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 第二 殺害の態様について

 所論は、新証拠として、(1)上田政雄作成の昭和五〇年一二月一三日付鑑定書(補足説明書を含む。上田第二鑑定書)、(2)木村康作成の昭和五一年一二月二七日付意見書(木村意見書)、(3)青木利彦作成の同月一三日付意見書(青木意見書)、(4)上山滋太郎作成の昭和五八年三月一五日付鑑定書(上山第一鑑定書)、(5)上山滋太郎作成の平成五年五月一〇日付鑑定書(上山第二鑑定書)、(6)弁護人中山武敏、同横田雄一作成の昭和五八年八月三日付調査報告書、(7)弁護人中山武敏、同横田雄一作成の平成五年二月一八日付実験報告書(中山・横田平成五年二月実験報告書)、(8)殺害方法についての新聞記事写一二点、(9)長谷部梅吉著「教本ありばい崩し」抜粋写、(10)法医学文献の抜粋写(北條春光ほか著「法医学」六七〜七八頁、古畑種基著「簡明法医学」一一〇〜一一三頁、三木敏行著「法医学」第二版三八〜四二頁、宮内義之介著「法医学」第三版四四ないし四七、四九、五〇頁、上野正吉著「新法医学」一〇八〜一一三頁、松倉豊治編「法医学」一九六ないし二一〇頁、石山c夫編著「現代の法医学」六六〜七三頁、富田功一著「法律家のための法医学」三一三、三一七頁、青木利彦・向井敏著「エッセンシヤル社会法医学」一九四頁、何川凉著「法医学」一一三〜一二二頁、朝倉了・池本卯典著「法学部法医学」一二五〜一二八頁、山澤吉平著「小法医学書」七三〜八〇頁、富田功一・上山滋太郎編「標準法医学・医事法制」一三〇〜一三七頁、船尾忠孝著「法医学入門」七四〜七八頁、錫谷徹著「法医診断学」二五二〜二七五頁、上野佐著「法医学概説」九二〜九五頁、横浜市大医学部法医学教室「新法医学」八〜一一頁、城哲男ほか著「学生のための法医学」一〇一〜一〇八頁、赤石英編一「臨床医のための法医学」一〇八〜一二四頁)、(11)証人上田政雄、(12)同木村康、(13)同青木利彦、(11)同上山滋太郎等を援用して、被害者の死因は、絞頸による窒息であると認められるから、扼頸による窒息と判定する五十嵐勝爾作成の昭和三八年五月一六日付鑑定書(五十嵐鑑定書)及び五十嵐勝爾証言、さらには手掌で被害者の頸部を圧迫して殺害した旨の請求人の自白は、誤りであることが明らかになり、請求人が殺人の犯人であるとする確定判決の事実認定には合理的な疑いがある、というのである。なお、右のうち、(1)ないし(3)は、第一次再審請求審査手続においても提出され、判断されたものである。

一 五十嵐鑑定書及び第一審、確定判決審の各五十嵐証言(以下、これらを併せて五十嵐鑑定という。)によれば、埼玉県警の警察技師である五十嵐勝爾医師は、昭和三八年五月四日午後七時ころから約二時間にわたり、被害者方構内において、電灯の照明下で被害者の死体の外表検査と解剖を行い、採取した資料につき後に所要の検査を行って、同月一六日までかけて死因等について鑑定書を作成したのであるが、その所見と鑑定の結果は、およそ以下のとおりである。

