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第四 被害者の血液型と犯人の血液型について

 所論は、新証拠として、(1)前記上山第一鑑定書及び上山第二鑑定書、(2)血液型関係の各文献抜粋写(船尾忠孝著「法医学入門」一六六頁、何川凉著「法医学」二〇七頁、国行昌頼著「臨床に必要な血液型の知識」第二版一八〜二五頁、石山イク夫編著「現代の法医学」二七九頁、富田巧一・上山滋太郎編「標準法医学・医事法制」四一頁、金井泉ほか編著「臨床検査法提要」三一〜三五頁、矢田昭一ほか著「基礎法医学」九三〜九五頁、木村康著「血痕鑑定」九二、九三頁、城哲男ほか著「学生のための法医学」二一五頁)、(3)証人上山滋太郎等を援用し、五十嵐鑑定人の実施した血液型の検査方法には重大な欠陥があり、被害者の膣内地に存在した精液の血液型をB型と断定したのは誤りであることが裏付けられるから、請求人の血液型が右精液の血液型と一致することを有力な証拠として、請求人を有罪とした確定判決の事実認定には合理的な疑いがあることが明らかになった、というのである。
 右上山第一、第二鑑定書は、血液を用いてABH(O)式血液型を判定するに当たっては、赤血球表面の細胞膜のA、B、H(O)の各凝集源(抗原)の存否を調べる血球側からの試験(いわゆる「おもて試験」)を行うとともに、血清中の抗A、抗B、抗H(O)の各凝集素(抗体)・を調べる血清側からの試験(いわゆる「うら試験」)を実施し、両試験の検査結果に矛盾がないことが明らかになった場合にはじめてその血液型を判定すべきであり、また、「おもて試験」においては、厚生省の定めたABO式血液型判定用血清基準に合致する凝集素価(一定条件下で、二倍、四倍、八倍、一六倍・・・と二倍ずつ連続希釈した血清を、対応する型の赤血球と反応させたとき、陽性反応〈凝集〉を起こす限界となる血清の希釈倍数。力価ともいい、数字の大きい程、赤血球を凝集させる能力が強いことを示している。当時の基準凝集素価は二五六倍)以上の判定用血清を用いるべきであるのに、確定判決が援用する五十嵐鑑定は、本件被害者の血液のABO式血液型検査において、「おもて試験」を実施しただけで「うら試験」は行っておらず、しかも、「おもて試験」の判定用血清に要求される凝集素価をはるかに下回る凝集素価八倍の抗血清を使用しているなどの点で、手段・方法に適切さを欠き、五十嵐鑑定人の行った右検査によっては、被害者の血液型をO型と特定することはできず、また、被害者膣内容物の血液型判定についても、先に指摘した不適切な検査から判定した被害者の血液型(O型)を前提としているだけではなく、膣内容物の血液型検査方法自体、実施すべき対照試験を行っていないなど適切さを欠くこと、膣内の精液は一人のものであったことを前提としており、複数人の精液が混じっていた可能性を考慮していないことなどから、本件精液の血液型がB型であるとは断定できない、というのである。
 そこで検討する。

(一)被害者の血液のABO式血液型検査について、関係証拠によれば、五十嵐鑑定では、昭和三八年五月四日に実施した剖検における心臓摘出時の流出血液の一部を保管しておいたものを被検資料とし、「おもて試験」に際して、生理食塩水で三回洗浄した被検赤血球を一パーセントの生理食塩水浮遊液とし、判定用血清を用いて、ホールグラス法により被検赤血球の凝集状態を検査したとされており、その際、既知のA型、B型の赤血球を用いて同時対照試験の設定もなされていて、これら血液型既知の赤血球は、使用した判定用血清に対してそれぞれ判定理論に適ったあるべき反応をしているところ、被検血球は、抗A、抗Bのいずれの判定用血清に対しても凝集反応を呈さなかったので、血液型O型と判定したというのである。その限りでは、右血液型検査は、術式に則った検査方法であったとみることができる。
