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第一九 佐野屋付近での体験事実について
所論は、要するに、佐野屋付近へ身代金受取りに赴いた際の状況に関する請求人の自白は、犯人がたどったのとは異なる往復経路を述べ、身代金の持参を待つ間に、佐野屋の前の県道を通行した人や車には気付かなかったと述べるとともに、さらに、N・T(身代金持参者の役をした被害者の姉)と現場で問答するに当たり、相互の位置関係や、明るさの点から、実際には同女の姿は見えたはずがないのに、その姿を現認したと述べるなど、客観的事実に反する不自然な内容であって信用できず、虚偽供述であると主張し、このことは、新証拠として援用する(1)増田直衛作成の昭和五八年一〇月一二日付夜間の恐喝未遂犯行現場における人物通行車等の視覚的認知に関する鑑定書(増田鑑定書)、(2)藤井弘義、小林總男作成の同日付恐喝未遂犯行現湯近傍における足音自動車音等の伝搬と認識に関する鑑定書(藤井・小林鑑定書)、(3)弁護人中山武敏、同横田雄一作成の同年七月一五日付地下足袋装着魚の目についての調査報告書(中山はか魚の目報告書)、(4)N・T(被害者の姉)の昭和三八年五月三日付司法警察員に対する供述調書(T員面)、(5)M・Hの同年六月一一日付司法警察員に対する供述調書(M員面)、(6)S・Rの同月五日付司法警察員に対する供述調書、(7)司法巡査小川実作成の同年五月三日付恐喝未遂被疑事件捜査に関する嘱託犬の使用状況についての捜査報告書、(8)司法巡査鹿野茂作成の同日付嘱託犬の使用状況についての捜査報告書、(9)I・Yの同年六月四日付司法警察員に対する供述調書、(10)証人増田直衛、(11)同藤井弘義等により明らかになったから、このような虚偽の自白を根拠にした確定判決の有罪の事実認定は誤りであると主張する。
そこで検討する。
増田鑑定書は、本件当時の佐野屋付近現場の自然環境に近似して、人工照明の影響を受けることの少ない実験場所において、本件当夜の晴れの天候、月齢(昭和三八年五月三日午前○時に、八・八)に見合う日を選定して、犯人とT(被害者の姉)にそれぞれ見立てた被験者について実地に視認実験を行い、佐野屋の北東側の畑地に潜んでいた犯人が、県道の通行車両や通行人を認知できたか、約三〇メートル離れた佐野屋前にいたTを認知できたか、さらに、佐野屋前付近にいたTが、前掲畑地にいた犯人を認知できたか等を調査した結果、(1)請求人が自白供述にいう待機位置に居ながら、県道上を通行する車両や通行人に気付かなかったはずはなく、右待機位置からTが当初立っていた佐野屋の前は直接に見通すことはできないが、仮に見通せたとしても、せいぜい人の姿、形が認識できる程度で、その性別まで見分けることは困難であったこと、(2)また、Tの立っていた位置からは、犯人が移動して行く様子を白っぽい姿として認めることは可能であったこと、(3)請求人が自白どおりの経路を佐野屋付近まで往復し、道路の要所で張込んでいた警察官から数メートル程度の至近距離を走歩又は徒歩で通過したとすれば、当然警察官に見付かったはずであること、が判明したというのである。
藤井・小林鑑定書は、前記増田鑑定書と同一の実験場所において、砂利道上の自動車、バイク、自転車の各走行音、犯人に見立てた男性(地下足袋着用、体重六五キロ)の走行音及びTに見立てた女性(長靴着用、体重四九キロ)の歩行音をそれぞれ音源として、音圧を測定して各種の分析を行うとともに、ヒアリングテストも行った結果、犯人は、音源から五メートルないし一〇メートル離れた地点で、自動車、バイク、自転車の各走行音は十分認識でき、人の歩行音は、極度に神経を集中し砂利との接触音があれば十分認識できたこと、各張込地点の警察官らも、二〇メートル程度離れた人の走行音は、砂利との接触音があれば十分認識でき、二〇メートル先の歩行音についても注意していれば認識できたし、一〇メートル先であれば十分認識できたことが、それぞれ明らかになったというのである。