(一) 頸部の外表所見として、前頸部の皮膚面を体軸方向にやや伸展した状態で検査すると、
(1)前頸部において、胸骨点上方約九・七センチのところを通り、皮膚の皺襞を伴う横走状の皮膚蒼白帯(左右の長さ約九・九センチ、幅径約〇・五センチ、上下両縁の境界は不明瞭)が存在し(五十嵐鑑定書掲記(4)b)、
(2)左前頸部において、正中線上で胸骨点上方約九・四センチのところ(ほぼ喉頭部上縁に相当)から左方に向かい横走する暗赤紫色部一条(長さ約六・二センチ、幅径約〇・三センチ、周辺は自然消褪して境界不明瞭)が存在し(前同C1)、
(3)中頸部において、胸骨点上方約六・六センチのところに、頗る不明瞭な横走状の暗紫色部一条が存在し(前同C2)、
(4)前頸部において、下顎骨下から(1)掲記の皮膚蒼白帯までの間は、前頸部一帯にわたり暗紫色を呈し(前同C3)、その内に小指爪大以下の暗黒色斑点若干が散在し、また、下縁部には、左上方から右下方に向かい平行に斜走する赤色線条(幅径約〇・三センチ)多数が存在し、
(5)前頸部一帯において、(2)掲記の横走する暗赤紫色部の下方から上胸部のルドウッヒ角のあたりまでは暗赤紫色を呈し(前同C4)、その内に小指爪大以下の暗黒色斑点やや多数が散財し、上縁部には左上方から右下方に向かい平行に斜走する赤色線条(幅径約〇・三センチ)多数が存在する。
 このうち、(4)及び(5)掲記の斜走する各赤色線条には生活反応が認められないことから、右は、死後に荒縄または麻縄の類で圧迫されて生じたと推認されるけれども、その他の(2)ないし(5)掲記の各暗赤紫色条痕、暗紫色条痕及び各暗黒色斑点は、生存中に成傷したと認められ(なお、五十嵐鑑定書記載の記号Cの大文字、小文字の使い分けには、鑑定書自ら規定するところに合わないものが見られるが、五十嵐証言にも照らすと、C1ないしC4の暗赤紫色、暗紫色、暗黒色等の変色部は、いずれも生存中の成傷と観察・判断されたことは明らかである。)、その他には、特記すべき損傷や異常を認めない。

(二) 他方、頸部の内景検査では、
(6)前頸部に、舌骨部から下顎底にわたり、手掌面大の皮下出血があり(前同C3に相当)、喉頭部より下部に手掌面大の皮下出血が存在し(前同C1、C2、C4に相当)、
(7)舌前端部に、舌尖から約〇・七センチのところに長さ約二・四センチの挫創があり、
(8)咽頭腔内の粘膜は暗赤紫色を呈し、血管像は著明で半粟粒大以下の溢血点少しばかりが存在し、
(9)喉頭腔内には、泡沫液やや多量があり、粘膜は充血性、半粟粒大の溢血点数個が散在し、粘膜の色は、上腔においては淡紫色、下腔においては暗紫色を呈する。
(10)気管腔内には泡沫液やや多量があり、その粘膜は一般に暗紫色を呈し、血管像の発現は著明で、上部には半粟粒大の溢血点数個が存在するが、
(11)舌骨、喉頭諸軟骨いずれも骨折を認めず、
(12)軟部組織間の出血の存否については、甲状腺左右両葉の周囲に、それぞれ軟凝血塊があり(前同ち、り)、甲状軟骨右上角部に大豆大の出血一個がある。(前同ぬ)。

(三) そして、顔部は僅かに瀰漫性腫脹の状を呈し、軽度のチアノーゼを呈すること、眼瞼結膜には溢血点があり、充血性であることなど、その余の所見・検査の結果も総合して、死因は、窒息死と判断されるが、前頸部の圧迫痕跡(手掌面大の皮下出血二個など)が著明であるのに、頸部に索条痕、表皮剥脱はないことなどから、窒息は絞頸ではなく、扼頸によると認められ、また、その方法は、頸部に爪痕、指頭による圧迫痕が存在しないことなどから、手掌、前膊、下肢、着衣等による頸部扼圧による他殺死と推定される。

二 所論指摘の上田第二鑑定書、木村意見書、青木意見書、上山第一鑑定書及び同第二鑑定書は、いずれも、本件被害者の死因が頸部圧迫による窒息で、他殺であることについては、五十嵐鑑定の見解を承認するのであるが、殺害方法を扼頸と判定した右鑑定結果を批判する。

(一) 上田第二鑑定書は、確定判決審で取調済みの上田政雄作成の昭和四七年七月二〇日付鑑定書(上田第一鑑定書)を補足するもので、(1)頸部に幅広い索条物が作用した場合、索痕が五十嵐鑑定書のC1に見られる暗紫赤色で境界不鮮明な変色部として現われることがあるから、右が索痕である可能性を否定できない、(2)前頸部下部に手掌大の皮下出血を認めた同鑑定書の所見は不自然で、それが手掌面による圧痕と断定はできない、(3)眼瞼結膜の溢血点が少なく、顔面も軽度のチアノーゼを呈していた旨の同鑑定書の所見から、被害者が比較的早く窒息死したと推認されるところ、請求人の自白のような扼頸方法では、そのように早期に窒息死させることはできないというが、結論としては、幅広い物体による絞頸とともに扼頸の可能性をも認める。

