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第二〇 佐野屋付近の畑地内の地下足袋の足跡痕について

 確定判決は、佐野屋付近の畑地の中に印象された足跡のうちの三個(左足跡一個及び右足跡二個の現場足跡)にそれぞれ石膏を流し込んで保存した石膏成型足跡三個(浦和地裁前同押号の五の1ないし3、現場石膏足跡1号ないし3号足跡)と後日請求人宅から発見、押収された地下足袋五足のうちの一足(右同押号の二八の1、押収地下足袋)との関連につき判定した関根政一・岸田政司作成の昭和三八年六月一八日付鑑定書(関根・岸田鑑定書)の鑑定結果は信用できるとして、押収地下足袋と現場石膏足跡とは、「自白を離れて被告人と犯人とを結び付ける客観的証拠の一つであるということができ、原判決(第一審判決)がこれを被告人の自白を補強する証拠として挙示したのはまことに相当であって・・・」と判示する。
 これに対して、所論は、新証拠として、(1)井野博満作成の昭和五〇年一二月一三日付鑑定書(井野第一鑑定書)、(2)警察技師関根政一作成の昭和三八年五月四日付「恐喝未遂被疑事件捜査について」と題する捜査報告書(関根足跡報告書)、(3)渡辺毅作成の昭和五四年四月二〇日付意見書(渡辺意見書)、(4)吉村功作成の同年六月一五日付意見書(吉村意見書)、(5)弁護人深田和之作成の同年五月二三日付「破損痕に関する実験結果(一次)」と題する書面(深田実験報告書)、(6)井野博満作成の昭和五五年九月二〇目付鑑定書(井野第二鑑定書)、(7)弁護人安養寺龍彦作成の同日付報告書(安養寺報告書)、(8)井野博満、湯浅欽史作成の昭和五八年九月二六日付鑑定書(井野・湯浅鑑定書)、(9)弁護人中山武敏、同安養寺龍彦作成の同月三〇日付足跡に関する重ねあわせ検査報告書(中山・安養寺報告書)(10)証人井野博満、(11)同渡辺毅、(12)同吉村功、(18)同湯浅欽史等を援用し、これらにより関根・岸田鑑定書の鑑定結果は誤りであることが裏付けられ、延いては、押収地下足袋と現場石膏足跡とが請求人と佐野屋付近に現われた犯人とを結びつける客観的証拠の一つであるとした確定判決の事実認定は疑問であって、請求人の無罪が明確になったと主張するのである。なお、右のうち、(1)、(3)ないし(6)、(8)は、いずれも第一次再審議求審査手続にも提出され、判断を経たものである。
 そこで検討する。

