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第一四 被害者宅の所在探しについて
所論は、新証拠として、U・Kの昭和三八年六月五日付司法警察員に対する供述調書(U員面)を援用し、本件犯行日の昭和三八年五月一日午後七時半ころ、U・K方へN・E(被害者の父)方の所在場所を尋ねに来た男の人相等が請求人に似ているとする第一審でのU・K証言は、証拠価値の高いものとはいえないことが裏付けられ、これを、請求人の自白を補強する証拠の一つとして評価する確定判決は正当とはいえないことが明らかになった、というのである。
検討するに、所論援用のU員面の内容は、「昭和三八年五月一日午後七時三〇分ころから四〇分ころまでの間に、降雨の中、傘もささずに自分方を訪れて、N・E方の所在を尋ねた男がいた、その後、N方のYが殺害されたことを知り、その男が本件と何か関係のある人物ではないかと思ったものの、警察に届けて係わりを持つと多勢で押し掛けられたりして怖いと思い、直ぐに届け出なかったが、結局思い直して届け出た、その男は年齢二三、四歳、背丈五尺一、二寸、面長、長髪であり、一、二分の短い時間ではあったが、電灯をつけ正対して話したので、今でも顔は覚えている、会えば判ると思う」というものであるが、第一審でのU・Kの証言(昭和三八一一月一三日施行の第五回公判)は、概要、「五月一日の午後七時三、四〇分ころ、戸口の上にある電灯をつけて、ガラス戸を開けて外の九尺から一丈離れたところに立っている年齢二二、三歳、身長五尺一、二寸くらい、着衣はよくわからないが、襟の折れたジャンパー様の服を着ていた男に応対した、外は真っ暗であったが、電気をつけたので見えた、当時、雨が降っていたが、男は雨具を持っておらず、中古の自転車を立て、ハンドルを持っていた、N・Eさんのうちはどこかときいたので、指さして裏から四軒目だと教えた、男は何とも言わずに自転車のハンドルを持って帰った、石川一雄が逮捕されて後、入間川の警察署で見たが、大体、顔かたちが似ていると思った、(公判廷で請求人を見て)そうです、この人です、この人と思います」というものであって、右員面は、U証言と内容同旨であり、実質的にみて新証拠といえるか疑問であるのみならず、これを確定判決審の関係証拠と併せ検討しても、U証言の信用性に疑問を抱かせる点は見出せず、確定判決の認定を揺るがすものではない。
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