(二) 木村意見書は、(1)五十嵐鑑定書の所見によっても、頸部圧迫の原因までは特定できないから、頸部圧迫による窒息死とはいえても、扼殺と断定はできない、(2)同鑑定書添付の写真によれば、前頸部に、索条物による絞頸の際の索構とみられる帯状圧痕及びC3を上縁とし、C1を下縁とする淡黒色の帯状圧痕が認められ、これら索溝と判断される帯状圧痕二条の上下両縁に皺襞形成に伴う線状皮内出血と見られる紋様が認められることから、死因は絞頸であり、索溝は帯状の褪色部より成るので、軟いタオル等の使用が推定できるという。

(三)青木意見書は、(1)五十嵐鑑定書の添付写真によっては、その所見にいう前頸部の舌骨上部及び下部の手掌面大の皮下出血を確認できない、(2)同鑑定書の所見の舌前端部の挫創、甲状腺周囲の出血等は、扼殺に特有なものではなく、(3)顔面鬱血が軽度であることも、死因の決め手にはならない、(4)同鑑定書の所見によれば、前頸部外表に指圧痕や爪痕はなかったとされるが、手掌で圧迫して頸部の内部に変化が生じていながら、外表に変化がないことはほとんどあり得ない、(5)軟性索条物で絞頸した場合、外表に表皮剥脱や著明な索溝などの異常が出るとは限らないので、同鑑定書掲記のC1の生前創傷も、軟性索条物による索条痕と見るのが相当であり、(6)同鑑定書の所見にいう前頸部の上部の赤色線条痕は、一般に索条物による絞頸で時々見られる所見であり、絞頸により生じた皺に相当するが、扼殺の場合には皺は生じないし、死後にも生じにくい、(7)同鑑定書掲記の横走帯状の変色部の存在も、扼殺より絞殺の可能性が高いことを示している、というのである。

(四) 上山第一鑑定書は、(1)五十嵐鑑定書に添付の写真によれば、前頸部には中頸部を横走する幅広い褪色部(蒼白帯?)が観察され、その上下の幅は、左前頸部において約二・五ないし三センチ、右側頸部において約一・五ないし一・八センチ前後であるところ(同C4の暗赤紫色部分の上縁の赤色線条群は、この蒼白帯?の中に形成されている。)、土中に長時間うつ伏せ状態で放置されていたのに、そここ死斑の出現が殆どないことから、かなりの圧力が加わったと認められ、また、索条痕、表皮剥脱が残されていないことから、軟性索条による圧迫があつたものと判断され(手指、手掌あるいは腕などで扼した場合には、このような形状の褪色帯は形成され難い。)、その直下に広範な出血が認められることなどから、生前に形成されたと判断される、(2)前頸部の二群の線条痕は、死体に纏絡していた木綿ロープや荒縄の走行角度や条幅、線条の間隔等がそれと符合しないことなどから、右ロープなどの圧迫で死後に印象されたものではなく、反膚の皺襞でもなく、軟性索条により蒼白帯Xと同時に生前形成されたと考えられ、(3)左前頸部に横走する同C1の暗赤紫色条痕も、蒼白帯?の形成とほぼ同時に、その形成に関与した軟性索条の上縁に相当する部位に沿って横走する皮内・皮下出血として惹起されたか、索条間出血の形で形成されたもので、これは絞頸の際に惹起する特徴の一つであり、(4)五十嵐鑑定が扼頸の根拠とした前頸部の二個の手掌一面大の皮下出血は、その存在部位や大きさが疑わしく、(5)これらのことから、本件は軟性索条による絞頸死で、蒼白帯Xは、その索条痕跡であると断定する。

(五)上山第二鑑定書は、検察官提出の平成四年一二月七日付「再審請求に対する意見書」の参考資料として添付された石山c夫作成の平成元年二月二三日付鑑定書に反論を加えながら、殺害方法等について上山第一鑑定書と同旨の見解を布衍するものである。

