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理 由

              

 本件再審請求の趣意は、別紙二の目録の再審請求書等に記載のとおりであるが、その趣旨は、当裁判所が請求人に対し昭和四九年一〇月三一日に言渡した無期懲役の確定判決について、以下の各点に関する証拠が新たに発見され、これらの新証拠が確定判決を下した裁判所(確定判決審)の審理中に提出されていたならば、請求人が前記被告事件中の強盗強姦、強盗殺人、死体遺棄及び恐喝未遂事件の犯人であると認定されることはなかつたはずであり、これらの罪につき請求人に対し無罪の言渡をすべき明らかな証拠を新たに発見した場合に当たるから、刑訴法四三五条六号により、再審の請求に及ぶというのである。
 そこで、以下検討を加える。

      

第一 脅迫状について

        

一 脅迫状の書き手

         

 昭和三八年五月一日午後七時三〇分ころ、被害者の自宅玄関のガラス戸に差し込まれた脅迫状とその封筒(浦和地裁昭和三八年押第一一五号の一、本件脅迫状と本件封筒。また、本件脅迫状の文章を指して本件脅迫文ともいう。なお、捜査段階で、指紋検査、インクの成分検査などの作業のため、文面が一部消去され、あるいは一部切除されているが、それ以前の本件脅迫状と本件封筒の状態を明らかにするものとして、埼玉県警察本部刑事部鑑識課塚本昌三作成の昭和三八年九月二七日付写真撮影報告書(第一審記録三七八丁)添付の写真二葉(同年五月二日撮影)がある。
 以下の検討においては、右写真に写っている消去ないし切除前の記載文字・文章部分も併せて対象とする。また、押収番号は、最初に押収した裁判所のそれによることとする。以下同じ。)の書き手が、請求人であるか否かを検討するについて、請求人が日頃読書、書字などにあまり親しまず、存在する自筆の文書も少ないため、筆跡判定などのうえで対照資料となるべき請求人に自書の文書は、限られることにならざるを得ないのであるが、確定判決審で証拠とされ、あるいはそれまでの審理の中で請求人が提出した請求人自筆の文書としては、主に次のようなものがある。

a 昭和三三年から三四年にかけて、T製菓F工場勤務当時に、会社に提出した早退届二枚(浦和地裁前同押号の五七)のうちの一枚(昭和三三年九月三日付、早退届氈jと四枚(浦和地裁前同押号の五八、早退届)の計五枚

b 昭和三五年中に、同じく右F工場勤務当時、提出した横書きの通勤証明交付願四枚(浦和地裁前同押号の五九、通勤証明願。これらは、手書き部分の「狭山市入間川」などの字形が、請求人の自筆であることに争いのない関宛手紙類の宛先住所の「狭山市入間川」などの字形に酷似しており、第一審第五回公判における証人S・Yの供述をも併せ見ると、請求人の自書になることは明らかであると認められる。)

c 昭和三八年五月二一日(逮捕される二日前)に、狭山警察署長宛に提出した上申書(浦和地裁前同押号の六〇、警察署長宛上申書)

d (昭和三八年)六月二七日付N・E(被害者の父)宛の手紙とその封筒(東京高裁昭和四一年押第二〇号の一、N宛手紙)

e 昭和三八年七月二日付検察官原正に対する供述調書添付の請求人自筆の同日付脅迫状の写(第一審記録二二九六丁、脅迫状写)ほか、捜査官に対する供述調書に添付された請求人自筆の見取り図説明文等

f 昭和三八年八月二〇日付浦和地方裁判所宛の接見等禁止解除請求書(第一審記録一四三丁、接見等禁止解除請求書)、第一審内田裁判長宛の同年一一月五日付上申書簡(第一審記録一一六丁、内田裁判長宛書簡)ほか、一件記録中の裁判所宛自筆書類

g 昭和三八年九月六日付(ただし、右手紙の封筒の差出人氏名、住所は、その筆跡から判断して、請求人以外の者の手になると考えられる。)から昭和四五年四月四日まで、関源三宛書簡一四通と葉書三通計一七通(東京高裁前同押号の四、関宛手紙類)、そのうち、昭和三八年中に書いた手紙は、九月六日付、一一月一二日付、無日付(しかし、東京拘置所へ移監前に浦和刑務所から発信していること、封筒の消印の年、月は判読困難だが、日は26とあり、文中に「だいぶひえ込んで参りましたから…」との結び文句があることなどから、消印は昭和三八年一一月二六日と推定される。)、一一月三〇日付、一二月一七日付の五通(関宛昭和三八年手紙)

