暴露があったかのように作為したと疑われる事跡は窺われない。このような次第で、所論援用の証拠は、確定判決の認定に影響を及ばすものとは言い難い。

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