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第二二 自白の心理学的分析について
所論は、新証拠として、(1)浜田寿美男作成の昭和六一年一〇月二〇日付「自白供述の心理学的分析」と題する意見書(浜田意見書)、(2)山下恒男作成の昭和六三年一二月五日付「自白の『不自然さ』についての心理学的検討」と題する意見書(石川自白再現実験ビデオテープ(当庁昭和六二年押第四二八号の九)を含む。山下恒男意見書)、(3)証人浜田寿美夫、(4)同山下恒男等を援用して、本件犯行の自白に合理的な疑問のあることが裏付けられ、右自白を採用して請求人を有罪とした確定判決の事実認定は誤りであり、請求人の無罪が明らかになった、というのである。
(一) 浜田意見書は、捜査官に対する請求人の供述の総体を一つの流れとして捉え、その変遷を心理学的に分析・検討することにより、供述内容の真偽を判定しようとするものであって、請求人の供述調書を分析した結果、身柄拘束から約一か月続いた否認が、三人共犯の自白、それと基調を同じくする強姦・殺人・死体遺棄をメーンテーマ、恐喝未遂をサブテーマとする単独犯行の自白へと変遷し、更に、最終的に恐喝未遂をメーンテーマ、強姦・殺人・死体遺稟をサブテーマとする単独犯行の自白へと内容が変遷したが、このような変遷は、請求人が、真犯人として、取調官の追及を受けて徐々に真実を吐露したものではなく、無実でありながら否認に徹しきれず、自らを真犯人に擬することにより犯行の筋書を演繹供述したものの、矛盾に逢着して、変転させなければならなかった過程として理解するほかなく、供述の大きな変遷に呼応して生じた小さな変遷の過程も、取調官の誘導に従って、架空の経験を供述したものの、他の証拠との矛盾に逢着し、これを整合させようとした過程として観察されるのであり、請求人の自白が真犯人の体験を述べたものではないことは、「もはや一点の曇りもなく明らかである」(同意見書四九九頁)というのである。右意見書は、右の結論に到達するにつき、「供述が供述者の口から発せられたものである以上、変遷・変動・矛盾・欠落などの問題をすべて含めて、その供述全体は、必ず整合的な形で了解できるはずである。これが私たちの供述分析の大提である。」(同一四五頁)、「人間の行動・言葉に意味のないものはない。(中略)供述調書のように一連の流れを形づくるものについては、そのひとつひとつの言葉をかなり正確に読みとることができるはずである。供述調書は(被疑者の言葉そのままを記録したものではなく、取調官の尋問に対する応答として発せられたものではあるが、そのことを考慮に入れておけば)その言葉のひとつひとつをほぼ一義的に理解することができるはずである。」(同四九七頁)との考え方に立って、「具体的に、請求人の供述を、まるごとその請求人自身の心性の一貫性において理解しようと努めてきた。」(同四九八頁)というのであるが、自白変遷の背景事情の解釈、意味付けについて、同意見書の説くところは、一つの仮説としては成立し得ても、確定判決審の関係証拠に照らして、必ずしも、妥当なものとはいえないばかりでなく、その拠って立つ前提自体、供述心理の分析のあり方を説く一般論としてならば兎も角、心中葛藤し、懊悩しながら逡巡を重ねた末に、捜査官に対し行った強姦、強盗、殺人など重大犯罪に関する表白について、常に妥当するとは考え難く、請求人の自白は犯人の実体験を述べたものでないことが「一点の曇りもなく」解明できたとする同意見書の見解は、容れ難いといわなければならない。畢竟するに、右は心理学の立場からの一個の見解であるに止まり、確定判決の証拠判断、延いては事実認定に影響を及ぼすに足る証拠であるとは認め難い。
(二) 次に、山下恒男意見書は、犯行の動機、準備、実行過程、盗品等の処分など全過程にわたり、請求人の自白内容を分析した結果、その述べるところは、臨場感に乏しく、客観的証拠から形成される犯人像と一致しないばかりか、請求人自身のパーソナリティや行動傾向とも一致せず、人間の行動法則や犯行心理に反する不合理な点が多いほか、認識や記憶の誤り、意味付けの欠落等があり、不自然であって、信用性に乏しいと判定する。思うに、右意見書の見解は、犯罪を行う者は、第三者が納得できるような合理的な行動をとり、しかも、その行動と四囲の状況の一部始終を冷静に認識、記憶していて、いったん自白を始めたら、犯行状況等を忠実に脳裡に再生し、これを包み隠さず、的確に表現し、供述するものとの考え方に立っているように見受けられるが、そのような前提が常に成り立つとは言えない。同意見書が、犯人の行動として犯罪者心理に悖り不合理であることの一つとして指摘する、脅迫状持参の経緯について考えてみるに、女子高校生である被害者の帰宅が遅いのを心配しているであろうことが明らかなその自宅へ、午後七時過ぎに、被害者の持ち物である自転車を持って脅迫状を届けに赴き、玄関の戸に脅迫状を差し込み、右自転車を前庭に面した物置の自動車の脇に置いてくるという犯人の行動(第一審証人N・K(被害者の兄)の供述、第一審記録二二三丁。第一審の検証調書、同一五六丁。司法警察員作成の昭和三八年五月四日付実況見分調書、同五一七丁。)は、それ自体、もし家人に出会い、被害者の自転車を持っているところを見られたならば、たちまち不審に思われることは必定で、極めて危険であるのに、犯人は敢えてそのような危険を冒したのであるが、犯人が誰であるにせよ(たとえ、仮に犯人が家人と親しい者であったため、見咎められた際に、その場を取り繕うことができたとしても、間もなく、捜査当局から嫌疑をかけられ、追及されることは、容易に予測することができる。)、このような行動をとった理由を、同意見書の納得が得られるような形で合理的に説明することは困難であろう。このように、右意見書が不合理、あるいは不自然であると指摘するものを逐一検討してみても、必ずしも、直ちにそれが請求人の自白内容を疑わせるものとは言い難いのである。また、自白の一部に、認識、記憶の誤りなどがあるからといって、その内容全体が疑わしいとは限らないのである。結局、右意見書は、確定判決の証拠判断、延いてはその事実認定に疑いを生じさせるものとは認められない。
(三) このような次第で、両意見書に所論援用のその余の証拠を併せ、確定判決審の関係証拠と総合検討しても、確定判決の事実認定に合理的な疑問を抱かせるものでないことは、明らかであると認められる。
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