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三 そこで検討する。

(一) 第一審で取調べ済みの司法警察員大野喜平作成の昭和三八年五月四日付実況見分調書(大野警部補作成実況見分調書。ただし、本実況見分調書は、二「現場の模様」の項中「更に機動隊員は」(調書四枚目表三行目)以下その項の終わりまで及び添付の写真一六号を除いて、証拠に採用されている。以下同じ)、第一審(第三回公判)及び確定判決審(第四四回公判)の証人大野喜平の各供述によれば、被害者の死体は、私有農地の中の狭い農道に縦約一・六六メートル、横約〇・八八五メートル、深さ約〇・八六メートルの穴を掘り、その底に、うつ伏せに置かれて埋め戻されてあったもので、タオルで目隠しされてその両端を後頭部で結ばれており、両手は手拭で後ろ手に縛られ、両足首も木綿細引き紐でしめられ、頸部には、木綿の細引き紐(太さ約〇・八センチ、長さ約一・四五メートル)の一端に蛇口を作り、他の一端をこれに通して輪を作ったものが絡めてあり、蛇口は後ろで緩くしめられていたことが認められるが、確定判決審の証人五十嵐勝爾の供述(特に、第五四回公判。確定判決審記録五七〇六丁)等も併せ見ると、五十嵐鑑定人が被害者の死体の外表検査と解剖を行い、死因を究明しようとするについては、発見時のこのような死体の状況についても、そのあらましを捜査官らから聞知していたものと認められる。そして、特に、頸部に細引き紐が一周して纏わり、絡んでいたという事態は、外見上、死因として絞頸を強く推量させるものであつたということができる。同鑑定人の行った頸部等の外表及び内景検査は、死体発掘の当日、被害者宅構内において、夜間、電灯の照明の下で行われたのであり、決して良好な条件・環境下に行われたものでないことは確かであるが、前記のような死体発見時の様子を聞知していた同鑑定人としては、絞頸の可能性をも十分念頭に置いたうえで、頸部の創傷や変色部分について生活反応を調べ、生前の索状痕跡、表皮剥脱等の微細な変化がないか慎重に見分し、検討したであろうことは、容易に察することができる。しかし、それにもかかわらず、同鑑定人は、外表観察と剖検の結果、前掲のとおり、生前に生成した複数の圧迫痕跡が前頸部に著明であるのに、生前に形成された索条痕、表皮剥脱は頸部のどこにも発見できず、頸部の赤色線条群には生活反応が認められなかったことなどから、索条物による絞頸死の可能性を否定し、死因は扼頸であると判断し、更に、その手段は、爪痕、指頭痕などが頸部表面に存在せず、前頸部の圧迫痕跡について境界が明瞭でないことなどから、手指ではなく、手掌、前膊、下肢、着衣などによる旨結論したのである。

(二) これに対して、所論援用の鑑定書、意見書は、いずれも五十嵐鑑定書の所見の記述及び添付の写真(全身像の二葉、陰部の一葉の計三葉のみカラー写真で、その余はすべて白黒写真であり、しかも前頸部の状態全般を示すのは、顎を上げて、皮膚面を体軸方向に伸展して撮影した第五号写真一葉のみである。)を主要資料にしているところ、五十嵐鑑定人が具に観察した皮下、皮内の出血の範囲、色調及び周辺部の輪郭、表皮の変色部の色調変化、その周辺部の輪郭、褪色部の色調、剥脱変化の模様等々の微妙な点についてまで、五十嵐鑑定書の記述あるいは添付写真の印影として、すべて的確に表現されているとは言い切れないことは自明であり、したがって、これらを基になされた請求人提出の鑑定書、意見書の判断は、その基礎資料において既に間接的・二次的であるという大きな制約を免れないといわなければならない。