 しかし、判定に使用した血清が、厚生省の定めた基準に及ばない凝集素価八倍であった点に問題があることは、上山第一鑑定書が指摘するとおりであると認められる。血清の凝集素価は絶対値ではなく、時間経過により劣化を来すとともに、測定条件も絡む相対的な値であるから、その置かれた条件を捨象して単純に強弱をいうのは必ずしも当を得ないが、五十嵐鑑定が、凝集素価の低い血清を判定に用いたために、通常のA、B抗原の存在についてはともかくとしても(前記のとおり、同時対照用に設定された既知のA型、B型の赤血球については、判定に用いた凝集素価八倍の抗A、抗Bの血清によって、いずれも判定理論上あるべき結果が得られたことが認められる。)、凝集反応が極めて微弱な血球抗原については、その存在を認知できなかった虞のあることは否めない(たとえば、「おもて試験」で凝集素価の低い抗血清を用いると、AB型の亜型であるA1B3型では、A抗原は抗A血清に反応するが、B抗原が抗B血清に反応しないという現象が生じて、AB型であるにもかかわらず、誤ってA型と判定される虞があり、A2B3型では、A抗原、B抗原ともに抗血清に対して凝集反応を起こさないために、両抗原とも存在しないと判断されて、○型と誤判定の虞がある。)。したがって、右判定用血清は、ABO式血液型検査の「おもて試験」に相応しいものであったとは言い難い。
 また、「うら試験」を行った事跡が窺われないことも、上山第一鑑定書が指摘するとおりであり、これが行われなかったがために、血清側からの「おもて試験」の精度の検証がないだけでなく、被害者の血液型が、「おもて試験」だけからでは判定不可能な、特殊の亜型あるいは変異型(たとえば、B型の変異型であるBm型の場合、「おもて試験」では凝集素価の高い判定用血清を使っても、血球は抗A血清、抗B血清いずれとも反応せず、「うら試験」を行うと血清中の抗A凝集素(抗体)が検出されて、B型の性質を顕す。)であることを見逃す虞もあり得たと言わなければならない。
 このように、五十嵐鑑定が「おもて試験」で凝集素価八倍の判定用血清を使用し、しかも、その判定結果を「うら試験」によって確認をした事跡がないことは、血液型判定の確かさを見るうえで弱点ではあるが、「おもて試験」において、同時対照された既知のA型、B型の赤血球は、本件判定に用いられた右の凝集素価八倍の血清に対して、いずれもあるべき凝集反応を示したというのであるから、本件被検血液の赤血球が右の抗A、抗B血清のいずれに対しても凝集反応を生じなかったことについても、通常の血液型である限り、それ相応の信頼性はあると認めてよいのであって、明らかに判定上不都合なのは、亜型ないし変異型抗原をもつ血液型であった場合である。しかし、亜型、変異型の存在が極めて稀であることは、所論援用の血液型関係文献等の成書に明らかであり、上山第一鑑定書も認めるところであって、結局、被害者の血液型をO型とする判定には、総体として、相当の信頼性が認められる。

(二)次に、被害者の膣内容物の血液型検査について、五十嵐鑑定書によれば、前記剖検の際、被害者の膣腔内に脱脂綿塊を差し入れて膣内容物を採取したところ、綿塊は湿潤し、淡黄灰白色を呈したというのであり、即日、これから染色標本を作成し、検鏡したところ、形態の完全な精虫を多数検出したというのであるから、右脱脂綿塊の湿潤部分に精液が付着していたことは明らかである。そして、その二日後、埼玉県警察本部刑事部鑑識課の警察技師松田勝が、五十嵐鑑定人の助手として、科学警察研究所法医研究室において行った、右膣内容物のABO式血液型検査では、右脱脂綿塊の湿潤部分から小豆大のものを二個剪除して被検資料とし、それぞれを凝集素価八倍の抗A、抗B血清に投入し、三七度Cの状態で約三時間放置した後、両血清の上澄〇・ニミリリットルを生理食塩水で倍数希釈し、それぞれの倍数希釈液について、一パーセントのA型、B型血球の浮遊液を滴下し、一定時澗後に凝集状態を観察するいわゆる凝集素吸収試験を行い、これと同時に、被検資料を投入しない同じ凝集素価の抗A、抗B血清を同一条件に設定して、対照試験を行ったのであるが、その結果、被検資料を投入した抗血清のうち、抗A血清は、同時対照用に設定した抗A血清と同じく八倍の凝集素価を保持しているのに対して、抗B血清の方は、同時対照用の抗B血清が当初と同様八倍の凝集素価を保持しているのに、B型血球を凝集させる活性をまったく喪失していた、というのである。右の結果から五十嵐鑑定人は、膣内容物の血液型をB型と判定したのであるが、所論援用の血液型文献等に照らしても、右血液型検査の手続・方法は、凝集素価八倍の血清を判定に用いた点を含め、外分泌液のABO式血液型検査の術式として、妥当なものであったと認められる。
