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第八 殺害現場付近で農作業中の者の存在について
一 確定判決は、被害者が昭和三八年五月一日の午後三時五〇分ころ、加佐志街道のエックス型十字路に差し掛かったとする第一審判決の認定を肯定したうえで、殺害時刻を午後四時ないし四時半ころ、殺害場所を通称四本杉の雑木林と認定判示するところ、所論は、新証拠として、(1)司法巡査水村菊二ほか作成の昭和三八年五月三〇日付、同月三一日付、同年六月二日付、同月四日付各捜査報告書(水村巡査ほか報告書)、(2)O・Tの司法警察員に対する同年六月四日付、同月六日付、検察官に対する同月二七日付、弁護人に対する昭和五六年一〇月一八日付、昭和六〇年一〇月一八日付各供述調書(O員面・検面・弁面)、(3)弁護人中山武敏、同横田雄一作成の昭和五六年一〇月二八日付現場検証報告書(中山・横田現場検証報告書)、(4)内田雄造ほか作成の昭和五七年一〇月一二日付鑑定書(第一次識別鑑定書)、(5)安岡正人ほか作成の同月九日付鑑定書(悲鳴鑑定書)、(5)弁護人横田雄一作成の同年四月二八日付、同年五月二九日付、同月三一日付各調査報告書(横田現場調査報告書)、(7)弁護人中山武敏、同横田雄一作成の同年九月三〇日付悲鳴の到達範囲に関する実験報告書(中山・横田悲鳴実験報告書)、(8)内田雄造作成の昭和六一年七月二〇日付鑑定書(第二次識別鑑定書、(9)昭和三八年五月四日撮影の航空写真、(10)証人O・T、(11)同安岡正人、(12)同内田雄造及び(13)O・Tが農作業した桑畑付近、殺害現場とされる雑木林の現場検証等を援用して、確定判決が認定した殺害時刻を含む時間帯には、O・Tが、殺害現場と認定された通称四本杉から至近距離にある桑畑で除草剤の撒布作業をしていたから、当時の右雑木林の樹木、下草の刈り込み状況、桑畑の生育状況等から推認される現場の見通し、右Oの農作業地点までの距離関係などに照らして、もし本件の姦淫と殺害が、確定判決判示の時と場所で行われたとすると、当然、同人は、犯人と被害者の存在に気付いたはずであり、犯人と被害者の側でも、作業中のOの姿を至近距離で認識したはずであると認められ、このような場所で易々と強姦、殺人の犯行が行われたとは考え難いところ、Oは、雑木林にいる犯人と被害者に気付かず、また、被害者が上げたとされる悲鳴にも気付いていないのであるから、請求人の「通称四本杉の雑木林内で被害者を姦淫し殺したが、その際、被害者が悲鳴を上げた」旨の自白は、右O認識と合致せず、内容虚偽であることは明らかであり、このような虚偽の自白に大きく依拠して請求人を本件強盗強姦、強盗殺人の犯人であると断定した確定判決の事実認定が誤りであることが明らかになった、というのである。
二 そこで検討する。
(一) 水村巡査ほか報告書、O員面及び検面は、付近住民に対する聞き込み捜査過程において、昭和三八年五月一日の本件強姦、殺人の犯行当日の午後、四本杉の雑木林西側の約一反歩の桑畑(本件桑畑)で農作業をしていたことが明らかになったO・T(農業、当時三四歳)から、同月末から六月にかけて事情聴取した結果であって、その大要は、「五月一日の午後二時前ころ、死体埋没現場東方約一〇〇メートルの地点にある桑畑に着き、除草剤約四斗を積んだ軽三輪自動車を桑畑東側の山林端に停め、午後四時半ころまで、一人で噴霧器(約四升入り)を背負って除草剤を撒布し、その間、除草剤補給のため桑畑と車の間を約一〇回くらい往復した、午後三時半ころから四時ころの間に、声の方向や男女の別などは分からないが、誰かが呼ぶような声が聞こえ、直感で親戚に立ち寄っている妻がお茶を持って来る途中で誰かに襲われたような感じがしたので、思わず親戚の家の方向を見たが人影はなかった、よほど行ってみようかと思案して仕事の手を休めたが、雨も少し降っていたことでもあり、そのまま急いで作業を続けるうちに、用意した除草剤が切れてしまったので、午後四時半ころ作業を打ち切り、妻の立ち寄り先の親戚へ向かった、右作業現場の西側の見通しはよいが、その他の方向の視界は雑木林に遮られて悪く、特に東側の旭住宅団地より南に通ずる道路は低いため、桑畑から通行人の姿を見ることはできない、その後、五月五日ころ、手伝いに行った大工の堀越万吉方で事件のことが話題になり、その際、自分が同月一日に桑畑で耳にした声のことを思い出して、「変な声を聞いた」旨話すと、同人の兄から、あまり人に言わない方がよいと言われたことがあった」などというものである。