1 確定判決の依拠する関根・岸田鑑定書の鑑定結果

 第一審証人関根政一、同岸田政司の各証言によれば、県警本部刑事部鑑識課の技師である右両名は、現場足跡を石膏で保存した石膏足跡三個(1号足跡ないし3号足跡)と請求人方から押収された地下足袋一足(前同押号の二八の1)を鑑定資料にして、現場足跡が押収地下足袋により印象されたものか否かの鑑定を行ったのであるが、右両名作成の関根・岸田鑑定書によれば、
(一)現場石膏足跡1号足跡ないし3号足跡は、いずれも縫付地下足袋(職人足袋とも呼称されるもの)の足跡であり、足袋底に泥土が相当付着した状態で印象されたために、底部のデザイン模様の大部分は不鮮明で、顕出されていないが、印象面に大きな移動変型は認められない、
(二)そのうち、地下足袋の右足により印象された2号足跡は、足長約二四・五センチ、足幅約九・二センチで、細部の模様特徹は顕出していないが、足弓部を頂点として蹠部側、踵部側両面に傾斜し、拇趾と踵部が最も深く印象されており、第一趾側に比して拇趾先端が深く印象されていて両者に著しい差があり、同じく右足の3号足跡は、足長約二四・五センチ内外、足幅約九・二センチ内外、全般的に横線模様が不鮮明で、はっきり顕出しているのは足弓部左側の三本の横線であるが、足弓部の面を頂点として蹠部側、踵部側両面へ徐々に傾斜して低くなり、特に拇趾が深く印象されて、第一趾側と著しく食い違いを生じているところ、2号、3号足跡とも、地下足袋底面のほぼ固有の破損痕跡が顕出していて、特に、3号足跡には、竹の葉型模様後部外側緑に著明な破損痕跡、踏付部前端外側縁部に特有な損傷痕跡が、それぞれ存在することが認められ、2号足跡には、拇趾先端部と踏付部前端外側縁部に損傷している部位が認められる、
(三)また、地下足袋の左足によって印象された1号足跡は、足長約二四・五センチ、足幅約九・五センチで、全般的に底面の模様は不鮮明であり、踏付け部が最も深く、足先部、足弓部に向けて傾斜した印象状態を示し、拇趾と第一趾側の深さは同じである点は3号足跡と対照的であるが(関根・岸田鑑定書の鑑定経過の項、6の(五)(2)の末行に、「鑑定資料(一)(1)と対照的である」とあるのは、「鑑定資料(一)(3)と対照的である」の誤記と認める。第一審記録一〇四二丁表)、決定的な異同識別の基礎となるべき損傷等の痕跡は認められない、
(四)他方、押収地下足袋は、使い込んだ金壽印の縫付地下足袋で、九七の文数マーク入りのゴム底が付いており、(1)右足用の足長は約二四・五センチ、足幅は約九・二センチ、底面の竹の葉模様のほぼ左端溝部外側緑を基点として、約三八ミリ程度の間、厚さ約一ミリないし二ミリ程度ゴム縁が剥がれ、外側に弓状に屈曲した損傷があり(「あ号破損」)、また、拇趾先端から数えて横線凸起模様の六線目と七線目の右端が欠落し(「い号破損」)、拇趾先端外側縁のゴムが一部剥がれており(「う号破損」)(同鑑定書第三図、第八図)、底面は歪みがあって、踏付け部を頂点として前後へ徐々に傾斜しており、また、拇趾側が下方へ、第一趾側が上方へそれぞれ屈曲している、(2)左足用の足長は約二四・五センチ、足幅は約九・五センチ、底面足弓部右側の縫目外側縁が切れ、後端は約一・四センチ、前端は約五ミリ程度剥離してやや外側に折り曲がっており、踵部左後端の縫目外側縁に約一センチ程度の欠損がある(同鑑定書第四図)、
(五)これらの特徴点を中心に、現場石膏足跡、押収地下足袋により採取した石膏足跡(対照用足跡)の各底部の印象状態の比較対照を行って検討したところ、結論として、(1)1号足跡は、押収地下足袋の左足用と同一種別、同一足長と認められ、(2)2号足跡は、押収地下足袋の右足用によって印象可能であり、(3)3号足跡は、押収地下足袋の右足用によって印象されたものと認められる旨の結果を得た、というのである。

2 井野第一、第二鑑定書の鑑定結果

 所論援用の井野第一、第二鑑定書は、現場石膏足跡三個と押収地下足袋の対照用足跡それぞれの大きさに注目して、その縦の最大長(足長の最大値)等の値をノギスで正確に計測し(左足の1号足跡は不鮮明であるとして計測対象から除外し、右足の2号足跡、3号足跡につき最大誤差プラス・マイナス一ミリ以内で計測したという。)、統計的解析を行って比較した結果、現場足跡は、押収地下足袋(九文七分)によって印象されたものではあり得ず、十文三分の地下足袋によって印象されたことが明らかになった、というのである。
 しかし、現場石膏足跡三個「1号足跡ないし3号足跡)を子細に観察すると、現場足跡は、いずれも地下足袋に付着した泥土(足跡の底面、輪郭とも全般的に印象状態が鮮明でないことから、単に足袋底のみならず、地下足袋の周囲にも相当に付着していたことが察せられる。)、踏み込みによる移行ずれ等の影響を受けて、地下足袋の本来の底面よりも全体的にやや大きく印象されたと認めて誤りないというべきであって、このようにして印象された足跡から採取された石膏足跡の計測値が、泥土が付着していない状態の押収地下足袋から採取した、輪郭鮮明な対照用足跡の計測値よりやや大(井野第一鑑定書によれば、縦の最大長平均値の差は八ミリであるという。)であるからといって、そのことから直ちに、現場足跡を印象した地下足袋の方が、押収地下足袋(九文七分)よりも文数(サイズ)が大であると結論することは相当ではない。井野鑑定では、現場石膏足跡の計測値と、押収地下足袋の対照用足跡の計測値とを、前記のような印象条件の違いの点を等閑視したまま対比している嫌いがあるのであって、このようにして導き出された井野第一、第二鑑定書の前記の鑑定結果は相当とは言い難く、これが確定判決に影響を及ぼすものとは認め難い。