 そして、確定判決が依拠する埼玉県警察本部刑事部鑑識課の警察技師関根政一、同吉田一雄作成の昭和三八年六月一日付鑑定書(関根・吉田鑑定書。対照資料は、警察署長宛上申書、早退届)、科学警察研究所警察庁技官長野勝弘作成の同年六月一〇日付鑑定書(長野鑑定書。対照資料は、関根・吉田鑑定書に同じ)、鑑定人高村巌作成の昭和四一年八月一九日付鑑定書(高村鑑定書。対照資料は、内田裁判長宛書簡、N宛手紙)の各鑑定書の鑑定結果(これらを併せて三鑑定という。)は、本件脅迫状、本件封筒の書き手の筆跡と対照資料に用いた請求人自書の筆跡の同一であることを肯定する。
 これに対して、所論は、新証拠として、(1)大塩達一郎作成の昭和五〇年一二月一五日付筆跡鑑定書(大塩鑑定書)、(2)宮川寅雄作成の昭和五一年一月二〇日付筆跡鑑定書(宮川鑑定書)、(3)山下富美代作成の昭和六一年一〇月一日付筆跡鑑定に関する意見書(山下意見書)、(4)弁護人松本健雄ほか作成の昭和六三年一〇月一五日付「筆跡鑑定に関する調査結果について」と題する調査報告書(松本ほか第一報告書)、(5)木下信男作成の平成五年三月三日付筆跡鑑定に関する意見書(木下第一意見書)、(6)神戸光郎作成の同年四月一〇日付鑑定書(神戸鑑定書)、(7)弁護人松本健雄ほか作成の同年五月一〇日付「高澤(筆跡)鑑定に関する調査結果について」と題する調査報告書(添付資料を含む。松本ほか第二報告書)、(8)木下信男作成の平成八年四月一八日付「高澤鑑定に関する意見書」(木下第二意見書)、(9)弁護人横田雄一ほか作成の同月三日付調査報告書(横田ほか報告書)、(10)大野晋作成の昭和五一年七月三一一日付筆記能力に関する鑑定書(大野第二鑑定書)、(11)磨野久一作成の同年一月一〇日付筆記能力に関する鑑定書(磨野第二鑑定書)、(12)日比野丈夫作成の昭和六一年八月一日付筆跡鑑定書(日比野鑑定書)、(13)宇野義方作成の同年一〇月三〇日付筆跡鑑定書(宇野鑑定書)、(14)大類雅敏作成の同年一二月五日付句読法についての鑑定書(大類鑑定書)、(15)江嶋修作ほか作成の同月一〇日付意見書(江嶋ほか意見書)、(16)戸谷克己作成の平成五年四月七日付作文能力に関する意見書(戸谷意見書)、(17)I・Sの昭和三八年六月一八日付司法警察員に対する供述調書、(18)S・Kの同月二〇日付司法警察員に対する供述調書、(19)証人山下富美代、(20)同大塩達一郎、(21)同宮川寅雄、(22)同木下信男、(23)同神戸光郎、(24)同日比野丈夫、(25)同宇野義方、(26)同大類雅敏、(27)同江嶋修作、(28)同鐘ケ江晴彦、(29)同福岡安則、(30)同大野晋、(31)同磨野久一、(32)同戸谷克己等を援用して、本件脅迫状及び本件封筒の筆跡が請求人のものと異なり、また、本件脅迫文に現れた書き手の書字、用字の習癖、文章力、表現力と請求人のそれそれとの間には、明らかな格差が存在し、本件当時の請求人の国語力では本件脅迫文を書き得なかったことが裏付けられ、本件脅迫状を書いたのは請求人であると判定した三鑑定は、信用できないことが明らかになったから、請求人の有罪を認定した確定判決には合理的な疑いがある、というのである。なお、右のうち(1)、(2)、(10)、(11)は、いずれも、昭和五二年八月三〇日に再審請求がなされ、昭和五五年二月五日に東京高等裁判所第四刑事部がした請求棄却決定(第一次再審棄却決定。この決定は、昭和五六年三月二三日の異議申立棄却決定を経て、昭和六〇年五月二七日に最高裁判所第二小法廷がした特別抗告棄却決定により確定した)の手続(右再審請求から特別抗告棄却決定に至る審査の手続を、包括して第一次再審請求審査手続といい、この手続で審査された再審請求を第一次再審請求という)でも提出され、判断を経ている。
 しかしながら、所論援用の証拠を確定判決審の証拠に併せ検討しても、本件脅迫状、本件封筒と各対照文書に見られる書字の書き癖、形状、筆勢、運筆状態等を子細に対比検討した三鑑定が説得力を持ち、合理性が認められることは、確定判決、さらには、第一次再審請求審査手続において、検討されたとおりと認められるが、所論にかんがみ、その援用する証拠の主なものについて、検討結果を個別に明らかにしておくこととする。

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