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(四) 日比野鑑定書・I・S、S・Kの各供述調書

 日比野鑑定書は、本件脅迫状と警察署長宛上申書とを比較対照し、両文書にみられる文字配列の状況、当て字、誤字、筆順など漢字、片仮名の使用状況、筆勢、運筆、文章の作成状況、句読点の使用状況等から、右両文書が同筆であるとは考えられず、両文書の作成者の書写能力や漢字能力には差があり、請求人の能力では、雑誌「りぼん」を手本としても本件脅迫状を作成することは不可能である、というのである。
 しかしながら、警察署長宛上申書を対照資料にするについて、右上申書の書字、漢字の交ぜ方、筆勢、運筆等の状況が、請求人の当時の書字・表記の能力をそのまま示しているといえないことは、神戸鑑定書の項において詳しく検討するとおりである。
 請求人の書字・表記の習得が小学生のころで停止してしまい、その後は本件当時まで国語力の進歩がまったくなかったという前提をとるのであれば格別、所論援用の江嶋ほか意見書、大野第二鑑定書についても検討するとおり、本件当時二四歳であつた請求人にとつて、社会生活上の必要、書かれたものの内容に対する興味、関心などから、そのつど自分で習得した漢字もある程度は集積していたであろうことは、前掲の請求人自筆の筆跡資料、就中、早退届氈A同、通勤証明願、関宛昭和三八年手紙の記載内容などに徴して、推察するに難くないのである。
 なお、所論が新証拠の一つとして援用するI・S、S・Kの司法警察員に対する各供述調書は、所論援用の江嶋ほか意見書中にも、請求人の書字能力の低劣であることを示す証拠資料として引用されているのであるが、両調書を総合すると、昭和二八年、請求人が、I・S方靴店に住み込みで働いていた一四歳当時、店主Sの妹であるS・Kから、約三か月間平仮名や漢字を習い、平仮名の読み書きができるようになり、漢字も、例えば「川口」という得意先の名前程度のものは書けるようになつていた、というのであり、請求人が一四歳当時に至って、ようやく平仮名と若干の漢字を習得したことが、右供述調書で明らかにされているが、これにより、約一〇年後の昭和三八年当時の請求人の書字・作文力などの国語力を直接推認することは相当とは言い難い。日比野鑑定書は、本件脅迫文で、「警察」と書くべきところに当てられた「刑」と「札」の漢字は、小学校で習得すべき教育漢字には含まれず、当時の当用漢字に該当することから、漢字を使うについてある程度高度な能力の持ち主が書いたと判定するのであるが、右の漢字などは、字画数も多くなく、ありふれた漢字であるから、当時、請求人が身辺にあつた新聞、雑誌等の印刷物などで見て、習得する機会は比較的容易にあり得たと考えられるのである。右鑑定書の判定は、その余の片仮名の使用状況、筆勢、運筆、文章作成能力などに関する指摘も含め、必ずしも当を得たものとは言い難いといわざるを得ない。このような次第で、右鑑定書は、三鑑定の判定結果を左右するには至らない。

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