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(三) 以上の点を踏まえて検討する。

(1) 索条物による絞頸の痕跡の存在について
 所論援用の鑑定書、意見書は、死体の前頸部を横走する帯状の索条痕跡の存在を指摘し、これを索条による絞頸の痕跡であると判定し、軟性索条物を用いて絞頸した場合には、著明な索条痕、表皮剥脱が残らないことがあるから、五十嵐鑑定書の頸部所見とは矛盾しないというのである。
 しかし、索条物による絞頸死の場合、索条を頸部に一周させて緊縛するので、その圧力は前頸部、後頸部の区別なく、索条に接する皮膚組織に対してほぼ均等にかかるのであり、本件の場合、前頸部に横走状の暗赤紫色条痕、暗紫色条痕が生前形成されていることは、もしこれが、絞頸に伴って形成されたとすると(上山第一鑑定書は、これらの条痕の成因を、軟性索条の上縁に相当する部位に皮内ないし皮下出血したか、策条間出血したものと説明する。)、短時間に相当強い圧力が頸部全周に作用したことを示しているはずであるにもかかわらず、五十嵐鑑定書の所見によれば、後頸部には、索条の緊縛により生じたと認められるような異常変化(索条痕、表皮剥脱、皮下出血など)はなんら留めていないし、前頸部にも、同鑑定書掲記のほかに異常はなかったのである。このような同鑑定書の頸部所見にかんがみると、後頸部の皮膚には、前頸部に比して圧痕が付きにくく、また、幅広の軟性索条物の場合には表皮剥脱や著明な索条痕が生じないことがあり得るという一般論を前提とするにしても、本件を索条物による絞頸死と結論するのは、早計に過ぎるといわなければならない。
 上山第一、第二鑑定書は、前頸部を横走する幅広い褪色部(蒼白帯?)は、扼頸による圧迫をもってしては形成され得ず、これは索条物による絞圧痕であるというのであり、中山・横田平成五年二月実験報告書もこれら鑑定書に沿う証拠であるが、本件死体が長時間、深さ数十センチの湿った土中にうつ伏せの姿勢で埋められ、不規則な凹凸のある底土と埋め戻された土との間で不均等に圧迫され、しかも頸部には細引き紐が一周していて、下顎部と前頸部との間に右の紐が挟み込まれていたという状況に徴すると、前頸部付近の表皮外側から内部に加わった圧迫は、前頸部の皮膚の皺襞の形成や細引き紐が前頸部に横走状に纏絡していたことなどの影響も加わって一様ではなく、圧迫の分布が、頸部の外表曲面、これに纏絡横走する紐に沿って変化し、不定形の帯状に死斑の出現を妨げて、褪色帯を形成したとみることができる。
 このような次第で、前掲五十嵐鑑定書の所見に照らして、これを索条による絞頸痕であるとすることには、納得し難い。

(2) 前頸部において斜走する赤色線条痕の成因について
 五十嵐鑑定書が、これら赤色線条痕は生活反応がないから死斑であると判定したのに対して、上山第一、第二鑑定書は、痕跡が赤色であるということは生前形成を強く示唆しており、索条物による絞頸に際して見られる現象であるというのである。しかし、頸部の所見上、本件を絞頸死と見ることに疑問があることは、先に検討したとおりであるうえに、確定判決審における五十嵐鑑定人の証言によれば、同鑑定人は、本件死体の創傷部位には、いちいちメスをいれて生活反応の有無を確認したというのであり(第五三回公判。確定判決審記録五六三一丁)、また、五十嵐鑑定書の所見に赤色とあつても、赤色と表現される色調には、実際上相当の幅があるのであるから、右色彩の記述をもって直ちにこれらの線条痕が生前に生成したと結論することが相当であるとは考え難い。先に述べた頸部に纏絡されていた細引き紐の状況にかんがみると、その縄目の凹凸が死班に出たとする五十嵐鑑定書の見方は納得できるというべきである。五十嵐鑑定書添付の第五号写真は、前頸部の皮膚面を体軸方向に伸展した状態を撮影したものであるから、そのような状況の下における線条痕の走行方向、縞模様の間隔を基に判断して、うつ伏せで下顎を引いた状態で頸部に纏絡していた細引き紐の死後圧痕の可能性を否定するのは当を得ない。