しかしながら、一般に、真犯人でなければ認識し得ない事象を記憶していて、後に捜査官に対して、これを的確に再生して供述する場合がある反面、確定判決も指摘するとおり、真犯人であれば当然自分の行動にまつわる周囲の状況の詳細を認識、銘記しており、自白する以上は、捜査官の取調べに対して、その記憶どおりに率直に供述するはずであるとは、必ずしもいえないのであり、本件においても、請求人が佐野屋前の県道の通行車両や通行人には気付かなかった旨述べているからといって、そのことから直ちに、それが犯人ではない者の行った内容虚偽の供述であるということはできない。
当時は、深夜のこととて、佐野屋前の通行は疎らであったのであり、車両や人がその付近を通行した時点において、請求人がどのあたりにいたのか、その位置関係は、当夜の行動状況について述べた請求人の昭和三八年六月二四日付司法警察員に対する供述調書、同月二五日付検察官に対する供述調書(第一審記録二一八八丁以下のもの)などによっても判然としないというほかない。また、身代金受取りを目的に現場に赴いた者としては、佐野屋付近の人の動静とわが身の安全について、注意力を集中していたであろうことは察するに難くなく、格別異常な動作のあったわけではない通行車両や通行人につき記憶に留めていないからといって、請求人の供述内容が不自然で、虚偽であるとは言えないというべきである。
また、所論は、請求人の自白する待機地点からは、佐野屋の前にいたT(被害者の姉)の姿を認めることはできなかったはずであり、たとえできたとしても、月光が樹木に遮られてその陰に入っていたから、女性であることまで識別できたはずはないと主張し、請求人が、「街道端の茶株のところへ出て佐野屋の方をみました。その時何時の間に来たのか知りませんが佐野屋のところに小母さんのような人が来ていました。何処に電気がついていたか覚えて居りませんがそこはうす明るくて小母さんは白っぽいものを着ていました」「その話をしている時私は女の人の姿はみましたが、その時の明るさは男か女の見分けがつく程度の明るさであったので姿から女の年を判断することはできなかったが・・・」(前記司法警察員に対する供述調書)などと述べているのは、客観状況にそぐわない不自然な供述であると指摘する。右は、事件当夜の佐野屋付近の現場で、対象となる車や人物を一定の場所、一定の距離から認識可能であったか否かについて実験を行って検証し、そこで得られた実験結果と請求人の自白内容とを対比して、自白供述が実験結果に符合しないことを明らかにすることにより、その虚偽であることを主張しようとするのであるが、本件当時の天空の雲のかかり具合、月光の当たり具合、現場の明るさの程度、請求人とT相互の位置関係等がすべて明らかとはいえないのであり、所論援用の両鑑定書の実験が、これら前提条件の多くを推定に頼っていることを考慮すると、このような実験の結果が、所論の主張を裏付けるに足る程に、事件当時の状況を再現し得たものといえるか、甚だ疑問であるといわざるを得ない。そして、所論が新証拠として援用する証拠資料を確定判決審の関係証拠と併せ検討しても、請求人が、街道端の茶株のところから佐野屋の方を見た時点には、Tは請求人から見える位置にはいなかったはずであると断定すべき根拠は認められない。当夜の請求人にとって、脅迫状で指示したとおりに身代金が持参されたか否かは、重大な関心事であったのであるから、身辺の安全を気遣いながら、できるだけ佐野屋付近の様子を窺おうと注意力を傾注したであろうことは容易に察せられるのであり、他方、佐野屋の前付近に、その側の大きな樹木の陰ができていたとしても、昭和三八年五月二日は陰暦四月九日に当たり、当夜の月齢は八から九になろうとするところで、幾分雲はあったが晴れていたのであるから、増田鑑定書が推定しているとおりに佐野屋の前に佇んだTの身体がすっぽりと木陰に入り、木の間洩れの月光すらまったく同女を照らさなかったといえるか、大いに疑問であるというべきである。このように検討してくると、目を凝らして佐野屋の前を窺った請求人が、「佐野屋のところに小母さんのような人が来ていました。(中略)そこはうす明るくて小母さんは白っぱいものを着ていました」(前記司法警察員に対する供述調書)などと認識したことが、現場の客観的状況にそぐわない内容虚偽の供述であるとは言い難い。木立の陰になって、Tの身体には月光がまったく当たっていなかったことを前提にする増田鑑定書の視認実験は、当夜請求人がTを最初に視認した時の状況を如実に再現したものとは、必ずしもいえないというべきである。