O弁面二通は、弁獲人がOに、昭和五六年一〇月六日と昭和六〇年一〇月一八日の二回にわたり、昭和三八年五月一日午後の除草剤撒布作業中の出来事について供述を求めてその内容を録取したものであるが、農作業中に聞いた声に関して、員面、検面と相違し、あるいはこれらに述べられていない主要な点は、「除草剤撒布作業中に聞こえた声は、ホーイともオーイとも取れ、誰か何か言ったかなと思うような気がした、確かに人の声だったが、はっきりした悲鳴とか、救助を求めるとかいうようなものではなかった、いつも来る山の方を見たが誰も来なかったので、作業を続けた、昭和三八年六月二七日付の検察官に対する供述調書に、一〇〇メートルくらい離れたところで声を聞いた旨の記載がある由だが、自分はそれは言わなかったと思う、女の悲鳴のようだとも言っていない」(第一回分)、「昭和三八年五月末ころ、警察官が聞き込みに来て、作業中に人の声を聞かなかったかと尋ねるので、誰かが何か言ったかなぁという気がしたということを話したが、それは悲鳴ではなく、人が襲われたようなものでもなかったから、周囲を見回したり、付近を探したりはしなかったし、警察が聞き込みに来るまで、まったく気に留めていなかった、自分が農作業をしていた桑畑とその東側の、犯行があったとされる雑木林相互の見通しは悪くなく、両者の境界付近から雑木林の真ん中辺りまでは見通せる状況であった、右雑木林で事件が起こったような状況は全くなかった」(第二回分)などというものである。
次に中山・横田現場検証報告書は、昭和五六年一〇月に、四本杉のある雑木林と本件桑畑(検証時はローラースケート場)との位置関係、距離、見通し状況等の検証をしたもの、横田現場調査報告書三通は、昭和五七年四月末から同年五月末にかけて、弁護人が現場付近の雑木林の所有者やその家族、Oと面談して調査した結果、事件当時、四本杉西側、東側の雑木林の下草は、毎年正月前後に刈り取られていたから、下草が雑木林内の見通しや音の伝播に影響することはなかったこと、桑畑の南側は、事件当時、樹齢約二〇年の松林であり、雑木は最高でも樹齢一八年位のものが生えており、林内のかやは日照が悪いため、五月でも余り伸びていなかったこと、Oは、本件当時、聴力、視力とも正常で、眼鏡は使用せず、カーキ色か白っぽい色の帽子、白シャツの上に中間色のセーターを重ね、作業ズボンを着用していたことが判明したというもの、第一次識別鑑定書は、昭和五七年五月一日と六月一日に、時刻、天候、雑木林と桑畑の状態、犯人、被害者及びOの服装等所与の条件をととのえて、雑木林の犯行現場と農作業中のOの位置等の相互の見通し状況を現場で再現し調査したもの、第二次識別鑑定書は、自衝隊入間基地や気象庁の気象資料、関係者の供述をもとに、事件当日の午後四時から四時三〇分の時間帯を中心に気象状況を調査するとともに、昭和六一年四月二六日から二八日まで、現地で照度測定と人物認知状況の再確認を行い、同年五月一日には、樹木の繁茂状況の確認を行って、第一次識別鑑定の識別実験について再検討した結果、事件当日の午後四時から四時三〇分にかけて、桑畑のOの位置、犯人が被害者を縛ったとされる雑木林の松の木の位置は、いずれも十分な明視環境にあったこと、犯人と被害者は、Oが駐車しておいた自動三輪車、農作業中の同人の姿を当然に認知したはずであり、またOも、犯人と被害者の会話、悲鳴を耳にするなどして、視線を林内の