 これに対して、上山第一鑑定書は、五十嵐鑑定人が、(1)外分泌物の被検資料を被害者の膣腔から採取、検査したのみで、それ以外の部位からは採取、検査していないこと、(2)精液が混じっていて、膣液自体の血液型を知ることができない本件のような場合には、唾液腺から唾液を採取して血液型検査を行い、その上で精液の血液型を検討すべきであるのに、唾液の血液型検査を行っていないこと、(3)本件膣内容物を採取するのに用いた脱脂綿につき、同時対照試験を行っていないこと、(4)血液型既知の資料について、同時対照試験を行っていないことなどを、五十嵐鑑定の瑕疵・欠陥として指摘するのである。
 検討するに、(1)については、もし、膣腔内だけでなく、子宮、外陰部、大腿部などについても精液の存否を調べておれば、膣液と混じらない精液自体の血液型が検査・判定できたかもしれず、延いてはまた、本件犯行に複数の男性が関与したか否かの解明に裨益した可能性もあり、その意味において、五十嵐鑑定には、検査資料収集の点で徹底を欠いた憾みがある。しかし、右鑑定により、被害者の膣腔内に精虫(精液)の存在が証明され、関係証拠から認められる被害者の死体の発見時の状況などと併せ見ることにより、姦淫の事実が明らかになり、また、膣内容物のAB0式血液型が判定されたことの証拠価値自体は、これによって損なわれるものではないというべきである。
 次に、(2)については、被害者のSe式血液型が分泌型であれば(上山第一鑑定書によれば、分泌型の出現頻度は、七五パーセント、非分泌型のそれは二五パーセントであるという。)、唾液から被害者のABO式血液型の検査が可能であり、その結果を血液について行った検査結果と併せ見ることにより、血液型判定の確度を高めるのに稗益したと思われるが、これを行わなかったことが、直ちに五十嵐鑑定書の判定を無意味にするとまでいうべきでないことは、先に検討したとおりである。
 また、(3)について、五十嵐鑑定人及びその助手をつとめた前記松田技師は、その職掌柄、本件膣腔内容物の血液型鑑定の意義、その重要性を十分理解していたのであって、検査資料の採取に当っては、未使用の清浄な脱脂綿を担体として使用し、その後の管理にも意を用いたであろうことは、たとえ鑑定書、証言などにその旨明示されておらずとも、容易に推認することができる。この脱脂綿が事前に血液型物質で汚染されていて検査結果に影響を及ぼしたとはおよそ考え難い。したがって、右担体に用いられた脱脂綿自体の同時対照試験を実施しなかったからといって、そのことが右鑑定の瑕疵・欠陥となり、その証拠価値を減ずるとまではいえないというべきである。この点、着衣の繊維などに付着した外分泌液(唾液、膣分泌物、精液等)の斑痕の血液型検査の場合のように、担体の汚染を必ず考慮に入れなければならない場合とは、およそ事情を異にする。
 (4)については、本件の被検資料は、脱脂綿塊を膣腔内に差し入れて採取しているため、精液だけでなく、膣分泌物も混じっていたと認められるから、それから検出される血液型は、当然複数にわたることが考えられるのであるが、このような場合に、同時対照試験のためABO式血液型既知の精液を血液型の組み合わせに対応させて幾通りも配することは、実際的であるとは言い難い。したがって、このような同時対照試験を行わなかったことをもって、瑕疵とまではいえない。

(三)以上検討したところから、被害者の血液の血球抗原が亜型や変異型でなく通常型であるとの前提に立つと、五十嵐鑑定が被害者のABO式血液型をO型と判定したのは妥当であったということができる。そして、この事実に被害者の膣分泌物と血液型不明の精液とが混じった膣内容物の血液型がB型と判定された事実を併せ見ると、右精液の血液型はB型であると認められ、その趣旨において、五十嵐鑑定の精液の血液型判定は是認できる。
