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(七) 江嶋ほか意見書
江嶋ほか意見書は、社会学、教育学の見地から生活史的方法による調査により請求人の国語能力等を解明した結果、請求人は、十分な基礎的国語教育を受けず、読み書き能力の極めて乏しい状態のまま社会に出たため、その後の仕事先や日常生活場面でも、書式の決まった文書に、住所、名前、極く限られた文字や数字等を書き込む程度のことをこなせただけで、ラブレターでさえ他人に書いて貰わなくてはならないなど、自分の意思内容を伝達するに足る、まとまりのある文章を自分で書くことは到底できない状況であつたから、本件脅迫状のような要求を的確に表現する文書を自分で書くだけの国語能力はなかったと判断される、というのである。
しかしながら、本件脅迫状作成者の国語能力と請求人のそれとの間に格差があると結論するのは、必ずしも当を得たものとは言い難い。請求人が義務教育として十分な国語教育を受けることができず、社会生活上読み書きの体験も乏しかったことは、確定判決審の関係証拠から明らかであるが、請求人は、一四歳当時に靴店で住み込み奉公中、顧客の靴などの管理の必要から平仮名や顧客名の漢字を教わる機会もあつたこと、米軍基地でパッケージ作業をした当時も、班のリーダー格としてタイヤの取付け状況を記帳する機会があつたこと、一九歳ころから二二戚ころにかけて、T製菓に勤めた際にも、仕事上あるいは社会生活上の必要からある程度の漢字の習得、書字が行われたことが、確定判決審の証拠から認められるのであつて、請求人がT製菓在勤当時に書いた早退届氈A同や通勤証明願(なお、後者は、住所、氏名等の限られた漢字や数字を記入する形式ではあるが、横書きである。)の書きぶりからもその片鱗が窺われる。そして、昭和三七年秋から翌三八年二月ころにかけて、石田養豚場に住み込みで働いていた当時には、歌の本、週刊誌、新聞の競輪予想欄等に目を通していたことも、関係証拠上明らかである。したがって、請求人は、生活上の必要と知的興味、関心から、不十分ながらも漢字の読み書きなどを独習し、ある程度の国語知識を集積していたことを窺うことができるのであって、右意見書の依拠する調査結果から、直ちに、請求人の本件当時の国語能力が右意見書がいう程度のものでしかなかったと結論づけることには、疑問がある。
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