発声源近傍に向けた場合には、犯人と被害者を認知したはずであることが判明したというものであり、悲鳴鑑定書は、昭和五七年五月一日に、犯行現場とされる地点において、予めスタジオで録音した男女の話声や女性の悲鳴等をスピーカーで再生したもの、あるいは女性の実験補助者の発した肉声の悲鳴を音源とし、右各音源からの音圧レベル等を本件桑畑(実験時はローラースケート場)で測定するとともに、聴取実験を行い、また、別に農作業、手押し噴霧器、自動車等の発する音を調査した結果、被害者の悲鳴音は、本件桑畑のどの位置からでも知覚し得ること、Oの自動車の発進音、除草剤噴霧器の発する騒音も、犯人が強度の興奮状態になければ、犯人において十分認識できることが判明したというもの、中山・横田悲鳴関係実験報告書は、悲鳴鑑定に付随して、前同日の午後一時から午後一時三〇分の時点で、犯行現場とされる雑木林内の杉の木の位置に悲鳴の音源を置いたとき、暗騒音の低いところでは、二〇〇メートル離れていても聴取可能なことが判明したというものである。(二) 所論は、犯行現場とされる雑木林の近くで農作業をしていたO・Tの認識内容と自白内容が合致せず、自白の虚偽が明らかになったというのであるが、水村巡査ほか報告書に記載されたOからの聞き取り内容、O員面、検面とO弁面とを比較すると、Oは、農作業中に聞いた人の声に関し、捜査官に対して、大要、「桑畑で除草剤撒布中、午後三時半から四時ころの間に、声の方向や男女の別などは分からないが、誰かが呼ぶような声が聞こえ、直感で親戚に立ち寄っている妻がお茶を持って来る途中で誰かに襲われたような感じがしたので、思わず親戚の家の方向を見たが人影はなかった、よほど行ってみようかと思案して仕事の手を休めたが、雨も少し降っていたことでもあり、そのまま急いで作業を続けた」旨述べているのに対して、右弁面二通では、前掲のとおり、作業中に聞いた声は、極めて漠然とした、印象の薄いものであったように述べており、人の声を聞いたことでは共通するものの、この人声がどのようなものであり、これをどのように受け止めたかという点では、大きく相違している。この点、昭和三八年五月四日に、狭山市入間川**番地所在の畑の農道に埋められている被害者の死体が発見され、同月二三日に請求人が逮捕されて身柄を拘束されたが、殺害場所などについて自白を始めたのは、同年六月二〇日以降のことであって、それまでは、殺害に至る経緯、殺害場所などについて、捜査官は、まったく把握していなかったのであるから、Oから事情を聴取するにあたって、殊更な誘導を行って同人の供述を歪めたなどということは考え難く、また、Oの側においても、虚偽を述べ、あるいは誇張して供述したとも考えられない。そして、請求人が自白を始めた後に、更にOの供述を求めて作成されたO検面(同年六月二七日付)の記載内容も、自白前に作成された前掲のM巡査ほか報告書やO員面と実質的な違いは認められないのである。このように見てくると、本件桑畑で除草剤撒布作業をしてから一、二か月しか経っていない、記憶の新鮮な時期になされたOの捜査官に対する前掲の供述内容、就中、員面の内容は、十分信用に価するということができる。これに対して、弁面二通は、殊更に虚偽を述べたとは考えられないけれども、事件からそれぞれ一八年、二二年の歳月を経てから、求めにより、当時を思い起こして供述したものであり、前記捜査官に対する供述に比して、より正確であるとは認め難いものといわなければならない。