 上山第一、第二鑑定書は、ABO式血液型検査において、血球の亜型、変異型の、存在が希有であるからといって、これを考慮の外に置くことは許されず、厚生省の定めた基準よりはるかに凝集素価の低い、凝集素価八倍の血清を判定に使用し、剰え、「うら試験」を実施しなかった五十嵐鑑定は、科学的鑑定の名に価せず、その欠陥は致命的であると断定し、結局、何らの留保なしにその証拠価値を否定し去っている。しかしながら、所論援用の血液型に関する文献等、蔵書の教えるところによれば、血液型判定の実際には、判定者の技倆を含む主観面、客観面の微妙な要素が絡み合うのであって、特にABO式血液型検査において被検赤血球が亜型ないし変異型(既知のものにとどまらず、未知の変異型の存在すら考えられる。)である場合においては、判定検査以前から変異型ではないかと疑われている特殊な事例は別として、専門家一般の承認を得た術式を忠実に履践して検査を行っても、血液型の判定を誤ることがあり得るのである。ABO式血液型の判定検査が、このようなものであることを考えると、五十嵐鑑定の血液型検査の過程に前示のような不備があることを理由に、直ちに証拠として無価値と断定してこれを捨て去るのは相当とはいえないのであって、血液型判定が絶対的確度を持つものではないことを弁えながら、立証命題との関連において、証拠価値を吟味・評価すべきである。

(四)確定判決は、所論の事実誤認の主張に対する判断の項で、自白を離れて客観的に存在する証拠の一つとして、血液型を取り上げ、「原判決の掲げる五十嵐勝爾作成の鑑定書によれば、N・Y(被害者)の膣内から採取した精液の血液型は、B型(分泌型あるいは排出型)であり、そして被害者の血液型はO・MN型であるから、被害者を姦淫した犯人はB型(分泌型)の血液型であることは明らかである。」とし、「渡辺孚ほか三名共同作成の鑑定書によれば、被告人(請求人を指す。以下回じ)の煙草の吸殻と唾液によってその血液型を鑑定したところ、B型であることが判明したことも明らかである。してみれば、(中略)原判決が「5被告人の血液型はB型で、被害者Yの膣内に存した精液の血液型と一致することにが被告人の自白の信憑力を補強する事実であるばかりでなく、自白を離れても認めることができ、かつ、他の情況証拠と相関連しその信憑力を補強し合う有力な情況証拠であると認定したのは、当裁判所としても肯認できる。」旨判示し、なお、確定判決審での証拠調の結果、上野正音作成の鑑定書により、請求人の血液型は、ABO式でB型、MN式でMN型、Se式で分泌型であることが明確になったこと、捜査に当たった警察官、検察官の証言等により、I豚屋で五月一日夜に盗まれたスコップが、後日死体発見現場付近で発見されたことから、右I豚屋出入りの者に捜査の目が向けられ、筆跡、血液型、アリバイなどを調べた結果、請求人に嫌疑をかけるに至った事情などを認定・判示し、「以上を要するに、原判決が被告人の血液型と被害者の膣内に残された精液による血液型とが同一であることを、有力な情況証拠としている点は、当審における事実の取調べの結果によって一層その正当性を肯認することができる」と結論する。確定判決が援用する五十嵐鑑定の血液型判定の検査方法には問題があり、被害者の血液型が確実にO型であると断定まではできないが、その血液型が亜型や変異型という希有な場合でなく、通常のものである限り、その判定は妥当であり、これを前提とすると、膣内に存した精液の血液型をB型とする判定も納得できることは、先に検討したとおりである。また、血液以外の体液からABO式血液型が判定されたこと自体、Se式血液型が分泌型であることを推認させるものであり、本件の場合、被害者の膣内の精液のSe式血液型が分泌型とされたことも了解できる。
 これを要するに、所論援用の上山第一、第二鑑定書等により、五十嵐鑑定の血液望判定には、その検査過程に前記の問題を包蔵していることが明らかになったのであるが、所論援用の新証拠も、血液型のうえで、請求人が犯人である可能性を積極的に否定するものではなく、これらの証拠を、右五十嵐鑑定書を含む確定判決審当時の関係証拠に併せて検討しても、依然として、犯人が被告人と同じABO式でB生、Se式で分泌型の血液型の持ち主である蓋然性が高いということができるのである。そして、右のような血液型の一致の事実は、それのみで請求人が犯人であることを意味するものでないことは勿論であるが、請求人と本件犯行との結びつきを考察する上で、自白を離れて存在する、客観的な積極証拠の一つとして評価することができるというべきである。
 したがって、上山第一、第二鑑定書をはじめ、所論援用の書証、人証を確定判決審の依拠した証拠に併せ検討して見ても、本件強姦の犯人の血液型に関する確定判決の事実認定を揺るがすものとは言い難いといわなければならない。

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