(3) 前頸部の手掌大の皮下出血について
 所論援用の鑑定書、意見書は、五十嵐鑑定書掲記の前頸部に二個の手掌大の皮下出血がある旨の所見を疑問視するのであるが、皮下出血の有無、大きさ等を五十嵐鑑定書添付の頸部の黒白写真から判定することには、大きな困難を伴うことは自明のことであるから、写真の上から、五十嵐鑑定書の所見どおりに皮下出血を確認することができなくても、そのこと自体は異とするに足りない。所論の鑑定書、意見書を検討しても、直接死体を具に見分した五十嵐鑑定人のこの点の所見に疑念を抱かせるまでのものとはいえない。

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四 検討の結論

 このように検討してくると、所論の掲げる鑑定書、意見書、実験報告書をもってしても、本件を扼頸による窒息他殺と判定した五十嵐鑑定の証拠価値を揺るがすには足りず、確定判決が肯定した殺害方法についての事実認定に影響を及ぼすものではないというべきである。
 以上が当裁判所の判断の結論であるが、所論にかんがみなお検討してみるに、仮に、所論援用の鑑定書、意見書の判断のとおりに、軟性索条物による絞頸が行われ、それが被害者の窒息死に寄与したとしても、確定判決を維持すべきことについて、右の結論が変わるものではない。
 すなわち、まず、殺害方法に関する請求人の自白内容を見ると、捜査官に対しては、
 a「自分の首に巻いていたタオルで夢中でY(被害者)ちやんの首をしめてしまいました。騒がれたので私は夢中で首をしめたのですが始めは両手でしめその端を自分の右手で押さえ私の左手でYちやんのズロースを膝の辺りまでおろし(姦淫部分は省略)その時私は右手でずっとタオルの両端を持って首をしめていました。(昭和三十八年六月二十三日付司法警察員に対する供述調書。第一審記録二〇四〇丁)
 b「私の右の手でYちやんの首を上から押えつけ左の手でジーパンのチャックを外し、(姦淫部分は省略)その時ずっと右手でY(被害者)ちゃんの首を上から押さえつけていました。(中略)私はおまんこをするのに夢中で騒がれないように首をしめていて気がついたら死んでいたのです。」(同月二五日付司法警察員に対する供述調書。同記録二〇七六丁)、
 c「私は声を出さないように右手の親指と外の四本の指を両方に広げて女学生の首に手の平が当たる様にし、声を出さない様に上から押さえました。」(同日付検察官に対する供述調書。同記録二一八八丁以下)、   
 d「夢中で自分の右手でY(被害者)ちゃんの首を上から押さえつけてしめながらYちゃんの身体の上へのって自分のズボンのチャックを左手で外し(姦淫部分は省略)私が首を押さえていた時間はおまんこをしようと思つて夢中だったからよくわからないが五分ぐらいかかつたと思います。私は夢中で力一ぱい押さえつけていたのでYちやんが何時死んだかわかりません。(同月二九日付司法警察員に対する供述調書。同記録二一二六丁)、
 e「右手で女学生の首を締め、声を出さない様にしました、首といってもあごに近い方ののどの所を手の平が当たる様にして上から押さえつけたわけです。」(同年七月一日付検察官に対する供述調書。同記録二二四〇丁)、
 f「Y(被害者)ちやんが声を出して騒がない様に、前に云った様に、右手の親指と外の指を両方に開く様にして、手の平をY(被害者)ちやんの侯に当てて、上から強く押さえました(中略)今考えると右手の肘をYちやんの胸から肩あたりに押しつけていた様な気がします。」(同月四日付検察官に対する供述調書、同記録二三一六丁)、
などと述べ、
 第一審公判廷では、公訴事実をすべて認めた(第一回公判調書)うえで、
 g「縛りつけて時計や財布を取った後に強姦したのか」と問われて、「はい」と答え、「その際、被害者を殺すようなことになつたのか」と問われて、「はい」と答え、「この間の事情は警察や検察庁で述べたとおりか」と質されて、「はい」と答えている(第一〇回公判調書)。
 そして、第一審判決は、自白と五十嵐鑑定書など関係証拠から、「(被害者Y(被害者)が)救いを求めて大声を出したため、右手親指と人差し指の間で同女の喉頭部を押えつけたが、なおも大声で騒ぎたてようとしたので、遂に同女を死に致すかも知れないことを認識しつつあえて右手に一層力をこめて同女の喉頭部を強圧しながら強いて姦淫を遂げ、よって同女を窒息させた・・・」旨を認定した。