このように、Oの捜査官に対する供述内容は、信用できると認められるのであり、「桑畑で除草剤を撒布中、午後三時半から四時ころの間に、声の方向や男女の別などは分からないが、誰かが呼ぶような声が聞こえ、直感で親戚に立ち寄っている妻がお茶を持ってくる途中で誰かに襲われたような感じがしたので、思わず親戚の家の方向を見たが人影はなかった」旨の経験事実の供述は、強姦とそれに引き続く殺害に関する請求人の自白に沿うものと見ることができるのであって、これと相容れないものではない。(三) 所論は、中山・横田現場検証報告書、横田現場調査報告書、第一次、第二次識別鑑定書、悲鳴鑑定書、中山・横田悲鳴実験報告書等により明らかにされた事件当日午後四時から四時半ころの現場の明るさ、天候、四本杉付近と本件桑畑との間の見通し状況、人の声の伝播状況、更にはOの聴力、視力、着用していた衣服の色彩等の調査結果から、もし本件の姦淫と殺害が、自白どおりの時と場所で行われたとすると、当然、Oは、犯人と被害者に気付いたはずであり、犯人と被害者の側でも、Oの姿を認識したはずであって、このような状況の下で強姦、殺人の犯行が行われたことはあり得ず、また、犯行が行われたとすれば、Oが被害者の悲鳴をはっきり聞き取らなかったはずはないと主張する。
しかしながら、所論援用のO員面、検面及び確定判決蕃の関係証拠によれば、事件当時、四本杉のある雑木林の周辺一帯はほぼ平坦で、桑、麦、野菜などの畑の中に、これより僅か高く、入りくねった不定形の雑木林が散在しており、人家の集落からは程遠く、当日午後二時ころ小雨が降り出し、いったん降り止んだ後、午後三時半ころから再び降り出し、その後本降りになったことが認められる。現場は、こうした地形、地表の状況、降雨の影響等から、音が拡散し、減弱しやすい環境にあったばかりでなく、当時、毎秒四メートルないし六メートル余の北風(斜め逆風)が吹いていたこと、除草剤撒布作業中のOの周囲には、付近一帯の雑木林の枝葉が風に騒ぐ音、雨音、背負っている噴霧器の騒音があったであろうことも認められる。Oは、このようなうっとうしい天候の下で約二時間半にわたり、作業を早く済ますことを心がけながら俯き加減に桑畑の中で往復を繰り返し、独り除草剤撒布に専念していたのであって、桑畑のすぐ東側の雑木林で兇悪な犯罪が行われて悲鳴があがることなど、夢想だにしなかったのであるから、除草剤撒布の作業の間に、雑木林の中の犯人と被害者の姿に気付かず、また突然に被害者の悲鳴(その音程、音量、長さ、回数などは、証拠上判然としない。)があがっても、前掲O員面、同検面にあるとおり、「声の方向や男女の別などは分からないが、誰かが呼ぶような声が聞こえた」と感じ、「直感で親戚に立ち寄っている妻がお茶を持って来る途中で誰かに襲われたような感じがしたので、思わず親戚の家の方向を見たが人影はなかった、よほど行ってみようかと思案して仕事の手を休めたが、雨も少し降っていたことでもあり、そのまま急いで作業を続けた」もので、危難に遭っている者が直ぐ近くにいるという切迫感を持たなかったことは、必ずしも不自然なことではないと考えられる。他方、犯人と被害者の側についても、右に見たような現場の地理的状況、当時の気象条件の下では、桑畑が見通せる客観的状況にあったからといって桑畑で作業中のOの姿に当然気付いて、犯人はその場所での犯行を断念し、被害者は救いを求めたはずであるとは、必ずしも言い難いといわなければならない。このように見てくると、Oが除草剤撒布作業中に人の声を聞いたという右の経験は、請求人の自白供述に沿うものと見ることができる。所論が援用する鑑定書、報告書等は、いずれも昭和五六年から六一年にかけての現地調査に基づくものであるが、事件当時から二〇年近くを経て、現場とその周辺が大きく変容したことは察するに難くなく、事件当時のままに地形、気象、地上物等の条件を設定し、あるいは推測により近似の条件を設定して、近くで悲鳴がおこることなどまったく予期せずに、除草剤撒布の作業に集中していたOの心理状態を含め、当時の状況を再現することは、非常に困難なことであるといわなければならない。
所論の指摘にかんがみ、その援用する証拠をすべて併せて、確定判決審の関係証拠と総合検討しても、確定判決の事実認定に合理的な疑問を抱かせるには至らないというべきである。(このページのtopに戻る)
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