3 井野・湯浅鑑定書の鑑定結果

 所論援用の井野・湯浅鑑定書は、
(一)未使用で、底部に破損個所のない地下足袋で印象した足跡に石膏を流し込んで石膏足跡をとる実験を繰り返した結果、地下足袋底面に破損個所がなくとも、地下足袋により圧迫された地面に生じたひび割れに石膏が入り込み、往々にしてこれがみだれ模様となって石膏足跡上に出現することが明らかになった、
(二)3号足跡及び関根・岸田鑑定書が押収地下足袋の対照用足跡のうちで3号足跡に印象状態がよく近似しているというA15、A16の石膏足跡につき、各足跡に顕出されている足弓部左側の三本の横線模様、3号足跡の竹の葉型模様後部外側縁の破損痕跡といわれる部分、A15とA16に印象されている「あ号破損痕跡」付近の各等高線図、横断面図等を作成して比較、解析したところ、3号足跡の竹の葉型模様後部外側縁の破損痕跡とされる部分とA15、A16の「あ号破損痕跡」は、平面的観察では類似しているように見えるが、立体的に観察するとその断面の形状は全く異なっていることが判明し、石膏成型時のみだれ模様出現に関する(一)掲記の事情と併せ考えると、3号足跡上に現われている破損痕跡といわれるものは、地下足袋の「あ号破損」部分が印象されたものではなく、成型のため石膏を現場足跡に流し込んだ際に偶々できたみだれ模様であると考えるのが妥当であり、また、押収地下足袋の右足用の底面に見られるその余の特徴点「い号破損」、「う号破損」に照応する破損痕跡は、右足の現場石膏足跡(2号足跡、3号足跡)上で確認できない、
(三)現場石膏足跡(1号ないし3号足跡)と請求人に押収地下足袋を履かせて印象させた対照用足跡(関根・岸田鑑定書が、B1ないしB14と特定する石膏足跡)につき、その縦断面の形状を比較検討した結果、(1)現場石膏足跡と請求人による対照用足跡とは、左右の足跡とも、断面の形状において、それぞれに相違性が見られる、(2)現場石膏足跡の左足(1号足跡)と右足(2号足跡、3号足跡)とでは、底面の屈曲ぐあいに顕著な相違がみられる(このことは、足跡を印象した者の歩行の特徴を示している可能性がある)のに対し、請求人による対照用足跡の左足と右足とではそのような相違はない、
と結論する。
 所論は、この鑑定結果を援用して、前記関根・岸田鑑定書において、押収地下足袋の右足用の「あ号破損」に照応する3号足跡の特徴点として指摘された、竹の葉型模様後部外側緑の破損痕跡といわれる部分の石膏の状態は、このみだれ模様と類似しており、右の特徴点と指摘されるものが、果たして地下足袋の破損部が印象されたものなのか、それとも、成型時に石膏が地面のひび割れに入り込んで偶々足跡上に形成されたみだれ模様に過ぎないのかは判然とせず、前記「あ号破損」に照応する破損痕跡であるとは言い難く、その他、関根・岸田鑑定書が現場足跡と押収地下足袋との符合を指摘する特徴点は、いずれも存存が否定されるだけでなく、現場足跡は押収地下足袋によって印象されたものではないことが明らかになったと主張するのである。
 検討するに、石膏成型足跡を作る過程で、地面のひび割れに石膏が流れ込んで足跡上に不定形の模様(井野・湯浅鑑定書の言うみだれ模様)を形成することがあり、3号足跡にもこれが見られることは、関根・岸田鑑定書も認めるのであるが(同鑑定書の鑑定経過の項、6(三)(7)にいうJ点等。第一審記録一〇四〇丁)、同鑑定書が、3号足跡について、破損痕跡であると指摘する竹の葉型模様後部外側縁の部分は、これを押収地下足袋の右足用に存在する「あ号破損」及びその対照用足跡の「あ号破損痕」と対比照合しつつ検討すると、3号足跡の印象状態が粗いにもかかわらず、その形状、大きさ、足跡内の印象部位(3号足跡に顕出している三本の横線模様との相対位置から、押収地下足袋の「あ号破損」、対照用足跡の「あ号破損痕」との対比が可能である。)等の諸点で、まことによく合致しているのであり、これが偶然の暗合とは考え難く、3号足跡により保存された右足の現場足跡が、押収地下足袋の右足用によって印象された蓋然性は、すこぶる高いということができる。