 右事実認定につき、弁護人が、確定判決審において、上田第一鑑定書を援用して被害者の死体の状況から推認される実際の殺害方法は、自白内容と明らかに異なり、このことは、自白が架空であって信用できないことを示していると主張したのに対して、確定判決は、詳細に検討を加え、上田第一鑑定書は五十嵐鑑定の結論を左右するに足りないと判示したうえで「被告人(請求人)は、捜査段階において、被害者を姦淫しながら右手の親指と他の四本の指とを広げて頸部を強圧した上いうのであるが、右鑑定の結果からは、扼頸の具体的方法についてまではこれを確定することはできない。しかしながら、被害者の死因が扼頸による窒息であることは前記のとおり疑いがないから死体の状況と被告人の自白との問に重要なそごがあるとは認められない。」と判示した。
 請求人は、捜査官に対して、殺害方法などにつき、自白の当初には、タオルで絞頸したと述べ(前掲a)、その後は一貫して、手掌で扼頸した旨述べ(前掲bないしf)、第一審公判廷においては、単に、捜査官に述べたとおりである旨を答えるにとどまった(前掲g)ことは、先に見たとおりであるが、前掲aからb以下への自白内容の変化がどのような事情から生じたのかについて、捜査当時あるいは第一審段階において、請求人に対して質された形跡はなく、その点についての請求人自身の説明も記録上残されていない。しかしながら、劣情に駆られて被害者を押し倒し、その抵抗を排除して姦淫するとともに、頸部を圧迫し、窒息させて殺害したという本件犯行の態様に照らし、犯行当時かなり興奮し、動揺していたであろうことは、察するに難くないのであり、捜査官の取調べに対して姦淫と殺害の犯行の一部始終をありのまま供述したとは考え難く、供述時に、多少とも記憶が混乱し、あるいは一部亡失し、またあるいは意識的に供述を端折るなど、供述内容に不正確な部分が生じているであろうことは、むしろ当然のことと考えられるのであつて、自白が実際の犯行の模様そのままをすべて物語っているとはいえない、といわなければならない。
 このように検討してくると、具体的殺害方法に関する前掲aの自白とbないしfの自白を吟味するにあたっては、いずれかが客観的事実に合致し、他は誤りであるという二者択一の関係にあると考えることは、必ずしも当を得ないというべきである。そこで、仮に、所論指摘の上山第一、第二鑑定書などの判断のとおり、前頸部の褪色帯が軟性索状物による圧迫痕であり、軟性の索条で絞頸が行われたと認めるべきものとしても、これは、所携のタオルで絞頸した旨述べた当初の自白内容(前掲a)とは符節が合うのであり、また、絞頸の後で、更に、手掌などで頸部を扼したと推認することも、死体の状況から無理なく可能であると認められ、自白(前掲bないしf)も存在するのであるから、請求人の自白内容が、死体の状況から推認される殺害方法ないしその態様と懸隔が甚だしく、あるいは矛盾を来たし、この点に関する自白が虚構であって信用できないということには、当然にはならないというべきである。前掲a以下の自白を通覧すると、当初から殺害を企図していたわけではなく、被害者の頸部を圧迫したきっかけは、被害者が声を出して騒ぐのを防ぎ、姦淫の犯行を容易にするためであったというのであるから、そのような目的に照らしても、たとえば、被害者を押し倒して姦淫しようとしたところ騒がれそうになったので、夢中で自分のタオルを被害者の頸部に巻き付け、両端を左右の手で持って絞め、声をたてるのを防ぎ、その途中でタオルから片手を離して下半身の着衣をゆるめるなどして姦淫行為を容易にし、残る片手でタオルの上から被害者の頸部を扼しているうちに窒息死させたという事態も、本件において十分想定され得ると考えられる。
 このような次第で、所論主張のとおりに軟性索状物による絞頸が行われた事実があったと仮定してみても、このことから直ちに、請求人が、殺害の方法ないし態様について自分の経験していない虚構の事実を自白したとはいえない。
 そして、右に検討した証拠に加えて、所論援用のその余の証拠も併せて、確定判決審の依拠した証拠と共に更に検討しても、請求人が被害者の頸部を扼し、窒息させて殺害した旨認定した第一審判決の事実認定を是認した確定判決を揺るがすには足りない。

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