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第一六 学用鞄について

 所論は、新証拠として、(1)関源三の昭和三八年七月七日付検察官に対する供述調書(関検面)、(2)狭山市入間川**番所在の山林に関する公図及び不動産登記簿謄本、(3)昭和三六年一一月五日撮影の現場付近航空写真、(4)昭和二二年二月八日撮影の現場付近航空写真、(5)M・Sの昭和三八年七月三日付検察官に対する供述調書(M検面)、(6)多田敏行作成の「狭山事件とポリグラフ検査」と題する論文(多田論文)、(7)弁護人中山武敏作成の鞄発見現場関係見取図等を援用し、これらを確定判決審の証拠と併せ見ると、被害者が所持、携帯していた学用鞄(浦和地裁前同押号の三〇、本件鞄)は、その埋没場所を予め知っていた取調官が請求人の供述を誘導し、あたかも請求人が自発的にその埋没場所を自供したかのように作為した疑いが強く、請求人の自白に基づいて捜索した結果として発見されたものとはいえないことが明らかであり、請求人が本件鞄の隠匿場所を捜査官に打ち明けて秘密の暴露をしたことはないことが裏付けられるから、右自白に依拠した確定判決の事実認定に合理的な疑いが生じた、というのである。
 検討するに、請求人が新証拠として提出する証拠は、本件鞄に関する自供状況、教科書類発見地点と本件鞄発見地点との地理的関係、本件鞄発見時の捜索立会人の立会い状況、請求人の本件鞄に関するポリグラフ検査結果等に関するものであるが、確定判決審の関係証拠と併せ見ても、所論主張のような事情は窺われない。
 すなわち、これら関係証拠を併せ検討すると、
(1)昭和三八年五月三日、佐野屋付近に現われた犯人の逮捕に失敗した捜査当局は、大掛かりな捜索活動を行って被害者の遺留品等手掛りとなる証拠の発見に努め、同日午後二時半ごろ、狭山市入間川**番地の雑木林から被害者Yの自転車の荷掛け紐が発見押収されたが、同月四日にYの遺体が発見された後も、右発見現場を中心に広く被害者の所持品など収集のための捜査が行われ、同月二五日には右現場からやや離れた同市入間川字**番地の雑木林と桑畑の境の窪んだ溝で、Yの所持していた教科書、ノート類等が発見押収されたところ、教科書などが入れてあったはずの鞄、万年筆、腕時計などは依然として未発見であったこと、
(2)同年六月二〇日に至り、請求人が関源三巡査部長に対して、三人共同して犯行した旨を自供する際、「鞄は俺がうっちゃあったんだけど今日は言わない。今度関さんが来た時地図を書いて教えるよ。」などと供述し、翌二一日、右関に対して、N・E方へ本件脅迫状を届けに行く途中で、本件鞄を山の中へ捨てた旨自供するとともに、その場所を示す略図を書いて提出したこと、
(3)そこで即日、関らが、右略図を頼りに捜索を実施したけれども、鞄の発見には至らず、空しく引き上げて来たため、同日午後五時ころ、青木一夫警部が再度請求人に鞄の捨て場所を尋ねたところ、よく考えてみたら思い違いであった、山と畑の間の低いところへ捨てたが、わかりにくい場所なので略図を書いて説明すると述べて、改めて略図を書いて提出したので、二度目の略図に基づいて右関ら警察官数名がM・S方ら付近住民の立会いで、同市入間川字**番地桑畑と同**番地雑木林との境界地付近の溝を手分けして捜すうち、午後六時四〇分ころ、雑草の生い茂った溝の中に、埋没して端の方が少し表面に覗いている本件鞄を発見し、これを領置したこと、
が認められる。
 このような経緯に徴すると、本件鞄は、請求人の供述に基づき捜索の結果、請求人が捨てたと図示した場所から程遠からぬ地点で発見押収されたものと認めることができる。
 所論は、本件鞄の発見地点は、先に発見された自転車の荷掛け紐と教科書類の各発見地点の中間に位置し、場所として大して隔たっておらず、埋められていた状態が共通しており、請求人の自供や図示を俟つまでもなく、捜査当局において当然捜索すべき場所であり、現実にも既に捜索されていたと考えられる場所であって、請求人が描いた当初の図面によっては発見できなかったのなら、二度目に描いた図面の記載内容も当てにならないと考えるのが自然であるのに、民間の立会人まで準備して鞄の発見に先立って実況見分を開始し、しかもその二度目の図面添付の供述調書には、録取の時刻まで記載したのは不自然であって、捜査当局は、大掛かりで、綿密な捜索活動によって、予め本件鞄の埋没場所を発見していたのに、取調官が、請求人の供述を誘導して、あたかも自発的に鞄を埋めた場所を自供したかのように作為した供述調書を作成し、図示させた疑いが裏付けられると主張する。
 本件鞄の発見場所は、所論指摘のとおり、遺体発見以来、捜査当局が、それまでに幾度か証拠物捜索の対象とした地域であったけれども、司法警察員清水利一作成の昭和三八年六月二二日付実況見分調書(第一審記録一三五七丁)添付の図面によれば、本件鞄の発見地点は、荷掛け紐発見地点の略西方五六メートル、教科書等発見地点の略東方約一三六メートルに位置するのであって、いずれの場所とも道路を隔てており、五月から六月という時節柄、本件鞄は、草木の繁茂する雑木林の端付近(当時の現地付近の模様は、右実況見分調書の添付写真、司法警察員伊藤操作成の同年五月二五日付実況見分調書(第一審記録一三四八丁)の添付写真等から窺われる。)の溝の中で泥に覆われていたのであるから、以前の捜索の際に必ず発見できていたはずであるとは言い得ない。請求人援用の証拠を確定判決審の関係証拠に併せ検討しても、本件鞄の発見押収の過程に、所論のような捜査官の殊更な誘導や悪質な作為の介在を窺わせる事跡は見出せないのである。
 また、所論は、請求人の図示した鞄の投棄場所と実際の発見場所とは、かなり離れており、投棄の場所についての自白は、内容のないものであったことが裏付けられ、請求人の自白に基づいて本件鞄が発見されたとする確定判決の事実認定には、合理的な疑問があるというのである。しかし、確定判決審の関係証拠に徴すると、現場は、当時、畑と雑木林が混在し、そこかしこに点在する集落間を結ぶ未舗装道路や、地図上に載らない、狭くて曲折した農道が幾本も走っているような場所であり、後に投棄地点を特定する目印になるようなものもほとんどなかったのであるから、投棄場所を図示(請求人の描いた略図は、六月二一日付青木警部に対する供述調書添付のもの(第一審記録二〇〇三丁)か、あるいは、これと同程度のものであったと考えられる。)するについても、勢い、およその特定にならざるを得なかったと察せられるのであって、N・E(被害者の父)方へ脅迫状を届けに行く途中で、鞄や教科書を捨てた請求人の図示が、ある程度不正確なものであったとしても不自然とは言えないし、請求人の描いた略図を見た警察官の側においても、場所の特定としては、その程度のものとして受け止めて、捜索に当たったものと認められるのである。このような事情を考慮すると、請求人が図示した場所と現実の発見場所との間に、ある程度の齟齬があっても、それをもって請求人の本件鞄投棄についての自白が、実体のない、内容虚偽のものであったとするのは当を得ないというべきである。
 所論を検討し、その援用の証拠を確定判決審の証拠に併せて、投棄物発見の経緯について吟味しても、確定判決の事実認定に疑いを生じさせるには至らないというべきである。

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