井野・湯浅鑑定書は、3号足跡の竹の葉型模様後部外側縁にある弓状にゆるく膨らんだ屈曲部分は、一見、外側縁のゴムの剥がれと見えるが、これを立体的に観察すると、一本の線として連続せずに途中で分断しており、高さ、幅とも一ミリ以下で凹凸が激しく、A15、A16に見られる「あ号破損痕」の剥がれた外側縁のゴムの痕跡とは形状をまったく異にするから、外側縁近傍の地面のひび割れに入った石膏のみだれ模様に過ぎないと見られるというのであるが、3号足跡は、A 15、A16に比して、全体的に底面の印象状態が劣悪であることは明らかであって(関根・岸田鑑定書第六一図、第六二図参照)、井野・湯浅鑑定書の指摘する立体的形状の違いは、このような足跡の印象状態の差異に由来すると見ることができるのであり、右鑑定書指摘のような形状の相違が認められるからといって、そのことから直ちに右を「あ号破損」に照応する破損痕跡ではないとする見解には与しかねる。
 また、関根・岸田鑑定書は、現場石膏足跡の底面の傾き、歪みには特徴があり、これが押収地下足袋、請求人に押収地下足袋を履かせてとった対照用足跡(関根・岸田鑑定書のいうB1ないしB14)の底面の状態と共通すると判定するのに対し、所論援用の井野・湯浅鑑定書は、これと相容れない判定をしているので案ずるに、関根・岸田鑑定書と右鑑定に携わった岸田政司の確定判決審における証言(第四六回、第四九回公判)によれば、一般に、縫付地下足袋は小さなメーカーの手作業の製品で、足袋の木綿甲布に、一枚ずつ型枠に焼き込んで作った薄手のゴム製底板の周辺部を糸で縫い付けた、職人用の履物である。したがって、製品の出来具合にはばらつきがあり、厚手の木綿布と薄手のゴム板という異質の素材の縫い合わせの具合によっては、ゴムの底板に、当初から疲れや歪みが生じていることも、そう稀なことではないと察せられ、また、ゴムの底板は薄く、弾性があるため、比較的自由に撓み、捩れて地面になじむように作られているものと認められる。他方、鑑定資料に供された現場石膏足跡は僅か三個で(左足跡は1号足跡一個、右足跡は2号、3号足跡の計二個)、石膏足跡の基となったこれら現場の足跡は、泥土が底面と周囲に付着した地下足袋によって、畑地に印象されたものである。このように見てくると、本件の足跡は、その地下足袋の底面自体の捩れや撓み、履く者の歩行上の習癖、地面の状況など、様々な要素が複雑に絡み合い、影響し合って印象されていると認められるのであって、現場石膏足跡の印象状況の検討から、これを印象した地下足袋固有の底面の捩れや歪みの傾向、更には、履いた者の歩き癖などにつき有意の推断を下すことは、実際上困難であるというほかない。現場石膏足跡の底面の傾き、歪みなどに、一見、特徴らしいものが認められても、それが果たして、足跡を印象した特定の地下足袋の底面固有の特徴、あるいはこれを履いた者の歩行上の習癖の顕現と推断することができるか甚だ疑問であって、犯人ないし犯人が覆いた地下足袋の同定に稗益するものとは断じ難い。

4 検討の総括

 以上検討したところから、3号足跡の竹の葉型模様後部外側縁に存存する弓状にゆるく膨らんだ屈曲部分は、関根・岸田鑑定書が指摘するとおり、押収地下足袋の「あ号破損」が印象されたものである蓋然性がすこぶる高いと認められるのである。この意味において、関根・岸田鑑定書の鑑定結果に依拠して、押収地下足袋と現場石膏足跡の証拠価値を認め、「自白を離れて被告人と犯人とを結び付ける客観的証拠の一つであるということができ(る)」と判示した確定判決の判断に誤りは認め難い。そして、関根足跡報告書、渡辺意見書、吉村書見書、深田実験報告書、安養寺報告書、中山・安養寺報告書等を援用して所論が主張する点についても、これまで検討したところが妥当するのであって、その余の所論援用の証拠をも併せて、確定判決審の関係証拠と総合検討しても、地下足袋の足跡痕に関する確定判決の事実認定に合理的な疑問があるとはいえない。

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