所論は、また、請求人が犯人であって、自白どおりの経路をたどって佐野屋付近まで往復したのだとすると、その経路の道路には警察官が張り込んでいた個所が複数あったので、増田鑑定、藤井・小林鑑定の各実験結果に照らしても、容易に警察官らに発見されたはずであるのに、実際には犯人が発見されなかった事実は、経路に関する自白が虚偽であったことを示していると主張する。しかしながら、請求人が佐野屋へ身代金の受取りに赴くにあたり、人目に付きやすい道路上を終始歩行したとは必ずしも考え難いばかりでなく、捜査官の側にも手違いが重なったことが認められるのである。すなわち、確定判決審の証人大谷木豊次郎の供述するところによれば(第四五回公判)、同証人は、当時、県警本部捜査一課の課長補佐で、本件当夜、佐野屋付近の張り込みの指揮を命じられ、自分自身佐野屋の間近で張り込みをし、Tと犯人との間で交わされた問答も直近で聞いた者であるが、当日の張り込みは、犯人が自転車、バイクなど乗物を利用して佐野屋へやって来ることを想定し、主な道路沿いに行うことになっていたところ、要員配備の直前になって、県警察本部派遣の応援要員が到着したため配備が急遽変更され、本部から派遣された地理に暗い者も重要地点の張り込みにつくことになったため混乱を生じ、計画どおりに張り込みが行われなかった地点があったうえ、予想に反して、犯人が畑地の中を徒歩で現われたため、道路沿いに展開していた張り込みはほとんど用をなさず、指揮連絡の不徹底、照明器具や携帯無線機の不備なども重なって、犯人を取り逃がしてしまい、張り込みは失敗に終わったというのであり、現に、同証人は、佐野屋付近で張り込み中、犯人が接近してきたとき、ガサガサという音で気が付いたが、犯人が現場から立ち去ったときはその気配すら察知できず、気付いた時には逃走の方角もわからずに追跡できない有様で、間もなく試みた警察犬による追跡も不成功に終わったというのである。このような捜査側の混乱した張り込みの事情に徴すると、請求人の自白した経路をたどれば、必ず張り込みの警察官に発見されたはずであるとは言い得ないのであって、所論指摘の点は、請求人の自白の信用性を疑わせるものとはいえない。
次に、中山ほか魚の目報告書は、昭和五八年七月一日の時点で、請求人の右足裏の踏付部拇趾球に魚の目を除去した痕跡を認めたというもので、所論は、請求人は本件当時、この魚の目のために、地下足袋を履いて敏捷に行動することはできなかったから、当夜、佐野足付近に赴いたならば、無事逃げ果せることはできずに、当然張り込み中の警察官に発見されていたはずであり、その点からも請求人の自白の虚偽であることが裏付けられるというのである。しかしながら、右報告書が、それより二〇年前の本件当時の請求人の足裏の状態をそのまま推認させるものとは言い難いのみならず、当時、足裏に魚の目があったからといって、地下足袋を履いて身代金を受取りに佐野屋へ赴き、張り込みの警察官をまいて逃げ帰ることが必ずしも困難であるとは言い難い。
そのほか、所論は、請求人の佐野屋付近に赴いたことについての自白内容の変化、T員面、M員面など関係者の供述との細かな不一致点などを指摘して、自白は虚構であると主張するのであるが、所論の指摘にかんがみ、前掲の所論援用の証拠に所論援用のその余の証拠をも併せて、確定判決審の関係証拠と総合検討しても、確定判決の事実認定に合理的な疑問を抱かせるには至らないというべきである。
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